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2024年7月22日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「ミノア文明滅亡の謎…エーゲ海に浮かぶ火山島「サントリーニ」の誕生と成長、そして、3600年前に起こった「史上最大の大噴火」
前野 深(東京大学地震研究所准教授) の意見
新たな火山島の出現は、島を知り地球を知る研究材料の宝庫。できたての島でなくては見ることのできない事象や、そこから伝わってくる地球のダイナミズムがあります。そして、地球に生まれた島は、どのような生涯をたどるのか、新たな疑問や期待も感じさせられます。
今まさに活動中の西之島をはじめ、多くの島の上陸調査も行ってきた著者が、国内外の特徴的な島について噴火や成長の過程での地質現象を詳しく解説した書籍『島はどうしてできるのか』が、大きな注目を集めています。
ここでは、実際に現場を見てきた著者ならではの、体験や研究結果をご紹介していきましょう。今回は、ギリシャ・エーゲ海に浮かぶ火山島「サントリーニ火山」を取り上げます。なんと、3000年以上前に栄えたミノア文明は、この火山の大噴火で衰退に及んだ、という説もあります。歴史に刻まれた大噴火の痕跡をたどります。
※この記事は、『島はどうしてできるのか』の内容を再構成・再編集してお届けします。
エーゲ海に浮かぶ、歴史に刻まれた火山島の誕生と成長
火山噴火はそのダイナミックで圧倒的な姿により古くから人々を魅了し畏れられ、時には歴史的な書物の中にその様子が記録されてきた。日本国内では古文書で遡ることができる噴火の記録はせいぜい6〜7世紀ほどまでで、それより古い記録は地層に残された痕跡から探るほかに術はない。
今回、取り上げるサントリーニ火山・カメニ島は、紀元前古代ギリシアの時代から現代に至る歴史の中で、噴火のたびにその様子が記録されてきた世界的にもまれな火山だ。サントリーニ火山、そしてカメニ島とはどのような場所で、地中海の歴史とともにどのように変化してきたのだろうか?
歴史記録や著者の訪問記録をもとに探っていこう。
カルデラ壁上に発展したフィラの街並み。フィラは、サントリーニの本島ティラ島にある中心集落 photo by Fukashi Maeno
© 現代ビジネス
文明を崩壊させた? 超巨大噴火の痕跡
切り立った崖の上に所狭しと並ぶ丸屋根の白い家々、その背後に静かな海が広がる様子はサントリーニのガイドブックの表紙としてお馴染みの光景だ(記事冒頭の写真)。ギリシアの歴史や文化、美しい自然を象徴するかのようなこの島を肌で感じようと、世界各地から多くの観光客が訪れる。
地中海のやや乾燥した気候は葡萄やオリーブの生育に適しており、サントリーニは食の面でも魅力的な場所となっている。海辺の美しい風景に囲まれ、ワインを片手にゆったりと過ぎゆく時間を堪能できる、まさに地中海の楽園のような場所だ。
一方で世界有数の活火山としても広く知られている。独特の景観と文化が長い年月にわたる火山と人間の共生の結果生み出されたものであることを、サントリーニを訪れると実感できる。
活火山サントリーニが属するエーゲ海キクラデス諸島南縁は日本列島と同様に沈み込み帯にできた火山列で、火山島や海底火山が多く存在する地域だ。サントリーニを特徴づける三日月型のティラ島と西側のティラシア島をつないでできる環状の構造はカルデラ地形で、この場所が巨大な火山であることを象徴する)。
地図・衛星写真 現在のサントリーニ各島。衛星写真のアルファベットは、右地図の島名に対応 maps by gettyimages
© 現代ビジネス
現在はティラ島をはじめ大小の島々からなるが、かつてはここに大きな火山島が存在したと考えられている。過去数十万年の間に巨大噴火を繰り返した結果、特徴的な地形の火山島群がつくられ、現在はそこに約1万5000人の住民が暮らしている。
3000年以上前のミノア文明
サントリーニを最も有名にしたできごとは、島南部の街アクロティリで紀元前1610年頃に形成された厚い噴火堆積物の中から、ミノア文明の遺跡(アクロティリ遺跡)が発掘されたことだろう。
ミノア文明を代表する遺跡「クノッソス宮殿」 photo by gettyimages
© 現代ビジネス
ミノア文明はサントリーニの南約120kmにあるクレタ島を中心に、東地中海一帯で興隆した後期青銅器時代の文明だ。クレタ島の古代都市クノッソスは壮大な宮殿を持ち、政治、宗教、経済の拠点として紀元前2000年頃から紀元前1400年頃まで栄えたとされる。
超巨大噴火がミノア文明を崩壊させたのか?
アクロティリ遺跡の発見により、この時代にサントリーニで起きた超巨大噴火(ミノア噴火)がミノア文明を崩壊させたのではないかという仮説が立てられ、多くの研究者がこの問題に取り組んできた。
4 アクロティリ遺跡 photo by gettyimages
© 現代ビジネス
しかしアクロティリ遺跡からは犠牲者の人骨や貴重品は見つかっていない。
また、最も激しい噴火に先駆けて起きた小規模な噴火の痕跡も存在し、アクロティリの街は突然の噴火に見舞われたのではなく、大噴火の発生を察知した人々は船で脱出する時間があったと考えられている。ただその後に発生した巨大火砕流や津波から無事に逃げ切れたかどうかについてはわかっていない。
ミノア噴火が与えた「地球規模の影響」
ミノア噴火以前、ティラ島とティラシア島は陸続きになっていたが、カルデラ形成に伴い完全に分断され、現在のサントリーニの形ができあがった。
この噴火では約60km³ものマグマが噴出し、サントリーニの島々や周囲の海底に厚い堆積物を残し、地形を大きく変えてしまった。火山灰は200km以上離れたトルコ西部でも10cm以上、遠方は黒海沿岸でも確認されている。クレタ島やアナトリア半島沿岸では津波の痕跡も発見された。
噴火の規模としては1883年のクラカタウ噴火よりも1桁大きく、地球規模の影響があったとしてもおかしくない。
このように、巨大噴火が東地中海一帯に降灰や津波などにより甚大な災害を引き起こしたことは確からしいが、ミノア文明の崩壊については、噴火はあくまで遠因で、直接の原因は政治的混乱や内紛、新たに台頭してきたミケーネ文明による侵略との見方がなされている。
サントリーニ・カルデラ中央のネア・カメニ島から、隣接するパレア・カメニ島を見る photo by Fukashi Maeno
© 現代ビジネス
実際のところ、噴火がこの地域の自然環境や人間社会にどの程度の期間、どの程度の規模の影響を及ぼしたかについてはよくわかっておらず、議論の余地はありそうだ。
少なくとも現在のサントリーニの姿は、巨大噴火という破壊的な自然現象と文明の興亡が織りなす濃密な歴史の中で生まれたものだということは間違いない。
このようなサントリーニに、火山としての魅力、そして歴史的背景に興味を持っていたが、ついに2010年サントリーニを訪れる機会を得た。
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歴史ある火山島。数千年位も及ぶ時の流れに、火山活動はどう残され、そして影響を与えたのか?
続いては、著者のサントリーニ訪問記をお届けします。
*こちらの続きは7月22日(月)の公開予定です。
島はどうしてできるのか 火山噴火と、島の誕生から消滅まで
島……その創造と破壊から、地球の姿が見えてくる
関連するビデオ: ストロンボリ島が大噴火。溶岩が海に流れ水蒸気の巨大な柱が発生する様子 (KameraOne Japan)
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