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毛沢東は、中国史上最悪の大虐殺者であった。
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2023年4月23日 MicrosoftStartニュース GIGAZINE「スズメの大量駆除が中国で大飢饉を引き起こした理由とは?
1950年代、毛沢東の手で進められた害虫・害獣を駆除する運動により、米を食べることで知られていたスズメが大量に殺害されました。害獣が減ったことにより本来であれば米の収穫量が増加するはずでしたが、実際は大凶作を引き起こす悲惨な結果となってしまいました。なぜそのようなことが起こったのかについて、歴史コンテンツをまとめるHistory Definedが解説しています。
スズメの大量駆除が中国で大飢饉を引き起こした理由とは?
© GIGAZINE 提供
How Killing Sparrows Led to Great Famines in China https://www.historydefined.net/how-killing-sparrows-led-to-one-of-the-greatest-famines-in-history/ 1945年から中国共産党中央委員会主席を務めた毛沢東は、中国の人々のために都市と農業の大改革を実行に移しました。 1958年から1961年にかけて、中国は大躍進政策を掲げ、工業化と農作物の増産を目的としたキャンペーンを実施。その中のひとつに、国内の四大害虫を駆除することで病気のまん延阻止を掲げる「四害駆除運動」がありました。 この運動の中で駆除の対象となったのは、ネズミ、蚊、ハエ、スズメの4種類。これらは病気を媒介することで知られており、特にスズメは国内の穀物を食べている疑いがあったため、対象となりました。貴重な食糧の増産に力を注いでいた中国政府にとって、これらの害を取り除くことは急務でした。
スズメの大量駆除が中国で大飢饉を引き起こした理由とは?
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1959年、中国国民にスズメを駆除することを義務付ける法律が早々と成立しました。 スズメが巣で休めないように、人々は鍋やフライパンを打ち合わせ、全国で巣を破壊。見つけられたスズメは殺され、自然の生息地から追い出され、より安全な場所を探さなければいけませんでした。
スズメの大量駆除が中国で大飢饉を引き起こした理由とは?
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中でも、北京のポーランド大使館はスズメの殺処分を拒否し、残ったスズメの避難所となっていたことが知られています。しかし、スズメを守るために中国人の入館を拒否したポーランド大使館でしたが、中国人は大使館を取り囲み、2日間にわたり太鼓を打ち鳴らしてスズメを死に追いやったというエピソードも語られています。 当初、毛沢東にとって、四害駆除運動は効率よく機能しているように思えていました。毛沢東はスズメ1羽につき年間4kgの米を節約できたと確信していましたが、実際は稲作にとってさらに破壊的な生態学的問題を引き起こしていたのでした。 基本的に、スズメは農作物に害を与えるイナゴを含む多くの昆虫を捕食する動物です。捕食者であるスズメを排除することは、蝗害(こうがい)を招くことに他ならず、やがて中国に壊滅的な打撃を与えることになりました。
スズメの大量駆除が中国で大飢饉を引き起こした理由とは?
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結果的に、1年間にわたり続けられた大躍進政策は期待通りの成果を上げることはできず、米の生産を中心に多くの凶作と生態系の荒廃が起こり、中国国内で1500万~5500万人の死者を出してしまいます。 農作物の収穫量が減少したことから、農民が鉄鋼生産と建設に移り、農作物は畑で腐敗したまま放置されることにもなりました。 その後、中国は生態系の崩壊を食い止めるためにソ連から25万羽のスズメを輸入することになります。スズメが生態系に戻ってきた結果、イナゴの個体群は減少し、凶作は収まっていったとされています。その後、四害駆除運動はスズメからトコジラミにターゲットを移すことになりました。
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History Definedは「スマートフォン程度の重さの鳥が、壊滅的な凶作のきっかけになるとは信じがたいことです。しかし、毛沢東が取るに足らない害虫を駆除しようとする中で、スズメの重要性が見過ごされていたのは事実です。生態系が乱れるたびに、人間も影響を受けています。植物や動物の種類によって、その生態系は大きく左右されます」と述べてこのトピックを締めくくりました。
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