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2022年5月号 Hanada「堤堯の今月この一冊
『第二次世界大戦とは何だったのか 戦争指導者たちの謀略と工作』
渡辺惣樹著 PHP研究所
ピカソは『余はいかにして共産主義者になりしか』を書き、『私は自身の作品に常に共産主義の意味付けをしてきた』と記した。
ヘミングウェイはアルゴ(ARGO)というコードネームをNKVD(のちのKGB)から与えられたソ連の工作員だった。『ゲルニカ』も『誰がために鐘が鳴る』もプロパガンダの底意(そこい)お秘めていた。
彼らが敵視したフランコ将軍の〝反乱〟とフランコを支援した独伊両国の支援は、スペインに史上二つ目の共産主義国家の登場を防ぐ価値ある戦いだった。
ロバート・キャパを一躍、時の人にした報道写真『崩れ落ちる兵士』はピカソの心を動かし、『ゲルニカ』を描かせる動機の一つとなった。ところがこの〝傑作写真〟は、スペイン共和国軍兵士に頼み込んで戦闘の真似事をさせ〝見事な演技〟を捉(とら)えたフェイク写真だった。
スターリンは公式記録だけでも68万人を粛清(銃殺)した。実際はもっと多い。彼の個人秘書バザノフはパリに亡命して手記を書いた。スターリンの所業──幹部の交信を盗聴し、政治局選挙を工作するなどを赤裸々(せきらら)に記し、さらにスターリンの〝名言〟を書き残した。
『選挙で重要なのは誰が誰に投票するかではない。誰がどういうやり方で票をカウントするかだ』
そのスターリンに追われたトロツキーは妻のナタリアを伴いメキシコに亡命し、トロツキーの熱烈な信奉者だった画家のリベラ、その妻フリーダ・カーロの世話になる。ほどんあくトロツキーとフリーダは恋文を交(か)わし、W不倫が始まる。リベラが病的なまでに嫉妬深いのを知る周囲の者をハラハラさせた。
F・ルーズベルト(以下FDR)は大統領選でW・ウィルキーを破り三選を果たした。そのウィルキーをFDRは中国に派遣し、蒋介石夫妻を激励させる。日本軍によって重慶に追われた蒋夫妻にとって、米国の支援は核心的生命線だ。
夫人の宋美麗はウィルキーにハニートラップを仕掛ける。それも自らの肉体で。午前4時ごろ宿舎に戻ったウィルキーは興奮冷めやらぬ面持(おもも)ちで同行者に語った。
『知性、美貌、性的魅力、彼女は最高の女だ。米国に連れて帰りたい』
ほぼ4カ月後、宋美麗はワシントン議会の壇上から流暢な英語で、野蛮な日本に抵抗する中国を自画自賛し、米国との連帯を訴えた。
蒋介石夫妻と同様、米国の参戦を渇望したのがチャーチルだ。ために彼は2人の娘をハニートラップに使った。その経緯はこうだ。
FDRはナチス・ドイツに宥和的なジョセフ・ケネディに代えてジョン・ウィナント(元ニューハンプシャー知事)を駐英大使に抜擢した。
このころチャーチルの娘サラは、米国人俳優V・オリバーおの結婚が破綻し、ロンドンに戻っていた。52歳の駐英大使と27歳のサラはたちまち不倫関係に堕(お)ちた。
同じころ英国への武器支援の打ち合わせにアヴェレル・ハリマン(のちの駐ソ大使)がロンドンを訪れた。歓迎パーティでハリマンの隣に座ったのがパメラ・チャーチル(長男ランドルフの妻)で、2人は空襲下のその夜を共にした。
チャーチルは米国から来た2人の大物の行為を黙認した。『一族の究極の接待攻勢』だった。読み切りの歴史エピソードが四十数話。何れを読んでもべらぼーに面白い。」
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