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2021年11月9日 MicrosoftNews JBpress「中露海軍日本一周の意図:北海道はロシア領、沖縄を中国領に
池口 恵観 2021/11/09 06:00
© JBpress 提供 中国共産党の機関紙『人民日報』系の『環球時報』は2021年10月25日、中露艦隊が津軽-大隅海峡を通過したことについて「中露艦艇の日本巡航が日米を震わせる」と報じた
日本の指導者は、中国、ロシア、米国など大国の指導者と渡り合い、今後、世界でリーダーシップを発揮できるだろうか。
ロシアは第2次世界大戦の結果、北方領土がロシアのものになったことを日本が認めるよう主張している。
第2次大戦当時、日本とソ連の間には日ソ中立条約が存在していた。
ソ連が対日参戦した1945年(昭和20年)8月時点では日ソ中立条約は有効期間内であった。だが条約は破られソ連は日本に侵攻。これは紛れもなく国際法違反である。
当時ソビエト連邦は北方4島だけでなく、実は北海道にも侵攻しようとしていた。不凍港である釧路を狙い、あわよくば北海道全島を占領しようとしていたのである。
読売新聞夕刊(1990年12月25日)は、ロシアの当時の公文書による次のような内容の記事を配信している。
「ソ連の最高指導者ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(1878-1953)は、対日参戦直前『サハリン(樺太)南部、クリル(千島)列島の解放だけでなく、北海道の北半分を占領せよ』と極東軍最高司令官アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ヴァシレフスキー元帥(1895-1977)に上陸部隊を出せるよう命じていた」
しかし、千島列島北東端の島、占守島(しゅむしゅとう)の日本守備隊の奮戦により、ソ連の侵攻南下が遅れて停戦合意となったことで、ソ連は北海道侵攻を断念する。
日本は1945年8月14日、無条件降伏・武装解除、民主主義の実現、連合国による管理、日本の領土規定などを内容とするポツダム宣言の受諾を決め、15日に終戦の詔書が出された。
大本営は8月16日、「やむを得ない自衛行動を除き、戦闘を中止せよ」との全部隊に発令。
しかし、南樺太のソ連軍は日本側への攻撃をやめず、18日に千島列島で占領作戦を展開。千島列島北端の占守島に上陸し、武装解除を進めていた日本軍を攻撃したのである。
第5方面軍司令官 樋口季一郎(1888-1970)中将は自衛のために戦闘すべきか、大本営の指示に従いソ連軍に無抵抗で投降するか悩んだが、独断で第91師団の堤不夾貴(1890-1959)師団長に「断乎反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」と命じる。
第91師団は上陸に手間取っていたソ連軍に対し、波打ち際で集中砲火を浴びせて撃破。
だが、日本側は戦闘停止期限の18日午後4時にソ連側も戦いをやめると考え攻撃の手を緩めた途端、ソ連軍は攻撃を続け形勢は逆転。
日本は最終的に停戦協定により武装解除に応じた。降伏した日本兵は全員捕虜となり、シベリアに送られ、その多くが命を落とした。
もし、占守島で日本守備隊の抵抗がなければ、ソ連軍はいち早く南下し北海道は占領されて、日本は分断されていたかもしれない。
北方4島侵攻は米英との密約で行われた
米国は単独で日本本土への上陸作戦を行った場合、太平洋諸島などでの戦闘による損害の大きさから自国の損害を予測していた。
1945年2月米国のフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領(1882-1945)、英国のウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル首相(1874-1965)、ソ連のヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン首相が会したヤルタ会談でスターリンは日本参戦を決断。
その引き金となったのがルーズベルトとチャーチルがスターリンに日本への共同侵攻を持ちかけた極東密約である。
当初、スターリンは日ソ中立条約が期限内で有効なために、ルーズベルトとチャーチルの誘いを断った。
しかし、2人は「国連憲章103条・106条」などを根拠に、「ソ連の参戦は平和と安全を維持する目的で国際社会に代わって共同行動をとるために他の大国と協力するものであり、国連憲章103条に従えば憲章の義務が国際法と抵触する場合には憲章の義務が優先する」という見解を示しスターリンを説得。
そしてドイツ降伏から3か月以内にソ連が日本に宣戦布告するという協定が結ばれた。
ソ連は、その見返りとして千島列島のすべてと南樺太をソ連へ引き渡すことをルーズベルトとチャーチルに認めさせた。
ソ連は1945年8月8日、ヤルタ会談の密約に従い日ソ中立条約を一方的に破棄し日本に宣戦布告、8月9日未明、満州に侵攻を開始。
日本はソ連を仲介者とした連合国との和平交渉を模索していた。
もし、交渉がまとまればソ連への報酬として南樺太の返還を検討していたが、結果として日本は米英に外交で敗れたのである。
ソ連の参戦は、よく言われるように、日本の敗戦が濃厚となったため日本に侵攻した火事場泥棒的な参戦ではなく、ヤルタ会談での米英との約束に従って連合軍の一員として宣戦布告したことになる。
日本が降伏した8月16日、スターリンは米国のハリー・S・トルーマン大統領に以下の要求をする。
「日本がソ連に引き渡す地域は千島列島全土を含める。これはヤルタ会談における3カ国の約束で、ソ連の領土として移管されるべきものである」
「日本がソ連に引き渡す地域は北海道の半分を含めること。北海道の南北を2分する境界線は、東岸の釧路から西岸の留萌までを通る線とする」
ちなみに、千島列島全土の範囲とは北方4島を含めるとするロシア政府と、それを含めないとする日本政府との間で見解が異なる。
トルーマンは8月16日から18日の48時間、熟慮の結果、スターリンに千島列島全体をソ連に引き渡すことは認めるが、北海道北部のソ連占領は拒否するとした書簡を8月18日スターリンに送った。
トルーマンの判断が遅れていたらソ連は北海道に侵攻し、津軽海峡を挟んで日本は分割されていた可能性もあった。
日本が降伏した8月16日以降もソ連軍は引き続き侵攻作戦を継続。
日本の要請を受けて米軍ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官(1880-1964)はソ連軍参謀本部に日本への攻撃停止を申し入れたが、スターリンの命令を受けていたソ連側は攻撃停止するかは、地域の最高司令官の判断によるとし、4日間、その要請を無視し続けた。
米国から侵攻中止の要請を受けてからもソ連が侵攻作戦を続けたのは、9月2日の日本の降伏文書調印までに既成事実としての北海道占領を終えることができるか検討していたためとされる。
だが、占守島での日本守備隊による抵抗などにより、降伏文書調印までに北海道への侵攻を断念したスターリンは8月28日、南樺太の部隊を千島列島及び北方四島に向かわせ択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を占領。
現在の北方四島のロシアによる実行支配は、元を糺せば米国のルーズベルトと英国のチャーチルがスターリンに日本参戦を促すべく千島列島のすべてと南樺太をソ連へ引き渡すことで合意したことに起因する。
北方領土をめぐる日本とロシアの交渉において、ラブロフ外相が平和条約締結の前提の一つに日本が第2次世界大戦の結果を受け入れること。それはソ連が北方四島を獲得し、現在、ロシア領土であることをまず認めよ、というものだ。
だが、「不可侵を尊重する」という文言の盛り込まれた日ソ中立条約が1946年4月まで有効期間であり、1945年8月に参戦したソ連の侵攻は、明らかに国際法違反である。
ロシアが第2次世界大戦の結果を受け入れるよう日本に求めるのは、国際条約を破って侵攻した事実から目を背けさせるためだろう。
© JBpress 提供 ソ連の日本侵攻は米国のルーズベルトと英国のチャーチルによるスターリンの説得が引き金となった
琉球は中国だったのか
中国には、琉球は古来中国の領土であり、日本が武力で琉球と尖閣諸島(中国名:釣魚島)を奪ったとの主張がある。
明、清の時代、琉球王国は中国との冊封体制下にあった。ベトナムや朝鮮半島も、かつて中国の冊封体制下にあった。
冊封関係を結べば、そのまま中国の領土となったという意味ではない。
冊封国の君主の臣下たちは、あくまで君主の臣下であって、中国皇帝とは主従関係を持っていない。つまり、冊封関係は外交的儀礼であり、国全体が中国の支配下にある属国とは意味が異なる。
明治12年(1879)明治政府は琉球に対し、清への冊封関係の廃止を求め、強制的に日本へ統合。琉球王国は沖縄県に置き換えられた。琉球処分である。
北京師範大学歴史文化学院特任教授の徐勇氏は、明治政府による琉球併合も、戦後の沖縄返還も国際法上の根拠はない、と主張している。
駐日中華人民共和国大使館に勤務した中華人民共和国の外交官の唐淳風は、琉球独立運動を積極的に支持する人物で、「琉球人は福建、浙江、台湾などから移住した久米三十六姓の末裔」「琉球国時代の言語はすべて中国語」「琉球の文化は日本の侵略まで(中国)大陸のものと一致していた」と主張する。
だが、中国はかつて一度も沖縄の主権を握ったことはなく、沖縄が中国の領土という歴史的根拠は存在しない。
尖閣は短期決戦で奪取されるのか
米国のフィリップ・デービットソン前インド太平洋軍司令官は次のような発言をしている。
「中国は国際秩序における米国のリーダーとしての役割に取って代わろうという野心を強めていると私は憂慮している」
「その前に、台湾がその野心の目標の一つであることは間違いない。その脅威は向こう10年、実際には今後6年で明らかになると思う」
その理由は、米国は旧ソ連との間で締結した中距離核戦力全廃条約(INF条約)の制約により、中距離ミサイルを保有していない。
だが、中国は1250発の中距離ミサイル保有しているなど、中国軍の米軍への優位が続くのが6年以内。つまり2027年までというのが、その根拠である。
また、ジョン・アキリーノ米インド太平洋軍司令官も、中国が台湾に侵攻する問題について、次のような懸念を表明している。
「大半の人が考えているよりもはるかに切迫している」
「中国の台湾侵攻を許せば、第1に物流の相当部分が台湾を経由している世界貿易が脅かされる恐れがある」
「第2に日本、韓国、フィリピンなどアジアの同盟国が米国に寄せる信頼が損なわれる」
2013年1月、北京テレビの番組に出演した中軍事アナリスト、海軍情報化専門家委員会主任の尹卓少将は、中国海軍が日本の尖閣諸島を奪取するため「短期戦争」を計画していると述べ、戦闘は非常に短く数時間で終了する、としている。
現在も尖閣諸島周辺では海警船と海上民兵である漁師が頻繁に活動している。
もし、仮に海上民兵である漁師が島に上陸して、海警が護衛する作戦で尖閣諸島を支配下に置くとしたら、日本政府は、その侵攻に対して武力で対抗するか、それとも尖閣は放棄されるのか――。
そうした事態は、いつ、起きても不思議ではない。
麻生太郎副総理が7月6日の自身の政治資金パーティで、次のように発言している。
「台湾に中国が侵攻した場合、集団的自衛権を行使できる存立危機事態にあたる可能性がある」
「中国が台湾を侵攻すれば同盟国保護と集団的自衛権レベルで防衛する」
さらに麻生氏は「台湾の次は沖縄」と述べたというが、それを報じたのは「沖縄タイムス」だけである。
岸信夫防衛大臣が、麻生氏の発言について問われると「いかなる事態で存立危機事態にあたるかは、実際に発生した個別具体的な状況から総合的に判断する」としており、麻生氏の発言は政府の考えを踏まえたものとも受け取れる。
中国共産党の機関紙である『人民日報』系の『環球時報』は、人民解放軍の将軍の話として「(台湾有事で)もし日本の自衛隊が参戦したら、解放軍は自衛隊を消滅させる。また、日本にある自衛隊基地を攻撃する権利を持つことになる」と報じている。
中国とロシアが同盟結んで日本侵攻
国際海峡とは、国連海洋法条約により国際航行を定められた範囲で自由に行える海峡である。
日本国内にある国際海峡の別称である特定海域は、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡東水道、同西水道および大隅海峡の5つの海峡をいう。
特定海域の公海部分では核兵器を搭載した外国の軍艦を含め自由に通過することができる。
中国とロシア海軍の軍艦10隻が2021年10月18日、合同巡視活動として津軽海峡を通過した後、伊豆諸島付近を航行し、10月22日鹿児島県の大隅海峡を通過した。
中ロ合同演習は、日本海、西太平洋、東シナ海で行われ、演習には10隻の艦船と6機の艦載ヘリコプターが参加し、中国メディアによれば実際に武器を使用した演習が行われたと報じられている。
中国側は「他国の領海に進入しなかった」「第三国をターゲットにしたものではない」としているが、中国国防省の譚克非報道官は会見で「演習がより実戦的になり、対抗性が大幅に向上した」と述べた。
津軽海峡と大隅海峡は特定海域であり領海法で中央部分に関しては、どこの国にも属さない公海部分の海域として設定されている。そのため、法的には通過しても問題はない。
しかし、国際法で認められてはいるものの、中国軍とロシア軍の艦艇が同時に津軽海峡と大隅海峡を通過したのは今回が初めてで、これは日本に対する威嚇といえよう。
本州と北海道を隔てる津軽海峡を通過した後、日本の東の沖合を南下し、九州沖の大隅海峡を抜けたということは、北海道と本州、鹿児島と沖縄を分断するような動きである。
これは、かつてのソ連が北海道に侵攻しようとしたこと、中国が沖縄を自国の領土と主張する、日本に対しての挑発的メッセージとも受け取れる。
防衛省は10月25日の声明で、中国とロシアの1週間続いた合同演習を「特異」な行動と形容し、岸信夫防衛相は10月26日の記者会見で、次のような認識を示した。
「このような大規模、長期間の活動は初めてで、極めて異例。わが国に対する示威活動を意図したものと考えている」
西アフリカの諺に「棍棒を持って、静かに話せ、それで言い分は通る」とある。中露は棍棒(核弾頭)を保有しているが、日本は棍棒(核抑止力)を持っていない。
© JBpress 提供 中露が軍事同盟を結び日本に侵攻してきたら、核抑止力を持たない日本は日米同盟で対抗するほかない
1年ごとに総理が替わる国では危うい
外交は武力に勝るといえる。外交には交渉技術をもって行われる外交交渉と、政治的立ち位置によって築かれる外交政策によって構成される。
外交は国家による国際社会の軍事、経済、政治などの問題に関する交渉活動であり、国家が国益の最大化を図るために行うものである。
古来より外交は秘密裏に行われることは国際的に認められており、それは外交上の慣習といえる。なぜなら交渉の過程が明かされれば外交交渉の自体が制限されるからだ。
かつてのように1年ごとに総理大臣が替わり、海外からは回転ドアと揶揄されるようでは、世界の指導者たちと信頼関係は築けるはずはない。
それは日本外交が停止した状態といっていい。そうした事態に陥れば、国家存亡の危機につながりかねない。
台湾有事、尖閣問題など、日本の危機は迫っている。それにどう対処するのか。
いま必要なのは、権謀術数渦巻く永田町の政治力学で選ばれるリーダーではなく、中国、ロシア、米国など世界各国の指導者と互角に渡り合える強い指導者ではないか。
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