パックス・アメリカーナの形成―アメリカ「戦時経済システム」の分析
- 作者:河村 哲二
- 発売日: 1995/04/01
- メディア: 単行本
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2017年8月29日号 エコノミスト「1940年代の米国 豊富な資源で高インフレにならず 究極の財政政策『戦争』で経済成長 平山賢一
第2次世界大戦下の米国の経済成長は、原油生産世界一の資源国であったことが支えていた。
歴史的転換や大事件は、得てして経済を要因として発生する。19世紀末以降、世界経済のけん引役を担ってきた米国もまた同じである。20世紀を米国覇権の時代に押し上げた第二次世界大戦は、大恐慌後の停滞を抜け出せない経済状況に業を煮やす中で、勃発したと言ってもよいだろう。
戦争は、交戦国のインフラや設備を破壊するだけでなく、自国の軍需を支えるための生産活動を活発化させ、雇用を創出するため、経済成長率は上昇する。その意味では、戦争は、『穴を掘って埋める』需要をあえて創造する究極の財政政策と言えよう。一方、エネルギーや資源に対する需要が喚起されるため、物価上昇圧力は高まるというデメリットもある。
米国は、大恐慌の影響を解き放つ景気回復を目指し、低金利政策を採用するさなかに戦時体制に突入したことから、本来であれば物価上昇が加速する環境にあった。低金利は、円滑な資金調達を促し、生産活動の活発化による原材料需要や労働需要を生み出すため、需給関係が逼迫するからだ。
インフレ率の急上昇は、やがてコストアップにより生産活動の足を引っ張り始めるため、回避したいのが本音。都合の良いことに、1940年代の米国は、原油生産世界一の資源国であったことから、エネルギー供給不安が生ぜず、それだけインフレ圧力が低いため、物価のコントロールに成功した。米国の消費者物価指数(年率)は、43年に一時的に10%を上回ったものの、40年代前半の平均上昇率は5%程度に過ぎなかったのである。
一方、日中戦争に突入した日本の場合、東京小売物価指数(年率)は一時16%を上回り、41年から42年にかけては2%程度に落ち着くものの、その後、急速にインフレが加速。40年代前半の平均上昇率は、日本の場合には10%を上回った。
40年代前半の米国は、一時的にインフレ率が金利を上回る『実質マイナス金利』になるものの、適度なインフレ率で低金利政策を維持していた。逆に日本の場合には、海外から調達すべきエネルギー・資源が枯渇することでインフレ圧力が高まり、インフレ率が米国を大きく上回るペースで上昇した。
日本は、米国同様に低金利政策を実施していたため、インフレ圧力が高まり、実質マイナス金利が常態化してしまった。いわゆる金融抑圧に陥り、金融機関による資金仲介機能はゆがめられ、政府による軍部及び生産拡充事業への過剰な資金配分を通して、民間部門から政府に富が移転してしまったのである。この経済上の対照性が、1年、2年と時を重ねる中、両国の格差となって米国の戦勝という結果につながったとの見方も有力だ。
30年代の長期停滞論
戦時に至る経済成長の経緯を整理すると、1929年のニューヨーク株式市場の株価大暴落が、世界経済に暗雲をもたらしたことがきっかけだったと言えよう。
米国の実質国民総生産(年率)は、30年から4年連続のマイナスに陥り、20年代前半の10%を超える経済成長が幻だったと思わせる大恐慌に突入したのである。その後、ニューディール政策に代表される拡大財政政策が発動され、34年から36年にかけては、再び2桁の経済成長率を達成した。
しかし、従来の経済成長を享受できるとの楽観論に浸ったのもつかの間、37年から景気は再減速。38年にマイナス成長に陥り、39年には総需要不足が常態化したと唱える、いわゆる『長期停滞論』が台頭した。米連邦準備制度理事会(FRB)は数回にわたりベースマネーを拡大させるなどの金融緩和を実施したが、株価指数が低迷したことからも分かるように、地政学リスクが高まる中で経済成長期待は乏しかった。
このような状況を背景として、本格的な戦争に突入し、さらに国債価格支持政策(国債金利抑制政策)を採用することで、戦時経済体制強化が促されたのである。
経済成長の幻影を追い求める郷愁が、過剰な政治判断へと駆り立てる動機づけになったと考えることもできよう」
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アメリカが唯一の超大国である理由は、食糧・資源・エネルギー(石油)と輸送・運輸そして金融・サービスを他国に頼る事なく自活できる事である。
つまり、軍事と経済だけの大国ではなく資源大国でもある。
故に、他国との関係を持たない一切の内政干渉を排除する、自国ファーストのモンロー主義が可能であった。
対して、日本は全ての面でアメリカを中心とした他国に依存しなければ生きられない。
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日本の近代化とは、自己完結の自給自足生活を捨て他国依存の寄生生活を受け入れた事である。
日本の近代的発展とは、鎖国による他国を意識しない自由な生き方を捨て開国により他国の機嫌を気にする不自由な生き方を受け入れて得られた。
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アメリカは一国でも生きられるが、日本は一国だけでは生きられない。
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アメリカは、何もないゼロから1という何かを創出する才能に長けている。
日本は、アメリカやヨーロッパで創り出された1を2か3へ発展させる器用さがあった。
アメリカの才能は、ゼロから1の創造力である。
日本の才能は、1を2や3への想像力そして4や5への飛躍である。
つまり、日本はアメリカを越す事は絶対にあり得ない。
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ゼロから1を、3か4をゼロに戻して1を、と言った創造力ではイノベーションは生まれる。
1を2か3、飛躍させて4か5への想像力では、イノベーションではなく改善・改良・改造が発生する。
本物のイノベーションは、欧米では起きても日本では起きずらい。
何故なら、日本では今有るモノを否定し破壊し消滅させられないからである。
つまり、2や3に進化したモノをゼロに戻す事ができないからである。
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日本の学界や産業界の中からゼロから1の創造がない以上、欧米で創造されるゼロから1をいち早く察知し、誰よりも先に手に入れる必要がある。
人口激減期である高度経済成長時代の日本人には優れた先読み能力があったが、人口激減期にはいった現代の日本人にはその見極め能力が弱っているもしくは無い。
ゼロから1を創造できない日本が生き残るには、1を新技術で一気に近未来的な6か7に飛躍させる以外にない。
近未来的に飛躍する鍵は、日本国語力である。
ゼロから創造された1を誰よりも先に発見するには、高度な外国語力(特に英語)が必要である。
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中国が経済大国になっても、中国の才能はアメリカのようなゼロから1の創造力ではなく、日本に近い1から2や3への想像力ではあるが3や4への飛躍はない。
日本が中国を当てにいても、アメリカのように頼りにはならない。
中国人は、日本人同様にゼロから1を創造する能力は低い。
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創造は、ゼロから1を生み出す為に競争相手がいない分、巨額の資金と長大な時間を無駄にする。
想像は、既にある1をいかに発展・進化させるかで、競争相手は世界中に存在し、巨額の開発資金と多くの優秀・有能な人員を投入できる企業・個人が優位である。
それ故に、日本は、アメリカに敵わないし、中国にも敵わない。
日本は、全ての面で圧倒的に不利である。
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日本はアメリカと同盟国ではあるが、対等関係ではなく従属関係にある。
「日本は同盟国としてアメリカにハッキリとキッパリと苦言を言うべきである」という日本人は、現実が見えない盲目である。
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