・ ・ ・
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
産業革命から資本主義と共産主義が生まれた。
・ ・ ・
ピューリタンは、「救済予定説」を信ずるカルヴァン派である。
絶対神は、救済する人間を予め決めていて、救済しない人間がいかに善行を積もうとも救済しない。
救済が保証されている者は絶対神の恩寵に感謝し、救済されない者は諦めるしかない。
カルヴァン派は、徹底した個人主義者として、絶対神のみを信頼し人間を信用しなかった。
絶対神と契約した者は、絶対神に対してのみ忠実であれば、法に触れなければ後は自由に振る舞い、如何なる人間の言う事も聞く必要がない。
誰が救われ、誰が救われないかは、絶対神のみが知っていて、誰も知らない。
それは、生まれる前に既に決まっている。
社会的に成功を収めた者には、絶対神の意思が働いた証拠である。
絶対神の見えざる手が、成功者に差し伸べられていた。
絶対神の恩寵と救済を受ける者は、最初から予定されている「視える聖徳」がある。
・ ・ ・
ピューリタンは、過去ではなく未来の為に、古き伝統を重んずるヨーロッパと決別して新たに生きようとした。
アメリカのイノベーション(革新)とは、何もない所で何かを思い付き、その有りもしない思い込みを現実の物にするであった。
開拓精神のアメリカでは、古くから有る既存の技術を改良しながら進歩させることよりも、今までにないものを生み出すことであった。
ドラッカー「『なぜこれが今までなかったんだろう』。これがイノベーションに対する最大の賛辞である」
集団による組織力と過去の経験や技術を大事にする職人芸では、改良して行くという連続性の技術進歩はできるが、新たな物を産みだすという非連続性のイノベーションは不可能である。
・ ・ ・
新大陸にわたった初期のピューリタンは、広大なる大地に先住民が住んでいたが、その大地は創造主が創りたもうた土地であり、先住民だけではなく全人類のものであると確信していた。
先住民を殺す事は罪であるが、土地を得て生活する事は当然の権利と考えた。
ただ、農地として切り開く土地と先住民の狩猟する土地との境界線は曖昧であった。
先住民には、自然崇拝として、空間はもちろん大地を分ける境界線意識はなかった。
白人キリスト教徒は、絶対的価値観から、善と悪の二元論で全てに境界線を設け、絶対神の御言葉である善を広げるという神聖な使命から境界線をも押し広げた。
西洋キリスト文明と未開の文化との衝突は、避けられない定めであった。
近代的国民国家は、中世的封建国家とは違って、法の秩序を確立する為に法律のが及ぶ範囲での線引きを行い、その範囲を固有の領土・領海とした。
領土・領海内は、敵味方に関係なく法に従う限りは攻撃せず保護された。
領土・領海の外に一歩でも出れば、暴力が支配する不法地帯として自由に殺し合たった。
暴力と友好の境界設定は、中世に於いてはローマ教皇が宗教的権威で行い、近代に於いては国際法が政治的権力で行った。
パスカル「緯度が3度違うと、全ての法律が覆る。子午線1つが真理を決定する」
西洋列強が引いた線の内には人が住み文明があったが、線の外は人が住まない野蛮な土地とされた。
人類として尊重されたのは白人であり、白人でない人間は人権なき生き物とされた。
土地と冨の再配分ともいうべき地球の新たな線引きによって、国家と国民が確定され、帝国主義的植民地戦争が始まった。
初期は、旧世界である東半球のヨーロッパと新世界である西半球の南北アメリカ大陸間で。
次に、西洋とアフリカ・アジアの間で。
西洋は、キリスト教の絶対神の御名により、尊い「隣人愛の真理」を広めるという神聖な使命で、非キリスト教徒の土地を暴力で奪い占領し富を奪っていった。
中世的な野蛮への伝道願望がおさまるや、近代的な未開への資本略奪が新たな膨張願望となった。
西洋キリスト教文明による西進にしろ東進にしろ、最終的に行き着く所は非西洋非キリスト教の日本であった。
西洋が「土地と冨の再配分」の為に、神の御名で「戦争と平和」「秩序と無法」の境界線を広げる事を続ける限り、日本は自存自衛の為に戦争を余儀なくされた。
それが、太平洋戦争を決断した日本の歴史的真実であった。
・ ・ ・
16世紀までに スペイン人は、カリブ海のキューバ島、イスパニョラ島、小アンティル諸島などに住んでいたモンゴロイド系インディオ約700万人を皆殺にし、砂糖プランティーションで働かせる為にアフリカから黒人を奴隷として輸入した。
奴隷を繁殖させる目的と自分達の性欲を解消する目的で女奴隷(15%)も連れてきた。
・ ・ ・
白人キリスト教徒商人は、日本人を中南米に奴隷として売られてきていた。
バチカン・ローマ教皇は、キリスト教徒になった日本人を奴隷にしてはならないと教書を発布した。
敬虔な宣教師達は、日本人奴隷を助ける為に洗礼を与えてキリシタンにした。
・ ・ ・
1620年 イギリスを逃げ出した清教徒と貧困者ら計102人は、難民として、メイフラワー号でマサチューセッツ海岸に上陸した。
難民達は、慣れない土地に住みついたが生きる術が分からず、最初の冬で約半数が寒さと食糧不足で半数が死亡した。
生き残った者で、元気な者は病気や飢えで弱った者を看病した。、
先住民のインディアン・ワンパノアグ族は、彼らを友人として温かく迎え、新大陸アメリカで生きる為に魚の取り方やトウモロコシ(メイズ)の栽培を教えてた。
命辛々辿り着いた清教徒は、インディアンから水と食べ物を貰って生き返った。
清教徒は、人であるインディアンに感謝せず、インディアンを差し向けてくれた絶対神に感謝した。
北米のインディアンは、1,800万人から7,000万人が住んでいたと言われている。
1621年12月 難民達は飢えと寒さで犠牲者出さず新年を迎えられる事に、絶対神とインディアンに感謝する日を創った。それが、感謝祭である。
ハワード・ジン『若者の為の米国史』
「インディアンは入植者に親切で、煙草の栽培法を教え、魚の捕り方も指導した」
「白人は彼らほどうまく暮らしていけず、彼らを支配もできない事を恥じた」
「そこで白人は彼らを殺し、トウモロコシを栽培したが、彼らほど実りは得られなかった」
白人入植者は、開拓資金を得る為に、助けてくれたワンパノアグ族の酋長を惨殺し、その妻子と一族をカリブの奴隷商人に売り払った。
フロンティア・スピリットの始まりである。
アメリカは、ワンパノアグ族との出会いを忘れない為に「感謝祭」として祝った。
祖先から受け継いだ自由な天地と豊かで広大な自然、民族的な宗教的儀式、人を疑わない礼儀正しい穏やかな生活は、白人キリスト教徒の入植者が増加するにつれて破壊され行った。
中世的キリスト教会は、白人のみを人間と認めたが、白人以外の有色人種を獣と見なし、殺す事に躊躇いは一切なかった。
白人入植者は、文字が読めないインディオに不利な契約を押し付け、合法的に土地を奪って砦を築きインディアンを虐殺するか追放した。
そして、インディアンは誰もいなくなった。
だが。狂信的な清教徒は、排他的な人種差別主義者として、インディアン(ネイティブ・アメリカン)を絶対神に愛されない野蛮人と見下し、絶対神が創造して祝福した聖なる大地を奪い汚している異教徒と嫌悪した。
清教徒達は、神聖なる使命として、奪われた聖なる土地を創り主に戻す聖なる戦いを始めた。
力のあるピクォート族をけしかけて、ワンパノアグ族を滅した。
ピクォート族を滅ぼす為に、戦士の気概を奪うべく、酒を与えて堕落させて軟弱化させ、モヒカン族を味方に引き入れ強力な武器を与えたて攻めさせた。
滅ぼす相手を団結させない様に分断しお互いに敵対させ、利用する相手を次から次へと代えながらお互いに戦わせて根絶した。
奴隷の如く従順に従う者だけを「隣人愛」として、生き残る事を許した。
インディアンの平和な楽園は崩壊し、絶対神以外の数多くの自然神は消滅した。
北アメリカ大陸は、急速にキリスト教化した。
19世紀末までに、インディアンは約25万人に激減していた。
・ ・ ・
少数の難民が定住に成功するや、大勢の移民が押し寄せた。
親切心で難民を受け入れた原住民は、貪欲な移民によって排除され、追い遣られ、悲惨な末路を辿った。
難民・移民が原住民を死滅に追い込んで国家を建国した事例は、アメリカが初めてである。
難民・移民は、自由と民主主義の大義で原住民から土地を奪って理想国家・アメリカを建国した。
難民・移民は、侵略の一つの成功モデルである。
・ ・ ・
アメリカへの移住者は貧困出身の無学で無教養で無技術者であったが、長い船旅で船大工の技術や船の操船の技術を身に付けた。
上陸してからは、先住民のインディアンから農業の仕方を教わった。
後から上陸してきた移住者達は、新しい土地を求め、内陸に向かって川を遡って行った。
広い平地に定住し、さらに遡って滝などで行く先を遮られるや川辺を切り開いた。
東部開拓は、川の水力や森林の材木をエネルギーとして利用した。
開拓の動力源として威力を発揮したのは、水車であった。
アメリカの開拓は、東部では河川を行き来する舟であり、西部では大草原を越える馬や幌馬車であった。
水車で製材された大量の板と釘で、丸太や角材を組み合わせるのではなく、柱を立て梁を架けるバルーンフレーム(風船構造)を誕生させた。
・ ・ ・
1648年 ウエストファリア条約。カトリック教国・領主とプロテスタント教国・領主の間で人口を激減せる不毛な宗教戦争が繰り広げられた反省から、同じ信仰を共にする事を一つの目安として境界線を引き、それを国王及び領主の主権の及ぶ範囲で国境を明確化さ、相手の国の宗教に一切口出し、干渉しない事を取り決めた。
つまり、文明国間では宗教を原因とする戦争を禁止した。
・ ・ ・
1664年 イギリスは、オランダの植民地であるニューアムステルダムを占領し、英国王の弟ヨーク公の名にちなんみニューヨークと改称した。
・ ・ ・
1663年 アメリカで天然痘が4万人のインディアン集落で流行し、数百人の生存者を残して全員死亡した。
・ ・ ・
1683年 オスマン・トルコ帝国は、第二次ウィーン包囲戦に失敗したがオーストリアとの戦争を継続し、自軍内の反乱で敗北した。
1699年 カルロヴィッツで講和条約を結び、ハンガリー・トランシルヴァニア、スロヴェニア、クロアティアをオーストリア(ハプスブルク家)に割譲した。
中欧・東欧におけるハプスブルク家オーストリアの覇権が確立し、オーストリア・ハプスブルク帝国の繁栄が始まる。
ハンガリーでは、自治要求さらに独立を求める運動が強くなっていく。
・ ・ ・
1705年 ニューコメンは、蒸気機関を開発した。
産業革命が始まった。
・ ・ ・
1713年 ユトレヒト条約。スペイン継承戦争の和議。
1717年 ローは、フランス王家の巨額の赤字を解消する方策として、新大陸フランス植民地との独占的貿易権を持つ会社・ミシシッピ会社を設立した。
オルレアン公への追従として、ミシシッピ川の河口に彼の名を冠した町・ニューオーリンズを作った。
1720年 ローの金融緩和で市場に出回った大量の紙幣の価値が崩壊し、ミシシッピ会社の株も暴落して、インフレが起きた。
アンリ・フランソワ・ダゲッソーは、解任されて屋敷に引き籠もっていたが、国王の命で大法官に復帰した。
オルレアン公は解任された。
チャールズ・マッケイ「オルレアン公が図に乗って貨幣を増発した為に失敗した」
フィリップ・コガン「(紙切れである)紙幣は、何の価値の裏付けがなくても、人びとがそれをマネーとして信用する限りにおいて、マネーとして通用する」
紙幣を過剰に発行して信用をなくすと、マネーとして通用しなくなり、紙くず・ゴミとなる。
2月 ダゲッソーは、正貨保有を厳しく制限していた勅令を廃止し、正貨の保有を認めた。
人々は、紙幣を正貨に替えようと銀行に押し寄せた。
フランスにはイギリスのような中央銀行がなかった。
イギリスにはイングランド銀行があった為に、南海会社の株価暴落してもインフレにならずに済んだ。
5月 ローの銀行は閉鎖され、ローは解任された。
ローは、フランス宮廷から追放され国外に亡命して、1729年にベネチアで貧困のうちに死亡した。
フランス政府の財政危機は解決されず、インフレが悪化した。
フランス革命の遠因の一つになった。
1733年 イギリスは、アメリカ東海岸にジョージア植民地を建設した。植民地が13州となる。
1744(〜48)年 ジョージ王戦争。オーストリア継承戦争。英仏植民地抗争。
・ ・ ・
モンテスキュー(1689〜1755)「現に問題となっている連中は、足の先から頭まで真黒である。そして、彼らは、同情してやるのもほとんど不可能なほどぺしゃんこの鼻の持主である。
極めて英明なる存在である神が、こんなにも真黒な肉体のうちに、魂を、それも善良なる魂を宿らせた、という考えに同調することはできない。
人間性の本質を形成するものは色であるという考え方は非常に自然であり・・・」(『法の精神』1748年刊)
モンテスキューは、差別主義者として、肌の色によって黒人を差別する事は当然の権利だと主張している。
・ ・ ・
1755年 フレンチ=インディアン戦争。英仏海上覇権抗争。
フランスは、北アメリカ大陸を植民地として独占する為に、チェロキー族を中心としたインディアン部族と同盟を組みイギリスの進出を阻止しようとした。
イギリスは、フランスに協力するインディアンを殲滅する為に、天然痘患者が使用したウイルスに汚染された毛布などの品物を彼らに贈った。
天然痘のパンデミックが起き、インディアンの約半数が感染して死亡し、フランス軍は壊滅的な打撃を被った。
・ ・ ・
1756年 七年戦争。
1759年 イギリス軍は、ケベックを攻略した。
1760年 イギリス軍は、モントリオール攻略。イギリスは、カナダでの覇権を確立した。
ロシア帝国は、プロイセン王フリードリヒ2世治下のベルリンを一時占領した。
ドイツは、大国への道を進むに当たって、西のフランス王国と南のオーストラリア帝国と戦争を繰り返したが、東のロシア帝国とは協調した。
ドイツの伝統的国策は、ロシアとの友誼であった。
国際情勢或いは国内事情で、一時的にロシアと反目し敵対し戦ったとしても、ドイツの東方志向は不変である。
ドイツは、フランスやイギリスと戦って敗北しても国家の痛手を被るだけで済んだが、ロシアと戦うと国そのものを失った。
第一次世界大戦における、ドイツ帝国の滅亡。
第二次世界大戦に於ける、ナチス・ドイツの崩壊。
1763年 イギリスは、フランスなどとの植民地獲得戦争で財政赤字となった為に、国防費を維持するべく植民地アメリカに増税を命じた。
2月 パリ条約。大英帝国は、世界での覇権を確立した。
イギリスは、諸外国の攻撃を防ぐ為の防衛費を賄う為に、海外植民地に負担を命じた。
・ ・ ・