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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
中国人感染者を助けた日本人達。
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弱小の細菌やウイルスの生き残り戦略として、感染した宿り主の身体を速やかに生存可能な好環境に作り変える為に物質を出して疫病・伝染病を発症させ、宿り主の免疫細胞からの攻撃を逃れる為にたえず増殖変異を繰り返した。
弱小の細菌やウイルスの不完成なるがゆえの増殖変異は、強かな生存戦略である。
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弱小の細菌やウイルスには、地球の裏側まで仲間を増やそうという野心的な意志はない。
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弱小の細菌やウイルスの放出物質は、細菌やウイルスとっては毒素ではない。
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弱小の細菌やウイルスは、放出物質を無毒化できる特定動植物の中で生き続けてきた。
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人類は、豊か差を求めて弱小の細菌やウイルスの生存圏に侵入し破壊した為に、死滅を回避する弱小の細菌やウイルスの逆襲にあって発病しそして病死していく。
ネアンデルタール人やホモ・サピエンスは、数十万年かけて細菌やウイルスを体内に受け入れ無毒化し、細菌やウイルスを飼い慣らし利用して生きてきた。
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弱小の細菌やウイルスから見れば、人間は共存関係にあった宿主を殺した「悪」である。
武漢肺炎における新型コロナウイルスにとって、運命共同体的宿主がコウモリでった。
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生物の歴史において、強者と完成種・安定種は死滅し、弱者と未完成種・不安定種は絶滅しない。
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人類は、細菌やウイルスを死滅させる為に化学技術を総動員して、人体にも、他の全ての生物に対しても猛毒な特効薬を開発している。
「毒を以て毒を制す」的発想である。
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飯島渉著『感染症の中国史 公衆衛生と東アジア』 中央公論新社
「はじめに
本書は、感染症の流行という視角から、中国や東アジアの歴史、とくに19世紀から20世紀の歴史を読み解く試みです。
中国や東アジアの歴史のなかで、感染症の衝撃はこれまであまり意識されてきませんでした。しかし、中国起源のペストがグローバル化し、日本をはじめとする諸外国にも感染が広がり、世界中でさまざまな影響を与えたことがありました。感染症は、私たちが想像するよりはるかに大きな衝撃を中国や東アジアの歴史に与えてきたのです。
このことは、最近のインフルエンザや2003年のSARS(Severe Acute Respiratory Syndrome 重症急性呼吸器症候群)をめぐる状況をみると、容易に想像がつくのではないでしょうか。本書で取り上げるのは、ペスト、コレラ、マラリア、日本住血吸虫病です。これらは、いずれも原生動物・細菌やウイルスを原因とする感染症です。
特定の時期に多くの人びとが同時に罹(かか)る感染症のことを疫病と呼びます。『疫病の学は、すなわち、人類文化の歴史と密着して、お互いに相離れるべからざるものなり』という名言があります(富士川游『日本疫病史』)。感染症は、社会のあり方と深く関わり、政治・経済・文化に大きな影響を与えてきました。このことは、感染症の流行を単に医学的な問題としてのみ考えることはできないことを示しています。
それは、中国も同様でした。中国における感染症の流行には、その時々の政治や社会のあり方が色濃く反映されていたのです。
第Ⅰ章で取り上げるペストは、中国南西部の雲南起源の感染症で、広東省全域での流行を経て、19世紀末、香港での流行をきっかけとしてグローバル化しました。日本を含む東アジア、ハワイ・北米、さらに東南アジア、インドからアフリカへとの感染は拡大し、世界に大きな衝撃を与えました。日清戦争の結果、日本の植民地となった台湾でもペストが流行しました。これはあまり知られていないことですが、ペストの流行が日本の台湾統治のあり方を決定することになったのです。
20世紀初め、中国東北部、当時の呼び名で言えば満州でも大規模なペストの流行がありました。ペストは、シベリア鉄道や南満州鉄道(満鉄)を通じて広がり、清朝政府はその対策を進めるなかで、諸外国から学者を招き、国際ペスト会議を開催しました。この会議は、感染症対策のための国際的な取り組みのさきがけとなったのですが、同時に、満州をめぐる列強の覇権競争を反映したものでもありました。
第Ⅱ章では、ペストの流行への対策が進められるなかで、中国でも公衆衛生が準備されていく過程を取り上げます。
ここで注目されるのは、中国が公衆衛生を確立するためのモデルとしたのが、日本であったことです。日本は19世紀半ばから西洋医学に基づいた公衆衛生制度を導入します。このような制度は国内だけではなく、台湾や満州にも導入されます。こうしたなかで確立された日本モデルが中国における公衆衛生のモデルとなったのです。
第Ⅲ章では、中国の歴史に大きく関わった三つの感染症を取り上げます。
コレラは、インド起源の感染症で、1817年のベンガル地方での流行ののち、瞬(またた)く間に東南アジアから東アジア、また中東からヨーロッパへと広がりました。コレラは、一体化の進みつつあった19世紀の世界を象徴する感染症のひとつです。そして、中国では、死因として最も重要な病気になりました。
マラリアは、熱帯の病気として読者のみなさんもその名前を目にしたことがあるでしょう。けれども、海外旅行を除けば感染する危険性はほとんどないと考えていないでしょうか。たしかにマラリアは熱帯地域に多い感染症です。そのため、第二次世界大戦中には、日本軍をはじめ多くの兵士がマラリアで命を落とします。しかし、その歴史を繙(ひもと)くと、マラリアが日本列島でも流行し、東アジアではとくに中国南部や雲南、台湾、そして沖縄での流行が激しかったことがわかります。マラリアの流行は、水田耕作に象徴される農業のあり方や人びとのライフスタイルと深く関係にあったからです。
日本住血吸虫病は、その名の通り、日本の山梨県甲府盆地や九州の筑後川流域、広島県の片山地方などで江戸時代頃から流行していた寄生虫病です。中国ではその歴史はもっと古く、漢代から広い地域で猛威を振るっていました。『三国志』の世界、赤壁の戦いで魏の水軍を苦しめたのは日本住血吸虫病だという説もあります。この感染症の流行もやはり水田開発などの農業と深い関わりがありました。また、社会主義をめざした中国共産党の政策も左右することになったのです。それにしても、なぜ、この病気には『日本』という名前が付いているのでしょうか。日本住血吸虫病は、感染症をめぐる日本と中国の隠された関係を語ってくれるのです。
中国の歴史を振り返れば、他にも取り上げるべき感染症は数多くあります。天然痘、赤痢や腸チフスは、長いあいだ中国における重要な死因でした。また、20世紀に入ってからの工業化や都市化の申し子である結核も見逃すことはできません。本書で、こうした感染症をすべて取り上げるわけにはいきませんが、なるべく多くの感染症に触れるつもりです。
人類は、19世紀後半から、感染症の原因となる細菌やウイルスを発見し、そのヒトへの感染メカニズムを明らかにし、ワクチン開発などを通じてさまざまな感染症を克服しようと努力してきました。現在の私たちの生活は、こうした努力の上に成り立っています。
中国にもそうした努力を重ねた学者がいました。本書では、感染症に立ち向かった人物のなかで、伍連徳(ごれんとく)というマレーシア生まれの華僑学者を紹介することにします。伍連徳は、感染症と闘うと同時に、感染症の流行の背景となった政治や社会、国際関係のさまざまな問題とも闘わねばなりませんでした。伍連徳のたどった道は、20世紀前半の中国における感染症対策の歴史を象徴しています。
20世紀、中国は感染症対策を進めるため、西洋医学を導入し、公衆衛生制度を整備しました。重要なことは、19世紀半ばから急速に近代化を進めた日本がこの面でモデルとなったことです。中国での感染症対策に直接関係した日本人もいます。上海自然科学研究所で日本住血吸虫病の研究に従事し、戦後、厚生省予防衛生研究所寄生虫部長となった小宮隆義がその人です。こうしたこれまであまり知られていなった学者たちの軌跡にも触れることにしたと思います。
20世紀後半、中国は急激な人口増加を経験します。その要因のひとつは、感染症の抑制でした。こうして、各地でさまざまな感染症の流行が抑制されるようになると、人類は近い将来には感染症を克服することができる、という楽観的な見方が広がりました。
けれども、現実はうまくはいきませんでした。21世紀初頭の現在、貧困や戦争、衛生行政の弛緩(しかん)、細菌やウイルス、それらをヒトに媒介する動物の薬剤耐性の出現、感染症のグローバル化などで、人類が感染症を克服することはきわめて困難であるといった考えが一般的になっています。
2003年には、中国南部を起源とするSARSが発生し、香港での流行をきっかけとして、瞬く間に世界に広がりました。幸いなことに、日本ではSARSの患者は発生しませんでした。また、世界各地での流行も人類がこれまで経験してきた感染症と比べると比較的軽微なものにとどまりかした。けれども、SARSの政治的社会的衝撃は大きく、心理的影響は依然として続いています。
現在、SARSのような人類にとって未知の感染症(新興感染症)の登場や結核に象徴される抑制にいったんは成功した感染症のリベンジ(再興感染症)が人類の直面する大きな課題となっているのです。このことは、2009年の新型インフルエンザをめぐる状況や鳥インフルエンザの脅威にも象徴されています。
感染症の歴史は、人類史の主旋律のひとつであるかもしれません。本書が取り上げる感染症は、いずれも多数の患者や死者を出し、中国や東アジアの歴史、ひいては世界の歴史に大きな衝撃を与えたものばかりです。その意味では、感染症の中国史は、グローバル・ヒストリーの重要な一角をなすものでもあります。
本書を通じて読者のみなさんに、感染症が中国や東アジア、そして世界にきわめて大きな衝撃を与えていたことを理解していただければ幸いです。こうした歴史は、現在の感染症をめぐるさまざまな問題群に対処するための貴重な経験でもあります。
それでは感染症を通じて、中国の歴史を新たな視角から読み解いていくことにしましょう。」
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中国の疫病・感染症は、ヒトとモノの移動で蔓延し、夥しい犠牲者を出していた。
古代から現代まで、中国では人の命は軽かった。
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中国における近代思想に基ずく公衆衛生システムは、西洋モデルを真似てつくられた日本モデルを取り入れた。
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中国・台湾・朝鮮など東アジアで人道貢献を行った日本人は、反宗教無神論のマルクス主義者・共産主義者ではなく天皇を信奉する民族主義者であった。
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日本民族日本人は、日本中心神話・高天原神話・天孫降臨神話や稲神話から「浄き水」の維持に命をかけ、清潔な水による禊ぎを信仰行為としてきた。
それが、日本神道独自の「穢れを水に流す」である。
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日本にとって中国は隣国であり、ロシア・ソ連・共産主義勢力に対する防波堤として、植民地化するのではなく、親日政権を樹立して盤石な攻守同盟を築く必要があった。
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日本軍部・日本陸軍には、中国で生物兵器・細菌兵器を研究・開発する以前に、中国の風土病とも言えるコレラ・ペスト・チフス・インフルエンザなど毒性に強い細菌やウイルスを研究する必要があった。
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良いに日本人は2割、悪い日本人は3割、どちらとも言えずどちらにも流れやすい日本人は5割。
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戦前の日本人は、中国で悪事・人殺し・戦争犯罪を行ったが善事・人助け・人道貢献も自己犠牲で行った。
中国とくに中国共産党は、日本国・日本人に対して悪事・人殺し・戦争犯罪を行ったが善事・人助け・人道貢献はしていない。
つまり、戦前の日本人は戦争を起こして平和に対する罪を犯したが、飢餓民や感染者の救護して命を助けて人道に対する罪は犯していなかった。
中国共産党は、戦争を引き起こす平和に対する罪を犯し、少数民族や弱者・敗者を虐殺するという人道に対する罪を犯している。
国連は、日本を戦争犯罪国として有罪判決を下し、中国共産党を戦勝国の一員として拒否権を持つ常任理事国の席を与えた。
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