🎄66」─1─アメリカ軍による戦争犯罪。~No.229No,230No.231 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 勝てば官軍、負ければ賊軍。
 戦勝国は、敗戦国の生殺与奪の権が与えられ、如何なる犯罪行為を行っても無罪とされている。
 戦時国際法にもとずく戦争犯罪裁判は、敗戦国に対してであって、戦勝国に対してではない。
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 アメリカ合衆国戦争犯罪では、アメリカ合衆国の軍隊(アメリカ軍)によって行われたとされる戦争犯罪について記述する。
 概要
 戦争犯罪とは、狭義には戦争に関する法(国際法など)に違反する行為(交戦法規違反)と戦時反逆罪(作戦地・占領地内における非交戦者による利敵行為)を意味し、広義には交戦法規違反に加え平和に対する罪・人道に対する罪を含めた概念を意味する。
 具体的には、他国に対して侵略戦争を仕掛けたり、敵兵・捕虜に対して非人道的な扱いをすることなどである。また、民間人に対しての殺戮・追放・逮捕など、紛争や混乱の誘発や報復感情の拡大の原因となる行為と言動も、戦争犯罪であるとされている。(以上「戦争犯罪」の項より引用)
 第二次世界大戦中の無差別都市爆撃(とりわけドレスデン爆撃・東京大空襲)や日本への原子爆弾投下(広島・長崎)などは戦争犯罪ではないかと主張されることもあるが、戦勝国であるアメリカが裁かれることはなく、責任者も処罰されていない。また、無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ自身が「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことにわれわれは勝者になった」と語っている。
 また太平洋戦争、朝鮮戦争ベトナム戦争アメリカが戦争犯罪を行ってもアメリカよりも相手が先制攻撃を行ったために大義名分が立った。
 他にも、少なからず人種差別的感情に起因すると見られる日本兵に対する猟奇行為(切断や一部の持ち帰りなど遺体のトロフィー化)や虐殺(わざと捕虜にせず攻撃を加えるなど)が太平洋戦争では珍しくなかったという。さらに、ベトナム戦争においては、非戦闘員の虐殺、捕虜虐待などがアメリカ国内でも問題にされたほどであった。その後もイラク戦争などにおいても、非戦闘員を巻き込む戦闘行動や捕虜虐待など戦争犯罪と疑われるべき行為が報告されている。ここでは、正式に裁かれることはないが、被害者や第三者の側から戦争犯罪であると主張される事柄について述べる。

 第二次世界大戦以前
 『10歳以上は皆殺し』(挿絵上部)。『犯罪者、なぜなら彼らは我々がフィリピンを手に入れる10年前に生まれたから』(挿絵に付された説明)ニューヨークジャーナル(1902年5月5日
 インディアンに対する虐殺、インディアン戦争
 南北戦争北軍が行った焦土作戦
 ペリー黒船により軍事力をちらつかせての日本への一方的な領海侵犯及び不平等条約締結
 ハワイ王国侵略・傀儡政府樹立・併合。ただし、時の政権は併合を認めず、現地アメリカ人の行為を糾弾している。
 米墨戦争 いったんは独立を承認したテキサスの内政に干渉して、先に軍事行動を起こしたのはメキシコであることに注意。
 米西戦争
 米比戦争(虐殺多数)

 第二次世界大戦
 日本人の頭部を煮るアメリカ兵(1944年アメリカ軍撮影)
 阿波丸事件。アメリカと日本が安全を保障していたが、2,000人強が乗る貨客船阿波丸を撃沈。ただし、日本は協定を破って戦略物資を積み込んでおり、正当な攻撃目標とする意見もある。
 対馬丸事件
 ぶゑのすあいれす丸撃沈。1,000人強が乗る病院船を爆撃し撃沈。
 日系人の強制収容(アメリカ市民権を持つ持たないに関わりなく日系アメリカ人を強制収容し、中米、南米の日系人アメリカに移送、強制収容した)
 ドイツ人捕虜への不当な扱い(ダッハウの虐殺など)
 投降した一般市民への不当な扱い(虐待・殺害・略奪・放火・強姦等。)。サイパンの戦いにおける民間人への凶行・虐殺が田中徳祐(陸軍大尉・独立混成第47旅団)の著作『我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実』により記されている。
 無抵抗の敵兵員に対する不必要な攻撃行為(撃沈された艦から脱出した敵兵に対して銃撃を加える、など)
 無制限潜水艦作戦による非武装民間船舶に対する不当な攻撃(これは潜水艦を有する参戦国のほとんどで実行された。)
 モンテ・カッシーノの戦いに代表される歴史・文化遺産に対する不当な攻撃
 ビスマルク海海戦。日本人漂流者に対して機銃掃射及び、救助の放棄。

 無差別戦略爆撃
 東京大空襲等に代表される日本諸都市への無差別絨毯爆撃(日本本土空襲)
 ドレスデン爆撃等に代表されるドイツ諸都市への無差別絨毯爆撃
 漢口大空襲に代表される同盟国市民もろとも敵軍を焼き払う無差別絨毯爆撃
 日本への原子爆弾投下 - 広島市への原子爆弾投下・長崎市への原子爆弾投下
 国際法の上で定義される非戦闘員や非軍事施設に対する不必要な攻撃行為(列車や家屋、 民間人に対して銃撃を加える、など)

 機銃掃射
 機銃掃射による民間人、赤十字車両への攻撃
 湯の花トンネル列車銃撃事件
 大山口列車空襲事件
 筑紫駅列車空襲事件
 多治見駅列車空襲事件

 保戸島空襲
 毒ガス使用
 バーリー港事件→ドイツ軍が先に使用した場合に備える、と言うことで持ち込まれたガス弾を運んでいた輸送船が撃沈され、溶け出したガスによって生存者と救助隊が被災。積極的に使用したのではないことに注意。
沖縄戦でも使用された疑惑がある。
 上記においては、ひめゆり徒手記・八原参謀手記において、催涙ガスの記述が有り通気の悪い豪内において、下部に沈殿しそれが窒息の原因になった。催涙ガスは非致死性でありその使用は禁じられていない。
 1944年、東京・大阪・名古屋など人口密集都市部に無差別の毒ガス空爆を行う計画があった。

 遺体損壊
 米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断
 戦後占領米軍による日本人婦女子陵辱事件[編集]
 詳細は「占領期日本における強姦」および「戦時における強姦行為」を参照
 終戦後日本へ進駐した米軍将兵による婦女子陵辱事件は頻発していたにもかかわらず、1945年9月19日にGHQによって発せされたSCAPIN-33「プレスコード」によって、それ以降は一切報道されることがなくなった。しかしそれ以降しばらくの間の事件については旧特高警察の記録に残されている。
 1946年4月東京・大森で勃発した事件は特におぞましいものである。
 《N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は三台のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。婦人患者のうち重症者をのぞく四十故人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された》 「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」 そして、「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」−−慄然とする内容である。

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