🛲5」─11─日本にはチャーチルも恐れた負けない戦略が存在した。~No.55No.56  ④ 

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 戦前の日本と現代の日本と何方が愚かと言えば、全てを知らなかった戦前の日本ではなく全てを知っている現代の日本である。
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 2023年8月11日 産経新聞「発掘・考察 大東亜戦争
 日本にはチャーチルも恐れた負けない戦略が存在した 林千勝
 林千勝氏の著書『日米開戦 陸軍の勝算』(祥伝社新書)120ページに記された「対英米戦争戦略」
 大東亜戦争(1941=昭和16=年12月~45年8月)前の日本は、石油の9割、他の戦略物資も多くを米国からの輸入に頼る脆弱な経済構造だった。しかも、国際共産主義を指導した組織コミンテルンに仕組まれた支那事変の重荷で、経済的に窮状に陥っていた。破綻は時間の問題だった。
 日本の軍官民の研究機関は「戦略物資の米国依存が高まるなか、対米英長期戦はまったく不可能」という結論を出していた。
 にもかかわらず、海軍や近衛文麿政権が北進(ソ連攻撃)案を退けて、南部仏印進駐を通告した。案の定、米国は資産凍結・全面禁輸でとどめを刺してきた(=このあたりの詳しい事情は、拙著『近衛文麿 野望と挫折』を参考)。
 もともと、大東亜戦争は、石油をオランダ領インド(インドネシア)に確保して自存自衛を図るもので、陸軍は合理的な戦争戦略「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を41年11月15日に、大本営政府連絡会議で決定した。
 この「腹案」は「陸軍省戦争経済研究班」(『秋丸機関』)というシンクタンクの研究結果、「輸入依存率が高く経済的に脆弱な英国を、その資源・食糧の輸入ルートであるインド洋における制海権の獲得、海上輸送遮断やアジア植民地攻撃によりまず屈服させ、英・蘭等の植民地になっている南方圏(東南アジア)を自給自足圏として取り込む」(要約)に基づく。
 「腹案」は、速やかに南方資源地帯を獲得し、自存自衛の体制を確立することを第一段作戦とする。大東亜共栄圏の確立だ。第二段作戦は、英国の屈服を図るためのインド・インド洋方面への侵攻(西進)。日本はビルマの独立を促し、インドの独立を刺激する。
 さらに、ドイツとイタリアが近東・北アフリカスエズに侵攻する。日独は相共に英国への物資輸送を遮断する。米国については、支援相手・英国の屈服により戦争継続の意思を喪失せしめる。
 ここに「太平洋」は出てこない。攻略範囲は限定され、アリューシャン、ミッドウェーなどは考えられておらず、ハワイはまったく論外だった。
 そもそも、米国は完全に世論や議会が参戦を忌避していて、フランクリン・ルーズベルト大統領の「米国参戦の策謀」は手詰まり状態だった。日本の対米戦略の柱は、反戦的な米国世論への〝日米戦争が無意義〟なることの宣伝工作だった。
 フィリピンは一旦占領するも、親米政権を維持して、そのまま米国に返還し、外交交渉で限定戦争を終わらせる。万が一、米海軍主力がやってくるとしても、日本から攻勢に出ずマリアナ諸島に防衛拠点を築いて誘い込み撃破する伝統的守勢作戦思想で対処する。
 東條英機首相も、そもそもは、リスクを理解しつつ、「この戦略で対英蘭戦は勝てる」「石油は獲れる」「対米は限定戦争で終わる」と認識していた。英国のウィンストン・チャーチル首相はこの日本の戦争戦略を大英帝国を崩壊へ導くものと恐れた。
 林 千勝
 はやし・ちかつ 近現代史研究家・ノンフィクション作家。1961年、東京都出身。東京大学経済学部卒、大手金融機関等を経て、近現代史の探究に取り組む。著書に『日米開戦 陸軍の勝算』(祥伝社)、『日米戦争を策謀したのは誰だ! ロックフェラー、ルーズベルト近衛文麿 そしてフーバーは』(ワック)、『近衛文麿 野望と挫折』(ワック)、『ザ・ロスチャイルド大英帝国を乗っ取り世界を支配した一族の物語』(経営科学出版)など。ネット番組「これが本当の近現代史」「月刊インサイダーヒストリー」などで情報発信中。
 「発掘・考察 大東亜戦争」(zakzak
 特集・連載:
 週刊フジ
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