- 作者:黒川 知文
- 発売日: 1996/12/16
- メディア: 単行本
関連ブログを6つを立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
昔のサムライ日本は、現代のサラリーマン日本と同様に外圧に弱かったのか?
サムライ日本人は、尖閣諸島問題や、竹島問題や、北方領土問題を、どう解決する為に決断し、行動しただろうか?
現代のサラリーマン日本人に比べて、昔のサムライ日本は、無知蒙昧的に頑固に鎖国体制を墨守していた為に世界情勢に暗く、国際的高度な教養を拒絶した為に政治・経済・外交・社会・医療など多方面で劣っていたといわれている。
つまり。現代日本にとってサムライ時代は見るところがない愚かな時代であったというのが、現代の日本史の正統な解釈である。
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*近代的軍国主義国家となった古代的天皇制度国家日本
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長州藩は、目の前で起きた対馬事件に衝撃を受け、亡国の危機を痛切に感じた。
朝鮮問題に積極的に関与して伊藤博文や三浦梧楼らは、全て長州出身者であった。
韓国・朝鮮は、植民地支配を実行した長州出身の日本人を極悪非道の犯罪者として嫌っている。
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西洋列強は、世界にキリスト教的文明を伝道するとして、領土を拡大し、植民地を広めていた。
白人は、支配地帯にキリスト教的文化と教養を広める為に非白人を奴隷とした。
1867年 イギリスは、マレー半島を軍事占領して植民地とした。
イギリス軍は、占領地で敵を炙り出し、抵抗勢力を虐殺した。
ロシア帝国は、アメリカとの衝突を避けるために、アラスカを売って北米大陸から撤退した。
12月 サムライは、日本を植民地にせず、日本人を奴隷にしない為に武器を取って立ち上がった。
日本を近代国家、軍国主義国家にするべく王政復古の大号令を発して、明治政府が樹立した。
明治政府は、総ての日本人を国民として、武器を持って侵略者から祖国を守る為に戦争する義務を課した。
戦争する国民の誕生によって、武士の世が終わった。
国民とは、祖国を守る責任がある。
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1868年 ロシア軍は、アフガニスタンを征服する為に中央アジアを侵略し、抵抗勢力を虐殺した。
1月 鳥羽伏見の戦い。戊辰戦争の始まり。
3月 官軍側の代表・西郷隆盛(西郷神社)と旧幕府の代表・勝海舟は、内戦を長期化させるとロシア帝国の侵略を誘い、日本は植民地化されるか、北海道などを奪われかねないとして、江戸城無血開城に合意した。
勝海舟は、抗戦派を支援する事なく見捨て、わずかな武器弾薬を与えて江戸から放逐した。
徳川慶喜は、神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)への忠誠心が強いだけに、錦の御旗を掲げて攻め寄せてくる官軍に対して潔く敗北を認めてた。
もし、将軍としての体面にこだわり、徳川家の名誉を守る為に抵抗を続けていれば、日本は欧米列強の植民地となり、キリスト教化されていた。
幕府が、悪あがきでフランスの全面支援を受けて抵抗を繰り返していたら、日本は崩壊し、消滅していた。
西日本はイギリスに、東日本はフランスに、北海道と対馬はロシアに、沖縄は清国・中国に、それぞれの領土となっていた。
キリスト教会は、日本の民族宗教を全て廃止し、日本人全員を強制的に改宗させてキリスト教徒にした。欧米列強の植民地では、当たり前に行われていた宗教政策であった。
欧米列強による地球上の植民地面積は、1800年の35%から1914年には84.4%に急増していた。
欧米列強は、清国に次いで日本を植民地とするべく策謀を続けていた。
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1869(明治2)年 明治新政府は、樺太の領土確定交渉に活躍した参議・副島種臣を外務卿に任命した。
5月 函館で抵抗していた榎本武揚ら旧幕府軍が降伏して、戊辰戦争が終わる。
旧幕府軍が、ロシア帝国に軍事支援を要請しなかったのは幸いであった。
ロシア帝国は、日本を領土の一部にする為に、旧幕府軍と新政府軍の内戦が拡大して日本が崩壊する事を望んでいた。
8月 日本政府は、蝦夷地を北海道と改称して、アイヌ人を強制的に日本人とした。
ロシア海軍は、日本国内の混乱に乗じて、日本領樺太の函泊を不法占拠して砦を建設した。
日本政府は、ロシア帝国と、日本領樺太やロシア領千島列島などオホーツク海周辺海域の領有をめぐって激しく対立していた。
北方領土は、日本領土とされていた。
ロシア帝国は、大国の軍事力にものを言わせて、強引に樺太と北方領土を掠奪するべく軍事的圧力を加えていた。
日本は、南下してくるロシア帝国の巨大な軍事力に恐しても、ロシア帝国に寸土でも獲られない為に戦争を決意していた。
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西洋列強は、宗教的白人至上主義でアジアやアフリカに植民地を拡大し、人種差別主義で非白人を奴隷とした。
西郷隆盛は、西洋列強の文明国は野蛮であるとして激しく非難し、西洋礼賛主義者を毛嫌いした。
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1870年 普仏戦争。
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1872年7月9日 マリア・ルス号事件。
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1874年 千島樺太交換条約。特使は、旧幕臣で朝敵として戦った榎本武揚であった。
北方領土は、昔から日本の固有領土である事は了解事項とされていた。
サムライ日本は、現代の日本人とは違って、国土を護っていた。
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1875(明治8)年5月 千島樺太交換条約。特使は、旧幕臣で朝敵として戦った榎本武揚であった。
北方領土は、昔から日本の固有領土である事は了解事項とされていた。
サムライ日本は、現代の日本人とは違って、外圧に断固として抵抗し国土を護っていた。
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1877年 ロシア軍は、バルカン半島を支配する為にトルコを侵略した。
ロシア帝国は、イギリスの植民地インドへの道を切り開く為に、中央アジアを侵略して刃向かう者を殺害した。
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1878年 ロシア帝国は、オスマン・トルコ帝国を攻撃してセルビア・モンテネグロを占領して独立を与えて属国とした。
バルカン半島は、ロシア帝国、オスマン・トルコ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国に翻弄されて民族衝突が絶えなかった。
カトリック教、イスラム教、ギリシャ正教が民族衝突を複雑にし、宗教紛争による流血事件も後が絶えなかった。、
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1881年 アレキサンドル2世が、ユダヤ人テロリストが参加する反皇帝派によって暗殺された。
ロシア人は、自国の国家元首であるロシア皇帝が暗殺された事に激怒して、報復としてユダヤ人を襲い多くの死傷者を出した。
ロシアの大地は、反ユダヤで流血事件が絶えなかった。
ロシア人キリスト教徒は、「神殺し」と「皇帝暗殺」でユダヤ人ユダヤ教徒を迫害し虐殺した。
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1884年 キリスト教国である欧州列強は、アフリカを分割し植民地化する為のベルリン会議を開催した。
キリスト教会は、普遍宗教として有象無象の取るに足らない民族宗教を撲滅し、絶対価値観に基づく「愛」の信仰を広める事を神聖な使命とした。
神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相)を敬う日本神道は、絶対神の神聖な火で滅ぼすべき悪魔教であった。
戦前までの軍国日本は、民族国家の自主独立の象徴である国家元首・天皇を如何なる犠牲を払っても守ろうとした。
天孫降臨による日本神話の中核である「国體」を守る事が、日本民族日本人の使命であった。
キリスト教の絶対価値観は、多種多様な価値観で混沌としている世界は統一する事を神聖な使命としている。
世界を単一化・画一化する事が、十字軍思想である。
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1885年 イギリスは、英領カナダの大陸横断鉄道を開通させた。
6月 ロシア皇帝アレキサンドル3世は、イギリスに対抗する為に、トランスカスピアン鉄道を延長してシベリア鉄道を完成させる様に命じた。
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1891年 シベリア鉄道建設委員長である皇太子ニコライ2世は、ウラジオストクでの起工式に出席した。
実質的に指揮を執ったのは、ウイッチ交通大臣であった。
シベリア鉄道建設に当たって、イギリスのロスチャイルド系国際金融資本が当てに出来ない為に、パリ・ロスチャイルドから資金援助を受けた。
シベリア鉄道は、アメリカの投資会社と鉄道関連企業団の協力を得て、アメリカ規格で建設を急いだ。
ロシア帝国は、対外侵略戦争と国内問題で以前ほどの国力を失い始めていた為に、労働力以外は外国に頼った。
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戦争回避のタイ式平和政策。
タイは、フランスやイギリスとの絶望的な戦争を避ける為に、ラオス・カンボジア・マレーなどの領土の一部を話し合いで両国に割譲した。
話し合いによる平和を得る為に、領土の一部を植民地として与え、領民の一部を奴隷に差し出した。
非暴力無抵抗主義による平和とは、自分だけは生き残ろうとする、同胞を平然と見捨てる、非情で、冷酷で、冷淡な、一滴の温かい血も通わない冷血な平和である。
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タイは「平和」で国を守ったが、日本は「戦争」で国を守ろうとした。
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国力(経済力に裏打ちされた軍事力)のない国は、滅亡した。
人間力(赤の他人との絆力)のない民族は、死滅した。
国力も人間力もない無力無能な正論は、幾ら話し合っても、戦争を回避して平和を得る事ができなかった。
話し合いによる平和は、空理空論で、現実味がなく、説得力がなかった。
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1894年8月 日清戦争。
朝鮮は、敵国日本を滅ぼす為に宗主国清国(中国)に味方していた。
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1896年 清国(中国)は、ロシア帝国との間で対日攻守軍事同盟というべき秘密条約(李鴻章・ロバノフ密約)を締結した。
もし日本がロシアとの戦争で負ければ、清国と朝鮮は日本を攻撃するつもりであった。
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1889(明治22)年 明治政府は、ロシア帝国の侵略に対する祖国防衛、石炭・木材などの資源運搬、開拓民の入植促進などを目的として、巨額の予算を投じて北海道開拓に乗り出した。
北海道庁(1886年設置)は、道央の軍事拠点である旭川からオホーツク海に面する網走までをつなぐ軍用道「中央道路」の建設に取りかかった。
旭川ー網走間約160キロメートルの原生林の中に、僅か60日で仮道を完成させた。
本工事は、1891年に始まり、国防第一として犠牲者続出を承知で突貫工事を行い年内で中央道路を完成させた。
難工事に狩り出されたのは、釧路監獄から網走分所に移された自由民権運動家などの思想犯や重罪犯達であった。
人の全く住まない未開の原生林の中、食料や医薬品などの輸送手段も脆弱で、年内完成を急いだ。
其の為に工事は非人道的に過酷となり、ろくな食事も与えず、朝から深夜まで僅かな休憩だけで作業が行われた。
逃亡者は、捕らえられて残酷な刑罰を加えた。
追っ手を振り切って逃亡できたとしても、僅かなアイヌ人集落はあっても日本人集落は殆どなかった為に逃げる場所はなく、隠れる場所を見つけても熊や日本狼に襲われる危険があった。
それ以上に、薄着の囚人服では極寒の冬を越す事は不可能であった。
特に、北見峠は難所中の難所で数多くの犠牲者が出た。
屍体は道路脇に埋められ、土饅頭の上に手足を縛っていた鎖が置かれ、鎖塚と呼ばれた。
過酷な労働で200人以上が死亡し、行方不明者はそれを上回った。
北海道と北方領土は、ロシアの侵略を食い止める国防の大地で、国防という大義の為に夥しい犠牲者を出していた。
アイヌ人の悲惨も、日本と日本人を護る為の犠牲として起きた。
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1900(明治33)年 ①各国のGNP(100万ドル)‥②一人あたりのGNP(1ドル)‥③軍事費(100万ドル)‥④財政に占める軍事費
・日本 ① 1,200‥② 30‥③ 66‥④45.5%
・ロシア ① 8,800‥② 70‥③204‥④21.6%
・ドイツ ① 9,800‥②180‥③205‥④44,2%
・イギリス①10,000‥②240‥③253‥④37.9%
・アメリカ①18,700‥②250‥③191‥④36.7%
(軍事史学会『日露戦争(一)』)
日本に対して、ロシアは8倍、イギリスは9倍、アメリカは15倍。
日露戦闘時の、日本の国家予算は約2億5,000万円。
戦費は17億8,612万円で、戦時国債は14億7,329万円。
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日本には、冒険的領土拡大の帝国主義政策で大陸侵略を行うだけの国力(軍事力・経済力)はなかった。
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朝日新聞「ロシアはアジア進出の意図はなかった」(日露戦争100周年の社説)
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現代の一部の教師は、日露戦争は自衛戦争ではなく侵略戦争と子供に教えている。
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秋山好古「日本人は、金よりも体を使って何とかやって行く以外にありません」
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- 作者:ディビッド・ウルフ
- 発売日: 2014/10/07
- メディア: 単行本