🔯28」─2─日本が見習うべきは古代中国ではなく古代ローマの清潔と高潔による正攻法。~No.91No.92No.93 @ 

日本の崩壊 (祥伝社新書)

日本の崩壊 (祥伝社新書)

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2019年1月号 Voice「ローマ人は何事も正攻法を好んだ  木村凌二
 いまこそ憲法という『最大の嘘』を正すとき
 古代ギリシア民主政の蹉跌
 『ローマ1200年の歴史には、人類の経験のすべてが凝縮されている』と述べたのは、戦後日本の代表的知識人である丸山眞男である。40年以上、ローマ史を研究してきた筆者も大いに頷(うなず)かされる言葉だ。
 とはいえ、5000年にもわたる文明史から教訓を得ようと考えた際、あえてローマ史に限定する必要はない。とりわけ、わが国の未来に想いを馳(は)せるとき、目を向けるべきは、ローマ史に加えて、古代ギリシアの歴史ではないか。丸山の言葉を借りれば、『「ギリシア・ローマ史」には、人類の経験のすべてが凝縮されている』のだ。
 私たち日本人の多くは、政治制度のなかで民主主義が最も優れていると考えている。古代ギリシア人は、その民主主義を人類において初めて行った。自由人である市民は誰もが選挙に参加できる直接民主政を採っていたのだ。しかし、彼らの民主政は『ポピュリズム』に走った挙げ句、失敗した。その理由を探るため、初めにギリシアの政体がどう変化していったかを見てみよう。
 ギリシア人がポリスという独特な性格の都市国家をつくり始めたのは、前8世紀ごろとされる。当初、各ポリスでは王による祭政が行われていたが、次第に貴族の代表者が指揮する貴族政に移行する。その後、ギリシアはアナルコス(指導者不在)に陥るが、その混乱を強い力で収めようとする動きが出てきた。こうして登場したのが僭主(せんしゅ)、要するに独裁者である。
 独裁者というと、傲慢な悪人を連想するかもしれない。だが、僭主のなかにはアテネペイシストラトスのような、民衆の信頼を得た優れた指導者もいた。彼は国力を充実させて、アテネギリシア第1のポリスに押し上げている。かのプラトンは、教養と見識を兼ね備えた『哲人』が王として独裁を布(し)くのは理想の政体とした。『独裁=悪政』の構図は、古代ギリシアでは必ずしも前提とされていなかったのである。
 ペイシストラトスがこの世を去ると、『優れた独裁』は終焉を迎える。彼の後を継いだ息子たちが、市民の声に耳を傾けず、独裁的な僭主になったからだ。
 ギリシアに民主政の時代が訪れたのは、紀元前5世紀ごろのことである。原則として、成人男子の市民ならば誰でも参政権が与えられ、公職に就くことができた。僭主の出現を阻むための市民投票(オストラシズム陶片追放)の制度も作られている。
 しかし、それも長くは続かない。アテネを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟のあいだにペロポネソス戦争(前431〜前404)が勃発し、ギリシア全体が内乱状態に陥ったのだ。その後、アテネでは大衆迎合主義、すなわちポピュリズムがはびこった。民主政は瞬(またた)く間に(近年では使われない用語だが)衆愚政へと堕(お)ちたのである。
 この時期、国政を支配したのが、デマゴーゴスと呼ばれる一団だ。ギリシア語のデモス(民衆)とアゴーゴス(指導者)との合成語であることからもわかるように、本当の意味は『民衆指導者』であった。しかし、次第に民衆を煽る『扇動政治家』の意味で使われるようになる。アテネの貴族アルキビアデスは、無謀なシチリア遠征を提案した祭、『敵を烏合の衆でまともまりがない』と民衆を煽った。その言語はポピュリズムそのものである。
 ただ私は、ポピュリズムそのものを批判したいわけではない。そもそも民主主義の本質には、ポピュリズムが潜んでいると考えているからだ。
 『悪しきポピュリズム』と『ましなポピュリズム
 ポピュリズムは、ラテン語のポプルス(民衆)を語源とする。一方、民主主義はデモス(民衆)とクラティア(権力)の合成語であるデモクラティアに由来する。両者とも民衆を語源としている点では同じである。
 これは、政治に民衆の意志を反映しようとすれば(つまり民主主義を実践しようとすれば)、ポピュリズムに陥る可能性を排除できないことを意味する。もしポピュリズムを恐れて民衆の意志を無視すれば、それは民主主義を否定することにもなりかねない。
 私はこうも考えている。すなわち、『悪しきポピュリズム』ばかりではなく、『ましなポピュリズム』もあるはずだと。アテネの全盛期を指導した清廉(せいれん)なペリクレスも、民衆の意志を尊重した。しかし、彼が世界史上で稀有(けう)な政治家だったのは、民衆を『説得』できたからだ。古今東西問わず、民衆の意見が必ずしも国を正しい方向に導くとは限らない。むしろ、逆のケースのほうが多かろう。そんなとき、民衆の意志を正しい方向に軌道修正することができれば、それは『ましなポピュリズム』となる。問題なのは、民衆を説得できない政治家である。支持を集めたいがゆえに、民衆が喜びそうなことばかりを提示する政治家のことだ。
 その典型例が、現在の韓国だろう。政治家が世論に阿(おもね)ることしかできないでいる。かつて日韓歴史共同研究委員会委員を務めた歴史家・山内昌之氏から聞いた話だが、日本側が『両国から歴史家を出して、慰安婦問題などについて互いに納得できる結論を出そう』と提案しても、韓国側は首を縦に振らなかったという。私などは日本側の提案が常識的な解決策だと思うのだが、不利な結論が出た際、韓国の政治家は国民を説得する自信がないのではないか。
 隣国を非難してばかりもいられまい。わが国においても『悪しきポピュリズム』が蔓延(まんえん)し始めている。野党は国民の政権への不満を利用して『善なる大衆VS.悪しきエリート(=自民党)』の対立構造を意図的に作り出してはいるが、その実、国会の議席をめぐって離合集散を繰り返しているだけである。自身の政治理念を訴え、国民に理解を得られるまで説得を試みる政治家がどれだけいるだろうか。現行の憲法は、小学生が読んでも自衛隊の存在が違憲だとわかる内容である。にもかかわらず、それを放置するばかりか、『改憲すれば戦争が起きる』と国民の反戦意識を煽るだけでは、この国の未来は危うい。
 対する自民党はどうか。消費税増税問題をこれまで先送りしてきたのは、国民の支持を失うことを恐れた結果だろう。彼らの心の奥底には、いまだに民主党に政権を奪われた際の悲哀と屈辱が色濃く残っているように思える。先の総選挙でも見えた『安倍一強』の構図は、自民党議員が選挙で勝つことを優先したからだ。これも狭義だが『悪しきポピュリズム』と定義できよう。
 ただ、いまの日本にナチス・ドイツのアドルフ・ヒットラーのような、過激なポピュリストが生まれるかというと、それは考えにくい。私と共著で『日本の崩壊』(祥伝社新書)を著した御厨貴氏の言葉を借りれば、日本人は過激や急進よりも『緩(かん)の精神』を好む。ヒットラーは言わずもがな、アメリカのドナルド・トランプ氏のような指導者が遍(あまね)く支持を集めることはないはずだ。
 それでも古代ギリシアの歴史から、民主主義の本質には『悪しきポピュリズム』が潜んでいることを、私たちの胸に刻むことは無駄でない。ペロポネソス戦争以後、アテネの民主政は力を取り戻すことはなかった。スパルタなど、他のポリスは僭主政に戻っていった。混迷のギリシアを治めたのは、フィリッポス2世とアレクサンドロス大王という独裁者であった。彼らはギリシャ人ではなく、マケドニア人の親子であった。
 市民からなる民主政に失敗して僭主政へと回帰し、最後は北方の軍事強国マケドニアに支配された古代ギリシア。平成の30年間で国力を増やすことができず、大国の座から滑り落ちようとしているわが国は、その歴史を直視すべきであろう。
 ローマ人が保持し、日本人が忘れたもの
 私が専門とするローマの歴史からも、学ぶべき点は少なくない。日本人とローマ人の習性には共通する部分が多い。なかでも物事を『ソフィストケート(洗練)』する力は、両者が誇るべ稀有(けう)な特性だ。
 日本人がしばしばそう評されるように、ローマ人はさしたるオリジナリティは備えていなかった。『ローマ法やローマ建設がある』という声もあるが、それもエトルリアギリシアなどの先進地域から学んだものだ。コロッセオやローマの水道橋に用いられているアーチ工法を最初につくったのはエトルリア人であったし、ローマが誇る道路や水道はギリシアにあったものを真似(まね)たものだ。
 しかし、ローマ人はただ『コピー』をしたわけではない。すでにあるものに創意工夫を加え、オリジナルより優れたものをつくり出す。ローマ人が長(た)けていたのは、そうした能力であった。観光名所として有名なトレヴィの泉に流れる水は、初代皇帝アウグストゥスの時代に完成したヴィルゴ水道が運んでいる。驚くべきことに、2000年以上が経(た)ったいまなお、往時につくられた水道の多くが修復されながら使用されている。
 かつて日本をモノづくり大国に押し上げたのも、ローマ人のようにオリジナル以上に品質の高いものをつくる、いわばソフィストケートする能力であった。しかし昨今、メイド・イン・ジャパンの凋落(ちょうらく)が叫ばれている。
 2017年10月に開かれた技能五輪国際大会には59の国が参加したが、金メダルを最も獲得したのは15個の中国であった。製造分野での中国の躍進は目を瞠(みは)るものがある。2位はスイスで11個、3位は過去四大会連続1位だった韓国で8個。日本は3個で9位に終わった。
 モノづくりにおける近年の日本の不振は、誠実さを失ったことに関係しているように思えてならない。ソフィストケートする能力の真髄(しんずい)は、『ごまかさない』ことである。物事に真摯に向き合わずに自分や他人に『嘘』をつけば必ずボロが出る。品質を落としてでも利益を上げようとすればいつかは信頼を失い、長期的に見れば大きなマイナスが生じる。
 ローマ人は何事に対しても正攻法を好む正直な人びとであった。ユリウス・カエサル諸葛孔明がもし軍を率いて対決したら、カエサルが負けるだろう。ローマ軍は正攻法で勝つことに価値を見出しており、『三国志』や『水滸伝』の世界のように、権謀術数を巡らせることはしない。多少の騙(だま)しのテクニックはあるにせよ、中国人のように相手を騙して勝利しても、それを自慢するような精神性は持ちあわせていない。仮に2回戦、3回戦と続けば、ローマ軍の正攻法によって中国軍に綻(ほころ)びが生じ、勝者と敗者は入れ替わるかもしれない。
 昔の日本人は、世界が認める誠実さを備えていた。明治時代に来日したイタリア人彫刻家のヴィンチェンツォ・ラグーザは、ある魚屋でおいしそうんな魚を見つけたものの、店の主人から『これはおまえさんに売れない』と断られた。ラグーザは1両(当時の大金である)を提示したが、主人は最後まで断った。憤慨したラグーザだが、後日、理由を聞いて納得した。彼が買おうとしたのは毒をもつフグであった。きちんと捌(さば)けるかわからない相手に売るわけにはいかない。そう主人は考えたのだ。自分の利益だけを考えれば、迷わずフグを差し出したであろう。
 いまの日本人のどれだけが、魚屋の主人と同じ行動を取れるだろうか。誠実さがまったく消えてしまったわけではない。私も、財布を落としてところ中身がそのままで返ってきた。こんな国は世界のどこにも存在しない。それでも製造関連企業による不正会計や品質データ改竄などのニュースを見るにつけて、『日本が日本でなくなってしまう』危機感を覚えてしまうのだ。
 憲法という『最大の嘘』を正すとき
 どうすれば、わが国はかつてのような誠実さを取り戻せるか。
 ……
 いわゆる護憲派が誠実でないのは、第二項を巧みに隠して『憲法改正派は戦争をやりたがっている』と叫んでいる点である。戦争やりたがる日本人など、どこにいるというのか。彼らの理屈を突き詰めれば、万一、北朝鮮が暴発して攻めてきたとして、血を流して抗(あらが)うことは許されない。侵略を甘んじて受け入れる覚悟がはたしてあるのだろうか。
 歴史を振り返れば、非武装中立は不可能である。よく例に挙げられるスイスは軍隊を保持している。
 ……
 ローマ人は、ローマ法を何度も書き換えている。彼らは法律と現実が乖離すうことを厭(いと)った。
 安倍首相が胸に刻むべきギリシア人の『警告』
 憲法問題について論じてきたが、わが国の未来を考えるときに避けて通れないのが少子高齢化問題である。
 年間出生数が一昨年から2年連続で90万人台と100万人を割っている。1949年、いわゆる団塊の世代では約270万人だった。出生数が死亡数を下回る人口の自然減も11年続いている。少子高齢化年金問題をはじめとする社会福祉問題や、外国人労働者受け入れなどあらゆるテーマとリンクする。
 出生数が少ない国家や民族に繁栄はない。少子化自体は、ローマでも起きた現象だ。他国との争いが頻発し、いまほど医療が発達していないので不思議はない。ローマ史で有名なグラックス兄弟は10人以上の兄弟だったが、そのなかで成人した男子は彼ら2人だけ。その2人も改革の過程で落命し、母のコルネリアより長く生きていない。
 そんなローマでも高齢化は起きなかった。人類史上において、少子化と高齢化が同時に起きるのは初めてのことなのだ。争いを減らし、医療技術を進化させることが人類の願いである以上、いつかは向き合わなければならない宿命といえる。日本は世界に先駆けてその難題に直面するのだ。世界の手本にならなければならないが、政府は対策を見いだせていない。次世代が生まれなければ社会は機能せず、国家は成り立たない。安心して子育てできる環境を、わが国は速やかに整えなければいけない。
 まず大切なのが、政府のみならず、国民がそうした歴史的転換点に立っていることを自覚することだ。かつてマシュー・ペリーが黒船を率いて来日したとき、武士階級のみならず、庶民までが蒸気船の仕組みに大いに関心を示した。誰もが最新の技術や制度に触れて、日本の行く末に危機感を抱いたのだ。ペリーはその様子を見て、『後世、アメリカは日本に追い抜かれるのではないか』と恐れたという。少子高齢化に対しても、国民全体が意識しなければ、たとえ有効策が提案されたとしてもスムーズに運営されない恐れがある。
 とはいえ、大変革は指導者が『捨て身』で取り組まずして成しえない。維新後に行われた廃藩置県はそれまでの日本を一新する出来事だったが、さしたる混乱なく進められた。のちの西南戦争などの内乱は庶民と一緒くたにれた武士階級の不満が爆発したものだろう。しかし、フランス革命に比べれば血腥(なまぐさ)さはない。白刃(はくじん)を潜り抜けて維新を成し遂げた志士たちは、引き続き断乎(だんこ)たる決意で改革に臨んだ。
 良い指導者は自分自身、そして社会を客観的に見るものだ。権力が長く続くと、カエサルの名言の『人間は見たいものしか見ない』とおり、周囲は権力者に意見を言わなくなるし、意見する人がいても遠ざけられる。もしかしたら、二度目の政権となった安倍晋三首相にもこの傾向が表れていないだろうか。彼の周りに、どれだけ疎(うと)まれようが『モノを言う』人物がいるのだろうか。
 安倍氏が首相の座に返り咲いたとき、私は密かに期待した。第一期の『失敗』を糧にできると考えたからだ。ギリシアとローマの大きな違いに敗戦将軍の取り扱いがある。ローマ人は失敗した者に温かく、カンナエの戦いでハンニバルに大敗した指揮官ウァッロも許されている。そんなローマ人の姿勢の根底には、彼はすでに敗戦という『恥』で社会的制裁を受け入れており、屈辱を雪(そそ)ぐために一層、奮起するだろうという考えがある。実際、ウァッロはのちにプロコンスル(前執政官)を務めるなど、公務い奔走した。
 一方、ギリシアでは戦争で敗れた指揮官は国に帰れば処刑、よくても国外追放だった。特筆すべきは、ギリシア人は敗者に対してだけではなく、勝者にも厳しい目を向けた点である。彼らは成功を収めた者には『ヒュブリス(傲慢)』に陥る危険性があると捉えた。だからこそギリシャ悲劇は、つねに勝者の驕(おご)りを戒めている。
 安倍首相には、2500年以上も昔にギリシャ人が発した警告を胸に刻みつつ、ローマ人のようにかつての失敗を顧みて、日本の大変革に舵取りしていただきたい」
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 ローマ市の人口は、2000年前では約100万人が住んでいたが、6世紀には3万人に激減した。
 人口が回復するには、1000年かかった。
 ルネサンス時代。バチカンが、ローマ市を再建し、人口を回復させた。
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 支配者・皇帝の権威の証し、インフラを整備して市民に清らかな水を供給する事であった。
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 古代ギリシア古代ローマは、古代エジプトイスラエル王国などと同様に強力な市民皆兵の軍隊と数多くの奴隷の上に繁栄を謳歌していた。
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 日本列島とイタリア半島の共通点は、火山・地震・暴雨風などの自然災害と多神教に基づいた柔軟と寛容、多元性と多様性である。
 日本民族日本人は海洋民の血を引くところから、地中海沿岸民であった古代ローマ人に似ているところが多かった。
 海を生計の場としていた古代ローマ人は、大陸で生きていた中国人や朝鮮人とは似ていなかった。
 日本文化と古代ローマ文化は、柔軟性に富んだ創意工夫の模倣文化・真似文化であった。
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 シルクロードの、出発地はローマであり、終点地は日本でった。
 日本への経路は、中国から海路で直接で入国したのであって朝鮮経由ではなかった。
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 西ローマ帝国は、若いローマ市民の死亡に伴う出生率減少によって深刻化した労働者不足を、ゲルマン民族などの異民族を受け入れて労働者不足を解消しようとした。
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 西ローマ帝国は、帝国内で増えた異民族入植者(移民・難民)が起こした反乱で滅亡し、古代ローマ人は異民族反乱者によって虐殺され地上から消えた。
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 ローマは、アルプス以北の異民族系大陸国の影響を強く受け、古代帝国の栄光と繁栄を失った貧しい辺境国となった。
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 古代ギリシアは、都市国家(ポリス)に閉じ籠もり、絆・団結を優先して多様性を弱め、強力な多様性に呑み込まれて滅ぼされた。
 古代ローマは、領土拡大と共に多様性を高めて世界帝国を築いて繁栄したが、多様性の際限ない取りこみで絆・団結が希薄となり内部から自滅していった。
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 グローバルな多様性は、ローカルな民族と民族固有の全てを内側から融解し希薄にし、そして消滅させる。
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 多様性が希薄な古代ギリシャ文化は、文系的な知である宗教・芸術・美術・哲学と理系的な知である科学・土木・技術・天文など多方面で独自の独創的な業績を残した。
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 多様性が濃厚な古代ローマ文化は、政治・軍事・経済など文系的な知で業績を残したが、理系的な知でギリシアやエジプトなどを模倣して発展させた。
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 現代の日本人は、自分が楽しめる時代劇は好きだが、自分に不利になるような事実に基づいた歴史劇は嫌いである。
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 現代日本は、利益、収益、業績、金儲けを優先しして、素直・正直・誠実・誠意などを後回しにしている。
 「平和の為に命を金で買う」、それが平和憲法である第九条の日本国憲法の隠蔽された真実の姿である。
 護憲派とは、「平和の為ならば命さえ買う」という教義を絶対真理として信奉する「命大事」教信者である。
 護憲派は、ローカルな日本民族に愛着を持たないどころか憎悪をたぎらせ、グローバルな多様性で消滅させたいという衝動を内に秘めている。
 現代日本人、特に1980年代後半以降の高学歴出身知的エリートは進歩発展がなく、失敗しても反省せず同じ失敗を繰り返して恥じる事がない。
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 正しい歴史とは、自国に不利な歴史があるかどうかである。
 自国に不利な歴史がない歴史は、嘘の歴史であり、信用できない歴史である。
 何故なら、人類の歴史とは褒められた歴史ではなく、むしろ悪しき行為に苦悩し、良心の苦痛に苛まれ続けている歴史である。
 正しい歴史とは、日本人極悪非道の重犯罪人であるという自虐史観ではないし、日本人は特別で優秀で賢いという自画自賛の自惚れ史観でもない。


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 現代の日本は、少子高齢化による人口激減を外国人移民・難民で補おうべく「社会の多様性」を目指している。
 それは、日本国民日本人を在来系日本民族日本人ではなく外来系日本国籍取得者日本人に変える事である。
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 日本は、マルクス主義史観・キリスト教史観・日本人極悪非道の重犯罪史観による戦後歴史教育で反天皇反日的に洗脳された。。
 その結果が、1980年代後半以降の崩壊した日本であり、2011年以降の回復不能・修復不可能な状況に追い込まれた無能無策な日本である。
 「初めての事だから仕方がない」と自己弁護に逃げた、1995年の阪神淡路大震災
 知らないのに知ったか振りして事態を悪化させた、2011年の東日本大震災
 日本を破滅から救ったのは、必然ではなく偶然と幸運であった。
 日本は、自惚れるほどに優れてもいないし賢く秀でてもいない。 
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 現代日本が教訓とすべきは、中華世界の中国や朝鮮ではなく、西洋世界の古代ギリシア古代ローマである。
 ましてや、日本人奴隷交易で金儲けをした排他・不寛容な中世キリスト教の西洋ではない。
 日本にとって、中国・朝鮮そして中世キリスト教の西洋は見習ってはならない反面教師である。
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 日本民族日本人を多数派とする社会でのポピュリズムは、多数派が同じ考えを共有しては同じ方向へ動く。
 外国人移民による日本国民日本人が多数派になれば、ポピュリズムは日本社会を混乱させ暴動を起こし崩壊させる。
 事実、多様性の強い欧米や中国・韓国ではいとも簡単に混乱し暴動や騒乱が起き、個を優先する人々は破壊、放火、略奪、暴行、殺人、強姦を当然の権利の如く行使している。
 日本の常識は、世界の非常識として世界では通用しない。
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 日本民族日本人と漢族中国人・朝鮮人とは別人である。
 朝鮮文化は、宗主国中華文化の完全コピーでオリジナリティーは限りなく少ない。
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 欧米や日本には歴史は存在するが、中国や朝鮮・韓国そしてロシアには歴史は存在しない。
 正しい歴史とは、起きた事実に基ずく史実が歪曲・改竄・捏造されずに残されているかである。
 欧米や日本には、自国に不利な歴史が残されている。
 中国や朝鮮・韓国そしてロシアには、自国に不利な歴史が残されていない。


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