🗽10」─3─社会契約説とフランス革命そして日本国憲法。保守とリベラルの違い。~No.38No.39 

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 2021年8月号 「朝日新聞しか読まない父のもとで私はなぜ保守になったのか
 子供ながらに気づいたソ連・中国・日本共産党のウソとデタラメ
 茂木誠
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 合理論は、まず〝社会はこうあるべき〟という理想を設定し、現実をそれに近づけようとします。理想の社会をつくるために、伝統や慣習などの『愚かな旧習』はジャマ=排除されるべきものとみなされる。この設計主義は、フランス革命の原動力となった啓蒙思想や、のちのマルクス主義にも通じる考えです。
 マルクスという天才が描いた〝あるべき社会像〟に従って官僚機構が動けば、すべてうまくいく。それがなかなか成功しないのは、愚かな連中が邪魔しているからで、マルクス主義に背く『人民の敵』を排除しなければならない──そんな発想で、ソ連や中国など共産主義国で粛清が行われてきました。
 現代のマスメディア、とくに朝日新聞にもこの傾向がみられます。朝日の社説からは、『頭がいいオレたちが、愚民どもに教えてやる』という〝上から目線〟が滲(にじ)み出ています。まさに設計主義です。試験エリート、学歴エリートほど、理性万能主義の罠にハマりやすい。受験競争を勝ち抜いてきた彼らにとって、理性を疑うことはそれまでの勉強の否定、つまり自己否定になってしまうからです。
 頭脳と内臓と手足
 保守とリベラルとの決定的な違いは、その国家観です。
 イギリス革命期に、伝統回帰の保守主義とは一線を画したのが、ホッブズやロックの『社会契約説』でした。社会を形成するバラバラの個人が同意=契約によって政府を設立し、政府は人々の権利を守る役目があるという考えです。
 ホッブズやロックの社会契約説をさらに過激化させたのがフランスのルソーです。貧しい家庭に生まれて親から捨てられたルソーは、きわめて特殊な考えの持ち主でした。
 『原始時代、人々は自由で平和に暮らしていた。あるとき土地を囲んでここは自分のものだ、と宣言する人物が現れ、土地をめぐる争い─戦争状態が起こった。勝者が敗者の土地を奪って貴族階級となり、貴族同士の争いに勝った人間が王を名乗り、主権者を僭称(せんしょう)したのだ』
 『公正な共同体(=国家)を形成するためには、各人はすべての所有権を国家に委託し、私有財産を認めてはならない。王も代議制も認めるべきでなく、主権は全人民が握る』
 ルソーが描く理想国家は、土地も産業も国有化され、共同体(国家)に個人が従属するというもの。ルソーの思想がフランスに浸透したとき、革命は後戻りできない方向に暴走し、ギロチンによる『人民の敵』の大量処刑をもたらしました。さらには革命政権内で内ゲバが発生し、少しでも意見の対立する者を処刑していった。道徳心を失った民衆による民主主義の下で、王政時代にもなかった独裁と人権弾圧が行われたのです。
 これはまさにソ連や現在の中国など全体主義国家のはしりであり、スターリン毛沢東ポル・ポトは、ルソーの直系の嫡子というるでしょう。
 一方、保守主義の国家論は、社会契約説とは真逆です。人間には頭脳と内臓と手足があって、一つでも欠けていたら生活できません。それと同じように、君主・貴族・商工業者・農民──それぞれが国家にとって必要不可欠な役割を果たしている。このように、国家を一つの生命体としてとらえるのが『国家有機体説』であり、古代ギリシャの哲学者プラトン以来の古い思想です。
 理性が狂気に変わる
 フランス革命の惨状をいち早く予見していたのが、イギリスの政治家エドモンド・バークでした。彼は革命勃発の直後、最終的にあらゆる秩序が破壊され、軍事独裁に終わるだろうと記しています(『フランス革命省察』)。バークにとってフランス革命は、〝理性〟に名を借りて、祖先から受け継いだ歴史や伝統、宗教までをも破壊する『狂気』でした。
 その一方で、バークは変革を否定しているわけではありません。伝統を継承しつつ、時代に合わせてゆっくりと改善していけばいいという考えを持っていました。その根底には、人間の理性に対する懐疑心と、これまで社会を築き上げきた先人たちへの尊敬の念があります。イギリスの作家G・K・チェスタトンは、これを『死者の民主主義』と呼びました。民俗学の大家・柳田國男も『死し去りたる我々の祖先も国民なり。その希望も容れざるべからず』と言っています。
 保守思想の祖ともいえるバークの存在は、戦後日本において抹消されてきました。中学校の『公民』や高校の『政治経済』の教科書では、バークの名や国家有機体説が黙殺され、社会契約説が自明の理として扱われています。
 『国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである』
 この『日本国憲法前文』を書いた米国人たちは、社会契約説の信奉者でした。憲法から日本の古き良き伝統や歴史がまったく読み取れないのは、国家有機体説を完全否定し、社会契約的な国家観のもとに書かれているからです。
 米国型自由主義VSマルクス主義というイデオロギー対立の時代は、ソ連崩壊により終焉を迎えました。日米安保条約によって超大国アメリカの庇護下に置かれた日本は、マルクス主義の悪夢から解放されたものの、今度はアメリカが強要するグローバリズムを受け入れ、構造改革規制緩和の名のもとに、自らの手で古来の伝統を破壊しつつある。
 バーク主義を標榜する政治家も政党も現れないまま、いまだに日本では空理空論の理想主義がまかり通っています。伝統的な年功序列・終身雇用を変え、外国人労働者を受け入れ、LGBTの権利を声高に叫び、ついには最後の砦である皇室にまで手をつけようとしている。」
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 フランス国歌は、革命歌であり、戦争歌=軍歌であり、人殺しの歌であり、殺戮の歌である。
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 フランス革命と内戦の犠牲者は約200万人。
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 ナポレオン戦争の犠牲者は、ヨーロッパ全体で、軍人約250万人、民間人約100万人。
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 好書好日
 HOME コラム 古典百名山 自由と権力、両立させる条件 ジャン=ジャック・ルソー「社会契約論」
 古典百名山
 2018.05.31
 自由と権力、両立させる条件 ジャン=ジャック・ルソー「社会契約論」
 大澤真幸が読む
 『社会契約論』は、フランス革命の指導者たちにも影響を与えた、近代政治思想の基礎となる書物である。ルソーによると「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鉄鎖につながれている」。鉄鎖とは、政治権力による拘束のことだ。ここから、どうしたら自由と権力を両立させることができるのか、どのような権力であれば自由を抑圧したことにならないのか、という問いが提起される。
 まず、人々の自由な意志によって政府の設立が合意されなくてはならない。これが社会契約だ。政治社会、つまり国家を生み出すこの契約は、全員一致の合意によるというところが肝心。ルソーには、こうした合意が可能だという確信がある。
 設立された政府は法に基づいて活動する。法が、人民自身が制定したものであれば、つまり人民の「一般意志」の表現であれば、人民は結局、自分で自分を規制しているのだから、自由が侵されたことにならない。
 問題は、何が一般意志かである。ルソーは、一般意志は、それぞれの個人の利益に関わる特殊意志を足し合わせた「全体の意志」とは違う、と強調する。他方で、多数決で決められる法は一般意志と合致しているとも言う。何だか矛盾しているように聞こえるが、そうではない。
 いくつかの条件が満たされていれば、一般意志(≠全体の意志)を多数決で見つけることができる。原発の存廃をめぐる国民投票という例で説明しよう。
 第一に、一般意志には客観的な「正解」がなければならない。「日本は原発をもつべきか」に正しい答えがある、という前提が必要。だから第二に、人は、原発があった方が自分にとって得か損かではなく、どちらが正解か、つまり日本にとって何がよいのかという観点で投票しなくてはならない。第三に、人々が賢明で、正解率は五割を超えていなくてはならない。
 政治家やマスコミは簡単に「国民の意志」を語る。しかし、それが真の一般意志であるための条件は厳しい=朝日新聞2017年8月20日掲載
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「社会契約論」の解説
 社会契約論 しゃかいけいやくろん
 Du contrat social フランス語
 J・J・ルソーの主著。1762年刊。1755年に発表した『人間不平等起源論』『政治経済論』を発展させたもの。『不平等起源論』においては、私有財産制が人間の間に不平等をもたらし、現存の法・政治制度はすべて私有財産制を保護するようにつくられているから変革すべしとして、当時の絶対王制が批判されている。また『政治経済論』では、人間が生存するためには政治体(国家)が必要であり、この政治体の統一を保ち正しい政治を行うためには「一般意志」という基準が必要だとし、一般意志とは、「つねに全体(国家)および各部分(個人)の保存と幸福を目ざし、法律の源泉となるもの」と述べている。したがって、『社会契約論』は、いかにして一般意志が貫徹する政治体を形成し、人間が自然状態においてもっていたと同じ自由と平等を確保するかという課題を追究したものといえよう。このためルソーは、人々は生存するために集合し、その際、各構成員は以前にもっていた権利を共同体の全体に対して全面的に譲渡して身体と財産を守るような「社会契約」を結べ、と述べている。そして、既存のすべての特権を放棄して対等の立場で人々が設立した「共同の力」すなわち新しい政治体を一般意志という最高意志(主権)の指導の下に置け、というのである。ルソーは、主権は不譲渡、不分割また代行されえないと述べているが、これは、主権すなわち一般意志が、各人が契約を結んで力を結集した政治体の最高意志であるから当然の帰結であろう。主権は外国勢力や特殊利益を追求する一党派に譲渡したり、国王や身分制議会に分割したりはできないし、また全人民の意志を代表していない議会(イギリス)によって代行されえないのである。このように、各市民は政治体と一般意志を形成する主体であるから、ルソーの社会契約論は、人民主権論と法の支配という民主主義の二大原理を主張したものといえ、このため彼の思想はフランス革命や各国における民主主義の聖典となった。
 [田中 浩]
 『桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』(岩波文庫)』
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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社会契約論: ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ (ちくま新書 1039)
完訳 統治二論 (岩波文庫)
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 日本は、西洋世界や中華世界とは違う。
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 現代の日本人、特に戦後民主主義教育世代とその薫陶を受けた有能・優秀な次世代は、反天皇・反宗教無神論マルクス主義史観と反天皇神道キリスト教史観で、石器時代縄文時代からの日本民族の歴史を定義している。
 リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者は、歴史力・文化力・伝統力・宗教力に加えて戦争学・地政学が「ない」ゆえに不都合な世界史を切り捨てている。
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