🔯2」─1─死海文書が教えてくれる貴重な歴史的背景。~No.2No.3No.4 

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 2023年9月18日 YAHOO!JAPANニュース ナショナル ジオグラフィック日本版「死海文書には何が書かれているのか、キリスト教や聖書とはどう関係しているのか
 イエス・キリストが生きていた時代のユダヤ人の写本、近代最大の発見
 紀元2世紀ごろのものとされるパピルスの断片。現存する新約聖書のテキストとしては、もっとも古いもののひとつと考えられている。(PHOTOGRAPH BY PAOLO VERZONE, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
 1946年に発見された死海文書は、写本に関する近代最大の発見と言われている。ヨルダン川西岸、死海に近いクムランという地域にある11の洞窟から、現時点で900巻前後の写本が見つかっており、断片の総数は10万枚に上る。紀元前3世紀から紀元1世紀にかけてのもので、エッセネ派と呼ばれるユダヤ教の宗派の信徒たちによって書き写されたと考えられている。
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 死海文書には、エステル記を除くヘブライ語聖書のすべての写本が含まれている。いずれも、ユダヤ教の信仰にとってきわめて重要な文書だ。また、キリスト教ユダヤ教から派生したことを考えれば、キリスト教の誕生について紐解く鍵とも言えるかもしれない。
 とはいえ、死海文書はイエスについて一切言及していない。そもそも、イエスが布教を始めたのは、死海文書のほとんどの内容が書かれたあとだ。では、死海文書と初期のキリスト教には、どのようなつながりがあるのだろうか。
 旧約聖書の裏付け
 死海文書が発見される前、最古のヘブライ語聖書の写本は紀元10世紀のものだった。実際には、当時、「聖書」というものは存在しなかった。さまざまなユダヤ教の宗派が、聖典と言われるものをゆるやかに集めていたに過ぎなかった。
 死海文書が示すのは、紀元前1世紀には、こういったさまざまな写本がヘブライ語の正典の一部になっていたことだ。死海文書のなかには、現在のヘブライ語聖書とまったく同じものがあり、したがってそこには聖書の文章がある。
 古代には当然コピー機はなく、それらは手作業で念入りに書き写されたものだ。ほとんどの内容は、ほかの言語に翻訳された聖書と一致しており、伝えている内容には一貫性がある。
 イエスの時代のユダヤ教文化を知る手がかり
 死海文書が発見されたおかげで、紀元1世紀のイスラエルの文化と歴史が明らかになり、イエスが生きていた世界のことがわかってきた。
 約900巻のうち、700ほどは、共同体の規則、軍隊の編成や戦略、そして日々の祈りなど、聖書には含まれない文章だ。たとえば、ユダヤ人共同体で行われていた沐浴の儀式について書かれているものがある。これは初期キリスト教に現れた洗礼(洗礼者ヨハネによるものなど)の役割を理解するうえで役立つ。
 また、死海文書は、これを書いたと考えられるクムランの共同体に特化したことだけでなく、古代ユダヤ人のさまざまな信仰や慣習についても教えてくれる。学者たちのなかには、死海文書は、第一次ユダヤ戦争(紀元66~73年) でローマの侵攻を受けるまえに運び出されたエルサレムの図書館の蔵書だと主張する人もいる。
 イエスヘブライ語聖書を知っていた
 死海文書からもわかるように、イエスの時代のヘブライ語聖書は、キリスト教の教えの土台となっている。特に重要なのは、もっとも大切な価値観として、社会的責任と神への忠誠が定義されていることだ。
 イエスは八福(八つの福音)の教えの最後に、「わたしが来たのは律法や預言者を廃するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」と言った。そこには、当時のヘブライ語聖書の2つの重要な要素である「律法」と「預言者」という言葉が含まれている。
 さらに、「すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない」と述べる(マタイによる福音書5:17-18)。
 そしてイエスは、ラビ(ヘブライ語聖書の教えを学んだ宗教指導者)と見なされるようになった。福音書には、「イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた」とある。すると、会衆全員がその教えに驚いた。「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったから」だ(マルコによる福音書1:21-22)。
 死海文書はユダヤ人共同体の信心深い人たちによって書かれたもので、そこにイエスのことが記される理由はない。ただ、第二神殿時代(紀元前516年~紀元70年)にユダヤ人たちが信じていたことや、期待していたことを広く知る手がかりも含まれている。そこから、ユダヤ教の信仰と伝統が間接的にうかがえる。
 イエスはこれらを学び、キリスト教の教義の中核にも影響を与えることとなった。
 たとえば、死海文書からは、一部のユダヤ教教団に広がっていた終末論的な世界観を読み取れる。そこで強調されているのは、悪の力を打ち負かし、地球上に神の支配を実現するために、神による人間世界への介入が迫っているという信仰だ。
 同じように、イエスの教えで強調されているのが、現実としての「神の王国」が世界に実現されつつあり、将来、神の最後の審判によって完全に実現されるということだ。この点は、神の王国と終末についてのイエスの教えを理解するうえで重要だ。
メシアとしてのイエスを予言していた?
 福音書の重要なテーマのひとつが、人々を解放する救世主たる「メシア」の到来だ。死海文書にも似たことが書かれているが、クムランの宗派とイエスでは、メシアの役割についての考え方が異なる。
 クムランでは、メシアの到来は、善と悪の衝突による政治体制の変化の結果、すなわち政治的な出来事と見られていた。しかし、イエスにとってのメシアの目的は、政治環境にかかわらず、国を霊的、社会的な救済へと導くことだった。
 死海文書が教えてくれる貴重な歴史的背景
 死海文書には、イエス・キリストの生や死、そして復活に関する出来事は一切記されていない。文書のほとんどは、イエスが布教活動を始めるまえに、敬虔なユダヤ人が書いたり写したりしたものなので、イエスについての直接的な言及はない。それでも死海文書は、イスラエルの地でのユダヤ人の信仰や慣習など、イエスが生きた世界、そして初期キリスト教が生まれて発展した世界を理解するうえで貴重な歴史的背景を教えてくれる。
 文=JEAN-PIERRE ISBOUTS/訳=鈴木和博
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