✞172」─3─小パール・ハーバー「バーリ空襲」。ジョン・ハーヴェイ号事件。アメリカ軍毒ガス兵器隠蔽事件。1943年12月2日~No.512 @    

生物・化学兵器 (図解雑学)

生物・化学兵器 (図解雑学)

  • 作者:井上 尚英
  • 発売日: 2008/07/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・  
 日本軍部が犯した戦争犯罪は、全ての国で戦略として行っていた。
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 「勝てば官軍、負ければ賊軍」
 敗北者には、全ての権利はなく、如何なる弁明も弁護も許されない。
 有るのは、敗者への有罪判決と刑の執行のもである。
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 バーリ空襲は、第二次世界大戦中の1943年12月2日にドイツ空軍爆撃機アドリア海に面したイタリアの港湾都市バーリの連合国軍部隊及び輸送艦船に対し行った空襲である。この空襲は、ドイツ空軍第2航空艦隊所属のユンカースJu88105機が、バーリ港にいたイタリア戦線に増援される連合国軍将兵及び輸送艦船に対して爆撃を行い、17隻の貨物船と兵員輸送船を港内で沈めた。
 1時間程度の空襲でバーリ港の機能は失われ、1944年2月まで利用できなかった。このため、この空襲は小パール・ハーバーと呼ばれた。
ま た、この空襲により被害を受けた貨物船からマスタードガスが漏れ出し、死者を出すこととなった。

 ジョン・ハーヴェイ号事件
 空襲を受け、破壊された船舶のうちに、第一次世界大戦型のマスタードガス爆弾
 M47A12,000発(1発当たりのマスタードガス容量は30−35kg)を極秘の貨物として運んでいた、アメリカ合衆国リバティ船ジョン・ハーヴェイ(John Harvey) 号があった。この貨物は、ドイツ軍が化学兵器を使用した場合に対する報復攻撃のためにヨーロッパへ送られたものだった。ジョン・ハーヴェイ号が被弾し破壊されたため、液体のマスタードガスが、既に他の被弾し損害を受けた船から流出した油混じりの海水中に漏れ出した。避難のため多くの船員が乗っていた船から海に逃れ、マスタードガスの理想的な溶媒の状態になっていた油混じりの海水にまみれることになった。また、マスタードガスの一部は蒸発し、煙と炎の雲に混じっていった。水から引き上げられたこれらの負傷者は、マスタードガスの存在を知らされていなかった。医療スタッフは爆発や火災による負傷者に、その対応を集中させた。そのため、単に油にまみれただけに見えた者はほとんど注目されなかった。低濃度のマスタードガスにさらされた多くの負傷者は、単純な入浴や衣類の着替えで症状を軽減できる可能性があった。
 その日の内に、628名の患者と医療スタッフに、失明や化学やけどなどのマスタードガスの中毒による最初の症状が現れた。さらに、ジョン・ハーヴェイ号の貨物の一部が爆発したときに、マスタードガスの蒸発した雲が吹き込んだ市街にいたために中毒を起こしたイタリア民間人数百人が治療を求めて殺到したことから、事態はさらに混乱することとなった。この医療現場の混乱に対し、アメリカ合衆国軍司令部は化学兵器の存在をドイツ軍に対し秘匿しておきたかったため、これら犠牲者の症状の原因に関し利用できる情報を制限していた。このため、ジョン・ハーヴェイ号乗組員のほぼ全てが死亡し、救急隊員の「ニンニクのような」臭いがした記憶があったのでそれが原因となったものではないか、という説明は役に立たなかった。
 謎の症状についての説明のために、副軍医総監フレッド・ブレッセは化学兵器の専門家のスチュワート・フランシス・アレクサンダー中佐を派遣した。アレクサンダーは、空襲を受けた時の犠牲者の位置について慎重に集計し、ジョン・ハーヴェイ号の積荷のアメリカ合衆国軍M47A1爆弾の容器の破片のところで、マスタードガスが原因物質だと突き止めた。
 その月の終わりには、入院していた628名の軍人の内83名が死亡した。民間人の犠牲者数は、その多くが親類の避難先を求め市街を離れたため、正確に数えることができなかった 。
 アメリカ合衆国海軍駆逐艦ビステラ(USS Bistera)は、空襲の間に軽度の損傷を受けたが、海中の生存者を救助しつつ港外へ出た。その夜の内に艦の乗組員で失明と化学やけどの症状を示す者が現れた。駆逐艦ビステラはターラント港へ戻って行った。

 隠蔽
最初に連合国軍最高司令部は、連合国軍が化学兵器使用準備をしていると思われるとドイツ軍を刺激することになり、先制使用される可能性が出てくるので、この事件を隠蔽しようとした。しかし、秘密を保持するにはあまりに多くの目撃者がいたため、2月に合衆国司令部員は事件を認め、アメリカ合衆国が報復の場合を除き、化学兵器を使用する意思を持たないことを強調する声明を発表した。
 連合国軍最高司令官アイゼンハワー はアレクサンダー博士の報告を承認した。けれども、チャーチルはこの件に関するイギリスの文書を全て破棄し、マスタードガスによる死亡者リストを「敵の攻撃による火災が原因」とするよう命令した。
 空襲に関するアメリカ合衆国の記録は1959年に機密指定から解除されたものの、事件については1967年まで秘匿のままにされていた。1986年にイギリス政府は最終的に毒ガスの被害を受けたバーリ空襲の生存者の存在を認め、その生存者に対し年金を支払うこととした。

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