関連ブログを6つを立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
人命無視の共産主義。
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貧困の平等。
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共産主義体制とは死と暴力による恐怖支配であり、共産主義政党とは権力闘争の暴力装置であった。
共産主義とは、共産党幹部が人民から搾取して社会の活力を奪って富を独占する思想であった。
根本的には資本主義と似ていて、人民から搾取するのが資本家か共産党かの違いだけである。
どちらも貧富の格差を招来させるだけであった。
「共産主義社会の実現に必要な社会主義的社会体制の基礎を確立する諸方策を経世済民の国策の上に置いて先に実行し、もって国民国家を内部から自己破壊する様に促進させる」
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レーニン書簡「我々の刑法典の基本的な考え方は、テロの本質と正当性、その必要性、その限界を理由付ける、原則的な、政治的に正しい命題を公然と掲げるという事がそれである。法廷はテロを排除してはならない。これを原則的に、ハッキリと、偽りなしに、粉飾なしに基礎付け、法律化しなければならない。なぜならば革命的な正義の観念と革命的良心だけがそれを実際により広くあるいはより狭く適用する諸条件を与えるだろうからである」
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クリミア自治共和国の多数派ロシア系ウクライナ人は、ロシアへの編入を望んだ。
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ウクライナは、ウクライナ系国民とロシア系国民との対立が絶えない。
多数派と少数派の対立は、多民族国家では日常的で、中には暴動から内戦に至って殺し合う事がある。
それが、多民族国家の宿命である。
日本でも、将来において異民族が増えて多民族化した場合、民族対立から暴動へそして内戦へと発展する可能性がある。
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日本の左翼・左派のマルクス主義者が、人民革命で天皇制度を打倒し、建設しようとした人民の為の理想国家・ソビエト社会主義共和国とは?
「人民の楽園」ではなく「人民の地獄」であった。
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ロシア帝政下で奴隷の如く扱われて搾取され貧困生活を強いられていた人民は、暴力的共産主義革命で圧政から解放され、人間の権利をえ自由となり豊かな生活が出来ると期待した。
が。人民の期待は無残にも裏切られ、共産主義による赤色恐怖政治によってさらに酷い生活にたたき落とされた。
神の叡智で自制がもたらされる宗教に比べて、政治的イデオロギーは自制が効かず、階級闘争の共産主義には如何なる歯止めも存在しなかった。
人を殺すのに疲れた頃に、虐殺は終わった。
決して、人を殺すのに恐怖を覚えからではなかった。
共産主義は、死体の山を築き、流れ出た大量の血で大河を作った。
ロシア共産党と中国共産党は、そうして正統性を築いた。
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独立心が強いウクライナ人は、独立する為にロシア帝国やソ連に叛乱を起こしがその度に鎮圧され、懲罰としてシベリアに強制移住させられていた。
ウクライナ人は、朝鮮人とは違って、何度でも敗北しようと、夥しい犠牲を出そうと、決して挫ける事なく、立ち上がって戦い続けた。
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1932年・33年 世界的な穀物生産地であるウクライナと北カフカースで起きた大飢饉は、不運な自然災害ではなく、スターリンの集団農業化の失敗によるジェノサイドであった。
ソ連政府が「飢饉はない」と発表して隠蔽し為に、餓死者の正確な実数は不明であるが、約700万人が犠牲になったといわれている。
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1917年3月 ウクライナ人は、ロシア革命によってロマノフ王朝が滅亡しロシア帝国の支配が終わるや、人民共和国樹立を宣言して独立した。
ウクライナは、世界的な大穀倉地帯で、ロシア帝国の重要な食糧供給地であった。
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ロシア共産党は、科学的社会主義政策を推し進めるにあたって、ロシア帝政時代を完全否定するべく、宗教に基ずく道徳、倫理、良識、良心、常識といった心の支えとなる精神を完全破壊した。
反発して抵抗する者は、人民の正義の名の下で虐殺した。
旧帝政時代を懐かしがる者は、抗議して叛乱を起こした。
日本、アメリカ、イギリスなどは、共産主義の恐怖が世界に蔓延する事を恐れて干渉戦争を行った。
レーニンは、同胞であるロシア人を信用せず、非ロシア人のユダヤ系共産主義者でロシア共産党指導部と赤軍を固め、反対派を「害虫」と罵り、共産主義の大義に逆らう者達の根絶を命じた。
共産主義革命家は、人民の正義という偉大な改革を行う為には、痛みは避けられない以上は多少の犠牲はやむを得ない、と確信していた。
フェリクス・ジェルジンスキーの秘密暗殺組織とトロツキーの赤軍は、国内外で反革命分子の大虐殺を行った。
1918年から22年にかけ、レーニンによる虐殺命令で、1,000万人以上が惨殺された。
共産主義革命を否定する、貴族、政治家、軍人、商人、地主、聖職者、信者など。
さらに、反共産主義者、自由主義者、民主主義者、宗教関係者、民族主義者などの大人はもちろん、女子供でさえ容赦なく処刑するかシベリアの強制収容所に送り込んで殺した。
罪が有ろうが無かろうがそんの事はどうでも良く、共産党に奴隷のように従順に従う人民を生産する為に、見せしめに罪もない人々を冤罪で重罪を科して恐怖心を植え付けた。
家・家族崩壊と地域的共同体破壊を誘うべく、人間不信に陥らせる為に、家族や仲間に対する密告や誣告などの内部告発を奨励した。
人間が、意図も容易く、虫けらのように惨殺された。
共産主義の大義による社会主義体制とは、死と暴力が支配する恐怖体制であった。
「働かざる者、食うべからず」
ロシア共産党の命令に逆らう者は、人民の敵として許されず、人民の正義として死のみが待っていた。
共産主義体制下の人民は、秘密警察による厳しい監視下に置かれ、個人の自由は制限され、共産党に対する反対意見を持つ事は禁止され、見付かれば確実に「死」の制裁に見舞われた。
共産党支配は、「恐怖と死」のみが人民にもたらさなかった。
1919年 レーニンは、暴力的共産主義革命を日本や中国など諸外国に輸出する為にコミンテルンを組織した。
日本国内のマルクス主義者は、緩やかに社会を改革する社会主義より劇的な変化をもたらす共産主義に憧れた。
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日本の国粋主義者や軍国主義者は、天皇を処刑して天皇制度を破壊しようとする共産主義者を警戒し、祖国日本を守る為に民族主義で愛国心を煽って軍備を増強し、日本を軍事国家とした。
軍国日本は、国際的共産主義の侵略から祖国を守るという個別的自衛権で誕生した。
日本の積極的自衛行為である軍国化は、平和と人道に対する悪辣な犯罪行為であったとして完全否定された。
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1921年 レーニン率いるロシア共産党政府・ソ連は、離脱した旧ロシア帝国領を支配下に置くべくウクライナの独立を認めず赤軍を派遣した。
建国したばかりのソ連には、財源がなかった為に、人民に食べ物を与える為にウクライナを手に入れる必要があった。
ウクライナ人民共和国は、侵略してきた赤軍から祖国を守ろうとしたが敗北してソビエト社会主義共和国連邦に組み込まれ、共産主義勢力に支配された。
レーニンは、飢えたロシア人民を救済する為に、旱魃で食糧が不足していたウクライナから大量の穀物を強制的に搬送させた。
事実上、軍事占領下に置かれたウクライナは拒否できず、命じられた穀物をモスクワに送っりウクライナ人は餓えを我慢した。
レーニンは、反レーニン派の粛清が一段落した所で秘密暗殺組織チェーカーを政治警察として合同国家政治保安部(OGPU)と改称し、初代長官にはやはりジェルジンスキーを任命した。
ソ連は、旧帝政派のロシア軍人や白衛軍との過酷な内戦及びアメリカや日本などが仕掛けてきた干渉戦争に勝利したものの、領土は焦土に近い状態に荒れ果て産業も完全に破壊されていた。
レーニンは、経済を立て直す為には資本主義国からの資本援助が欠かせないとして、部分的自由市場を認め、ある程度の政治的自由を与えられた商人や実業家の活動を許した。彼らをネップマンといい、通称・ネップと呼ばれた。
狂信的な共産主義者は、レーニンの裏切りと非難した。
農村における農産物の生産量を維持する為に、一部ではあるが農民の私有財産を認めた。
生産意欲の或る農民は、私有財産を殖やした。彼らは、富農(クラーク)と呼ばれた。
ネップは、崩壊したソビエト経済をユダヤ系国際金融資本の資金援助を受けて立て直し、国を潤し、国民に富をもたらした。
クラークは、農産物の増産を行って国内に食糧を行き渡らせつつあった。
だが、共産主義原理主義者は、社会主義体制に反するとして不満を募らせた。
レーニン死後、スターリンは「ネップは失敗」であったと断言し、共産党主導の第一次五カ年計画と呼ばれる重工業と集団農業化を目指す統制計画を発表した。
1924年 ウクライナ人は、レーニンが死亡した事で共産主義支配から解放され独立出来ると期待したが、スターリンによって夢は無残にも打ち砕かれた。
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日本国内には、虐殺者レーニンを偉大な指導者として信奉し、その思想を熱心に学んでいる日本人知識人が多くいた。
日本官憲は、共産主義を弾圧したが、マルクス主義の書籍が一般の書店で売られていた。
漢字文化圏の知識人は、日本で日本語に訳されていたマルクス主義を学び、共産主義に目覚めていた。
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週刊新潮「ネットのバカ 現実(リアル)のバカ 呉智英
貧困の平等
……
ロシヤ革命の目的の最重要のものは『平等』である。中でも貧富の差をなくす経済的平等は共産主義の核と言える。
ロシヤは、革命当時、西欧先進国と比べ経済的に後進国であった。19世紀後半まで農奴制が残っていたくらいだ。農奴はどれほど農作業に励んでも収穫は自分のものにならず、そのため『自分の土地』が欲しかった。一方、マルクスが革命主体と考えたプロレタリアート(主として都市の工業労働者)は、工場などの生産手段が欲しいわけではなく、労働に見合った収入を求めていた。それ故、生産手段の公有化という政策は容易に受け容れられた。
このように、労働者と農民とでは大きく精神構造が違う。これが革命後、大きな問題となる。
ソビエトロシヤは、革命後、第一次大戦時の出費や内戦のため、経済的混迷に堕る。当然生産を上げなければならない。だが、農民の生産意欲は低下の一途をたどる。いくら働いても、収穫物は自分のものにならないからである。やむなく政府は1921年から『新経済政策(NEP:ネツプ)』を採る。最小限の納税さえすれば、後は自由販売してよいとしたのだ。
NEPによって一気に生産は上がった。だが、しばらくして当然のように富農と貧農の格差が生じた。NEPって、つまり資本主義じゃないか。これはまずいというので1928年には再度農業国営化(集団農場化)が行われ、また経済の低滞化が始まった。平等を実現しよう、貧困の平等を、という社会が以後60年続いた。
ロシヤの後を追った支那は、1985年前後から『先富論』を採った。先に富を築ける者が豊になればいいというわけだ。これも資本主義回帰だ。支那では共産主義が資本主義を推進する。民衆の中には、平等に貧しかった地獄の時代を懐しむ声も聞かれる。平等は『自明の理想』ではないのである」
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1921年3月 10月革命の功労者であるクロンシュタットの水兵と市民達は、帝政以上の抑圧政策を行うロシア共産党に不満を抱き叛乱を起こした。
トロッキー陸海軍人民委員は、党への叛旗を許さず、ミハイル・トハチェフスキーに徹底した鎮圧を命じた。
赤軍は、水兵と民衆の反乱軍に対して総攻撃し、容赦ない虐殺を行った。
トロッキーは、各地で起きた民衆の叛乱を速やかに処理するべく、赤軍に対して裁判不要の「即決処刑」を許した。
トハチェフスキーら赤軍は、トロッキーから与えられた権限によって、叛乱が起きた地域での掃討戦で毒ガスを使用して女子供に関係なく虐殺し、反乱軍であれ無関係の人民であれその真偽を確かめる事なく処刑した。
トロッキーは、スターリン同様に共産主義の大義を守る為ならば、人民の大量虐殺を厭わなかった。
共産主義者は、イデオロギー闘争の勝利の為に大虐殺を行っていた。
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共産主義体制とは、偉大な指導者による一党独裁体制である為に、個人崇拝として党内抗争による粛清がつきものであった。
共産主義は、大流血の中で生まれ、人の生き血で成長し、大量の血で生き続ける。
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スターリンは、権力を手に入れる為に党内抗争を始め、赤色テロで反スターリン派1,000万人以上を大粛清した。
共産主義体制下で、党内抗争で粛清が起きなかった国は存在しない。
毛沢東も、政権闘争で数千万人を粛清した。
中国共産党は、人類史上例を見ないほどの血に飢えた政治団体である。
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1929年 スターリンは、社会の混乱の原因は一定の市場経済を許したレーニンの経済政策にあったとして、共産主義政策を徹底させる為にネップとクラークの撲滅を指示した。
個人資産を持つネップは、財産を没収されて下層階級に落とされた。
農地を所有するクラークは、全ての土地を没収されて貧農に落とされた。
地方の共産党員は、モスクワの指示に従い土地を持つ中小規模農民からも強制的に土地を奪い、逆らえば反革命分子として処罰し、シベリアに送るか処刑した。
国家の財産となった資産と土地は、共産党上級幹部や赤軍高級将校の所有物となった。
共産主義体制は、人を、人種・民族ではなく階級で区別し、イデオロギーで差別し弾圧した。
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ヴァシリー・グロースマン「誰が一体この《富農》という言葉を思いついたのかしら?それは何を意味するのかしら?なんという苦しみが彼らに与えられたことでしょう!富農を大量に虐殺する為には彼らが人間ではないという事を主張しなければならなかった。ちょうどドイツ人がユダヤ人を人間ではないといったように。それでレーニンとスターリンは富農が人間ではないと主張したのだわ!」
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ロシア共産党は、1930年・31年にかけて、平等・公平をむねとする共産主義的農地政策として農民を強制的に集団農場(コルホーズ)に加入させ、農地はもちろん農作物や家畜まで国家所有とした。
スターリンは、ソ連の工業化の為に第一次五ヵ年計画を実行し、農業の集団化で農作物生産を飛躍的に増加させようとした。
ソ連の工業化の為には外貨を必要とし、その外貨を稼ぐ為に農産物を増産して穀物を輸出しようと計画を立てた。
個人所有を没収する共産主義政策に反発する農民は、畑の作物を焼き払い、家畜を食用に売って換えた。
ロシア共産党は、抵抗する農民を反革命分子として逮捕し拷問にかけ弾圧した。
従えば許して集団農場に参加させ、なをも拒否する者はクラーク(富農)層として処刑した。
農民は、先祖からの土地や私有財産を没収され、自由も奪われ、共産党指導下の集団農場の農業労働者として農作業を強制された。
熱心に働いても仕事を仮病を使ってサボっても一定の生活が保障される為に、生産意欲を失い、生産量は激減した。
働いても見返りが得られず、特権を振りかざして贅沢な生活を送る共産党員幹部の目の当たりにするにつれて、搾取を正当化する共産主義に絶望した。
異常気象による冷夏で、不作となった。
共産党は、予定量の農産物が収穫できない事の理由を農民の怠慢と決め付け、家族の為に食べるのを減らしながら蓄えた食べ物を盗んだ食糧として没収し、抵抗すれば「人民の正義」として射殺した。
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スターリンは、都市労働者への安定した食糧供給体制を確立する為に、ウクライナを含む全土の農地を国家所有とする宣言を行い、私有の農地、家畜と穀物の全ての提出を命じた。
ウクライナ農民達は、自分達の土地、所有物、家畜を取り戻すべく叛乱を起こし、現場で権力を振るう共産党員を殺害した。
スターリンは、食糧の自給自足体制維持と共産党の威信を守るべく、暴力で農民叛乱を鎮圧した。
叛乱農民達は、赤軍の非人道的攻撃に恐怖して降伏し、集産化政策に協力した。
保守的な小作人や零細農家を集団農場に参加させる為に、地主や富農から没収した農地の一部を分け与ると騙して集団農場に放り込んだ。
人民は「平等の原則」から、農地を取り上げた農民達を集団農業(コルホーズ)に収容し、生産量を割り当て、収入は勤労・精勤に関係なく「公平に分配」した。
集団農場で生産された農作物は、国家所有とされ盗めば重罪とされ、家財一切を没収し10年の禁固刑もしくは銃殺刑とした。
畑でわずかな小麦を拾い集めても有罪にされ、人民の敵として銃殺刑にされた。
それが、女子供でも、如何なる理由があろうとも、一切認められなかった。
共産党員は、集団農場で農民達が農作物を盗まないように銃を持て監視した。
地方の野心の強い共産党員は、出世の為にモスクワに心証をよくするべく、供出割当量を達成する為に農民達を集団農場で奴隷のように扱き使った。
農民は、朝早くから夜遅くまで身を粉にして働いても支払われる対価に反映されない為に、労働意欲をなくし、多くの土地を耕さず放置した為に生産量は減少した。
共産党員は、生産量を上げる為に、サボタージュした者をでっち上げて「人民の正義」で見せしめに処刑したが効果は薄かった。
スターリンは、重工業化には莫大な外貨が必要と判断し、ウクライナの穀物・農産物を大量に輸出する事を決めた。
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ウクライナからの穀物輸出は、1928年に5万トン、29年に65万トン、30年に242万トン、31年には259万トンと、5年間で50倍にも膨れ上がった。
これは農民達の食べる分が、そのままそっくり収奪された事を意味している。
1932年から33年の間で、共産党の経済政策でウクライナの農民約700万人が餓死した。
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1930年 ウクライナは、独立心が強く、ソ連の支配に反発していた。
グルジア系ユダヤ人といわれるスターリンは、共産主義体制に反抗的な者が多いウクライナを嫌っていた。
ロシア共産党は、スターリンの指示でウクライナ知識人や民族主義者をネップと決め付けて弾圧し、ウクライナ共産党員も右派として粛清した。
ウクライナ農民を、中小農民でも富農として徹底的に弾圧した。
好天に恵まれて豊作となり、食糧に余裕が出た。
モスクワは、来年も、再来年も、豊作となり食糧に余裕が出ると判断した。
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物事を悲観的に考える日本人は、今年が豊作となって食べ物が余っても、来年は凶作になって食べ物が不足するかも知れないとくよくよと考え、来年や再来年或いは数十年後や100年後まで心配して対策を取っていた。
物事を楽観的に考える大陸人は、今年が豊作なら来年も再来年も豊作間違いないとして考え、くよくよせず、前向きに、明るく、陽気に生活していた。
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1932(〜33)年ホロドノール(大量餓死)。
スターリンは、資本主義国との戦争に備えた軍備増強の為に重工業を育成するべく、国内改革として5ヵ年計画を発表した。
ウクライナの全農地75%が共営化され、都市労働者の為に割り当て量は数か月ごとに増加した為に、ウクライナ人の食糧が不足し始めた。
晩春には、ウクライナで飢饉が発生していた。
7月 スターリンは、ウクライナ共産党に対して、ウクライナの収穫高1,830万トンの中から770万トンの供出を要求した。
集団農場の不効率によって、収穫量は30年度の3分の2にまで落ち込んでいた。
要求された量は、収穫量の42%になる膨大な量であった。
ウクライナの指導者達は、要求量を引き下げる交渉したが拒否された。
8月 最初の徴発が行われ、多くの地域は無理に無理をしてノルマを達成したが、予想された以上の疲弊が地方を襲った。
食料徴発隊は、OGPUで構成された「ブリガーダ」と呼ばれる作業班で、ほとんど盗賊と変わらなかった。
OGPU作業班は、家かの中を家捜しして、屋根裏や床を破壊し、庭を踏み潰し、棒を突っ込んで穀物を探した。
OGPU作業班員は、食料徴発を行った見返りとして十分な食料を受け取っていた。
10月 スターリンの腹心ハタエーヴィチとOGPU長官代理のアクゥーロフは、ウクライナで二度目の徴発を行ったが目標の半分も達成しなかった。
モスクワは、ウクライナで飢餓が起きる事を承知で、要求の手を緩めず人々から自家製の食べる分を奪った。
年末迄に、ようやく約470万トンの食料が徴発できた。
OGPU作業班は、強奪する食べ物がなくなった為に、衣服や値打ちのイコンや絨毯や台所用品など全部取り上げた。
強奪された穀物の大半が輸出される事なく国庫に納められ、入りきれない穀物やジャガイモは野外に山積みされ腐るままに放置されていた。
共産党幹部や軍首脳部は、餓死する人民を放置して自分達でけで食べていた。
共産党機関紙プラウダは、飢えたウクライナ人民の恨みがスターリンに向けられるのを避ける為に、「クラークが食料を隠している」と報じ、飢餓の責任をウクライナ共産党とクラークに押し付けて弾圧を正当化させた。
11月 モスクワは、ウクライナで頻発する暴動を鎮圧する為に軍隊を派遣し、暴動に参加した飢えた農民を容赦なく処刑した。
32年の冬 農村の食糧は底をつき、飢餓が深刻化した。
農民達は、飢えを凌ぐ為に売れるモノは全て売るって食べ物を買ったが、私有財産の多くを共産党に没取されて金目の物はなかった。
売るモノがな者は、家畜はもちろん鹿や熊などの大型動物を殺して食い、そうした動物がいなければネズミや昆虫など小動物から樹皮や雑草まで食べられそうな植物を食い尽くした。
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1933年 スターリンは、飢餓が起きているウクライナの穀物を五ヵ年計画の資金にするべく輸出した。
食べ物を奪われた人々は、猫、鳥、鼠、蟻、カエルなどの動物やタンポポ、ゴボウ、ブルーベル、ヤナギの皮と根、ベンケイソウ、イラクサなどの植物や靴底、毛皮などまでも食べて飢えをしのいだ。
雪が解け始めたとき、本物の飢餓がウクライナを襲った。
初春には、餓死が最高潮に達した。
毎日、約2万人以上が餓死していた。
モスクワは、ウクライナの飢餓が外に漏れる事を恐れて境界にロシア兵士を配置して、人や食糧の出入りを厳しく監視した。
年末までに、ウクライナ総人口の25%が餓死した。
集団農場で、子供為にジャガイモを掘り出して盗もうとした母親が射殺され、母親を失った子供達は餓死した。
飢えに苦しんむ貧民は、食べ物を手に入れようとして奔走し、共産党員に発見されて処刑されていた。
餓えで瀕死の者は、息がまだあるのに、餓死者や病死者と一緒に共同墓地に放り込まれて殺された。
モスクワは、ウクライナで飢餓が生じている事を隠蔽し、外部に漏れないように箝口令をしいた。
飢えたウクライナ人民が飢餓地帯から出ないように、道路を封鎖し、移動を制限した。
飢餓は人間の精神を狂わせ、わずかな食料をめぐって殺しあった。
人を殺して食べ物を奪えない気の弱い人間は、自殺した。
飢えた人間は、死んだ人間を食べた。
農村で飢えを凌いでいた農民は、田畑を捨て、食べ物がある都市に飢餓難民として流出した。
都市部でも余分な食糧がなかった為に、大量に流れ込んでいる飢餓難民に与える食べ物がなかった。
資本主義社会において飢餓難民や戦争難民を救済するのは、キリスト教会の役割であった。
社会主義国家は、反宗教無神論のマルクス主義からキリスト教会などの宗教団体を弾圧して消滅させていた為に、餓死寸前の飢餓難民を助ける事が出来なかった。
スターリンは、都市産業発展に必要な外貨を稼ぐ為に穀物を輸出し、食糧生産が回復するもで飢餓難民を救済する事なく放置した為に大量の餓死者を出した。
だが。共産党幹部やソ連軍高級将校ら赤い貴族達は、豊富な食糧を食べて飢える事がなかった。
共産主義独裁とは、プロレタリアの大義を掲げながら、赤い貴族達による人民の搾取であった。
資本主義の搾取社会とは。大金を稼ぐ資本家に群がる王侯貴族やキリスト教会や庶民達が、放蕩的贅沢な生活で私産を散財する為に庶民から搾取する社会である。
共産主義の搾取体制とは、共産党幹部や高級将校らみが富を独占し蓄え散財しない搾取社会である。
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共産党エリートは、共産主義の大義の為におぞましい人為的飢餓を引き起こし、その経済政策失敗を隠蔽する為に膨大な数の無辜の人民を餓死させた。
彼らは、人民を命を持った人間とは見なさず、理想とする政治的イデオロギーを実現する為の統計上の数と見なしていた。
書類上の数は、平等であり、公平である。
足りなくなったら、数を増やせば問題は片づくのである。
冬までに、ウクライナの農民人口2,000万〜2,500万人の25%が飢餓と栄養失調で死に追い遣った。
一説には、1,000万人から1,400万人が、共産主義政策の犠牲になったと言われる。
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国際連盟と国際赤十字は、飢餓救援を申し込んだが、拒絶された。
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アメリカとイギリスは、ナチス・ドイツや軍国日本と戦う為に、ソ連と連合軍を組織していたからである。
連合軍の勝利は、情報戦の勝利とされているからである。
日本のマルクス主義者は、頻繁にソ連に入国し、日本を共産主義化する為の教育を受けていた。
昭和天皇と軍部はヒトラーのホロコーストを知らなかったが、日本人マルクス主義者はスターリンのジェノサイドと赤色テロは知っていた。
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第二次世界大戦中。ウクライナは、独ソ両陣営に分かれてたかっていた。ソ連軍に約200万人。ドイツ軍に約30万人。
ナチス・ドイツに協力したウクライナ人民族主義者は、ドイツ軍を解放軍として歓迎し、共産主義者とユダヤ人を虐殺し、ソ連・ロシアからの独立の為に戦った。
ステパン・バンデラが率いる独立派は、支配地域で数十万人のユダヤ人、ロシア人、ポーランド人を女子供に関係なく虐殺した。
スターリンは、ソ連軍がウクライナのドイツ軍を撃退しウクライナを解放するや、ウクライナ独立派を弾圧し、反共産主義者を大虐殺した。
ウクライナをウクライナ人だけの土地に為ない為に、大量のロシア人を半強制的に移住させた。
バンデラら独立派民族主義者達は、西ドイツに亡命して祖国独立の為の地下抵抗運動を展開した。
ウクライナの東方典礼カトリック教会(ユニエイト教会)は、無神論のマルクス主義勢力よる宗教弾圧に抵抗するべく、ガリツィア地方の山岳地帯で宗教的武装闘争を展開していた。
スターリンは、ユニエイト教会を禁止し、信者を虐殺するか強制収容所に送り込んで重労働の末に過労死させた。
共産主義は、宗教を撲滅する為に弾圧し、宗教施設すべてを破戒した。
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日本国内にも、毛沢東と中国共産党同様に、スターリンとコミンテルンに味方して天皇制度を打倒して、日本を共産主義化し、ソ連の衛星国の一つにしてモスクワの支配下に置こうとしたマルクス主義者が多数いた。
彼らにとって、ソ連も、中国共産党も、北朝鮮も、憧れの楽園と見なしていた。
事実。彼らは、それらの国の死と恐怖の地獄の様な実態が明らかになっても考えを変えたとは表明していない。
そればかりか、今以て活動を続けている。
民族主義者、軍国主義者、国粋主義者、天皇主義者、右翼らは、天皇を中心とした国體、国柄、国の有り様を守る為に積極的防衛として侵略戦争を起こした。
軍国日本は、戦前から、共産主義勢力から日本とアジアを守る防波堤であった。
国政世論は、日本の軍国主義者を、共産主義者以上の凶悪な極悪人と非難している。
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スターリンは、戦争が激しさを増すや、ウクライナを味方にとどめて置く為に飢餓地帯に食糧を放出した。
共産主義の洗脳教育で、飢えに苦しんでいたウクライナ人民は食べ物が配給された事に感謝し、スターリンと共産党に忠誠を誓った。
洗脳教育は、マルクス主義者の得意芸である。
だが、OPGUによる弾圧と虐殺は1941年の独ソ戦勃発するまで続いた。
洗脳教育に感化されなかった一部のウクライナ人は、ドイツ軍を解放者と歓迎して、侵略戦争に協力した。
戦後。ドイツ軍に協力したウクライナ人を、ファシストとして虐殺した。
共産主義者は、政敵を「ファシスト」と名指しして処刑した。
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スターリンは、クリミア半島とウクライナ東部をロシア化する為に、大勢のロシア人を移住させウクライナ人を少数派に追いやり、ロシア語を公用語としてウクライナ語の使用を制限した。
ウクライナ人が多く住む西部は、「自分達は、ロシア人ではなくヨーロッパ人」という民族意識が強く、ロシアからの独立を夢見ていた。
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2006年 ウクライナ議会は、スターリンによる飢餓を「ソ連によるウクライナ人民へのジェノサイド」と認定する法案を可決した。
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ソ連は、クリミア半島をロシア人の地とする為に、大量のロシア人をクリミアに移住させていた。
クリミア半島に於けるロシア人移民の子孫は、クリミアで半数以上の多数派となっていた。
ロシアは、軍隊を投入してでもクリミアのロシア系住民を守ろうとした。
大量の移民を受け入れる事は、国土の消失と文化の破戒につながる。
ウクライナにおける住民は、78%がウクライナ人、17%がロシア人、その他がベラルーシ人、モルドバ人、タタール人等であった。
クリミアでは、ロシア人が58%で、ウクライナ人が24%で、タタール人が12%であった。
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将来。北方領土の運命である。
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2014年3月12日 msn産経ニュース「親露、親欧米住民ともに広がる不安 クリミア住民投票前に[ロシア]
ウクライナ南部クリミア自治共和国のバフチサライのウクライナ軍部隊を占拠した自称「自警団」の「緑の男たち」。11日、覆面の男たちは「間もなくロシアになる」と言っていた
【シンフェロポリ(ウクライナ南部)=内藤泰朗】ウクライナ南部のクリミア自治共和国では、ロシア編入の是非を問う16日の住民投票を前に、「自警団」を名乗る武装集団の横暴が目立ち、多数派のロシア系住民からも選挙後をめぐって心配する声が漏れ始めた。11日の自治共和国議会による突然の「独立宣言」も、住民たちの不安をかき立てているようだ。
クリミアの中心都市シンフェロポリの南西約30キロにあるバフチサライ。18世紀末までクリム汗国の首都があり、少数派でイスラム教を信じるクリミア・タタール系の聖地だ。この町のウクライナ軍施設を訪れると、武装した「自警団」が占拠していた。10日夜、無血で明け渡されたという。
深緑の軍服に黒い目出し帽をかぶっている彼らは、「ゼリョヌイエ・チェロベチキ」(ロシア語で「緑色の人たち」)と呼ばれる。門の向こう側でカラシニコフ自動小銃を手に威嚇する若い男たち。名前や所属を聞いても一切答えず、1人が最後に、「クリミアは間もなくロシアになる」と吐き捨てるように言った。
シンフェロポリで話を聞いたロシア系住民の男性も、「このまま彼ら(自警団)が暴走したら、いったいどうなるのか。クリミアが中世の時代に逆戻りしないことを祈るだけだ」と不安な表情を浮かべた。
報道関係者の民間支援団体「クリミア支援」のアナスタシアさんは、「自警団が報道関係者や活動家らを標的にし、警察も報道関係者への暴行をやめようともしない。おびえて何も言えない状況になりつつある」と話した。タタール系の女性も「子供と逃げなければならなくなるかもしれない」と不安を語った。
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3月12日 msn産経ニュース「米露応酬…「クリミア独立は憲法違反」VS「合法的だ」支持声明発表[ロシア]
【ワシントン=小雲規生、モスクワ=遠藤良介】ウクライナ南部クリミア自治共和国の最高会議(議会)が独立を宣言したのを受け、米国務省のサキ報道官は11日、「(独立は)ウクライナ憲法に違反している」との見解を示した。これに対し、ロシア外務省は自治共和国の「独立宣言」を「合法的だ」と支持する声明を発表しており、米露の対立が際立っている。
ロシア軍は11日、空挺(くうてい)部隊など約4千人を動員して航空機からの降下演習を開始した。約20年ぶりの大規模演習といわれる。一方、ロイター通信は12日、米国とブルガリア、ルーマニアの海軍がクリミア半島が面している黒海で合同軍事演習を始めたと伝えた。
露外務省によると、ラブロフ外相は11日、ケリー米国務長官と電話で協議し、クリミア住民の自決権を尊重すべきだとした。報道によると、ケリー氏は米欧側の打開策を提示。ラブロフ氏は10日、プーチン大統領と協議し対案を用意したという。内容は不明だ。
欧州安保協力機構(OSCE)は11日、自治共和国で16日に実施予定の住民投票への監視団派遣を否定した。住民投票がウクライナ憲法に基づいていないためだとしている。
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2014年3月12日 msn産経ニュース「クリミア議会 独立宣言 議長「ウクライナに戻らぬ」 [政変・反政府デモ]
11日、ウクライナ南部クリミア自治共和国シンフェロポリでレーニン像のそばに立つ親ロシア派の市民(ゲッティ=共同)
【シンフェロポリ(ウクライナ南部)=内藤泰朗】ウクライナ南部クリミア自治共和国の議会は11日、同自治共和国のウクライナからの独立を宣言する文書を賛成多数で採択した。16日の同自治共和国とセバストポリ特別市の住民投票でロシア編入が決まった場合、クリミアが独立した主権国家になるとうたっている。
「独立宣言」は、国連憲章と民族自決について規定した各種国際文書や、2010年にコソボのセルビアからの独立宣言を「合法」とした国際司法裁判所の判断にも言及。(1)ウクライナからの一方的独立が国際法に抵触しないと主張する(2)「独立国」となった後に国家同士が統合する体裁を整えることで「ロシアによる併合」との批判をかわす−などの狙いがありそうだ。
議会はまた、クリミアが独立した場合にクリミア・タタール語の公用語化などを検討するとした決議も採択、ロシア編入に強く反対する少数派タタール系住民を取り込む構えも見せた。
これに対し、ウクライナ議会は11日、クリミア自治共和国が12日までに住民投票を中止する決定をしなければ同自治共和国議会を解散することを決議した。
しかし同自治共和国議会のコンスタンチノフ議長は「クリミアがウクライナに戻ることはない」と強調した。またフランス通信(AFP)によると、同自治共和国の親露派武装組織が11日、シンフェロポリにある国際空港を事実上封鎖した。モスクワ便に限り使用を認めるという。
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3月16日 msn産経ニュース「クリミア、住民投票を実施 ロシア編入承認へ[ロシア]
ウクライナ南部クリミア自治共和国シンフェロポリで住民投票に1票を投じる女性=16日(AP)
ロシアが実効支配するウクライナ南部クリミア半島で16日、ロシア編入の是非を問う住民投票が実施された。住民の約6割はロシア系のため、有効投票の過半数の賛成を得て承認されるのは確実な情勢だ。ロシアのプーチン大統領は投票結果を受けて対応を表明する見通しで、即座に編入手続きに踏み切るかどうかが焦点となる。
米欧やウクライナ新政権は住民投票を「ウクライナ憲法に反する」として認めず、対ロ制裁を発動する構え。だが、ロシアは対抗措置をちらつかせており、冷戦後最悪レベルとなった米ロ間の緊張激化は避けられそうにない。
クリミア自治共和国の選挙管理委員会によると、投票は16日午後8時(日本時間17日午前3時)に締め切られる。選管は16日夜(日本時間朝)に最初の暫定結果を発表する予定。
クリミア住民投票は(1)ロシアに編入するか(2)ウクライナにとどまり、より強力な自治権を定めた1992年の独自憲法に戻るか−の二者択一。(共同)」
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3月16日 msn産経ニュース「露の編入手続き着手が焦点 クリミア住民投票
【シンフェロポリ(ウクライナ南部)=内藤泰朗】ロシアが実効支配するウクライナ南部クリミア自治共和国で16日、ロシアへの編入の是非を問う住民投票が行われた。ロシア系住民が約6割を占めるクリミアで、「ロシア編入」が賛成多数で承認されるのは確実。投票の結果を受けてロシアが直ちに編入手続きに動くかどうかが焦点となりそうだ。
投票は、ロシア編入か、ウクライナにとどまり、より広範な自治権を獲得するかの二者択一でウクライナ系住民や先住民族クリミア・タタール人の間にはボイコットの動きも出ている。
自治共和国とセバストポリ特別市は投票結果を受け、直ちにロシア編入手続きを行う方針。ロシア側も「住民投票の結果を尊重する」(ラブロフ外相)としており、早ければ月内にもロシアへの編入が完了するとの見方も出ている。
ただ、ウクライナ暫定政権や欧米は、住民投票は「ウクライナ憲法に違反する」と非難。対露制裁を本格化させると警告しているが、ロシア側も対抗措置をちらつかせており、欧米とロシアの緊張が激化するのは必至だ。
露の編入手続き着手が焦点 クリミア住民投票
一方、ロイター通信などによると、ロシア軍は15日、クリミアの北部に隣接するウクライナ南部のヘルソン州側にも武装部隊約80人をヘリコプターで送り込むなど、軍事圧力を強化。ウクライナ側はロシアに「強い抗議」を表明し、即時撤退を要求した。」
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3月17日 msn産経ニュース「ロシア編入を承認 クリミア住民投票 96%賛成、G7拒否 米欧、制裁強化着手
16日、ウクライナ南部のクリミア自治共和国で実施されたロシアへの編入の是非を問う住民投票(AP)
ウクライナ南部クリミア半島で16日実施されたロシア編入の是非を問う住民投票で、クリミアの選挙管理委員会は17日、開票率100%で96・77%が編入を支持したと発表した。投票率は83・1%。インタファクス通信によると、議会は編入承認を受け、代表団をモスクワに同日派遣、ロシアに編入を求める見通し。
日米欧の先進7カ国(G7)は投票結果を拒否すると表明。米国と欧州連合(EU)は17日、ロシアへの制裁強化策の本格検討に着手した。米国やEU諸国へのロシア当局者らの渡航禁止や資産凍結を柱に圧力を強める。
米ホワイトハウスによると、オバマ大統領は16日、プーチン・ロシア大統領と電話会談し、住民投票は「ロシア軍事介入の威圧下で行われた。決して認められない」と非難。EUや日本、カナダも同調した。(共同)」
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