🎄70」─1─『夜と霧』。何故、ユダヤ人はホロコーストで生き残れたのか。~No.244No.245No.246 ㉓

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 戦前の日本は、西洋の優生学に基づく人種差別主義の反ユダヤ派ではなく、日本神話の八紘一宇に基づく大家族主義の親ユダヤ派であった。
 親ユダヤ派を代表していたのが昭和天皇であった。
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 2020年6月4日号 週刊文春「名著のツボ 石井千湖
 フランク 『夜と霧』
 『人間には自分のありようを自分で決める自由がある』
 1946年、ユダヤ精神科医ヴィクトール・フランクル強制収容所での体験を口述筆記した本がウィーンで出版された。これが『夜と霧』の原著だ。当初は売れなかったが、今では世界で累計1,000万部、日本でも累計100万部を突破するロングセラーになった。それはなぜなのか。『フランクル「夜と霧」への旅』の著者でジャーナリストの河原理子さんは『この本が〝希望の書〟だからだと思います』と語る。
 『本書は、ユダヤ人を虐殺したナチスドイツの罪を告白した本ではなくて、根こそぎ奪われてなお人間はいかに人間でありうるのかを書いたものなのです』
 河原さんは記者として事件・事故の取材をしていくなかで、被害者遺族やその支援者がフランクルの言葉をたびたび引用することに気づいたのだという。
 『フランクルは、ロゴセラピーという心理療法を考案し、自殺未遂者の治療などにあたっていました。人は意味を見いだせれば生きられる。ロゴセラピーは意味を見つけるのを助ける哲学のようなものです。強制収容所に送られて、彼は我が身でそれを確かめることになったのです。〈人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある〉、苦悩や死にも意味があるのだ、という一節は彼の思想の核心で、まさに強制収容所生活で裏打ちされたものです』
 『わたしたちが人生に絶望しても〈生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ〉、という逆転の発想にもハッとします。わたしたちはただ刻々と、人生からの問いかけに応えればいいのか』
 具体的にはどういことだろう。河原さんは『夜と霧』の中でフランクルが凍てつくような寒い朝に工事現場まで行進させられたときの話しを例に挙げる。
 『日々の重労働でみなボロボロになって歩くのがやっとという状況で、仲間が〈女房たちがおれたちのこのありさまを見たらどう思うだろうね・・・〉とつぶやきます。その瞬間、朝焼けの空に、フランクルは生き別れになった妻の姿をまざまざと見るのです。愛する妻の面影と語らい、ほんのいっとき至福の境地になれる。その頃、妻の生死は不明でしたが、それは問題ではありませんでした。愛は生死を超えるのです。みんな餓えているのに、自分のなけなしのパンを譲る人がいたかという話も象徴的です。人間はただ過酷な運命に振り回されだけの存在ではない。自分のありようを自分で決める精神的自由があるとフランクルは言っているわけです。強制収容所という極限状況だからこそ見えた人生の意味は、国や時代は違っても苦悩する人の心に響く普遍性を持っているのでしょう』
 『夜と霧』は『3回読む本』と言われている。
 『今なら、新型コロナウイルス感染拡大に重ねて読むことができます。フランクルは、収容所で発疹チフスになったときどんな思いだったでしょう。クリスマスには収容所から解放されると期待して、裏切られた人たちが一気に衰弱した話も気になります。そして、どんな状況にあろうとも人間には自分の態度を決める自由があり、意味を見つめることもできる、ということも。時間を置いて読み返すたびに、なるほどと思うことが増えていく不思議な本です』」
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 ホロコーストから生還したユダヤ人は故郷に帰った。
 故郷の友人らは生きて帰ってきたむかしの隣人を温かく迎えず、むしろドイツ軍に占領され迫害を受けた原因は彼らにあったとの激怒して襲いかかり、暴行を加え故郷から永久追放するか、時には憎悪から歯止めが利かなくなり酷たらしく惨殺した。
 第2の悲劇は、戦後起きていた。
 それが、キリスト教世界における「隣人愛」信仰と自己犠牲の奉仕の実態である。
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 ナチ党は、優生学に基づくアーリア人ゲルマン民族の純血を守る為に劣等種族であるユダヤ人、ロマ(ジプシー)、そしてアラブ系共産主義者などを絶滅させようとした。
 ヒトラーは、親中国派として、虫唾が走るほど日本が嫌いで憎んでいた。
 ドイツの保守派や国防軍も、親中国派反日派であった。
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 昔の日本人と現代の日本人とは別人の日本人である。
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 日本軍部が行ったのは、ナチス・ドイツユダヤ人に対するホロコーストでもないし、ソ連の日本人女性子供に対する虐殺もなく、中国共産党少数民族に対するジェノサイドもなく、恥じる事のない名誉ある、国際法・国際作法に基づいた国家と国家による合法的な正当な戦争であった。
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 昭和天皇東條英機松岡洋右松井石根A級戦犯達と軍部・陸軍は、ポーランドユダヤ人難民を保護しアメリカやパレスチナなどに逃がし、上海ゲットーのユダヤ人達をナチス・ドイツホロコースト要請という外圧を拒否して助けていた。
 国際社会から見捨てられたユダヤ人難民を命を捨ててまで助けたのは、当時の日本人軍国主義者達であって平和を愛する現代日本人ではない。
 ポーランドユダヤ人難民を助けた日本人は、「惻隠の情」ではなく「感謝の心」で、あやふやな理想の「愛」や「夢」ではなく確実な現実の「希望」で助けたのである。
 だが、「希望」には「死」が伴っていた。
 それ故に、昔の日本人は「死を覚悟」し「死の意味」を考えながら命を抱えて生きていた。
 ポーランドユダヤ人難民を助けた昔の日本人は、褒められたい、認められたい、金儲けしたいという「下品な下心」はなく、「人としてやるべき事をしただけ」と割り切っていた。
 事実、東條英機松岡洋右松井石根A級戦犯達は、ポーランドユダヤ人難民を助けた事を公言して助かりたいとは思わず、戦争を始めた責任を認め戦争犯罪者の汚名を甘受し、最も不名誉にして残酷なリンチ的縛り首で処刑さた。
 現代日本護憲派・良心派・人権派など反戦平和の人々は、人道貢献したA級戦犯達が祭神として祀られている靖国神社を否定し、A級戦犯達の人間性を完全否定し、死後の安らぎを踏み躙り、魂・霊魂への敬意を捨て去り、生きていたという尊厳すら認めない。


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夜と霧 新版