🔯14」─1─一神教は多神教の中でつくられ、過激思想は一神教でつくられる。~No.44No.45No.46 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 個人の一神教と社会の一神教、個人の多神教と社会の多神教は違う。
 同様に、個人の過激思想と社会の過激思想も違う。
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 世界の多神教とは、個人の一神教と社会の多神教である。
 日本民族多神教とは、社会の多神教と個人の多神教である。
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 2021年8月号 WiLL「たたかうエピクロス
 近代の禍をのがれて
 男も女も幸せになろう
 古田博司
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 経験は教育にまさる
 これまでに私が純粋に論理で破壊した、近代の悪弊は3つである。『進歩史観』『エロスとタナトス』『マルクスの延命思想(斎藤幸平『人新世の「資本論」』)』、他はすべて帰納と推論による実証だ。
 ……
 1939年の論文『モーゼと一神教』などは、ぜんぶ憶測の産物で、眺望(ちょうぼう)的にフェイクである。古代エジプトのアテン一神教モーセによってヘブライ人に伝えられたなどということは実証できない。パレスチナ一神教の民は、ヘブライ人だけではなかったのだ。レカブびともそうだとM・ウェーバーが実証した。契約内容はもちろん両者で異なる。私はモーセの妻チッポラのミデヤン人もそうだと推論で実証した。契約の民は複数いた、ということは『旧約聖書の政治史』(春秋社)に書いた。」
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 2021年7月10日 朝日新聞「読書
 『宗教と過激思想』 藤原聖子〈著〉 中公新書
 『一神教に由来』ではありえない
 評・柄谷行人
 宗教的な過激思想と呼ばれるものが沢山(たくさん)ある。一方に、それらを本来の宗教から区別し、別の文脈に置いてみようとする見方がある。たとえば、日本では、19990年ごろに生じたオウム真理教事件を宗教として扱う議論は少なかった。他方、IS(イスラム国)や、米国福音派の排外主義などに関しては、宗教の問題として見るのが普通であった。それは過激性を、一神教の特性として見る傾向が強いからだ。
 著者は、より踏み込んだ理解を求めて、20世紀にあった、主要な宗教的過激思想をふりかえる。先(ま)ずイスラム系過激思想は、人をアラーに隷属させ。それによって人が人隷従することを斥(しりぞ)けるものだ。たとえば、アメリカの黒人解放運動のマルコムXは、それまで影響力が大きかったキング牧師の非暴力主義を否定して、イスラム教に入信し、武力闘争を煽った。一方、エジプトのサイイド・クトゥブは、イスラム法にもとづく社会を創ることを目指した。それは、旧来のアラブ・ナショナリズムを超えるものであり、今日のイスラム過激派の源となったといわれる。次に、キリスト教系にも過激派の思想がある。それも差別廃止を唱えるものと、人種差別的なものとがある。70年代から目立つようになったのは白人優越を唱える、『ドミニオン神学』のような運動である。
 以上の例は一神教によるものであり、ゆえにその過激性が一神教に由来すると考える人が多い。しかし、それは間違いだ、と著者はいう。仏教にも『過激派』があった。日本では戦前、日蓮主義が知識人・若者に大きな影響力をもった。たとえば、井上日召は、天皇の下で国民が皆平等であるような社会を創り出そうとして、『一人一殺』を唱え、血盟団事件(32年)を起こした。また、チベットでは、仏教僧による焼身・抗議活動が今も続いている。
 以上は『世界宗教』といわれる宗教に生じた過激派であるが、『民族宗教』でも過激派が少なくない。たとえば、日本の神道から過激派が生まれたし、インドでは、ヒンドゥー教から過激なナショナリズムが、イスラエルではユダヤ教の中で、ネオナチ化したカハネ主義が生まれた。
 ところで私は、今後も宗教的『過激派』がありうるとしても、以前のものとは異なるのではないか、と思う。私の印象では、20世紀の末に社会主義が没落したと同様に、宗教も全般的に没落した。『新自由主義』の勝利とともに、一つの宗教が支配的となったからだ。それは、マルクスがいう『物神』を崇(あが)める宗教である。宗教から解放されたと思う人たちは、今、物神教の支配の下であえいでいる。宗教的過激派もその例外ではありえない。」
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宗教と過激思想-現代の信仰と社会に何が起きているか (中公新書 2642)
教科書の中の宗教――この奇妙な実態 (岩波新書)
マルクスその可能性の中心 (講談社文庫)
世界史の構造 (岩波現代文庫)
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 日本人にとって、仏教は葬式仏教であり、神社は困った時の神頼みであり、キリスト教は結婚式とクリスマス・ハロウィン・バレンタインデーなどのバカ騒ぎの為だけの遊びにすぎず、隣りにいてもユダヤ教イスラム教は否定も非難もしないが近寄らず敬して遠ざけた。
 何れにせよ、日本人にとって他人が熱心に信仰する宗教は何か有い尊い存在であろうと合点をきかせ、改宗する気はないが一緒にその神仏を拝む。
 日本人は、御利益、霊験あらたか、迷信、祟り、犬や狐などの動物神憑きなどを得体が知れないモノを信じたが、神の預言・奇跡・恩寵などを信じない信仰心なき民族である。
 日本民族の本音では宗教を敬うが怖れ、そして嫌い、用がない限り近づこうとは思わなかった。
 その代表例が、信仰なき非宗教の国家神道であった。
 そして、攻撃的過激教義を秘めた日蓮宗系教団は日本の多数派、主流派にはなれない。
 その意味で、キリスト教の信者は増えない。
 日本民族の歴史において、日本国は特定の・特殊な宗教国家になった事はない。
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 多神教社会の中の一神教は、空間を両極に引き離し断絶を深め、偏見・差別、否定・対立、敵意・憎悪をつくり出して増幅させ、不毛な犯罪、反乱、内戦、戦争を引き起こす。
 一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教は、多神教社会で周囲の一神教との凄惨な生存競争に勝利して今日の普遍宗教の座を勝ち取った。
 そして、キリスト教イスラム教は同じ絶対神を巡って宗教的殺し合いを繰り返していた。
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 虐殺における世界の歴史では、民族であれば特定の民族を、宗教であれば特定宗教を、そしてイデオロギーであれば民族や宗教に関係なく全ての人民が皆殺しの対象である。
 民族虐殺は滅ぼす民族の血が絶えれば終わる。
 宗教虐殺は滅ぼす宗教が消えればなくなるが、殺されたくなければ改宗すればこと足りた。
 イデオロギー虐殺は、燎原の火の如く世界中に広がり、一人でもイデオロギーを信じる者がいるかぎり止む事がなく、イデオロギーを受け入れても何時裏切るか分からない信用できない奴として粛清された。
 歴史的事実として、マルクス主義共産主義による虐殺はその犠牲者数から最悪な虐殺であった。
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 宗教における「神の愛」が、殺伐とした人の心を癒やす。
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 イデオロギーにおける「人民の正義」や「人民の大義」は、人の心を猜疑心で蝕み救いがない程に殺伐に追い込んでいく。
 それが、フランス革命ロシア革命、中国革命であった。
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 マルクス主義共産主義は過激思想として、人民の平和の為に、人民の正義の名の下で全ての宗教と神仏を消滅させ、全ての宗教家・教徒・信者を大量虐殺した。
 が、マルクス主義は反宗教無神論であるが、その実態は「嫌は嫌は好きな証拠」として宗教性が強い。
 共産主義は偉大な指導者に対する個人崇拝で、崇拝対象はマルクスレーニンスターリン毛沢東金日成らで、マルクス以外は血に飢えた大虐殺の独裁者である。
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 中華儒教儒教原理主義)は、日本の論語儒教陽明学など諸派儒教道教などの諸子百家、仏教・イスラム教などの外来救済宗教を弾圧した。
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 中国仏教は、一君独裁体制である儒教国家に対する過激な革命宗教であった。
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 宗教の罪は、神の神意・御心ではなく人の私欲・個人欲である。
 宗教の問題は、神ではなく人で、人が数多くある宗教と神から何れを選びそれを信仰として拡散するかである。
 中世キリスト教会は、神の御名によって、アフリカ人と日本人を奴隷とする事を祝福した。
 イスラム原理主義は「神の思し召し」で、中華儒教は「天・天帝の御意思」で、敵への虐殺・殲滅・根絶やしを正義と正当化した。
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 神が宗教を興し人を創ったのではなく、人が神をつくり宗教教団を組織したのである。
 つまり、神の言葉・福音・預言は、人が忖度してつくり出した有難い神聖な話・経典・聖典・教本、律法・戒律・警句にすぎない。
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 日本人は、自分の事を無宗教無神論者であると説明する。
 正月に神道神社や仏教寺院へ初詣に出かけ、論語儒教を愛読し、お盆では仏教式墓参りをし、結婚式はキリスト教会で行って永遠の愛を神に誓い、クリスマスを祝い、ハロウィンを楽しむ。
 日本人は、神道の指導者を知らないし、神道の宗教書籍を読んだ事がなく、まして布教活動などやった事がない。
 日本人にとって宗教は、儒教の「鬼神を敬して之を遠ざく」に従って、敬して遠ざける、拝むが依存しない頼らない当てにしないであった。
 つまりは、神仏など「信じていない」のである。
 その意味で、日本民族の価値観や思考が一点に固定されない・固執しない為に、日本人から過激思想や原理主義は生まれづらいのである。
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 神話は、世界では民族、国家、社会であったが、日本では民族、国家、社会、地域、個人であった。
 日本の神話は、日本民族だけという限定で有ったからである。
 世界の神話は、固有の神話を持つ人が世界中に居住している。
 例を挙げれば、ギリシャローマ神話北欧神話は世界中に拡散しても、完全神話として他の神話と交わる事はなく、変化を拒否し、赤は赤、白は白のままである。
 日本神話は日本列島の枠内のみに留まり、未完成神話として海外から渡来する全ての神話を呑み込んで換骨奪胎し消化し同化して叡智に加え、伝統を継承しつつ時代に合わせてゆっくりと変貌していった。
 日本神話は、世界の神話に繋がっている。
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 自然が、多神教を生みだす。
 人は、一神教を作るにあたり、自然由来の多神の中から創作的一神にみを選択し、一神教の唯一絶対価値観でその他の全ての神を邪神・悪魔として皆殺しにした。
 それは、宗教的托卵である。
 人は、論理的合理的思考で過激思想はつくり出し、一神教の完全否定・絶対不寛容を行動原理として、大義・正義の名の下で他者を暴力的に排除し殲滅・根絶やしにした。
 過激思想や原理主義は、頑固な一神教が生みだした鬼っ子である。
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