✬113」114」─1─アルメニア虐殺。ドレフェス事件。国際関係と日清戦争。政治シオニストとバーゼル会議。米西戦争とキューバ。義和団の乱。1890年 ~No.341 ~No.342No.343No.344 @         

   ・   ・   ・  
 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。↗
   ・   ・  【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】 ・    
 1890年 アメリカは、25年間という永きにわたった先住民族・インディアンとの戦争に勝利し、「フロンティアの消滅」を宣言した。
 インディアンは、圧倒的な戦力差から負ける事がわかっていたが、部族の誇りと祖先の栄光と自然豊かな生活環境を守る為に絶望的な戦争を行った。
 そして、情け容赦のない大虐殺の末に仲間を失い、不毛の強制居住区に押し込められた。
 キリスト教会は、民族中心宗教を邪悪な宗教として撲滅し、インディアンを半強制的に改宗させた。
   ・   ・   ・   
 1891年 ロシア政府は、内陸主要地域からユダヤ人を追放する為に、モスクワなどの主要都市に居住する全ユダヤ人を指定集住地域に強制移住させ、農村部で土地を所有して自活するユダヤ人の土地を国家財産として没収し強制退去を命じた。
 行き場をなくしたユダヤ人を、狭い生活環境の劣悪な閉鎖居住区に押し込める為に、各地の都市部に居住地区を増設した。
 そして、不快極まりないユダヤ人を国民の前から消す為に、人の多く行き交う港湾や駅周囲に立ち入らない様に禁止した。
 これは、ロシア系ユダヤ人移民増加問題に対する、アメリカ国民世論のロシア帝国への反感をやわらげる為の処置であった。
 一部のユダヤ人は、アメリカへの道を断たれた為に、農奴から解放された零細農民と共にウラル山脈を越えてシベリアや満州へ移住した。
 ロシア正教会は、ローマ・カトリック教会に対抗して異教徒を改宗し、独自の教区を拡大する為に移民団と行動を共にした。
 ロシア軍は、ロシア人移民が住み着いた未開地を帝国領にするべく北満州を占領し、さらに朝鮮を侵略する為に極東アジアの政情不安への干渉を始め、太平洋に出る道を確保する事を最終目標として日本占領を狙っていた。
 反日朝鮮人は、日本を消滅させる為に、キリスト教に改宗してロシア軍に協力した。
 ギリシャ正教は、「ユダヤ人は異端者、信仰の害、キリストを殺した子孫」と信者に説き、宗教権威でロシア帝国領におけるユダヤ人迫害を正当化していた。
 トルコ政府は、1892年に全てのユダヤ人に対して新たに土地を購入する事を禁止し、1897年には欧州からパレスチナへ移住する事を禁止した。
 バーゼルで開催された第一回世界シオニスト総会(1897年)は、苦境に喘ぐロシア・東欧系ユダヤ人の入植を禁止したトルコ政府の非人道的政策を非難した。  
 テオドール・ヘルツル「肝要なのは、ユダヤ人の苦しみがますます深まる事である。そうすれば、我々の計画が現実に近づく事になる。私には素晴らしい考えがある。反ユダヤ主義者をそそのかして、ユダヤ人の冨を葬り去らせるのだ。反ユダヤ主義者は、ユダヤ人虐待と弾圧を強化する事で我々の力になってくれる。故に、反ユダヤ主義者は我々の一番の友であろう」 
   ・   ・   ・   
 1893年 オーストリアのカール・ルエーガーは、反ユダヤ主義キリスト教社会党を結成した。
 資本家に搾取されている下層階級向けに社会改革を訴えて支持を拡大し、97年にウィーン市長に選ばれた。
 アメリカ政府は、鋳貨法を成立させ、イギリス金融に倣って通貨の信用を金銀複本位制から金本位制に統一した。
 2月 フィラデルフィア・リーディング鉄道がとナショナル索具会社が倒産して、19世紀最大の経済恐慌が起きた。
 経営難で倒産する会社が出始め、失業率は10%に達し、街の中に職を求める浮浪者が増え始めた。
 ヨーロッパの銀行家や投資家は、アメリカ経済の不安から投資していた資本を金に替えて引き揚げ始めた。
 アメリカの金保有率が低下するや、民間銀行の兌換銀行券の発行量も減少し、経済は失速し始めた。
 国民は、金融不安から預金を金に替えて引き出しに走り、手持ち資金を守る為に消費を控えた。
 銀行の取り付け騒ぎが拡大し、この一年間で500以上の銀行が倒産した。
 過剰投資を借金で行っていた企業や資本力の弱い企業など1万5,000社が、資金繰りが行かなくなり倒産した。
 失業者は各地で職を求めるデモを行い、労働組合は賃金の値上げ求めるストライキを行った。
 経営者は、経費削減から、賃金の高い白人労働者を解雇して賃金の安い中国人や日本人を雇った。
 マルクス主義系組織は、労働者から搾取する資本家を攻撃し、白人労働者から仕事を奪う有色人種労働者の排斥を訴えた。
 全州で労働争議が発生し、一部のデモ参加者は暴徒化して、略奪と放火を行った。
 州政府は、治安回復の為に軍隊を派遣し、多くの死傷者を出して暴徒を鎮圧した。
 5月1日 シカゴで、万国博覧会が開催された。日本政府は、国際社会に日本文化を宣伝する為に65万ドルを投じ、会場の特等地に宇治の平等院鳳凰殿を模した日本館を建設した。
 清国は、スコット法(1888年制定)で支那人が不利益を被っているとして、支那人排斥に抗議する意味で参加要請を拒否した。
 民間の支那人商人は、私的に参加をしていた。
 一部の支那人は、アメリカで稼ぐ為に偽造入国証明書を持って入国して行方をくらました。
 不況下のアメリカで、不法入国する支那人が社会問題となった。
 ストライキに困惑した経営者は、偽造書類と解っていても、生産を維持する為に中国人を雇った。
 白人労働者は、経営者に従う中国人労働者をスト破りの裏切り者として攻撃し、その鉾先は日本人移住者にも向けられ始めた。
 5月11日 貨車製造の大手であるブルマン・パレス・カー製造会社で、ストライキが発生した。
 アメリカ鉄道組合は、ブルマン争議への全面介入を決定した。
 クリ−ブランド政権のリチャード・オルニー司法長官は、鉄道資本を顧客とする法律家であった為に、シャーマン反トラスト法でアメリカ鉄道組合を裁判所に提訴した。
 クリーブランド大統領も、労働運動の激化でアメリカ経済が失速する事を恐れて、暴動化するストライキには軍隊を派遣して鎮圧するとの決意を表明した。
 7月4日 独立記念日。シカゴ駅で。1万人以上のデモ隊は、警備する警察・軍隊と衝突して大騒動となり、多くの死傷者を出した。
 10月28日 シカゴ市長カーター・ハリソンが、アイルランド人移民パトリック・ペンダーガーストに就職斡旋の約束を果たさしてくれないという逆恨みで、自宅で射殺された。
   ・   ・   ・   
 1894年 アルメニア人は、オスマントルコ帝国からの独立の為に相次いで武装蜂起した。
 トルコ政府は、アルメニアの独立を認めず、民族解放運動を弾圧し、2年間で30万人以上のアルメニア人を虐殺した。
 9月 ドレフェス事件。ユダヤ人将校の国家反逆行為疑惑事件に対し、軍部・右翼と共和派・社会主義者の対立によって。フランスの国論は二分された。
 フランスは、欧州文化の中心という意識が強いだけに、非フランス人への人種差別意識が強く、ユダヤ人やロマ人や植民地人への迫害は尽きる事がなかった。
 フランス革命後。ユダヤ教徒ユダヤ人は、ナポレオンによってゲットー(ユダヤ人居住区)から解放されて、「自由、平等、友愛」の名において市民権を獲得した。
 フランス革命の最大の恩恵授受者は、ユダヤ人であった。ユダヤ人は、高利貸しなどで蓄えた私財を資本として、各国政府及び封建領主の財政や各種の産業に融資した。
 情報を操る類い稀な才能と他者を蹴落とし競争相手を破産させるしたたかな商法で、瞬く間に世界金融を独占し、各国に紙幣を発行する中央銀行を設立して巨万の富を築いた。
 社会変革の矛先は、才能と努力次第で個人的に成功し独立を勝ち取り私有財産を築き人としての自由と権利を保証する新興勢力の資本家ではなく、広大な領地を持つ門閥貴族と神の法という宗教的価値観で人の道・道徳を規定するキリスト教会といった旧態依然の勢力であった。
 ヨーロッパ世界は、「国家は基本的法理念による憲法で統一され、社会は法律の下で自由と秩序を維持し、全ての国民は国家の法に定められた責任と義務を果たす事によって平等と権利が保証される」との原則論で近代化された。
 民族を守ろうとした正統派ユダヤ教徒は、独自の言語を維持し、奇異的な風俗習慣を信仰を理由に固守した。
 そして、「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」の宗教的信念で、神への信仰を守る為なら皇帝や国王への忠誠を拒否し、神との契約に基ずく律法・法体系を優先し国家が国民の義務と権利を定めた世俗法を無視した。
 近代における国家反ユダヤ主義は、普通の国民となる事を拒否するユダヤ教徒ユダヤ人への敵意として生まれた。
 国家に命を捧げる愛国心を正義と主張する国民は、戦争を禁止する神への信仰から戦場で生死をかけて戦っている戦友を見捨て、自分一人が助かる為に金で他人の命を買う非人道的ユダヤ人を国家からたたき出せと主張した。
 ヨーロッパの人種差別主義者は、無国籍ユダヤ人同様に、インド北西部に起源を持つ無国籍放浪者ロマ人を「ジブシー」と差別した。 
 ロシアのユダヤ人は、1825年の160万人から97年には522万人に急増した。その大半が、強制集住地域の極めて劣悪な環境にある狭い居住区に押し込められた為に超過密状態となり、ユダヤ人が就労できる職種も制限された為に極貧の中でその日を食いつなぎながら生きていた。
 指定都市部のユダヤ人人口は過密化し、衛生環境に神経質な民族性ゆえに出生率も増加してさらに住人が増加し、労働力は飽和状態となっていた。
 男の安い収入では家族を養う事が困難な為に、女性達は家庭から出て仕事を求め、子供達も学校に行かずに早い時期から働きに出た。
 キリスト教世界は、儒教世界の中国同様に家父長制の下での男尊女卑社会であり、女性は男の所有物として家庭に閉じ込め、男同様に社会に出て働く事を許さなかった。
 ユダヤ人女性が積極的に働きに出る事が、ユダヤ人への軽蔑を増幅させ差別を生んだ。
 ユダヤ人女性は、キリスト教的女性観を無視して社会に出て仕事につき、女性衣服の製造業では男性労働者以上の高度な技術を持った熟練労働者となった。  
 ユダヤ人は、都市工業が発展する事で差別を受けながらも賃金労働者となって働いたが、貧困状態が改善されなった為に市民的権利や労働条件の改善や賃金引き上げなどの要求を勝取る為に、労働活動を広めた。
 警察当局は、皇帝打倒の共産主義革命を取り締まるべく革命家を逮捕したが、その中にユダヤ人活動家が多く含まれていた。
 ユダヤ人活動家らは、体制からの弾圧が強化されるや、共産主義の暴力革命理論を労働運動に取り入れて過激化した。
 ユダヤ人活動家らは、当局の弾圧から逃れてドイツ帝国に逃亡した。ドイツ帝国は、世界戦略から裕福な知識層の亡命ユダヤ人を受け入れた。  
 ロシア帝国ヴィルニュスで、ユダヤ人労働者や手工業者や小商人らからなる社会主義者グループは「リトアニアポーランド・ロシアの全ユダヤ人労働者総同盟」(ブンド)を結成し、全ユダヤ人に平等な市民権が与えられる様に改革運動を開始した。
 ブンドは、虐げられているユダヤ人貧民階層の労働条件を改善し、諸悪の基である帝政を打倒すべきだと主張した。
 ユダヤ人女性労働者の多くも、女性を差別する男性中心のキリスト教価値観に憤り、女性の権利を勝ち取る為に労働運動に参加した。
 だが、ブント内部で民族主義シオニズムの影響を受けた勢力がユダヤ人国家の建設を求めるや、プロレタリアの開放と労働者による共和国建設を目指す革命主義左派は激しく対立した。レーニンらも、ユダヤ人に特別な権利を与える事に猛反対した。
 レーニン「誰であれ直接的または間接的にユダヤ人の『民族的文化』というスローガンを提唱する人は、プロレタリアートの敵、ユダヤ人の古いカースト的地位の支持者、ラビとブルジョアジーの共犯者である」(1913年)。
 非宗教的ユダヤ人は、共産主義者として民族特有の宗教や文化や習慣といったユダヤ的なものを憎悪し、自分の内なる拭い去れない「血」としてのユダヤ性を嫌悪して、革命運動に参加して異常な闘争活動に狂奔した。
 その代表が、スターリントロッキーであった。
   ・   ・   ・   
 1895年 イギリスのソールズベリー内閣のバルフォアは、大英帝国の国家戦略基本方針演説した。
 「英語を話す諸国民(アメリカを含む)の間には戦争を起こりえない、という原理が確立させるべきである」
 被害の少ない合理的な世界支配を維持する為に、アメリカの金を利用して、ヨーロッパのロシア帝国ドイツ帝国そしてアジアの清国や日本にお互いで戦争させるように仕向けて消耗を強いるべきであると。
 4月(94年5月〜) 日清戦争。日本は、世界の常識を破ってアジア最大の軍事大国清国に勝利した。
 イギリスの国際資本家達は、日本が近代化して国力を付ければ、何れはイギリスがアジアに持っている権益を侵す脅威になる事を警戒し、対応策として日本に知られないように極秘で中国人の反日的グループを保護・育成した。
 キリスト教の選民主義的白人至上主義の国際社会は、非白人にして非キリスト教徒の日本は「特殊で何をしでかすか分からない野蛮国」と恐怖した。
 「日本は得体の知れない野蛮で変な国」(1945年8月 ニューヨーク・タイムズ紙)
 白人のみの国際上流階級サロンでは、日本特殊論から「黄禍(イエローペリル)」が真剣に討議された。
 助長する日本を押さえ込み、自主独立心を去勢し、二度と立ち直れないように洗脳し、白人の命令に「ノー」を言わないように再教育して、白人に反抗する牙(軍事力)と爪(経済力)を奪い制御して、温和しい家畜の様に飼い慣らすべきであるく考えた。
 日本特殊論は、1946年の東京裁判の判決に反映され、連合軍の行った一般市民の大量虐殺を目的とした無差別絨毯爆撃や原爆投下は無罪とされた。
   ・   ・   ・   
 1897年 政治シオニストは、バーゼル会議を開き、宗教性を排除した世界主義的ユダヤ人国家の樹立を採択した。
 アメリカの宗教シオニストは、カナダのモントリオールで協議会を開催し、パレスチナの住人との共存を第一とする事こそ神の使命であり、政治的解決は信仰に反する反民族的手法と否定した。
 穏健なシオニスト組織は、過激なコスモポリタン的解決方法に反対し、民族主義的信仰を優先する宗教シオニストに同調した。
 マーク・トウェインエジプト人も、バビロニア人もペルシャ人も興り栄え、地球を様々な音色や怒号で満たした。しかし、儚き夢の如く消え去っていった。ギリシャ人とローマ人がこれに続き騒々しく音を立てて去った。他の民族が躍り出てしばしの間、松明を掲げたがいずれも焼き尽くし、今や黄昏の中に佇むか、消え去るかしてしまった。……万物が滅びて行く。だがユダヤだけはさにあらず、他のあらゆる力が過ぎいくとも、彼等は残る。一体、彼等の不滅の秘密は何なのか」  
   ※   ※   ※  
 福沢諭吉「悪友を親しむ者は、共に悪名を免れない」 
 1894(明治27)年7月 日本とイギリスは、新たな通商条約を締結した。日本は、外貨を稼ぐだけの輸出産業が発達しておらず、本格的な対外戦争を戦い抜くだけの財源がなかった。
 日本の安全を脅かそうとする仮想敵国の増加に対応する為に、戦費を海外に求め、外国への借金である外債に対する伝統的消極政策を転換して漸次積極政策を採用した。
 清国の張謇は、対日戦に備えて「朝鮮善後六策」を提出し、属国朝鮮王国を廃して領土の一部として朝鮮省を設立する事を提案した。
 親中国派朝鮮人エリートは、中華帝国編入は民族の宿願であるとして大歓迎した。
 アメリカ政府「朝鮮は清帝国の従属国家であり、半島における何世紀にもわたる封建的国家としての支配は、清国によって承認された」
 8月1日 日清戦争の勃発。日本は、自国中心の国防戦略から、隣国の李氏朝鮮清朝から独立して対ロシア攻守同盟に参加してくれる事を期待した。
 だが、李氏朝鮮は、日本の防衛構想に参加する事を拒否し、逆に中国を中心とした中華秩序を日本に押し付ける為に清朝の日本征討戦に参加した。
 日本の国力は貧弱で、軍事力は清朝の足元にも及ばなかったが、国防戦略から中国の朝鮮支配を排除するべく清朝に宣戦布告した。
 中国の知識階級は、正統派儒教の解釈から、日本の主戦論者以上に征日論を声高に叫び、中国の友好国である琉球王国を日本から奪い返す為の懲罰戦争であると主張した。
 朝鮮は、日本の正統政権である徳川幕府を打倒した天皇政権を滅ぼし、旧領対馬を奪還する為の「正義の戦争」と宣言した。参戦せず、軍事大国中国が小国日本を滅ぼすのを高みから見物していた。
 日本軍部は、ロシア帝国に侵略され植民地化されない為に、明治天皇の戦争回避の希望を無視して朝鮮に派兵し、中国領へと戦線を拡大した。
 もし、日本が清国軍に敗北したら、沖縄は中国領に、対馬は朝鮮領に、それぞれ割譲されていた。
 そして、朝鮮は、最終的に中国の領土に編入さた。日本と朝鮮は、中国の一部となって消滅していた。中国も、帝国主義時代を、強力な軍隊で生き残ろうとしていた。
 欧米の軍需産業は、両国に大量の武器弾薬を供給して莫大な利益を得ていた。
 10月 伊藤博文首相は、朝鮮国内の反日派を押さえ込む為に井上馨前内務大臣を駐韓大使として派遣し、イギリスのエジプトに対する経済支援を参考にして朝鮮に借款供与を行った。
 日本側は、朝鮮に親日政権を樹立させるべく、借款供与は政府間ではなく民間で行うべきであるとする陸奥宗光外相の主張を退け、経済従属化政策を強制した。
 衆議院は、激論の末に、翌28年2月に臨時軍事費から300万円を朝鮮に借款する事という政府案を承認した。
 朝鮮政府は、日本が提示した一方的な借款条件を経済的侵略として猛反対した。守旧派は、正統派儒教による伝統的人治国家を守る為に抵抗したが、日本軍の武力の前に屈服した。
 反日派は、日本人協力者から知り得た日本軍機密情報をロシア帝国に流していた。
 井上馨大使は、荒廃した朝鮮を整備し近代化させる為に、朝鮮政府の歳入約750万円のうち500万円を内政改革の経費にあてる様に内政干渉した。
 朝鮮は、計画性無き財政の失敗と王族や高官らによる国費の私的流用で破綻状態にあった。
 日本は、朝鮮における国内整備に必要な経費の不足分を補う為に、関税収入を担保として借款供与を決めた。
 同時に、鉱山開発や電信施設整備や鉄道敷設や道路及ぶ橋梁建設の権利を獲得した。
   ・   ・   ・   
 1895年4月 世界の常識を裏切るが如く、新興国日本は欧米列強が恐れていた眠れる巨人・清国を破った。
 国際世論は、広大な国土と世界一の人口を持つ中国が、かってのモンゴルの様にキリスト教世界を攻撃してくるのではないかと恐怖していた。
 日清戦争の世界史的意義とは、朝鮮をめぐる日本と中国の覇権戦争ではなく、アジア全体の主導権をめぐる戦いであった。
 日本と中国が対等関係で同盟関係を結び、協力し合ってアジアの権利を守るべきであったと確信する者は、世界史・人類史が理解できない「愚者」である。
 弱肉強食の原則に従って、敗北した清国はキリスト教国によって半植民地化され、敗戦国の中国人は奴隷的地位に落とされた。
 国際世論は、死に体となった清国は恐るるに足らないと安堵したが、同時に政治的経済的軍事的に台頭してきた日本を警戒した。
 天皇と日本政府は、国際社会の一員として、不平等条約改正と独立国としての正当な権利の回復を求めた。
 支配階級であるキリスト教徒白人は、同等の権利を要求する日本を傲慢な「黄色いサル」と侮蔑し、下等人種と軽蔑し差別した。 
 日本は、八紘一宇の精神から国際協調を表明し、明日・将来・未来の為に世界の平和に貢献し人類の発展に寄与する事であると説得に努めた。資源も資本も人材も無い小国日本は、外国に多くを依存しなければ文明国として生きられなかった。
 世界の人種差別主義者は、今・今日・そこにある危機として日本の発言は建前であり本心ではなく、本音は非白人種の指導者として世界を征服しようとしていると宣伝した。
 日本軍部は、満州から南下してくる世界最強のロシア陸軍を迎え撃つべく、手に入れた遼東半島に堅固な防衛陣地を築こうとした。だが、1899年にロシア帝国ドイツ帝国・フランスの三国干渉で、遼東半島を清国に返還した。 
 ロシア帝国は、全満州をロシア領に編入する布石として南満州鉄道の敷設権を獲得し、さらに朝鮮半島を手に入れるべく反日朝鮮人や反天皇無政府主義者日本人らに接近した。
 伝統的南下政策の一環として、満州地域と遼東半島をアジア侵出の為の軍事基地とし、朝鮮を日本攻略の前線基地とする為に李氏朝鮮の内紛に干渉した。
 ロシア海軍は、日本を海上から威圧する為に、日本の対岸に軍港建設地を要求した。
 ロシア帝国は、歴史的事実として、一度手に入れた土地は決して手放す事はなかった。もしロシア帝国から領土を奪還するとすれば、平和的な話し合いではなく、軍事勝利による武力占領以外に方法がなかった。話し合い外交が許されるのは、軍事大国のみであった。
 日本は国土防衛の為に、ロシア帝国と一度は戦わねばならない地理的運命にあった。
 王妃である閔妃反日派は、日本の侵略から自国を守る為にロシア帝国の軍事力を利用しようとした。ロシア帝国は、フランス・ロスチャイルドの財政支援でシベリア鉄道が完成するまで、日本の警戒心を弱める為に対日譲歩外交を採用した。外交とは、戦略の為の謀略である。  
   ・   ・   ・   
 1895(明治28)年4月 下関条約日清戦争終結
 「第一条、清国は、朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たる事を確認す。
 第二条、台湾・澎湖諸島遼東半島を日本に割譲する。」
 朝鮮は、統一新羅唐帝国の臣下として冊封して以来ようやく独立を回復した。
 琉球は、国際法に則り、中国領ではなく日本の永久領土となった。
 琉球人が、日本への編入を拒絶すれば、琉球は中国領となっていた。
 そして日本の海上輸送路は中国軍によって遮断され、日本の近代化どころか、国家としての存続さえ不可能となった。
 日本にとって、琉球と台湾の領有は命に拘わる重大事であった。
 閔妃と閔一族は、政敵である大院君ら保守派を失脚させ、権力を独占して専横を極めた。閔妃派官吏は、私腹を肥やす為に、貧しい庶民に幾重もの重税を課して圧政を行った。
 中国同様に自然破壊の進んだ朝鮮では、たびたび大飢饉が襲い、飢えた民衆の多くが餓死した。
 逃げ出そうとする気力のある者は、満州朝鮮族を頼って逃亡した。
 中国の朝鮮族は、そうした逃亡者の子孫であった。
 反日朝鮮人は、儒教小中華思想から日本を下位の国家と差別し、反日暴動を繰り返して半島に住む日本人に危害を加えていた。
 自国民保護の名目で派兵しようとする日本に対抗する為に、反天皇キリスト教会を通じて国際世論に訴えた。
 10月 朝鮮の日本公使三浦梧楼は、ロシア帝国の軍事支援を受けて日本を半島から追放しようとする閔妃を殺害し、反閔妃派の大院君を擁立した。
 対ロシア攻守同盟を強化する為に、親日派による政権を樹立するべく反日派を中央から閉め出した。
   ・   ・   ・   
 1896年2月 身の危険を察知した国王の高宗は、日本侵略から祖国を救う為にロシア帝国の保護を求めて、ソウルのロシア公使館に逃げ込んだ。
 親中国派朝鮮人は、ロシア帝国を新たな同盟国として日本への復讐戦を画策した。ロシア帝国は、まだ対日戦開戦の時期ではないとして、日本への懐柔策として高宗の引き渡しに同意した。
 反日朝鮮人は、反天皇派である日本の無政府主義者らの支援を得て、地下に潜り救国の抵抗運動を続けた。
   ・   ・   ・   
 1897(明治30)年 ロスチャイルドは、ロンドンにマルコーニ無線会社を設立し、世界中の通信網を支配した。  
 3月 松方正義首相兼蔵相は、議会で、国際金融市場で外資を獲得しやすくする為に金本位制を盛り込んだ貨幣法案を説明した。
 6月 ロンドン金融市場で、軍事公債4,300万円の内国債を外国債として売り出した。
 日本は、アジア侵出を続けるロシア帝国との戦争を想定して、国民への過重な負担を押し付けながら急激な軍備拡大路線を推し進めた。
   ・   ・   ・     
 1898年4月25日(〜8月12日) 米西戦争
 マッキンリー大統領は、アメリカ戦艦メイン号が原因不明の爆発で沈没するや、スペインの仕業であると告発した。
 国民世論は、スペインへの復讐戦を要求し、キューバ人の独立運動を支援した。
 スペインは、戦争を回避する為に譲歩して事件の調査を歓迎していた。
 アメリカは、一切の妥協を拒否して、スペインを攻撃し短期間で勝利した。世にいう、米西戦争である。
 戦争に勝利したアメリカは、領土を拡大する為にプラット修正条項でキューバ保護国化し、フィリピン、グアム、プエルトリコを領有した。
 アメリカは、自国の安全の為にプエトリコの領有とハワイの併合の為にスペインに戦争を戦争を仕掛けた。
 アメリカ軍は、スペインの苛烈な植民地支配に苦しむキューバ人を解放しようとしたわけでもなく、キューバを領土化しようとわけでもなかった。
 フィリピンは、ドイツ帝国がスペインから奪おうとしていた為に先手を打って買い取ったに過ぎなかった。
 フィリピンがドイツ帝国の植民地となっては、西太平洋がスペインの湖からドイツの湖となり、アメリカはアジア・中国への航路を失う危険があった。
 アメリカは、フィリピンを植民地化する事で日本を脅威と感じ始めた。
 セオドア・ルーズベルトは、安全保障を協議する為にディーイ提督を議長とする陸海軍合同会議を1903年7月に設置した。
 アジア地域で、植民地フィリピンを脅かす国は日本のみであった。
 陸海軍共同会議は、1906年から対日戦争の本格的研究を始めた。
 パン=アメリカン主義で中南米諸国に影響力を強め、支配強化の為にカリブ海政策で軍事的・経済的な干渉を行った。
 極東・太平洋にアメリカ的理想主義を広める為に、日本と明治天皇に救済を求めた独立国ハワイ王国を謀略で併合した。
 日本は、アメリカとの友好関係を優先して、小国ハワイ王国を見捨てた。
 アメリカは、フィリピンをスペインから簒奪した後は、スペイン以上の強権的植民地支配を行い、フィリピンの民族文化と民族中心宗教を抹殺してキリスト教国化した。
 フィリピン人は、アメリカに対して独立戦争を行い2万人以上が虐殺され、20万人以上が餓死もしくは病死した。「捕虜にはするな。弾丸は、捕虜に食わせる米より安い」。
 親米派フィリピン人は、民族的フィリピン文化を捨て文明的アメリカ文化を身につけ、民族言語を捨て公用語である英語を習得し、キリスト教に改宗して地主や役人の地位を得た。民族としてのプライドを捨てたフィリピン人は、アメリカ人にかわって貧しい同胞から搾取して植民地支配に協力した。  
 日本とアメリカの国境は、太平洋ではなく、フィリピンと台湾との間に再設定された。
 日本軍部は、フィリピン独立派を支援して、極秘に武器弾薬を送っていた。 
 マッキンリー大統領「フィリピンを向上させ、文明化させ、そしてキリスト教国化する」
 アメリカのジョン・ヘイ国務長官は、キューバを軍政下に置き、独立運動を戦ったキューバ人指導者を中央から排除して親米派政権を樹立した。
 国務省は、キューバを属国化する為に、キューバ共和国憲法の草案を送り付けて承認を迫った。
 草案には、後の日本国憲法と同じような、「外交、財政をアメリカが管理し」「それを遂行する為にアメリカ軍の駐屯する軍事基地グアンタナモを提供する」という条項(プラット条項)が加えられていた。
 キューバは反発したが、アメリカ側によって反対派の追放と分裂工作で、1901年に屈辱的な憲法を承認した。
 プラット上院議員「彼らは子供。自治は期待できない」
 アメリカは、見下す相手国を軽蔑を込めて「10歳前後の子供」と感想を述べる。
 マッカーサーが述べた「日本人の精神年齢は12歳」は、日本人が大人に成長できるという期待からではなく、本心の軽蔑からであった。
   ・   ・   ・   
 8月(〜99年) ハーグ平和会議。ロシア帝国は、イギリスやフランスやドイツ帝国に比べて軍備拡張に後れを取っていた為に、諸外国に対して軍縮会議を提案した。
 小国は、大国の軍事力を脅威と感じていた為に賛成した。
 大国は、ロシア帝国の本音を知っていただけに、諸外国のエゴで軍縮会議は失敗すると
して消極的であった。
 だが。世界の公的機関の多くが、「世界平和の為の軍縮」というロシア帝国の提案に賛同し、軍縮会議の開催を支持した。
 欧米諸国は、白人キリスト教国家の権利を守る事を優先する為に国際会議を開き、非白人国家の権利などは眼中にはなかった。
 それが、当時の国際常識であった。
 日本を含む26ヵ国が、平和会議に参加した。
 翌99年7月29日 仲裁に関する協約、陸戦法規と慣行に関する協約、ジュネーブ赤十字条約の規定を海戦にも適用する協約の3つの協約が結ばれた。
 日本は、国際社会で近代国家と認めらる為に誰よりも戦時国際法を遵守して、義和団事件日露戦争を戦った。
 欧米諸国は、宗教的白人至上主義から、非白人の人権など鼻から認めてはいなかった。その証拠が、義和団事件における蛮行である。
 所詮。非白人非キリスト教非西洋語の日本は、国際社会では部外者であった。
 非白人でも、キリスト教に改宗し、西洋語の一つを話せされば、庭師か洗濯女などの最低階級として白人社会の片隅をあてがう用意はあった。
 日本は、そうした白人社会の常識に挑戦する為に、白人の権利を守る国際法をの武器として学んだ。
 日本の近代化とは、国際的孤独が最初から運命付けられていた。
 国際法は、白人の権利であって、非白人は対象外であった。
   ・   ・   ・   
 イギリスは、ボーア戦争で、国際法を無視した。
 イギリスは、南アフリカで発見した金脈を手に入れるべく帝国主義戦争を始めた。
 保守派のチェスタートンは、武力を使って他国の資源を強奪する事は、イギリスの伝統文化に反し栄光ある歴史に泥塗る恥ずべき行為であると猛反対した。
   ・   ・   ・   
 1899(明治32)年6月 第二次山県内閣の松方蔵相は、イギリス系の三つの銀行と横浜正金銀行を引受発行団として、4分利付英貨公債1,000万ポンド(邦貨約9,763万円)をロンドン市場に売り出した。
 さらに、外貨輸入機関として日本興業銀行を設立した。だが、不平等条件下の日本には国際的地位はなく、国家としての信用度は低かった為に、一般投資家の信頼を得られなかった。
 結果、公募額に対して募集額は少なかった。
 それでも外債で得た資金で、鉄道の敷設、製鋼所の建設そして対ロシア戦に備えての軍備強化にあてた。
 日本は、国家防衛の為に、軍国化政策を推し進めた。
 ヘイ国務長官は、門戸開放宣言を行い、中国の門戸開放、領土保全、機会均等の3原則を主張した。
 だが、中南米諸国の門戸開放は拒否した。
 中国において資本及び商品の輸出市場として残されていた地域は、満州のみであった。
 日本にとって、満州と蒙古は経済と軍事において他国に譲れない重要な戦略拠点であった。
 アメリカの理想主義的要求に困惑したのは、日本ではなく、永年にわたって中国の租界と利権を維持する為に投資を行っていた欧州諸国であった。
 そんな中で、マッキンリー大統領が暗殺された。    
 ドイツ帝国は、イギリスがボーア戦争で国費を消耗させている間隙を突き、世界貿易の利権を得る為に海軍力強化を図っていた。
 ドイツが巨艦巨砲主義のもとで、国際金融資本の融資を得て大造船計画を進めた為に、イギリスは独占していた制海権を脅かされた。
 ロシア帝国は、アジアへの領土拡大の足掛かりにするべく遼東半島を25年間の期限で租借地とし、対日戦に備えて旅順をアジアで最強最大の要塞軍港とした。  
 日本は、国家安全保障に対する脅威と感じたのである。両国の戦争は不可避となったが、日本国内の反戦平和団体からロシア帝国との戦争に対する反対の声が上がった。
   ・   ・   ・  
 義和団の乱(1899〜1900年)。義和団は、仏教系白蓮教の流れを汲む、「正義と平和の拳」を信仰する武芸的秘密結社である。
 攘夷派は、中国人を人間以下の獣として使役するキリスト教徒白人に激怒して暴動を起こした。
 義和団は、3人の司教と31人の司祭と45人の宣教師を含む外国人250人(子供50人)や中国人キリスト教徒3万人以上(一説、約100万人)を虐殺した。
 清朝は、自然破壊による飢餓や洪水で悲惨な状況にある自国民の救済をよそに、義和団を正規軍に編入して日本や欧米諸国に宣戦布告した。義和団の乱は、国際戦争であった。
 日本を含む8カ国の多国籍部隊は、北京に孤立化した諸外国の外交官団や居留民団を救援する為に、義和団と正規軍を攻撃した。義和団は敗走し、清朝は降伏した。
 日本以外の諸外国軍は、多くのキリスト教徒が殺された事に対する報復として、武装した中国兵はもとより武器を持たない一般の中国人も見境なく虐殺した。
 日本を含む諸外国は、清朝に対して自国民保護の名目で北京郊外に自国軍を駐留する事を認めさせた。東京裁判は、日本軍の中国駐屯と居留民保護を戦争犯罪と認定とした。
 清朝は、日本への復讐戦に備えて新建陸軍を、ドイツ帝国から軍事顧問団を招聘しその指導の下で創設したが、義和団と共に消滅した。日本への再度の懲罰戦と台湾及び沖縄の奪還と朝鮮の宗主権の回復を目的として、極秘にロシア帝国と攻守軍事同盟を結んだ。
 中華思想の中国は、歴史上、一度たりとも日本を対等の国家と認めた事はなかった。
 よって、欧米に対抗する為の同等関係による同盟は成立しない。歴史的事実として、日本が主権を持って独立を守ろうとした時、中国を中心とした東アジア共同体に参加する事は不可能であった。
 正統派儒教は、上下関係を神聖不可侵とし、全てのモノを厳密に規定した。
   ・   ・   ・    
 2017年5月25日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
 白い韓国人
 ドイツから渡ってきたフレデリック・ホフマンは言った。ここは科学的にダーウィンの適者生存論で語たろう。
 優れたもの、すなわち白人が劣った有色人種を淘汰していくのは進化の当然の過程なのだと。
 ……
 ここまで尤もらしく人種淘汰を語られるのはヒトラーを生んだドイツ人だからこそだろう。
 実際、彼らの人種意識は強い。最初の人種抗争となる義和団の乱の発端はドイツ人宣教師の専横だった。
 立ち上がった義和団はドイツ人がやったように宣教師たちを殺して歩いた。独公使ケスラーは憤慨し、報復に傍にいた支那人ボーイを撃つ殺した。
 義和団は北京に入るとケスラーを捕らえ、耳鼻を削ぎ、目玉を抉り、心臓を取り出して生で食った。
 救出に駆け付けた独司令官ワルデルゼーは劣等民族の蛮行を罰する名目で部下に3日間、北京市街での掠奪と殺戮を認めた。
 柴五郎ら日本軍が守る街区に北京市民が避難してきたのはそういう白人の振舞があったからだ」



   ・   ・   ・    

北京の55日 [DVD]

北京の55日 [DVD]

黄砂の籠城(上) (講談社文庫)

黄砂の籠城(上) (講談社文庫)

黄砂の籠城(下) (講談社文庫)

黄砂の籠城(下) (講談社文庫)