🛲7」─4─アジア諸国の~イズム過激武装ゲリラ組織。毛沢東思想と共産党毛沢東派武装集団。~No.74No.75 *  

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中国共産党の邪悪な陰謀。
 中国共産党に協力する各国内部の親中国派・媚中派達。
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 アジアには幾つかの反社会的過激派武装組織があり、有力なのは、イスラム教系と仏教系の宗教テロ組織、〜イズムの共産主義ゲリラ組織、各国の少数民族による分離独立抵抗組織である。
 そこに、中国共産党は何らかの関与をしているが、日本は完全なる無関係である。
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 アジアを侵略し、世界を征服しようという、八紘一宇の日本天皇至上主義など今も昔も存在しなかった。
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 世界で戦争を起こし虐殺を行い不幸を撒き散らしたのは、共産主義であった。
 そして、共産主義は失敗し、幾つかの国家に共産党は残ったが大半は消え去った。
 共産主義は、世界の平和も、人の幸福も、生活の豊かさも、社会の安定・安心・安全も、破壊してももたらす事はなかった。
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 中国共産党は、世界中に世界常識と国際法秩序における平和ではなく、中国基準の平和を共有している。
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 2017年4月25日 産経ニュース「インドで共産ゲリラが部隊襲撃、25人死亡
 インド中部チャッティスガル州スクマ地区で24日、極左過激派、インド共産党毛沢東主義派(毛派)とみられる武装勢力がインドの治安部隊に待ち伏せ攻撃をかけ、隊員25人が死亡、6人が負傷した。インド紙などが伝えた。
 治安部隊は同州で実施されている道路工事で警備をしていた。休憩中に約300人の武装勢力が小銃などで襲撃し銃撃戦となったという。
 道路が完成すれば治安部隊の移動が容易になり毛派にとって脅威となるため、インド当局は工事妨害のための襲撃だったとみている。
 同地区では治安部隊と武装勢力の銃撃戦が頻発。双方に多数の死者を出している。(共同)」
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 毛沢東は、人類史上最悪な虐殺魔であり、その大量虐殺の人数においてスターリンヒトラーをはるかに上回る。
 毛沢東を偉大な指導者と崇める人々は、毛沢東が行った無慈悲な大虐殺を正当化している。
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 ウィキペディア
 毛沢東思想
 毛沢東主義または毛沢東主義(英語: Maoism、マオイズム)は、毛沢東を中心とする中華人民共和国共産主義者が創立した政治思想。中華人民共和国憲法に記載。その信奉者は毛沢東主義者やマオイストとも呼ばれる。
 毛沢東思想の内容は、時期によってかなり大きな変化がみられる。今日、毛沢東思想が一般的なマルクス主義マルクス・レーニン主義と区別して扱われる場合は、文化大革命期の毛沢東思想を指すことが多い。この時期の毛沢東思想の主要概念には、人民戦争理論、暴力革命・武装闘争肯定と平和革命否定、階級闘争絶対化、3つの世界論などがある。1945年以降の中国共産党規約では「マルクス・レーニン主義の中国における運用と発展」とされ、「マルクス・レーニン主義」などと並ぶ「行動指針」と位置づけられた。特に1950年代から1960年代の中ソ対立や文化大革命の時期に強調された。 
 概要
 半民半兵のゲリラ戦争と、核武装、有事を想定して政策を行うなど、長期戦略に基づく軍事力の増強を最優先課題とする。政治思想というより、軍事理論とされる場合も多い。
 中国共産党は1945年4月23日から6月11日にかけて開催された第7回党大会において、党規約に「中国共産党マルクス・レーニン主義の理念と中国革命の実践を統一した思想、毛沢東思想を自らの全ての指針とする」との記述を加えた。ここでいう毛沢東思想とは、理念としてはカール・マルクスウラジーミル・レーニンが確立した共産主義を指針としながら、それを中国の実情に適応させた、農民中心の革命方式を指しているとされている。
 毛沢東の思想は、毛沢東が若い頃から親しんだ農村社会の観察や経験から導き出された中国発展のためのアイディアを含んでおり、その大綱として大公無私(個人の利益より公共の福祉を優先する)、大衆路線(農村大衆の意見に政治的指針を求めそれを理解させて共に行動する)、実事求是(現実から学んで理論を立てる)などがある。この他、社会と協調できる個人主義、大人数の協力、農村から蜂起して都市を囲いこんでいくゲリラ戦術理論(人民戦争理論)、世界各国が各自の特性に応じた革命を行うことによって第三次世界大戦を防ぐことができるとする「中間地帯論」なども毛沢東思想に含められる場合がある。
 毛沢東の農村重視の姿勢には、本来のマルクス主義唯物史観による「社会主義革命は発達した資本主義社会で発生する」との理論に対して、ロシア革命時のロシア以上に資本主義が未発達で農業中心社会であった中国の実情に対して、マルクス・レーニン主義を適用する必要性があった。また農村社会にも特有の平等主義や、暴力の肯定、知識階級に対する反エリート主義(反知性主義)などが挙げられる。またソビエト連邦型との相違には、新民主主義論による人民民主主義や、3つの世界論による世界認識と外交政策などがある。
 毛沢東思想は毛沢東の著作、発言、実践などの総称であり、必ずしも体系的に理論化され矛盾なく整理されたものではない。簡易な参照には毛主席語録も使用された。
毛沢東思想は、1950年代以降の社会主義政策推進、1957年からの反右派闘争、1960年代以降に激化した中ソ対立、更に1966年に発動された文化大革命などで特に強調され、毛沢東の個人崇拝や、政敵の打倒、国外の各国共産主義勢力への干渉にも広く使用された。
 日本
 毛沢東思想自体は、文化大革命の実態が長く隠蔽されてた日本では進歩的文化人の手により、現代社会における政治体制を考える上で多くの示唆を与えてくれる思想として喧伝されたため、これを信奉する若者(全共闘世代及び地球市民)が以後にわたり続出した。 ただし、中国の毛沢東がゲリラ、軍事至上主義、核武装を最優先させたのに対して、日本の毛派は反核を唱えるなど矛盾が多い。 日本共産党やリベラル派の左翼組織は、スターリン主義の派生だとして憎悪する者もいる。
 日本においては、共産同ML派、日本共産党(左派)、日本共産党(革命左派)神奈川県委員会、日本労働党といった政治団体がかつて毛沢東思想を指導思想として掲げており、全共闘や毛派以外の新左翼毛沢東主義から一定の影響を受けていた。毛沢東主義は、議会主義と大衆運動を掲げていた日本共産党日本社会党の主流派の方針とは相容れないものであり、毛沢東思想支持者は既成左翼と呼ばれた社会党共産党の両政党と激しく対立した。
 一般社会においても、ダイエー創業者の中内功養老孟司などが毛沢東思想の強い影響を自認しているほか、欧米崇拝の強かった時期に毛沢東思想の変異体であるコミューン運動が無批判に紹介された事や、毛沢東思想の農本主義的側面が、かつての農村共同体への素朴な憧憬を残していた時期の日本社会で肯定的に伝えられた事もあって、先述の米国の人民寺院のように各種のカルト集団によるコミューン型共同体が日本各地で形成された。例えば、日本の代表的なカルト集団オウム真理教教祖の麻原彰晃にも毛沢東は絶大な影響を与えている。
 現在は日共左派が、修正的な毛沢東主義の影響を受けている。日共左派は反米愛国を掲げ、反米右翼と共闘するなど日本の左翼運動の中では異端的である。また、三橋派緑の党毛沢東主義を独自に解釈した独特のイデオロギーを有している。日本労働党は現在は毛沢東思想を掲げていない。
 現状
 毛沢東は中国人民の救星(救世主)と書かれたスローガン
現在でも、世界中の様々な反政府組織が毛沢東思想に範をとって活動している。そのため一部の国家では「マオイスト」という言葉はテロリスト・過激主義者という先入観を持たれる可能性がある。また、毛派はしばしば中国共産党の手先とみなされることがあるが、中国に対する一方的な親近感以上の関係は確認されなかったり、逆に現在の中国共産党と敵対している場合もある。
 発展途上国の毛派はゲリラ路線に走りやすいが、これら毛沢東思想を継承したグループは、麻薬製造や貴金属・宝石採掘などの独自の資金源を有している場合が多く、中国も含めて諸外国の援助を受けずに独力で大勢力に発展している場合がほとんどである。
 ペルーの自称毛派たるセンデロ・ルミノソが中国の支援を受けていた事実は無く、訒小平時代になって中国が文革期の毛沢東思想を放棄してから以降は、在ペルーの中国人や中国政府関係者、さらには北朝鮮関係者までがセンデロ・ルミノソの攻撃対象とされている。コカインの原料となるコカの産地を制圧しているセンデロ・ルミノソの勢力は依然として強力かつ活発である。
 近年では2008年にネパール共産党毛沢東主義派武装闘争の末に合法的に政権参加し、隣国のインド・ブータンでもネパール毛派と協力関係にあるインド共産党毛沢東主義派ブータン共産党マルクスレーニン毛沢東主義派の活動が活発化した。ただしインド毛派は一部地域での影響力に留まる。
 ウルグアイの拡大戦線は、トロツキズム社会民主主義毛沢東主義、古典的なマルクス・レーニン主義など様々な思想者が共生している。
日共左派やロシアの毛派は武装闘争や犯罪は一切行なっていない。先進国では理論による組織拡大に力を入れる傾向にある。
 毛沢東主義は、実態としては確固たるイデオロギーは無く、観念的である。時の指導者により修正や改ざんが多く成される。ネパールの毛派とブータンの毛派も思想的な繋がりは薄い。
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 インド共産党毛沢東主義派とは、インドの極左武装組織である。インド毛派とも呼ばれている。
 経済成長から取り残され、貧困や格差に不満を持つ農村住民や低カースト層の間で勢力を拡大している。ネパール共産党毛沢東主義派とは協力関係にある。
 沿革
 この節の加筆が望まれています。
 1967年、小作争議に絡んで、西ベンガル州で結成。2004年、インド毛沢東主義派共産主義者センターと共産党マルクス・レーニン主義派・人民闘争グループとが合流し、現在の組織となる。
 2011年11月24日には当時の最高指導者であったコテシュワル・ラオが、治安部隊の銃撃によって死亡した可能性が極めて高いと報じられた。
 イデオロギー
 この節の加筆が望まれています。
 武装農民闘争を通じた社会主義革命を主張する。歴代政権が貧困やカースト制度の問題を放置した不満から、貧しい農村地帯では支持が厚い。市民軍や民兵によるコミュニティーの創造を訴え、武装化を目指している。
 テロ活動
 マルチ・スズキ暴動事件への関与疑惑
 2012年7月18日、インド北部のハリヤーナー州カサン村にあるスズキのインド法人マルチ・スズキのマネサール工場で暴動が発生。同社の幹部1人が死亡、日本人12人を含む約100人が負傷した。7月23日付の有力紙「ヒンズー」などは、インド内務省(英語版)が同社労組幹部と同党との関係を調べるよう指示したと報じた。警察は組合幹部100人を拘束して取り調べたが、村の長老の一人は「村に左派はいない」と同党の介入を否定。周辺地区との工場の誘致合戦が原因ではないかとした。日本の新左翼過激派・中核派の機関紙『前進』は7月19日付け速報で、暴動の内容を「ストライキ」として詳細に報道。同社の高圧的対応が労働組合の争議を過激化させたとした。
 チャッティースガル州でのテロ
 2013年5月25日、インド中部のチャッティースガル州を移動中の国会議員団がおよそ300人の毛派武装集団に襲撃され、関係者27名が死亡した。
 2014年3月11日、チャッティースガル州スクマ地区の治安部隊が毛派の集団に襲撃され、州警察によると警察官20人が死亡した。


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マオキッズ―毛沢東のこどもたちを巡る旅

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