🐉22」─2─内モンゴルのシンドラー。ジュテークチ医師と中国共産党の侵略・文化大革命・虐殺。~No.83No.84No.85 

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 2020年9月3日 産経新聞「【話の肖像画静岡大教授で文化人類学者・楊海英(55)(24)内モンゴルシンドラー
 人民解放軍の軍医として武漢三鎮に入ったときのジュテークチ氏(前列右から5人目)
 《自著『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』に、中国共産党に立ち向かった異色の人物が登場する。「内モンゴルシンドラー」ことジュテークチ氏だ》
 映画「シンドラーのリスト」の主人公、オスカー・シンドラー氏はドイツ人の実業家ですが、ジュテークチ氏はモンゴル人の医師です。シンドラー氏はナチスホロコースト(大量虐殺)から多くのユダヤ人を救いましたが、ジュテークチ氏は文化大革命文革)の暴力の嵐が吹き荒れる内モンゴルで、いわれのない罪で虐待された負傷者を診察し、「重篤自治区以外での治療が必要」として内モンゴルから逃しました。その数は1万6千人ともいわれています。
 私がジュテークチ氏に会ったのは2006年8月。当時82歳で、白髪の笑顔が優しいお医者さんという印象でした。文革の拷問で右耳、右目だけでなく男性としての機能まで奪われましたが、自らの過酷な体験にもかかわらず、密告や裏切りが当たり前だった状況のもと、文革を進める苛烈な「造反派」の目をかいくぐって被害者たちを逃亡させました。こんなに大胆で激しく一徹な人には、とても見えませんでしたね。
 《「内モンゴルシンドラー」は日本とのかかわりが深かった》
 ジュテークチ氏は1924年、当時満州国だった内モンゴル自治区ホルチンに生まれ、国民小学校から興安軍官学校、ハルビン陸軍軍医学校へと進学しました。日本の教育を受けてお医者さんになったのです。その後、人民解放軍の軍医として国共内戦に従軍し、50年にはモンゴル人部隊が前線に駆り出された朝鮮戦争で、米軍の爆撃機が飛び交うもとでメスを執り続けました。私がインタビューしたとき、「爆撃で靴をなくした兵士に自分の靴を譲り、はだしで手術をしたこともある」と回想していましたね。人民解放軍にとって功労者のはずですが、日本の教育を受けたために「日本刀をぶら下げた連中」として資本主義の手先と決めつけられ、「技術上可用、政治上不可信(技術は活用するが政治的には信用しない)」とされたのです。
《その後も共産主義中国への幻滅が続いた》
 ジュテークチ氏が朝鮮戦争の前線で戦っていたころ、北京政府は国内で「反汚職、反浪費、反官僚主義」という「三反運動」を推進していました。この政策は前線で命を張っている兵士たちにもお構いなしです。米軍との激しい戦闘をともに戦った漢人の上司が、給料から結婚資金をコツコツとためていたことを「汚職だ」と密告され逮捕された。祖国のために戦った人が理不尽な政策への、根拠ない密告で排除されてしまう。こうしたことに幻滅したジュテークチ氏は52年に除隊し、内モンゴルの病院に勤務し始めました。
 ジュテークチ氏はその後、中国共産党の粛清の波を浴び続けます。まずは中国全土を大飢饉(だいききん)が襲った58年に始まった「四害駆除運動」です。「農作物を食べるスズメを駆除しなさい」という毛沢東の政策ですが、ジュテークチ氏と診療を通じて親しかった地方行政官は「草原では害虫を駆除するスズメは良い動物」として実行しなかった。放牧を主とする草原では当然の話ですが、スズメを駆除しなかったこの地方行政官は国家主席の指示に従わない「右派」とされ、親しかったジュテークチ氏も「日本刀をぶら下げた連中」との“前科”もあって「準右派」として批判の矢面に立たされたのです。その後、66年から始まる文革の魔の手がジュテークチ氏に襲い掛かります。名医として名高かったジュテークチ氏は、この文革に敢然と立ち向かいました。(聞き手 大野正利)
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 共産主義マルクス主義)は、人命・人権・人道尊重の平和主義ではなく、人命・人権・人道無視の殺人主義であった。
 共産主義は、死体の山脈を築き、血の海をつくっていた。
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 中国共産党は、ナチ党、ロシア共産党カンボジア・クメール‐ルージュ(ポルポト)同様に血に飢えた狂暴な殺人組織であった。
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 中国共産党はジェノサイド。
 ナチ党はホロコースト
 ロシア共産党は粛清。
 クメール‐ルージュは総括。
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 中国軍は、親日派知日派民族主義者、モンゴル独立派、非協力者ら約30万人を虐殺し、生き残ったモンゴル人に対して生き地獄のような虐待を繰り返した。
 内モンゴルを中国化する為に、中国人移民を入植させて地域の多数派にし、少数派となったモンゴル人の生活を奪い不毛な僻地へと追いやった。
 増える中国人移民は静かな侵略の先兵で、同様の少数民族の惨劇はチベットウイグルでも起きていた。
 中国人移民は、全てを食い尽し不毛にしてしまうバッタの大群ににていた。
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 中国共産党が認める民族主義とは、大陸漢族系中国人の民族主義のみである。
 現代日本人には、中国の民族主義が理解できない。
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 9月2日 Microsoft News AFPBB News内モンゴル自治区で異例のデモ 中国語教育に抗議
 © Byambasuren BYAMBA-OCHIR / AFP モンゴル首都ウランバートルにある外務省前で、隣接する中国・内モンゴル自治区の学校の新カリキュラムに抗議する人々(2020年8月31日撮影)。
 【AFP=時事】中国北部の内モンゴル自治区(Inner Mongolia Autonomous Region)で、少数民族文化の抹消につながるとの懸念が上がっている学校の新カリキュラムに抗議する異例のデモと授業ボイコットが行われ、数万人が参加した。地元住民らが1日、明らかにした。
 内モンゴル自治区では突然の政策変更により、少数民族系の学校全てが主要科目をモンゴル語ではなく標準中国語で教えることが義務付けられた。同様の措置はチベット(Tibet)と新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)でも実施されており、各地域の少数民族を多数派の漢民族に同化させる狙いがある。
 牧畜業を営む男性(32)はAFPに対し、「内モンゴルのほぼすべてのモンゴル人が改定版カリキュラムに反対している」と説明。モンゴル人の子どもが母語を流ちょうに話せなくなるとの懸念を示し、「少数言語は数十年で絶滅の危機にひんするだろう」と語った。
 内モンゴル自治区では先月26日、地元教育局がカリキュラム変更を発表したことで緊張が広がった。内モンゴル自治区はモンゴルとロシアと国境を接する地域。モンゴルはソビエト連邦の影響下でキリル文字を導入したことから、伝統的なモンゴル文字を使うのは世界で同自治区だけとなっている。
 牧畜業を営む別の男性(27)によると、各地で数万人が抗議行動に参加。ヒンガン盟(Hinggan League)とその近郊の通遼(Tongliao)市では1日、数百人の武装警察部隊が数か所のバイリンガル寄宿学校を包囲し、生徒が校内から出られないようにしていたという。
 また男性は、先月31日夜には自身のきょうだいが通うホルチン右翼前旗(Horqin Right Front Banner)の学校前で行われたデモで、複数の保護者が警察により殴打され、逮捕されたと語った。
 同日にはモンゴルの首都ウランバートルでも、中国の政策に抗議するデモが行われ、数十人が参加。インターネット上では数千人のモンゴル人が内モンゴル自治区の住民らを支持する活動を展開した。【翻訳編集】AFPBB News
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