☭54」─2─ロシアがウクライナの次は狙うのは日本。侵略の口実はアイヌ民族の保護。~No.210 

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 中国共産党は、琉球民族を中国の少数民族と認定している。
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 2022年4月16日 MicrosoftNews スポーツニッポン新聞社「中村逸郎教授 ウクライナの次は日本?「狙ってくる危険性がある」ロシアの口実は…
 © スポーツニッポン新聞社 ロシアのプーチン大統領(AP)
 ロシア政治を専門とする筑波学院大・中村逸郎教授が16日、ABCテレビ「教えて!ニュースライブ 正義のミカタ」(土曜前9・30)に生出演。ロシアが日本へ侵攻する可能性について言及した。
 番組ではロシアの政党「公正なロシア」の党首であるセルゲイ・ミロノフ氏が「ロシアは北海道の権利を有している」と発言したことを紹介。
 中村教授はセルゲイ氏を「財界、政界を合わせたプーチン大統領のスポンサー」とし、「(セルゲイ氏に)言わせて日本の世論を見てみようということ」とプーチン大統領の狙いを説明した。
 その上でロシア軍が近年、北方四島での軍事演習を活発化していることを挙げ「警戒すべき事案」と指摘。
 理由として、プーチン大統領がかつて「北方四島にはアイヌ民族が住んでいた。北方四島はそもそもロシアのもの。日本国内でアイヌ民族が人権抑圧されている」と発言したと紹介。「『北海道にいるアイヌ民族が日本で抑圧されている』ことを口実にプーチン政権が日本を狙ってくる危険性がある」と分析した。
 MCの東野幸治が「ウクライナ東部に住むロシア系住民が迫害されているから助けにいく。自衛のため戦争というのと同じことですか」とロシアがウクライナ侵攻した際の主張をもとに日本へ侵攻する可能性があるのか質問すると、中村教授は「同じ事。危険性がある」とうなずいた。」
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 戦前の軍国日本の自国民保護と現代の中国共産党及びロシアの自国民保護は、歴史的意味で違う。
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 日本とロシアの真ん中に住んでいるアイヌ人は、日本に味方するか、ロシアに味方するか、第三者として傍観者になるかを強制された。
 千島アイヌ人は、ロシア人によって地上から消された。
 樺太アイヌ人は、ロシアに残留組・多数派と日本への移住組・少数派に分かれた。
 蝦夷アイヌ人は、日本・和人に味方して侵略者ロシアと戦って多くの犠牲者を出していた。
 反天皇反日本人(和人)を主張する一部の現代アイヌ人の祖先が、どこのアイヌ人なのかいまいち分からない。
 歴史的事実として、日本民族アイヌ人は同じ縄文人の子孫である。
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 江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大約2万6,800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。
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 ウィキペディア
 アイヌの歴史(アイヌのれきし)とは、日本列島の北海道島・千島列島および樺太島南部の先住民族の一つであるアイヌの歴史である。
 千島・樺太アイヌの歴史
 千島・樺太アイヌは日露両国の進出、南北千島の分断統治樺太と千島の交換、日露戦争、ロシア(当時はソ連)の北方領土占領によって国際的に翻弄された。
 千島アイヌ
 千島列島には先史時代から居住者がいたが、文字記録が残されるようになるのはロシアが東シベリアまで勢力を拡大した18世紀からである。千島アイヌは千島列島を南北に移動して交易していたが、この頃、日本の北進と東シベリアを版図に入れたロシアの南進によって、彼らは生産・交易活動を両国に依存することが多くなっていった。松前藩は家臣の知行地として1754年にウルップ(得撫島)までを含む国後場所を開いていたが、その後のロシア人の侵入もあり、江戸幕府は、1803年、エトロフ-ウルップ(得撫島)間のアイヌの移動を禁止した。これによりウルップ島以北のアイヌは日本との交易が困難になり、ロシアの影響を強く受けるようになった。1854年日露和親条約によって千島列島は日露両国が南北を分断して統治することになったが、1875年には樺太・千島交換条約に基づき千島列島が全て日本の領土になった。その際居住者は日本国籍を得て残るか、ロシア国籍を得て去るか選択させられ、大部分は日本国籍を得た。
 1884年には若干の千島アイヌが日本領北端のシュムシュ(占守島)に残っており、北の国境に民間人を置いておくよりも南の地で撫育した方が良いと考えた日本政府は、97名を半ば強制的に色丹島へ移住させ、牧畜・農業に従事させた。しかし先祖代々続いた漁撈を離れ、新しい土地で暮らすことに馴染めず、健康を害するものも現れた。望郷の念を募らせる千島アイヌに対し、日本政府は1898年以降、軍艦に彼らを乗せ北千島に向かわせ、臨時に従来の漁撈に従事させる等の措置をとった。1923年には人口は半減しており、更に第二次世界大戦(太平洋戦争)における日本の敗戦に乗じたソ連による千島・北方領土の占領に伴い、千島アイヌを含んだ日本側居住者は全て強制的に本土に移住させられ、各地に離散した。
 1962年に当時北海道大学大学院生だった村崎恭子(後に同大教授)が7人の千島アイヌ(及び和人とのハーフ)の生存を確認し、このうち4人から聞き取り調査を行った。しかし、4人はいずれも日本に同化しており、一部は非協力的だった。1970年代に最後の一人が死去した時点で千島アイヌの文化を継承する者は消滅したと思われている。
 樺太アイヌ
 樺太アイヌも国際情勢の変化の影響を強く受けた。樺太・千島交換条約に伴って樺太がロシア領になることから、同条約発効に先立つ1875年10月、もともと樺太南部の亜庭湾周辺に居住し日本国籍を選択した108戸841名が宗谷に移住し、翌年6月には対雁(現江別市)に移された。生活環境の変化に加え、運の悪いことに1886年コレラ、さらには天然痘の流行が追い討ちをかけ、300名以上が死去したという。1905年の日露戦争に関するポーツマス条約によって南樺太が日本領になると、1906年、漸く樺太アイヌは再び故郷の地を踏むことができるようになった。樺太アイヌ樺太庁によって当初は戸籍法上は樺太戸籍に入って樺太土人として扱われていたが、1932年1月に戸籍法上は内地人と同様となり内地人と扱われるようになった。第二次世界大戦後に樺太全域がロシア(当時はソ連)の占領下となり、同国政府によって樺太アイヌのほとんどが北海道へ強制送還された。しかしながらアイヌは現在も樺太に少数ながら住んでいる。
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 日本人 > アイヌ
 ロシア
 ロシアにおけるアイヌ
 「日本人」認定時代
 ロシア連邦はカムチャツカ地方の先住民族として認めているのはコリャク、イテリメンなど6民族だけであり、旧ソ連時代を含め、アイヌ民族に関しては「日本人」だとして先住民とは認めてこなかった。ソ連の侵略時に千島に居住していたアイヌ民族は、戦後にソ連によってサハリンやカムチャッカ半島への移住をさせられている。旧ソ連は戦後、サハリン(樺太)や千島列島のアイヌ民族を日本人としたことで戦前に出生していたアイヌ民族の出生証明書はなく、アイヌ民族であることを示す証拠も残らなかった。2008年5月に先住民族認定を求め、初のロシア国内にアイヌ民族団体が設立されている。カムチャツカ地方の団体「アイヌ」の代表となったアレクセイ・ナカムラは、2002年のロシアの人口調査で民族欄に「アイヌ」と初めて書いた際に、「国の登録項目にアイヌ民族はない」と却下されている。2018年12月のプーチン大統領への報告時点でロシア国内のアイヌ民族について、ソ連時代に移住させられたため「カムチャツカ地方に105人しかいない」と説明されている。日本側にはアイヌ民族が住んでいた地域は、歴史的にも日本固有の領土だとする考え方もある。
 「ロシアの先住民」認定以後
 2018年12月、ロシアは方針転換し、プーチン大統領カムチャッカ地方の「北方領土を含む千島列島」(ロシア名:クリール諸島)などに現存するアイヌ民族をロシアの先住民族として認める考えを示した。北海道新聞は背景に、上記の日本側のアイヌを理由とする北方領土に関する主張をけん制する狙いがあるとの報道した。2014年ウクライナ紛争におけるロシアによるクリミアの併合の際、ウクライナや西側諸国はクリミア併合を違法として承認していないが、ロシアが「ロシア系住民の保護」を理由に軍を投入し、結果的に併合した歴史があるため、2022年ロシアのウクライナ侵攻以後「ロシアの先住民族であるアイヌ民族」を理由とするロシア軍の北海道への侵略がより危惧されている。2019年1月11日にはアイヌ団体モシㇼ コㇽ カムイの会が「北方領土と千島列島(クリル諸島)をアイヌ民族自治州あるいは区にして欲しい」「南クリル地域(北方領土)については、UNESCO世界自然遺産登録地である知床半島(北海道島)との一体的な保全管理をご検討ください。」などとする要望書を、「ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチン閣下」「在札幌ロシア連邦総領事館ファブリーチニコフ・アンドレイ閣下」に対して提出されている。2022年4月にはロシア国家下院副議長を務めるセルゲイ・ミロノフが、「ロシアは北海道に権利を持っている」「もし日本人は関東軍の運命を忘れたのであれば、それを再現してやろうではないか」と発言した。セルゲイ・ミノロフは 「多くの専門家は、ロシアが北海道に対してあらゆる権利を持っていると考えている」と主張し、ロシアの政治学者セルゲイ・チェルニャホフスキーが日本とロシアとの国境を択捉島と得撫島の間に引くことを決め、北海道が日本領だとされた1855年日露和親条約は「純粋な誤解」「東京(日本政府は)は、歴史的にロシア領であった北海道を不適切に保持している」と主張していることを紹介している。更には、北海道について、 「ロシア人開拓者が交易のために開発、植民地化を行い、利用していた。そこ(北海道)にはアイヌ民族が住んでいた。サハリンやウラジオストク近郊、カムチャッカの南部に住んでいるのと同じ民族で、ロシアの民族のひとつだ」との意見を紹介したと報道された。
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