- 作者:度会 好一
- 発売日: 2007/11/27
- メディア: 単行本
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
ハル・ゴールド「西洋と日本とでは、売春に関する考え方が全く違う。西洋の場合は、国家や軍隊が見て見ぬ振りをする事はあっても、日本の様に表立って容認する事は絶対にない。その結果、第一次世界大戦では大量のアメリカ軍兵士がヨーロッパ戦線で梅毒に感染してしまったそうです。しかし軍は慰安婦としての売春婦の存在を容認しなかった。容認してしまうと、売春という存在してはならない悲惨な職業に、国家が組織として関与してしまうからだ」
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☆バルフォア宣言
アメリカ系ユダヤ人(約500万人)は、1917年にアメリカ・シオニスト機構(ZOA)を結成した。
ヒトラー「ユダヤ人とは明らかに一つの人種であり、種族としての独自性を少しも放棄しようとせず、ドイツ民族の間に寄生し、全ての政治上の権利を享受しながら繁殖している。彼らの価値はただ財力と金によって計られる為、彼らは目的の為には手段を選ばない。そうしたユダヤ人とは断固として対決し、最終的には絶対に彼らの排除が行われなければならない」
イギリスの軍需産業とその周辺産業を支配しているのは、世界の富の半分以上を所有するロスチャイルド家であった。
ロックフェラーは、戦争によって200億ドル(日本円で2兆4,000億円。現在の貨幣価値に換算すると1兆9,000億ドル)の利益を得、アメリカ政府に戦費として300億ドル(3兆6,000億円)を貸し出した。
戦争は、大量の軍需物資を必要とした為にアメリカの軍需産業を盛んにして、アメリカ経済に好景気をもたらし、国際金融資本に天文学的利益をもたらした。
アメリカの政治・経済に影響力を持つのは、選挙権を持つ多くの国民ではなく、選挙資金を提供する軍産複合体の国際企業と国際金融資本であった。
その多くは、ユダヤ人資本家の所有か資本提携にある企業である。
L・B・ウルフォーク「ロスチャイルド家の台頭は、ユダヤ人が始めてシンジケートを結成した大連合として記憶に残る。この大連合は、ユダヤ人が所有する全ての資本を組み合わせた大規模事業の取引の為のものだ。ロスチャイルド家はユダヤ人金融王達の首領となり、以来、世界のユダヤ人金融権力の頭目でもある。金融権力の冨は、算定不可能である。……現在は、4,000億ドルだ。そして世界中の冨の合計額は、6,000億ドルにも達しない」(1889年出版 『赤いドラゴン』)
海洋国家イギリスは、七つの海の制海権を維持する為に、ドイツ帝国の大艦隊構想に対抗して建艦に巨費を投じた。
この建艦競争によってイギリス経済は、事実上破産した。国家財政が破綻しても、ドイツの海運力を粉砕するべく戦争を起こした。
イギリス政府は、戦争を継続する為にユダヤ人金融資本に資金援助を要請した。
11月2日 連合国は、ドイツ軍の大攻勢にあって劣勢に立たされていた。
イギリス政府は、国策として政治シオニズムを承認した。
バルフォア外相(ユダヤ人)は、ロンドン・シティを拠点とするイギリス・シオン主義連合会会長ロスチャイルド卿に書簡を送り「イギリス政府は、パレスチナにユダヤ人の民族的郷土(ナショナル・ホーム)を建設する事に賛成する」事を伝えた。
世に言う『バルフォア宣言』である。
目的は、参戦反対派の多いアメリカのシオニストへのメッセージであり、敵国ドイツ帝国やオーストリア帝国に協力するドイツ系ユダヤ人財閥を味方に付け、ロシア軍の戦争復帰をうながす為のロシア系ユダヤ人へのメッセージでもあった。
バルフォア宣言は、昔からパレスチナに居住するアラブ人の諸権利を無効とし、彼等を2000年以上受け継いだ土地から完全追放する事を条件としていた。
一部の閣僚は、祖先の土地から追放する事は、アラブ人との紛争になるとして反対した。
ユダヤ人議員モンタギューと正統派ユダヤ人らは、戦争に勝つ為に、非ユダヤ人が推進する民族的郷土建設には猛反対した。
シオニスト組織のハイム・ワイツマンらは、ユダヤ人らが民族の郷土運動に反対している事の激怒した。イギリスのユダヤ人社会は、民族的郷土建設の賛否で分裂した。
モンタギュー「ユダヤ人社会が嫌われている事はずっと認識していた。人数からみれば、我々はこの国の物資や好機の分け前を必要以上に取りすぎて来た。概して早熟なので、同じ年代の人々と張り合うのは不公平というものだ。我々の多くは限られた友人しか持たず、自分達と異なる考え方を拒絶する態度をとる。イギリスの多くの非ユダヤ人が、ユダヤ人を追放したいと願う事は容易に理解できる」
「キリスト教徒のイギリス国民の間で思想や生活様式が共通していないのとまさに同様に、ユダヤ人のイギリス国民にも共通性はない。……喜ばしい事に、異なる宗教間の結婚に対する偏見も崩れつつある。しかし、ユダヤ人に民族の故郷が出来れば、間違いなく、我々からイギリスの市民権を取り上げようとする動きは一気に加速する。パレスチナが世界のユダヤ人強制居住区域になってしまう」
ロンドン・タイムズ紙(17年5月)「解放されたユダヤ人は、一般の国民と異なる政治的野望を抱いている訳ではない。ユダヤ人は、祖国を持っていないという理論に基づいてパレスチナにユダヤ人国家を建設するという事は、我々ユダヤ人が生まれた母国でよそ者のレッテルを張られてしまう事になりかねない」
国籍を持つユダヤ人は、母国と信じた国からよそ者として公民権を剥奪され、無国籍者として追い出されるのではないかとの危惧を表明した。
彼らは、ユダヤ人である事に誇りを持ちながらもイギリスに同化し、国民として自覚を持ち、王国・政府への責任を果たすべきだと主張した。
国民の義務として、二重忠誠を否定し、神への信仰より国王と国家への忠誠を優先し、そして敵を倒す為に戦場へ赴いた。
パレスチナにユダヤ人の国家建設を支持する政治シオニストはごく少数であり、多くのユダヤ人はアラブ人との衝突を避ける為にむしろ反対していた。
政治シオニストは、支持者を増やし、パレスチナへの移住を促進すべく、ロシアやポーランドなど反ユダヤ意識の強い地域でポグロムを煽った。
政治シオニストは、パレスチナを確保する為に欧州戦線の勝敗を無視し、ロバートソン陸軍参謀総長を更迭して約120万人の大兵力を中東に投入する様に要請した。
国際的な政治交渉でユダヤ人国家の建設を強引に目指すユダヤ人世界主義者に対して、アラブ人と共生する郷土を目指すユダヤ人民族主義者はパレスチナに二民族一国家の建設を主張した。
イェフダ(ユダ)・マグネスら二民族共存国家論者(バイナショナリスト)は、ユダヤ人だけの国家建設ではアラブ人との対立を激化させ、ユダヤ人を国民国家から排除するという排他的人種差別を容認し助長させるだけだとして反対した。
少数派の思想家集団は、反ユダヤ主義を克服するにはユダヤ人の国家を建設して移住するのではなく、今いる居住地の国籍で兵役につき国民の義務を果たして差別と闘うべきだと主張した。
ハンナ・アーレントン「シオニストは、反ユダヤ主義が存在しなかったら、ユダヤ民族は自分達が離散していった国々で生き残らなかっただろう、という結論を下した。それゆえ彼らは、反ユダヤ主義を徹底的に撲滅しようとする如何なる試みにも反対した。それどころか彼らは、我々の敵である反ユダヤ主義は『我々の最も信頼のおける友になり、反ユダヤ主義は我々の同盟者になる』と宣言した」
テオドール・ヘルツル「民族とは、共通の敵の存在によって結合した人間集団である」
国際連盟は、規約第22条に従い主権国家の内政に介入して「ユダヤ人の民族郷土」を認めたが、石油の原産地のアラブに配慮してアラブ人を無視したユダヤ人国家の建設には許可しなかった。
国際連盟は、国際正義に基づく世界平和を理念を捨て、民族の自決と自立を否定し、主権国家の内政問題に介入したのである。
国際協調主義によるリベラル的理想は、キリスト教国家のご都合主義によって踏みにじられて消滅した。
ナフム・ソコロフ「国際連盟はユダヤ人のアイデアである。我々は25年に及ぶ闘いの末に、これを作ったのだ」(世界シオニスト会議会長)
政治シオニストは、紀元70年に追い出された民族の郷土であるパレスチナに移住し、ユダヤ財閥の資金やユダヤ人救済団体のジョイント(アメリカ・ユダヤ人合同配分委員会)などの支援金でアラブ人の大地主から未開墾の土地を買い漁り、民族の郷土設立を急いだ。
彼らは、聖書を根拠にパレスチナの土地は絶対神との契約で与えられた土地であり、異教徒アラブ人の土地との結び付きを否定した。
アラブ人は、千年以上前に征服者として入植し土地を略奪した以上は、土地を所有する正当性はないと。
パレスチナに移住したユダヤ人は、荒地を開拓し土地改良を行い居住地域を拡大した。
一部のイスラム教原理主義のアラブ人は、偉大な唯一の神を騙し、詐欺的契約で祖先からの土地が奪われたとして、神聖な土地の返還を求めて暴動を起こした。
二つの民族主義は、わずかな土地を巡って流血事件を起こした。
ユダヤ人の国家建設は暗礁に乗り上げ、パレスチナ問題を複雑化した。
バチカンの教皇ピウス10世は、1903年に、ヘルツルに対してユダヤ人のパレスチナ帰還には邪魔しないが、ユダヤ人国家の建設は容認しないと強く反対した。
イギリスに同化したユダヤ人は、政治的シオニズム運動には興味がなかったし、ロシアや東欧で悲惨な境遇にあるユダヤ人の身の上にも興味はなかった。ましてや、不幸な外国籍ユダヤ人を助ける為に自分が戦争に送られる事に反対した。
正統派ユダヤ教徒の多くは、民族中心のトーラー(律法。モーセ五書、旧約聖書最初の五書)を信奉し救世主の到来を信仰し、タルムード(ユダヤ律法学者の口伝・解説の集大成)を守らずユダヤ教的生活を嫌う政治シオニストのイスラエル国家に反対した。伝統的民族思想を優先する宗教的正統派ユダヤ人と、救世主を否定し権力や富を守る国家を必要とする政治的世俗派シオニストは反目し合っていた。ユダヤ人の強靭さは、この内部分裂にあった。
アメリカ律法学者中央会議(1997年)「我々は、政治的シオニズムに全会一致で反対する。ユダヤは民族でなく一つの宗教を信じる者の集まりである。……シオニストの行動は、ユダヤ同胞に利益をもたらすどころか、限りない害悪をなす」
地質学者は、ユダヤ人資本家からの資金援助で、死海周辺のパレスチナに豊富な鉱物資源が大量(約5兆ドル相当)に埋蔵していると報告した。
正統派ユダヤ教徒のラビ(律法に精通した霊的指導者)30名とサー・ジョージ・アダム・スミスらユダヤ人の学識経験者300人は、ウィルソンに対して政治シオニストのイスラエル国家の建国提案に宗教的歴史的理由により反対し、平和を破壊し戦争をもたらすだけだとして抗議文を送った。
正統派ラビは、イスラエル国家の建国は旧約聖書に記された神聖な予言(メシアの再来)の実現とは関係ないと、激しくそして多くの異議を申し立てた。
ウィルソンは、政治的経済的理由から抗議文を無視して政治シオニストの郷土建設を支援した。
ジャストロウ教授「ユダヤ教徒である数多くのアメリカ市民は、パレスチナにユダヤ植民地を広げるという計画には前面的に共感しているものの、いついかなる時であれ、パレスチナにユダヤ国家のようなものを建設しようとするのは、ユダヤの歴史を読み間違っていることも含めて、重大な誤りと感じているからです」
1922年のパレスチナの人口は約76万人で、イスラム教徒(ムスリム)は約60万人、キリスト教徒は約7万人(大半は改宗アラブ人)、ユダヤ教徒は約8万人(7割以上は反政治シオニストの正統派ユダヤ教徒)、その他約1万人であった。
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レーニン「富農100人以上を、人々に見える様に絞首刑にし、そうして殺し続けよ」
共産主義革命は、人民の勝利という大義から、無慈悲に大虐殺を行う宿命が科せられていた。
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☆ロシアの内戦
1917年11月6日 レーニンは、都市労働者による、暴力的共産主義革命を起こす為の準備を急いでいた。旧皇帝派保守層の最大の支持勢力である農村を破壊する為に、中小規模農家を味方につけて、クラークである地主や大規模農家への威圧を強めた。
11月7日(ロシア暦10月25日)10月革命。レーニンとトロツキーは、国際共産主義の正義による社会の刷新と労働者の権利拡大を掲げて武装蜂起して、強引にボルシェビキ政権を樹立した。ロシア共産党によるソビエト社会主義共和国連邦の誕生である。
レーニンは、党組織を強化する為に1,000人以上のユダヤ人(大半は無国籍ユダヤ人)を幹部に任命した。
スターリンは、民族問題人民委員会のユダヤ人問題委員会の代表を務めていた。
赤軍は、臨時政府が置かれていた冬宮に突入して、ケレンスキー以外の全閣僚と逃げ遅れた政府職員とその家族を処刑するか強制収容所に送った。
凶悪刑事犯で組織された革命実行部隊は、反対派を逮捕し、「世にもおぞましい拷問」で仲間の名前や隠れ家などを聞き出した後で処刑した。
彼等にとって、有罪であろうとも、冤罪であろうとも、殺人の趣味が満足できればどちらでも良かったのである。
同じ国民が、血を血で洗う内戦の勃発である。共産主義や無政府主義の恐怖と殺戮による労働運動は、満州を経て朝鮮から日本に拡大して行った。
レーニン「我々は如何なる犠牲も受け入れるし、あらゆる策略、作戦。不法手段に訴える事も、また言い逃れや口実もすべて認める」
帝国領土であったポーランド、ウクライナ、バルト沿岸地域などで、各民族主義者は独立戦争を勃発させた。
旧皇帝派白軍とそれを支援する外国軍隊も、ロマノフ帝国を復活させる為に干渉戦争を起こした。共産主義勢力は、革命の大義を守る為に赤軍を組織して個々の反対勢力を攻撃した。
プロレタリアの正義で、反共産主義派を女子供に関係なく虐殺する事で粉砕した。
彼らは叫ぶ。革命の為には犠牲は付きものであると。
11月25日 ボリシェヴィキは、ロシア共産党と改称し、共産党主導の世界革命を諸外国に広める為に国際組織を設置した。
共産党は、国際主義路線を推進する為に全ての民族主義と宗教を撲滅する事を、各国の共産主義団体に指示した。
日本の共産主義者は、民族主義を消滅させる為に、天皇制度と国家神道及び神社神道を解体するべく反宗教的テロ活動を活発化させた。
ロシア共産党は、国民自由選挙で4分の1の議席を獲得するや、平和的な手段での政権奪取を諦めて流血を伴う暴力共産主義革命路線に変更した。
民意を反映する民主主義体制を目差した憲法制度国民議会を解散させ、国際主義に基づくプロレタリア独裁体制を目差すべく人民委員会議を設立した。
トロッキーは、首都モスクワを占領するや、各都市で武装した赤軍による大行進を行って人民に力を誇示した。
ロスチャイルド系の銀行は、労働者の権利を回復するという大義で武装蜂起した革命派に対して、膨大な革命資金を提供し、アメリカから大量の武器弾薬を送った。
ロシア共産党は、白軍の軍事費や反共産党組織の活動資金を断つ為に、外国で印刷された偽造紙幣を大量に流通させてロシア帝国時代のルーブル通貨の信頼を失墜させた。
旧ロシア帝国紙幣や旧ケレンスキー紙幣は、国際金融市場での信用を失って姿を消した。
ロシア共産党政府は、一党独裁体制のもと警察権力で中央集中管理を強化した。
カメネフ(ユダヤ人)が初代大統領に、レーニン(母方がユダヤ人)は首相となった。
レーニンの第一副官は、ジノビエフ(ユダヤ人)であった。トロッキー(ユダヤ人)は、外務人民委員に、スターリン(ユダヤ人)は民族人民委員に就任した。
無国籍ユダヤ人が、党、政府、軍隊、警察などの権力中枢を支配し、幹部の4分の3を無国籍ユダヤ人が占めた。
彼等は、裕福な家庭で高学歴者であり、貧困層や下層階級出身者は極わずかであった。政府は、厭戦気分の人民の要望に従い停戦を命じ、平和に関する布告を発してドイツ帝国と単独講和に入った。
「平等」を原則とするマルクス主義政策に従い、個人資産を廃止して全ての財産を党に没収し、全国土を党の所有とした。
宗教は搾取を正当化する専制政治の元凶であるとして否定し、全ての宗教施設を破壊した。
個人は党に属し党に忠誠を尽くす義務があり、家・家族・家庭は反国際主義の元になるとして否定させた。
共産主義は、党の為に「個」を重視して、国家・社会・家族の為という「公」の絆を寸断した。
重要なのは党であって国家や家族ではなかく、党の利益の為なら民族主義国家などは解体した。
共産主義体制とは、共産党幹部と一部の超エリート官僚による社会の独占であって、貧民層や下層階級を救済し平等に冨の再配分を行うものではなかった。
つまり主義(〜イズム)の大義でプロレタリアート(労働者)の再奴隷化する事であり、社会そのものを合法的に独占する事であった。
共産主義体制下で、人間として扱われたのは共産党に絶対的忠誠を誓った極少数のエリート党員のみであった。
カール・マルクス「政治権力とは、ある階層が別の階層を服従させておく為に、力を組織的に利用する事である」
ニューヨーク連邦準備銀行は100万ドルをロシア革命政府に提供し、モルガン商会はソ連で最初の銀行を運用し100万ドルを共産主義革命資金として送金した。
モルガン銀行は、特例として国有化されず民間銀行のままで業務を続けた。
銀行家ジェイコブ・シフ、鉄道王ハリマン、鉄鋼王カーネギーなどの資本家とアメリカの投資家は、ロシア国内の資源を確保する為にソ連に投資した。
レーニンは、モスクワ国立銀行が保管していたロマノフ帝室の個人資産である現金7億ドルと金塊やダイヤモンドなどの財宝コレクションを強奪し、その一部を国際金融資本への返済にあてた。
ロマノフ帝室の財宝である天文学的預貯金は、ロンドン、ニューヨーク、パリそしてスイスなどの主要銀行に眠っていた。
ロマノフ帝室の金保有は、アメリカに次いで世界第二位であった。
ペトログラードのロシア帝国銀行に、16億ルーブル(金換算1,240トン)を保管していた。
レーニンは、国立帝国銀行を占拠して12億6,000万ルーブル(976トン)の金塊を押さえた。
ロシア帝国は、戦争開始から3年目までに260トンの金塊を戦費として消費した。
最初はバルト海経由で金塊を輸送したが、ドイツ海軍の攻撃で損害が出始めるや、シベリア鉄道を使い日本海軍の協力を得てアメリカやイギリスに送った。
日本軍は、中国軍とは違って軍律が厳しく、帝国軍人の名誉に賭けて横領することなく送り届けた。
アントニー・サットン「国際的な融資では、中央政府への貸し付け(借款)が好まれる。銀行界は、中央集権的でない国への融資を敬遠する。そうした国は権力が分散しているから、いつ何が起きるか不安だからだ。……ソ連の様な独裁国が所有するもののほとんどは、借款で西側から得たものばかりだ」(『ウォール街とボルシュビキ革命』)
国際金融資本の行動基準は、国家の枠にとらわれず、国益よりも民益を優先し、投資している株主への配当の為に利益を追求する事である。
富を簒奪する相手国に対して、国際正義や国際平和といった普遍的理念と市場原理のもとずく世界基準を押し付け、対象国の内情や国民の実状を無視し、利益を回収する為には自国政府を利用して軍隊を相手国に派兵して外圧を加えた。
現実として、株主への分配金を得るという経済活動において、如何なる道徳的規範にも拘束される事がない。
株主も配当金の出所を気にせず、「費用対効果」で、投資に見合った配当が得られない事のみに激怒した。
国際金融資本は、特定の国に所属しながら、無国籍的に株主への配当を得る経済活動をおこなっていた。
つまり、国家的利益より個人的利益への結びつきの方がはるかに強かったのである。
投資対象国が結果的に崩壊しようとも、所在地の国家が財政難で混乱しようとも、その国の国民が如何に悲惨な状況に追い込まれようとも、無国籍的国際金融資本の存立基盤は地球上に複数あって影響は受けなかった。
マルクス「資本は、死せる労働である。それは、吸血鬼の如く生きた労働を搾取する事によってのみ生きる。そして、資本が生きれば生きるほど、資本はそれだけ労働を搾取する」
戦争の好景気で、裕福な者はさらに富を独占し、貧しい者は下層階級としてさらに搾取された。幸運を掴んで資産を増やした成り上がり者も増えたが、彼らは名門・名家・名族の由緒正しき血筋を引いていなかった為に、特権を持つ正統な上流階級の一員には成らなかった。
成り上がり者は、軽蔑されながら、特権を持たない便宜的な似非上流階級が与えられた。
階級社会の歪みが貧困者の憎悪を生むや、資産家は社会の批判をかわす為に、目に見える形で慈善事業や社会奉仕に参加した。
彼らのボランティアへの支出は、膨大なる資産の極一部で、単なる暇つぶしの娯楽的自己満足にすぎなかった。
だが、それを真似した新しい中小資産家にとっては痛手であったが、社会貢献に参加しないと貧困層から猛烈な攻撃を受けた。
12月3日 ウラジオストクなど極東の数カ所には、ロシア帝国を支援する為に連合国から送られた膨大な軍需物資が集積されていた。苦戦続きの連合国は、この物資が優勢なドイツ軍に供与される事を恐れた。
パリ最高軍事会議で、フランスのフォッシュ参謀長は日米両国にシベリア出兵を要請したが、日本代表松井慶四郎駐仏大使は親日的なロシア人の感情を反日に追い込むとして反対した。英米両国は、日本の意見に同調してシベリア出兵案は取り下げる様に申し込んだ。
10日 イギリスのバルフォア外相は、日本側にアメリカの単独出兵案を打診した。珍田捨巳駐英大使は、アメリカ一国によるシベリア出兵は、日本を排除するものとして不満を表明した。
翌18年1月1日 イギリス外務次官セシル卿は、珍田大使に、アメリカがシベリア出兵要請を拒否した為に日本軍を主力とした連合軍の派兵を申し込んだ。
珍田大使は、日本が欧米のご都合主義でいいようにあしらわれる事に不満を表明し、理なき共同出兵案を拒否した。
いざという時は、隣国という地理的特殊性から、残虐極まる共産主義の脅威から自国を防衛する自衛行為として、日本軍による単独出兵の権利を主張した。
当時の日本人は、サムライとして不撓不屈の武士道精神を持ち、民族主義から外圧には決して屈せず、孤立化を恐れず毅然と自己主張を行っていた。
国際派は、国際協調主義から、孤立化を避ける為にも共同出兵案を受け入れるべきだと主張した。
日本の新聞各社は、軍部以上にシベリア出兵を主張し、国民の好戦意識を煽っていた。
共産主義者らの反戦平和市民団体は、ロシア革命を守る為にシベリア出兵に反対していた。
12月7日 レーニンは、反革命派を取り締まる為に秘密警察チェカ(全ロシア反革命、破壊活動取締非常委員会)を設置し、ポーランド貴族亡命者にして無宗教反神論者である狂信的国際共産主義者ゼルジンスキー(ユダヤ人)を議長に任命した。
自分の欲だけで行動する分別を持たない十代の不良少年と貧困層出身の脱走兵や社会に不平不満を持つ刑事犯が、チェカ隊員に採用された。
チェカは、法を無視して主義主張のみで凶暴性を増して暴走し、人民への監視を強化して密告や誣告を奨励して、隠れている反革命派と支援者を炙り出した。共産主義に反対する者は本人とその家族や無実の親戚や友人・知人までも容赦なく逮捕して、闇から闇へと処刑するか流刑に処した。
数ヶ月の間に数十万人の政敵の姿が消え、私有財産は没収された。
没収された財産は、党最高幹部に分配されて、国家には極僅かしか返納されなかった。
この時から、共産主義による赤色テロが地球上を震撼させた。
ロシア共産党が目指したのは、人権を擁護する民主主義体制ではなく、人権を踏みにじる死と恐怖に支配されたプロレタリア独裁体制であった。
共産党一党体制の基盤が整うや、かっての盟友であった左派社会革命党や諸政党を弾圧して、党方針に疑問を持つ者は党幹部はもとより一般党員や支持者であっても容赦なく処分した。
ゼルジンスキー「正式の裁判など、私の知るところではない。私には裁判など必要ない。必要な事は反革命と徹底的に戦う事だ。反革命を皆殺しにしてやる!」
全ての農民に対して所有権廃止命令を出し、農業経営を破壊し貧困に突き落として、人為的に農村部に飢餓を発生させた。
土地所有の農家を全てクラーク・富農として攻撃し、20年末に措置が緩和されるまでの3年間に農村地帯で600万人以上を餓死させた。
党幹部や都市労働者には、「平等」に食料を配給した。
農村労働者には、外貨を稼ぐ為に都市生産を維持する必要があるとして、家族の食べ物までも強制的に供出する様に厳命した。
都市消費者の為に搾取される農村生産者は、生き残る為に「自由」を求めて反乱を起こした。
これが、共産主義に対する緑軍の反乱である。
政府は、農民の反乱を鎮圧する為に赤軍を派遣し、抵抗する数万人の農民を虐殺して緑軍を鎮圧した。
親を失った孤児らは、都会の路上に溢れた。路上チャイルドの内、12歳以上は「革命兵士」として戦場に送られるか、「犯罪者」として強制収容所に放り込まれて奴隷的重労働が科せられた。
子供であっても、労働者であり、革命兵士とされた。
12歳以下で神童的な優れた子供は、「マルクス主義の子供」としてエリート教育が施された。
諸外国の共産党も、10歳前後の聡明な子供を党幹部候補にするべく共産主義的洗脳教育を施した。
共産主義組織は、他の組織よりも若年層への思想教育に重点を置いていた。
ゼルジンスキー「大衆の飢えと苦しみ、子供の悲痛な涙、母親の絶望、こういうものは、人々が敵に打ち勝ち、最後の勝利を得る為に、どうしても捧げねばならない生け贄なのだ!」「人間なんて取るに足らない存在だ!飢えたときを見てみろ。生き残るため仲間の肉を食べ始める。自分が生き残る事しか考えていない。そんなものさ」
この後、東欧諸国の共産政権は人民の総選挙で合法的に成立した。
日本の社会民主主義者片山潜は、亡命先のアメリカでアメリカ共産党の設立に参加し、アメリカ在住の日本人らとロシア革命に倣って天皇制度打倒の社会主義グループを組織した。
12月26日 東3省総督の張作霖は、ロシア資本が経営する東支鉄道を支配する為に吉林軍を北満州に派遣し、ロシア行政区の管轄下にあるハルビンを奪還する為に軍隊を差し向けた。
中国政府は、モンゴル人民族主義者の後ろ盾となっていたロシア帝国が消滅したのを機に、外モンゴルやホロンボイルに軍隊を派遣し、モンゴル国とボルガ人自治区を滅ぼした。
親中国派モンゴル人やモンゴル人友好人士らの協力を得て、反中国派モンゴル人を逮捕して処刑した。
大量の中国人農耕民を肥沃な草原地帯に入植させ、伝統的遊牧文化を消滅させる為に牧草地を掘り起こして農耕地に変えた。
中国人は、自然が破壊されようとも一向に気にしないし、利益を得る為ならばむしろ喜んで自然を破壊した。
そして、少数民族を奴隷の如く扱い、彼等の富を全て奪った。
正統派儒教は、少数民族を人と認めず諸権利を否定し、中国人の少数民族への略奪と殺戮を正当行為と認めている。
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- 作者:日本神話講座制作委員会
- 発売日: 2010/01/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)