🔯20」─3─優生思想は古代ギリシャ時代から存在し、スパルタは優生思想で自滅した。~No.63No.64 

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 優生思想は、西洋キリスト教世界と中華儒教世界に胎児のように存在し、時代の趨勢によって生み出されていた。
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 2024年3月23日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「じつは古代ギリシャで猛威をふるっていた「優生思想」…「スパルタ」は優生思想で滅びていた…!
 ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。
 【写真】ヒトラーナチスによる残虐行為の正当化に利用された「ダーウィンの呪い」
 一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。
 発売からたちまち4刷となった、話題の『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。
 ※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。
 自己家畜化する人間
 1870年代、まだ優生学という言葉を作る前、ゴルトンが人間の進化的改良のアイデアを示したとき、ダーウィンはやんわりと批判し、懸念を述べた。壮大ではあるが、実現不可能なユートピア計画、という印象を受けたらしい。現実問題として、誰が体力、道徳、知性の面で優れているのか、容易には決められないと指摘している。
 とはいえゴルトンの『天才と遺伝』を称賛した経緯からも窺い知れるように、また『人間の由来』で説いているように、ダーウィンにとっては人間の知性も道徳も、人間が創り出す社会も、生物の様々な性質と同じく自然選択を主とする生物進化の産物だった。
 そもそもダーウィンはかなり早い段階から──『種の起源』を出版する以前から、人間の様々な性質は自然選択で説明できると考えていた。『種の起源』には、あえてその部分を含めなかっただけである。
 人間に作用する自然選択が、文化的な理由から、例えば何らかの価値観に基づいて、婚姻や協力などを介し人間自身が引き起こすものであった場合、それは自発的な人為選択、とも言える。
 ダーウィンは、人間の身体や行動などに、品種改良された犬や猫などの家畜と類似した性質があることから、人間は家畜の育種で選抜した友好的な行動と見かけを、人間自身に対しても選択し、進化させてきたと考えていた。つまり人間の進化は自己家畜化だ、というわけである。
 社会ダーウィニズムという言葉があるが、もしダーウィンのオリジナルな思想をダーウィニズムと定義するなら、この語は重複表現である(*1)。なぜならダーウィンの進化論と自然選択説は、もともと人間の知性や協力行動、道徳、そして社会の進化を、それ以外の進化と一体のものとして含んでいたからである。そこには部族のような人間集団を単位とした素朴な集団選択の考えも添えられていた。
 人間社会に生物進化の考えを適用したのが、英国、米国、そしてナチスへと至るゴルトン流の優生学の系譜であるとするなら、当初から人間の進化を念頭に置いていたダーウィン自然選択説そのものが、この系譜の発端だったと言えるだろう。
 ところがダーウィンのオリジナルな進化論は、原理的に「人種」の存在も、その優劣も否定する。生物は常に変化し、分岐し、そして進歩を否定するからである。そもそもダーウィンは「種」を実在しない恣意的なカテゴリーだと考えていた。皮肉にも本来、人種差別を否定し、人々の優劣を否定する理論が、その逆の役目を果たしたわけである。
 ダーウィンは進化論の着想を得る前から、奴隷制度廃止論者だった。ビーグル号航海記では、奴隷制度に激しい嫌悪感を示し、人種差別への違和感を吐露する場面がみられる。
 だが、科学の理論や発見の意義と、それを生み出した科学者の価値観を結びつける試みは、物語としては魅力的だが、得るものは少ない。人の心は、科学の理論とは比較にならぬほど複雑で捉えどころがなく、矛盾に満ちているように思われるからである。つまり両者の関係を観察する側の価値観──偏見や先入観次第で、いかようにも解釈が成り立つ。
 例えばダーウィンの別の側面を見れば別の理解も可能だ。ヴィクトリア期英国の中産階級の大半がそうであったように、ダーウィン階級意識アングロ・サクソン優位の偏見を抱いていた点は否定できないし、『人間の由来』から女性差別の視点を読み取るのも可能である。
 偏見や差別の強化に科学を利用した科学者の場合もそれは同じで、動機の背後にある価値観の由来を推し量っても、あまり有益な知見は得られないだろう。
 ダーウィンの理論を応用して、天才に至高の価値を置き、先天的な能力と道徳性で優劣をつけ、優れた者だけを選抜して人間全体を強化する思想を唱えたゴルトンだが、『天才と遺伝』に、こんな怨念じみた感想を述べている。
 「少年と少年、男と男の間に違いを生み出す唯一の要因は、地道で道徳的な努力であるという、ときに明言され、しばしば仄めかされる仮説が、私には我慢ならなかった」
 ゴルトンの思想は、神童だったはずの彼が、どんなに努力しても仲間たちについていけなかった学校生活、それから、どんなに勉学に励んでも秀でることがかなわなかったケンブリッジ時代の経験に由来する、と考える科学史家もいる。人の多面的な心の何を見るかで解釈は変わるのである。
 危険な思想が出現した理由のすべてを、特定の時代の特異な個性に帰すのがよいとは思えない。それよりどの社会の誰の心にも、それを抱く素地がある、という認識を持ったほうがよいのではないか。
 その思想は不死身の生命体のように、はるか昔から雌伏していて、時を得るや人と社会を利用して姿を現し、猛威を振るい、やがていずこかへ姿を消して復活の時を待つ──そう考えるのが適切であろう。科学者が思想を生み出したというより、思想が科学者を宿主とし、科学を武器に利用したのである。
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 (*1)社会ダーウィニズムの語は19世紀後半には既に使われていたが、現在の意味で広く使われるようになったのは、主に20世紀半ば以降である。また定義も非常に曖昧で、本来ダーウィニズム(これ自体曖昧な用語である)と関係の薄いスペンサー進化論がその代表とされたり、相互扶助を訴えるクロポトキンの進化論を含む場合があるなど、誤解を招くのであまり好ましい用語であるとは思えない。
 ギリシャ時代からあった優生思想
 優生学の思想も、実はゴルトンが創始したものではない。ゴルトンは優生学(eugenics)という名称を、ギリシャ語の「生まれつきのよさ」を意味する言葉(eugene)から採ったが、自身の貢献を強調するためか、ギリシャ時代の話には、あまり言及していない。だが古代ギリシャにおいて、優生学は猛威を振るっていた。
 紀元前4世紀、プラトンは健全な社会を築くために必要な優生政策を、「国家の洗浄」と呼んだ。プラトンが『国家』で提言した政策の要点は、「不適格」な者の排除と「適格」な人間の繁殖であった。プラトンはそれを優れたイヌやウマを選抜する育種になぞらえた。繁殖に関するプラトンの提言は以下のようなものだ。
 上流階級の市民のうち良質と評価された男女だけが結婚し、それ以外は繁殖を禁じる。質の低い者は下層階級に追放する。結婚は祭り期間の1ヵ月だけで、生まれた子供は母親から離し、公営の保育所で養育する。もし子供に欠陥があれば、適切に隔離する。優秀な若者は次の祭りにも参加して結婚できるが、国家が認めない組み合わせの男女による繁殖を禁止する。ただしこうした強制的な結婚管理が受け入れられない可能性を想定し、祭りの際、くじ引きに見せかけて、裏で男女の組み合わせを操作する手段を考えている。
 アリストテレスはこのプラトンの提言に対し、保育所での養育の難しさなどを指摘し、批判している。ただしアリストテレスも優生政策自体には反対しておらず、エリートどうしの結婚を奨励して、集団の遺伝的性質の向上を目指す点は同じである。またアリストテレスは子供に対する負の優生学的対応に、より積極的である。
 その後プラトンはこの優生政策の法制化を目指し、『法律』に草案を示した。
 「羊飼いや馬の飼育者は(中略)不健康なものと悪い品種を追い出して、健康なものとよい品種を世話する。(中略)浄化を怠れば、ほかのすべての動物の純粋で健康な性質を破壊してしまう。だが、最も重要なのは人間についてである。立法者は調査を行い、適切な浄化やそれ以外の手続きを示すべきである」
 プラトンによれば、男性は国家の利益になるよう適性を考えて、女性に求愛すべきだという。さすがにプラトンも1ヵ月限りの結婚は非現実的とみたようで、一夫一婦制の結婚を厳格な貞操観念を規定する法のもとに認めた。ただし結婚した夫婦の義務は、最高の子孫を残すことであり、それが果たせるよう国家委員会の監視下に置かれる。また結婚、出産等の公式記録をとり、保管する。
 プラトンの提言は、ゴルトンの提言と根本はほぼ同じであった。
 優生思想で滅びたスパルタ
 驚くべき効率による人為選択で遺伝的な性質を向上させ、強力な市民と戦士を進化させる優生政策は、スパルタで実現していた。スパルタの貴族のうち弱い者、劣った者は、様々な手段で遺伝子プールから排除され、繁殖を禁じられた。
 激しい肉体的闘争は、スパルタの若者の武勇と身体能力を評価するための手段であった。闘争の敗者は弱者と見なされ、劣等と判定された場合は、繁殖の権利を剥奪された。しかも劣等とされた若者だけでなく、その姉妹も同じく子供を持つことを禁止された。
 その結果、スパルタは市民を最強の戦士に仕立て上げた。またスパルタは外国人との混血を嫌い、外国人は追放された。ただし、過度な選択のため人口減に悩まされ、人口を維持するために、独身に罰則を与えたほか、4人以上の子を持つと課税を免除した。
 スパルタでは強化対象にならない下層階級(奴隷)の繁殖力と人口増加を恐れ、しばしば下層階級に対する無差別な大量虐殺が行われていたという。
 しかし結局、人口減が著しく経済的にも衰退し、内紛や外国の侵略などのため崩壊した。
 それから約400年後、ローマ時代のゲルマニアでも、戦士の強化を目的とした正の優生政策が行われた。身長が高く頑強な者だけに結婚を許し、一夫多妻制を設けた結果、強力な戦士社会を進化させるのに成功したのである。ただし、彼らは道徳的な面で問題があり、規律や精神力に難があったと伝えられている。
 それ以降、本格的な優生政策は実施されなくなったが、散発的な活動や提言はその後も続き、優生学の思想は生き続けていた。息をひそめていた魔物を目覚めさせ、偏見と差別のエネルギーを与えて、地上に蘇らせたのは、堕落への恐怖を進歩で克服しようとしたゴルトンの正義感だったのであろう。
 当時の欧米社会を広く覆っていた社会不安、混乱、移民、世俗化の進行、国家や上位階級の没落への危機感など、魔物の復活や成長に適した条件はそろっていた。それに強力な武器を与えたのが科学だった。ダーウィンの進化論である。科学の真偽はそれほど問題ではなかった。科学的という呪文が力を与えたのである。
 ダーウィンの理論や仮説の信頼性やその限界が本当は何であるかは、どうでもよかった。ダーウィンや進化論という言葉の響きのほうが悪魔にとって、人々を支配するうえで重要だったのである。これが「ダーウィンの呪い」に備わる魔力である。
 20世紀前半に猛威を振るった優生学が、確かに2000年の時を超えた魔物の再来であったことを、ピアソンは講演でこう仄めかしている。
 「プラトンは、遺伝の厳しさを理解し、劣化した集団の増加が国家の危機だと認識し、立法者に国家の浄化を求めた」「プラトンは、現代の優生学運動の先駆者であると言えるのではないか」
 ナチスの崩壊とともに魔物は去ったが、決して地上から消滅したわけではない。むしろ時が来ればいつでも復活すると考えたほうがよいだろう。
 千葉 聡(東北大学教授)
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