🔯23」─2─歴史に学ぶ激変期の指導者の要諦。ペリクレス。オクタビアヌス。ビスマルク。保科正之。~No.65No.66 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 歴史が理解できる日本人は2割、歴史が嫌いで理解する気がない日本人は3割。歴史が理解できない日本人は5割。
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 2020年12月号 Voice「歴史に学ぶ激変期の指導者の要諦
 自由と民主主義の在り方とともに、問い直される為政者の資質。
 米国で大統領選が行なわれ、わが国では新たな首相が誕生したいま、歴史からいかなる教訓を得られるのか──
 本村凌二
 近代人の自由と古代人の自由
 今年(2020年)に入り新型コロナウイルスが世界を襲って以来、自由民主主義の在(あ)り方や、その体制下における指導者の資質について語られる機会が増えた。どうしても従来の放任主義ではコロナのような危機を完全に防ぐのは難しいが、そもそも私たちは『自由』という概念に対して麻痺してきたのかもしれない。
 小説『アドルフ』の著者としても知られるフランス自由主義の思想家、バンジャマン・コンスタン(1767~1830)は、『近代人の自由と古代人の自由』(岩波文庫)で近代人と古代人の自由の違いについて述べている。近代人はフランス革命を経て人権が認められたことにより、個人の快適さや幸せを追求することが自由だと考える。ところが古代人にとっては、第一義的には『奴隷ではない』ことが自由である。奴隷制社会では、行動を決するのが主人ではなく自分自身の意志であることが何よりも誇りとされた。
 いま私たちは代議制民主主義を採用しているが、これは古代人がついに発想しなかった政治システムだ。代議制とは自分たちが選んだ連中に政治という『雑用』を任せることにより、政治に間接的に参加しつつ、各人が快適さや幸せを追求する仕組みである。これに対して、ギリシャでは直接民主政が採(と)られ、古代ローマでは元老院貴族が政治を運用していたが、元老院身分には原則として高位公職経験者が選ばれた。
 しかし昨今のパンデミックにより、私たちが代議制民主主義のもとで当たり前のように追求していた個人の自由は制限された。その結果、多くの人びとがストレスを抱え、自殺者も増えているという。ウィンストン・チャーチルの有名な言葉『民主主義は最悪な政治形態といえる。これまで試(こころ)みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けばだが』は、皮肉を込めて民主主義の善悪両面の延べているが、コロナで中国のような全体主義が見直されかねない現在、自由と民主主義の在り方、そして為政者の資質を問い直す時期ではないだろうか。
 民衆を『説得』したペリクレス
 本誌6月号(『「ローマ型独裁制」から学ぶべきもの』)でも触れたように、民主主義の本質はポピュリズムである。『民』と『主』に置く以外は当たり前のことだ。肝心なのは『劣悪なポピュリズム』でなく『マシなポピュリズム』をめざすことにほかならない。
 それでは、歴史上で『マシなポピュリズム』を実現した指導者は誰だろうか。まず思い浮かぶのは、古代ギリシャ世界最高の民主政治家であるペリクレス(紀元前495年ごろ~紀元前429年)だ。ひときわ弁論に優れていたと伝わるペリクレスは、古代アテネの民衆の前で演壇に上がると、演説の内容も態度も『雷鳴を轟(とどろ)かす』ほど見事だったという。わが日本では欧米と異なり弁論術が注目されてこなかったが、本来は政治家にとっては何よりも必要な素質なのである。
 加えて重要なのは、彼がただ民主政の理想を謳(うた)うだけではなく、歳入や貯蔵金、軍事力など具体的数字を挙げたうえで、抵抗する民衆を『説得』した点である。そこには民に笑顔を振りまき阿(おもね)る『悪しきポピュリズム』は片鱗すらない。預言者や占い師が力をもつ時代、ペリクレスは民衆の心と向き合う真摯(しんし)さ、そして現実を見据えた合理主義精神をもち合わせる人物だった。
 民衆とはいつの時代でも易(やす)きに走るものだ。ペリクレスの前に古代アテネを治めていたテミストクレス(紀元前524年ごろ~紀元前455年ごろ)は、ペルシア戦争が起きる3年ほど前にラウレイオン銀山が発見さえたとき、掘った銀を全員に配れと叫ぶ民衆を無視した。このたびのコロナ禍でも、わが国では特別定額給付金が配布されたが、現金を配るなどの政策は民衆を一時的ではあるが確実に喜ばせる手法である。しかしテミストクレスはこの安易(あんい)な策に走らず、むしろ銀山で得た財を船の建造のための資金に充(あ)てている。
 彼の頭のなかにあったのは、虎視眈々と反撃の機会を窺(うかが)うペルシアの存在であった。民衆は自国がペルシアおいう大国と争っていることを知っていても、その脅威は肌で感じていない。テミストクレスの凄いところは、どれだけ説明してもペルシアの恐ろしさを理解させられないと察知すると、やはりこちらも対立していた都市国家・アイギナとの戦いに備えるために船を用意するのだと民衆を納得させたことだ。アイギナはアテネと向かい合わせの島国であり、民衆の誰もがイメージできる『仮想敵国』であった点を利用したのである。
 テミストクレスは、いわば詭弁(きべん)を用いて民衆を説得したわけだが、国家の命運を決する局面では、指導者には相応の胆力(たんりょく)が求められる。これは9月に新たに就任した菅義偉首相にかぎらず、古今東西の為政者に求められる資質であろう。
 私が専門とする古代ローマからはアウグストゥス(紀元前63年~紀元14年)を紹介したい。その生涯と業績はイギリス・オックスフォード大学で長年にわたり教鞭をとったバーバラ・レヴィック氏の『アウグストゥス虚像と実像』(マクリン富佐訳、法政大学出版局)に詳しいが、アレクサンダー大王カエサルジンギスカン、ナポレオンと比較しても遜色(そんしょく)のない英雄である。
 アウグストゥスにとって養父にあたるカエサルは、もちろん凄い人物だが、彼は古代ローマを『破壊』したところで暗殺された。あとを継いだローマ帝国の創設者であるアウグストゥスは、30代半(なか)ばの若さで最高権力者に就(つ)いたのち、40年をかけて古代ローマを鎮静化し、その後の平和と繁栄の礎(いしずえ)を『創造』した。イタリアではカエサルと同等以上に評価される人物である。
 史料を紐解(ひもと)くと、アウグストゥスはじつに冷静に物事を思慮(しりょ)する人物であったことがわかるが、とくに私が感銘を受けるのは、良き国家をつくるという揺るぎない決意を胸に抱いていた点だ。理想を実現するためには手段を選ばず、ときには不誠実であり、狡猾(こうかつ)であり、残忍であったが、彼はそれを厭(いと)わなかった。レヴィック氏も指摘するように、アウグストゥスが、たとえば勇気と寛容さを備えていたかといえば怪(あや)しい側面もある。しかし着目すべきは、彼はローマを大国に導くという絶対的な目標のためには、指導者すなわち自分は勇敢で寛容でなければいけないと自覚して努力を重ねた点だ。
 アウグストゥス自身の手による『業績録』の碑文には、皇帝就任に先立ち『国家を元老院と市民の裁量に戻した』と刻(きざ)ませている。おそらくは、元老院も市民も国政を担(にな)う力がなく、最終的には自身のもとにすがってくると読んだうえでの行動と思われる。いずれにせよ彼はあくまで謙虚な態度を示したうえで、独裁を嫌悪する共和制信奉者が渦巻く社会で唯一の支配者として君臨した。
 アウグストゥスの生来の資質については意見がわかれるが、私は勇敢と寛容であらんと必死に努めた、きわめて現実的で計算高い人物だと理解しており、その姿勢こそが政治家にとって、大切な資質だと思えてならない。ヨーロッパからアフリカ、中東までを含んだ現在の、EUを凌駕(りょうが)する地域を治めた彼の手腕から何を学ぶべきか、あらためて考えるべきだろう。
 ビスマルクの多面外交
 近代史に目を転じれば、プロイセンの宰相を務めたオットー・フォン・ビスマルク(1815~1898)が現在の世界に多くの示唆を与えてくれる。彼の真骨頂は多面外交の巧(たく)みさであった。
 ビスマルクは不倶戴天の敵であるフランスを孤立させるため、イギリスとの友好関係を維持しつつ、イタリア、オーストリア、そしてロシアとのあいだに多岐にわたる同盟や条件を結んだ。こうしてフランスと諸列国が提携しないように牽制し続けることで、悲願であるドイツ統一を成し遂げた。いかしその後、ビスマルクは拡大路線を掲げるドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世の登場により罷免され、やがてドイツは大ドイツ主義のもと第一次世界大戦への道を辿り敗戦する。
 多方面外交を巧みに展開したビスマルクの手腕は、世界情勢が混迷を極めるいまこそ再評価されるべきだ。とくに日本は、いまだに『平和憲法』に縛られており、軍事力という主権国家であれば当たり前のオプションをもたない以上、基本的に他国に依存せざるを得ない。しかし一方で中国あるいはロシアのような国と適当な距離を保つ能力が試されている。これは大国に囲まれる日本の地政学的宿命であり、短期的には難しくとも中長期的には自立の道をめざさなければ事態は不変のままだ。
 なお、ビスマルクといえば日本ではマイナスのイメージで語られ続けてきた人物である。『鉄血宰相』との渾名(あだな)もあるが、何よりも社会主義を弾圧したことで、主に戦後リベラル知識人から批判されてきた。
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 ナショナリズムと超ナショナリズム
 新型コロナというグローバル・イシューを前にすれば、本来であれば各国の為政者は、互いに個別案件での衝突は抱えつつも、根本的には手を携(たずさ)え合うのが道理である。
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 先ほど例に挙げたローマ帝国アウグストゥスでいえば、彼はローマ社会に幸福感がいきわたること、そのためには社会規範を正すことの大切さに気付いていた。だからこそさまざまな建物をつくり、インフラを整備したのであり、そのスケールは当時では世界史上最大規模であった。ビスマルクでいえば、たしかに社会主義者弾圧法を制定して労働者の運動を押さえつけたが、その一方で労働者の保護政策や社会保障政策を推(お)し進めた。本当に民衆にとって望ましいものは何かを考えて、必要とあれば社会主義者の主張を採(と)り入れたのである。ひたすらに選挙に勝つ、自らの支持者を増やすという考えでは出てこない発想ではないか。
 現代の世界、どれだけ国を閉ざして自国内で支持を集めよが、グローバル・イシューから逃れることはできない。その意味でも、指導者にはやはり他者を納得させられる理念が必要なのである。
 石原プロに学ぶべきもの
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 じつは、歴史を紐解いてもナンバー2が指導者へと立場を変えて成功を収めたケースはそう多くはない。日本史でいえば保科正之幕藩体制のなかで強い影響力をもち、ある側面では実権を握ったかもしれないが、あくまでも将軍・徳川家光を後ろから支えたからだ。
 いくら実務能力に長(た)けていても、指導者として力を発揮(はっき)できるかといえば別の話だ。安直な物言いにはなるが、表に立ち人を束(たば)ねるには一種の人間的魅力を備えていなければならない。歴代ローマ皇帝を振り返ると、クラウディウス(紀元前10年~紀元54年)は前皇帝カリグラの暗殺後、期待されずに指導者の座に就いた。崩壊しかけた財政を立て直し、クラウディア水道を完成させるなどの結果を残したが、人間的魅力に欠けていたから思うようには求心力を得られず、血縁関係内の諍(いさか)いに足を引っ張られて暗殺されたと考えられている。
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 人間的魅力とは、何も先天的な資質ではない。人として一途に誠実に生きれば周囲は自ずと付いてくるものだ。疑惑が生じた際には、必要であれば説明する。政策を進めるうえでも、周囲や民衆を納得させる。このようにつねに真摯な態度が求められる点では、実務能力が優れていれば合格点が与えられるナンバー2とはいささか異なる点であろう。
 また、リーダーシップの基本は、いざというときに捨て身で自分が責任をとる姿勢をみせることだ。近年では潔(いさぎよ)さを備えた人物は政治家にかぎらず少なくなったように思う。誰もが手柄をわがものにし、責任を他人に押し付ける時代。『人にやったことはすぐ忘れろ。人からしてもらったことはずっと覚えとけ』とは再び裕次郎さんの社訓だが、日本人は『陰徳({いんとく}善行をひけらかさないという美徳)』という概念を忘れてしまったのか。日本という国を統(す)べるのであれば、わが国で大切にされ続けてきた美徳を大切にして、はじめて周囲が心の底から指導者に足(た)ると認めるのではないか。そうした営(いとな)みを重ねて平時に信頼を築いてこそ、コロナ禍のような有事に能力を発揮することができるのである。」
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 ヨーロッパ人は、自国の国王に他国の人間が即位しても疑問を持たずに受け入れ、生殺与奪の権を認め、忠誠を誓い、命令に従って戦場で戦い、重税を納め、苦役に従事した。
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 西洋中心世界とは、白色人種・褐色人種・黒色人種における肌の色の人種鼎立ではなく、宗教による西洋キリスト教文明圏・ギリシャ正教東方正教会)文明圏・イスラム教文明圏の三者鼎立で成立している。
 ロシアは、ギリシャ正教東方正教会)文明圏で、西洋キリスト教文明圏とは違う。
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 人類史・世界史・大陸史において、奴隷を持つ事は統治者、侵略者、征服者、勝者、強者、上位者、優秀者、金持ちの権利であって犯罪ではなかった。
 敗者、弱者、下位者、劣等者が奴隷になるのは、自然の事であった。
 世界中の国の身分制度は統治者、自由民、奴隷の三層でできていたからである。
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 奴隷は、一生涯奴隷であり、奴隷の子は奴隷で、奴隷の家・家系も死滅して消滅しない限り奴隷で、奴隷には権利はもちろん自由も希望も夢も一切合切がなかった。
 奴隷にあったのは絶望でけである。
 後に、バチカンキリスト教徒を奴隷にする事を禁止した。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人とアフリカ人を奴隷として売買て金儲けしていた。
 日本人の命は金で買えた。
 日本人は、キリシタンに改宗すれば奴隷として海外に売られる事はなかったが、自由と引き換えに殉教が強要れた。
 命の惜しい日本人は、殉教を拒否してキリスト教を捨て逃げた。
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 ヨーロッパは、数多くの国に分かれた「多数」ではなく、古代ギリシア・ローマを正統に継承する西洋キリスト教文明圏として「一つ」である。
 ヨーロッパ諸国の戦争は、狭儀的に言えば対外戦争であるが、広義的に言えば内戦・内乱である。
 それは、日本が自国の事を全国と言うのに似ている。
 何故か、日本が万世一系男系天皇を正統とする伝統・文化・宗教を持ち、数万年前の縄文時代からの歴史を刻んできた単一の日本民族の一つの日本神道文明圏だからである。
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 西洋キリスト教文明圏の原形は、古代ギリシアローマ帝国ではなくガリア地方を征服したフランク王国である。
 フランク族・フランク人とは、中央アジア地域に住んでいたゲルマン民族の一部族である。
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 ヨーロッパの原型は、古代ローマ帝国ではなくゲルマン民族フランク王国である。
 三分裂し、西フランク王国がフランスなどの西欧であり、東フランク王国がドイツやオーストリアなどの中欧であり、中フランク王国がイタリア・オランダ・ベルギーなどである。
 フランスとドイツの因縁の戦争を日本史で見れば、石田三成の西軍(関西・大坂)と徳川家康の東軍(関東・江戸)の戦いであった。
 歴史的事実として、
 フランス人・ノルマン人・ドイツ人・デンマーク人がイギリス国王に即位し、
 イギリス国王がフランス国王継承権を主張して正統戦争を仕掛け、
 ドイツ人がスペイン国王やロシア皇帝(エカテリーナ女帝)に即位し、
 プロイセンその他が神聖ローマ皇帝オーストリア皇帝)に女性が即位する事に反対して介入戦争を仕掛けた。
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 1740~48年 オーストリア継承戦争。王女マリア゠テレジアは、家憲に従ってハプスブルク家の領地を継承し神聖ローマ皇帝オーストリア女帝・1740~80年)に即位したが、プロイセン・フランス・バイエルン・スペイン諸国は反対して戦争をしかけ、イギリスやロシアなど諸国は味方して西洋世界大戦となった。帝位と領地の継承権を承認して貰う代わりに領地のシレジアをプロイセンに割譲して、戦争は終結した。
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 野心を持った王子や騎士は、血の繋がらない他国の王女と結婚し、自分の子供を国王に即位させて男系父系を女系母系に変更して正統な血筋を断絶させて乗っ取り、自分の血筋を新たな正統血筋とした。
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 フランス人将軍は、スウェーデン王女と結婚してスウェーデン国王に即位した。
 血の簒奪、女系母系とはそういう意味である。
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 歴史力のない現代日本人には、女性の皇帝・国王即位、女系母系の継承、開放された王家・帝室が理解できない。
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 ロシア・オーストリアプロイセンの3か国は、国力を衰退させ国防力を失ったポーランドを、1772年・93年・95年の3次にわたって分割し国家を消滅させた。
 国家を維持する国力(軍事力・経済力)を消失した国は戦争の原因となり地域の平和維持の障害になるとして、周辺諸国は被害・犠牲者を出さない為に合法的に分割し吸収・併合して消滅させた。
 それが平和的秩序維持の世界正義である。
 その世界正義は日本にも当てはまる。
 それが、日本の近代化軍事化を目指した明治維新の本当の意味である。
 歴史力のない現代日本人には、それが理解できない。
 そして、ビスマルクが警告した「万国公法(国際法)の欺瞞」の真意が理解できない。
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 歴史力のない現代日本人では、歴史を学ぶ事ができないし、歴史から教訓を得る事もできない。
 それ故、現代日本人が理想としてあげる歴史上の人物名には意味がない。
 歴史上の人物人気ランキングは、茶番で、悪い冗談と言うしかない。
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 現代日本人にとって大事なのは金を稼いで豊かな生活をする事で、その為ならば他国の人間が生きようが死のうが、非人道的ジェノサイドで地獄の苦しみに喘ごうが、たとえ虐殺・惨殺、暴行・強姦されようとも「我関せず」として完全無視する。
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 現代日本人は、西洋礼賛か中国憧れか受験の為かで猛勉強をするが、自分磨きとしての知識と教養をつくる歴史・伝統・文化・宗教など人類の叡智や祖先の業績を学ぼうとはしない。
 つまり、現代日本人には過去という根っ子がか細いか若しくはない。
 現代日本に根付いている根っ子とは、60年安保・70年安保で惨めに敗北した団塊の世代が1980年頃から作り上げた恣意的人工根っ子である。
 その証拠が、2019年のあいちトリエンナーレで展示された「昭和天皇の写真を焼き踏みつける」映像である。
 現代日本で、平和を求め戦争に反対し人道貢献をして人助けをした昭和天皇に対する不敬行為に猛抗議した日本人は少なく、リベラル派・革新派そして一部の保守派の政治家、官僚、学者そしてメディア関係者は「表現の自由」として擁護し抗議した日本人を天皇ファシストと非難した。
 世界からも「表現の自由」として賛同の声があった。
 その後も、「昭和天皇の写真を焼き踏みつける」映像に対する反対の声は起きていない。
 それは、数千万人の飢餓民を助けるという人道貢献を実行したA級戦犯A級戦犯を祀る靖国神社でも同様である。
 現代日本では、善因善果ではなく善因悪果で、人のため、善行・善業は不幸・悲劇・悲惨をもたらす。
 つまり、現代日本から本当の意味での「人の心」は消えている。
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 日本人共産主義テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を死滅させ、日本国を転覆させる為に、ソ連コミンテルン中国共産党の支援・協力の下で昭和天皇・皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
 「昭和天皇の写真を焼いて灰を踏み付ける」映像を現代アートとして、支持する日本人や反対しない日本人が相当数存在し、政治家、学者、メディア・報道機関は「表現の自由」として擁護した。
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 国民世論の8割近くが、現皇室を消滅させる目的で女性天皇及び女系天皇の即位を求めるている。
 男系の現皇室が女系の他系に変われば、平和を求め戦争に反対し人道貢献をして人助けをした昭和天皇は歴史から抹殺される。
 血筋が女系に変われば、天皇位の正統を保証する絶対根拠である血統及び皇統は消滅する。
 現代日本人が求める天皇の存在根拠とは、他に代えようがない血筋・血統・皇統による神聖不可侵の正統性ではなく、人が作る憲法・法律による変更可能な正当性である。
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 中国と朝鮮は、中華皇帝が統治してきたという中華儒教文明圏で一つである。
 インド仏教文明のチベットイスラム教文明のウイグル、遊牧仏教文明のモンゴルは、中華儒教文明圏ではないが中国共産党によって強制的に吸収され人為的に死滅されつつある。
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 日本に世界レベルの統治者・指導者・経営者が生まれる絶好の機会があったとすれば、それは、戦国時代に乱取りで日本人を狩り集めて中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人に奴隷として売る行為が合法的制度として定着した時である。
 日本がキリスト教国家になれば、世界レベルの統治者・指導者・経営者が生まれる可能性があった。
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 昔の日本は、日本を侵略してきたロシアも白人キリスト教文明圏の1カ国と見做して戦った。
 中国と朝鮮は、日本と戦う為に白人キリスト教文明圏に協力・味方した。
 日本民族にとって、中国人・朝鮮人は友人でも親友でもなく、ましてや戦友でもなく、ハッキリ言って敵であり、単ある知人であった。
 中国・朝鮮の知日派とはそういう事であり、深い意味はなく、期待する価値もないくだらない存在である。
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 古代ギリシャ都市国家群とササン朝ペルシャの関係は、現代の軍事大国・中国共産党政府と日本及び東南アジア諸国の関係に似ている。
 違うのは、日本及び東南アジア諸国の国内が親中国派・媚中派、反米派・反西欧派、反日派・嫌日派、中国警戒派・中国嫌悪派などに四分五裂して、さらに韓国・北朝鮮が団結できないようにふらついている事である。
 つまり、中国に対抗する合従派と中国と共存を目指す連衡派が存在する。
 その傾向は、特に日本に強い。
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