🔯35」─1─帝政末期のローマはマラリアで人口が激減し衰退した。〜No.122 

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 2023年4月23日 MicrosoftStartニュース NEWSポストセブン
 「沼地の幽霊」と呼ばれたマラリア ローマ繁栄で交通路発達とともに拡大した
 人間は様々な感染症とともに生きていかなければならない。だからこそ、ウイルスや菌についてもっと知っておきたい──。白鴎大学教授の岡田晴恵氏による週刊ポスト連載『感染るんです』より、ローマ繁栄とともに流行したマラリアについてお届けする。
マラリアについて岡田晴恵氏が解説(イラスト/斉藤ヨーコ)
 © NEWSポストセブン 提供
 【イラスト】沼地→荷馬車→古代ローマへと広がっていく「幽霊」のようなマラリア
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 マラリアはしばしば沼沢地の付近で流行が起こりました。
 唾液腺にマラリア原虫をもつハマダラカに刺されることで、人はマラリアを発症し、悪寒、発熱を繰り返したのです。その経験からか、まだ蚊が媒介するという感染経路がわかっていなかった頃にマラリアには「沼地の幽霊」という別名がありました。
 地中海の制海権を独占したローマ帝国は1世紀後半から2世紀には最盛期を迎え、ヨーロッパからアフリカ北部や中東にまで領土を広げます。そして、首都ローマから放射線状に「ローマ道」を造り、各地の都市を整備しました。こうして通商も盛んになり富が集中したローマに、労働力としてアフリカや中東などの属州から多くの奴隷が連れて来られました。
 マラリアはもともとイタリア半島などに存在する風土病でしたが、皮肉にもローマの繁栄と共にローマ道で帝国内へ拡大しました。
 しかし、マラリアは蚊が媒介する感染症なので、感染者がやってきただけでは流行にはなりません。蚊の幼虫のボウフラが増えやすい環境が必要になります。
 マラリアの流行に拍車をかけたもう一つの要因は森林伐採でした。ローマ帝国の繁栄と共に生活物資の生産や軍事力の強化のために鉄や鉛が必要となります。すると、それら鉱物を溶かすために燃料となる樹木を大量に伐採しなくてはなりません。こうして森林伐採のあとに多くの水溜まりができ、ボウフラが大量発生してマラリアが広まることになったのです。
 さらに愚鈍な皇帝が即位して国力が衰え始めると、河川や沿岸の整備が行き届かずに荒廃していき、ここでもマラリアが発生しました。そして、市民だけではなく、ローマの兵士の中でマラリアが蔓延していくと兵力は衰え、帝国の分裂や滅亡への一因に繋がっていきました。
 一方、紀元前後のローマ医学は、アジアやエジプト・アレクサンドリアに発展したギリシャ医学の知識も集積して発展していました。紀元前75年頃に博物学者のマルクス・テレンティウス・ウァロは著書の中で「マラリアなどの伝染病の原因は小動物ではないのか」と指摘しています。また、紀元130年頃に生まれたクラウディウス・ガレノスは、古代医学の頂点を極めた人物です。
 初代皇帝アウグストゥス時代から築かれたローマ道は、基本的に道幅5メートルとし、水平・直線になるように設計され、道の途中にはローマからの距離を示す里程標もあって、帝国領土内に総延長30万キロメートルにわたって張り巡らされていたということです。このローマの道を通って、皮肉にも感染者とマラリア原虫とハマダラカがやってきたのですね。
 まさにローマの道はマラリアの道でもあったのか──。交通路の発達は人や物、文化だけでなく病をも運ぶのです。
 【プロフィール】
 岡田晴恵(おかだ・はるえ)/共立薬科大学大学院を修了後、順天堂大学にて医学博士を取得。国立感染症研究所などを経て、現在は白鴎大学教授。専門は感染免疫学、公衆衛生学。
 ※週刊ポスト2023年4月28日号
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2016年12月6日 MicrosoftStartニュース Odd News「ローマ帝国崩壊、原因はマラリア? 遺骨のDNAで原虫特定
 古代ローマ人の歯から採取したDNAから、マラリア感染の証拠が見つかった
 (CNN) カナダ・マクマスター大学などの研究者は6日までに、古代ローマ帝国の墓地に埋葬された2000年前の人間の遺体から、マラリア感染の遺伝的な証拠を発見したとの論文を発表した。マラリアの流行がローマ帝国崩壊の一因になったとの説は以前から人気があり、今回の発見がこうした議論の進展に寄与する可能性もある。
 研究者らはローマ帝国時代のイタリアの墓地3カ所に埋葬されていた成人58人、子ども10人の歯から採取したDNAの断片を調査。ミトコンドリアゲノムを復元し、人々に感染していた特定のマラリアの種類を同定することに成功した。
 研究データから確認できたところよれば、このマラリアは熱帯熱原虫と呼ばれるマラリア寄生虫のもの。今日蚊によって媒介され、毎年数十万人の命を奪っている寄生虫と同じものだ。
 論文の筆頭著者でマクマスター大の古代DNAセンターを統括するヘンドリック・ポイナー氏は「マラリア古代ローマで広範囲に死をもたらした歴史上重要な病原体であった可能性がある」と指摘した。
 研究者らは、マラリアによるローマ帝国の死者数は現在のアフリカにおけるマラリア関連の死者数と同程度に上ったと推定している。世界保健機関(WHO)によれば、2015年にはマラリアにより全世界で推定43万8000人が死亡。このうち91%はサハラ砂漠以南のアフリカに集中している。
 今回の発見以前にも、マラリアとみられる熱病の描写はヒポクラテスの「疫病について」やケルススの「医学論」といった歴史的な著作の中に見いだされてきた。ポイナー氏によれば、こうした熱病は1年の特定の時期に毎年繰り返し発生したと記述されているが、発熱を起こす感染症は多数あることから、マラリアと分類するには至っていなかったという。
 今回調査対象となったのは現在のイタリアの域内にある3つの古代都市、ベリアとイゾラサクラ、バグナリの墓地。ベリアの墓地は紀元後1~2世紀のもので、イゾラサクラとバグナリにはそれぞれ同1~3世紀、同1~4世紀にさかのぼる墓地がある。
 復元されたゲノムの半分以上は、ベリアとバグナリに埋葬された成人1人ずつの骨格から採取したDNAを使い構成された。イゾラサクラにある骨格からは寄生虫は検出されなかった。
 マラリアローマ帝国の崩壊を引き起こしたとの説は昔から人気がある。ただ、生物人類学者のクリスティーナ・キルグローブ氏によれば、こうした説を支持する直接のDNA上の証拠はないという。同氏は、マラリアが帝政末期のローマにおける人口変動と最終的に関係していたとしても、鉛中毒や寄生虫感染症、性病といった他の健康問題も調査することが重要だと指摘。そのうえで「ローマ帝国の『崩壊』に単一の原因は存在しないというのが大半の学者の共通見解だが、人口が減少する過程において疫病が一定の役割を果たしたのは確かだ」と述べた。
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