🔯69」─1─日本の学校で詳しく教えない「黒人30万年の歴史」~No.256No.257No.258 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 人類の祖先はアフリカで生まれ、全ての人間はアフリカ人の子孫である。 
 故に、日本民族の祖先はアフリカ人である。
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 徳川幕府鎖国令で日本を閉ざす前、日本人はアフリカ人同様に中世キリスト教会・イエズス会などの修道士会・白人キリスト教徒商人によって奴隷として世界中に売りに出されていた。
 イエズス会などの修道士会や白人キリスト教徒商人に日本人を奴隷として売ったのは、日本人である。
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 2023年 11月1日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「日本の学校で詳しく教えない「黒人30万年の歴史」 世界各地、多数の民族にまたがる壮大な物語
 いま世界的に、これまでの西洋中心の歴史認識の見直しが進められている。特に、豊富な資源、生産力とともにテクノロジーも急成長中のアフリカ大陸は、多くの企業や産業が進出しており、アフリカ史・アフリカ事情について最新のアップグレードを行うことで、ビジネスシーンにおいても異文化理解・コミュニケーションを深めるための貴重な知識となる。書籍『黒人の歴史 30万年の物語』より一部抜粋して紹介する。
 さあ黒い人の話をしよう。気の遠くなるほど昔に始まり、21世紀の今日に至る長い物語だ。黒人という語は「サハラ砂漠以南のアフリカにルーツをもつ人々」の意で使われることが多い。現にアフリカに住む人だけでなく、かつての奴隷貿易でアフリカ大陸から連れ去られた人々の子孫や、自発的にアフリカを出て各地に移住した人も含まれる。しかし、そうやって一括りにしてしまうと、アフリカ人の築いてきた国や文化、歴史の多様性が見えなくなる。
■多様な人々
 アフリカは人類発祥の地とされる。知られるかぎりでも30万年以上前のことだ。以来ずっとアフリカ大陸に住み続けた(つまりアジアやヨーロッパ、アメリカなどの大陸に移らなかった)人たちが、自らを「黒人」と呼んだことはない。ヌビア、ヨルバ、スワヒリなどの民族に分かれ、それぞれに独自の言語や文化を発展させ、独特な統治システムを築いてきたからだ。
 しかし16世紀以降、サハラ砂漠以南のアフリカ人は一括りに「黒人」と呼ばれるようになった。みんな由緒ある古代文明の末裔なのに、大西洋奴隷貿易に携わる商人やヨーロッパの植民地主義者は彼らを「劣等」と決めつけ、差別することを正当化した。
■抑圧の時代
 アフリカで別なアフリカ人の奴隷となっていた人たちを、ヨーロッパの商人は買い取り、「貨物」として船に積み込み、いわゆる「新世界」へと運んだ。陸揚げされた奴隷は市場で家畜同然に売買され、南北アメリカ大陸やカリブ海の島々で働かされた。最も数が多かったのは今のブラジルだ。
 むろん、奴隷たちも黙ってはいなかった。アフリカ西部の港でも、航海中の船内でも、アメリカ大陸に着いてからも必死の抵抗・反抗を続けた。反乱が成功した例もある。イスパニョーラ島の西部(当時フランス領)にいた奴隷たちは1791年に蜂起し、ついに支配者を追い出し、1804年に独立を果たした。現在のハイチである。
 その後の半世紀で、欧米の白人たちもようやく、奴隷制が悪であることに気づいた。そして肌の黒い奴隷たちと手をつなぎ、奴隷制廃止に動き始めた。アメリカでは1861年南北戦争が始まり、1865年に奴隷制反対の北部軍が奴隷制擁護の南部軍を下した。制度上、これで奴隷制は廃止された。
 だが喜ぶのはまだ早い。その後も奴隷出身者(解放奴隷)とその子孫への迫害は続いた。アメリカでは、いわゆる「ジム・クロウ法」によって人種隔離が合法化され、黒人差別が制度化された。これに反発する解放奴隷の一部は、アフリカ西岸にできた新生国家リベリアに逃れた。黒人をアフリカ大陸に戻してやろうと考える白人の「善意」で建設された国だが、あいにく昔から現地に住んでいたアフリカ人への配慮を欠いていた。
 ヨーロッパ諸国も奴隷制を廃止したが、代わりにサハラ砂漠以南のアフリカで植民地の建設に精を出した。アフリカを植民地として支配し、「劣等」人種の黒人を「文明化」するという新たなフィクションの誕生である。1884~85年には各国の代表がベルリンに集まり、話し合いでアフリカ大陸の分割を決めた。イギリスは西アフリカの広大な地域を取り、ベルギー国王はコンゴを自分の別荘地とした。この会議に参加したアフリカ人はいない。結果、1900年までにアフリカ大陸の90%はヨーロッパ諸国の領土となった。
 白人と手を組んで潤った一部の者を除けば、たいていの黒人は苦しみ、白人支配に必死で抵抗した。無理な労働を強いられ、ノルマを果たせなければ殺されることもあったからだ。1929~30年には英領ナイジェリアで女性たちが蜂起し、工場を襲撃し、裁判所に火を放ち、列車を止め、通信用の回線を切断した。
■勝ち取った人権
 20世紀になっても白人支配は続いたが、黒人たちも自らのアイデンティティに気づき始めた。音楽や美術、文学の世界を中心に、互いに「黒人」として手をつなぎ、国境を越えた運動を起こした。「ニグロ」などの差別的な呼称に対抗して自ら「ブラック」を名乗ることで、黒人としての連帯が確立されたのは20世紀後半のことだ。
 アフリカゆかりの黒人すべてが力を合わせ、共通の政治・社会的目標を追求する。そんな「汎アフリカ主義」の運動が各地で芽生え、1900年には英領トリニダード島出身のヘンリー・シルベスター・ウィリアムズの提唱で、最初の汎アフリカ会議(Pan-African Conference)がロンドンで開かれた。一方、地域レベルでも黒人たちは戦っていた。アフリカの黒人は植民地支配に抗し、独立を目指していた。アメリカの黒人は人種隔離政策の撤廃を、フランスやイギリスの黒人は対等な市民権を求めていた。そしてついに、機は熟した。
 1957年にはガーナが独立を果たした。以後もアフリカには続々と黒人国家が生まれた。アメリカでは1954年に「ブラウン対教育委員会」裁判で画期的な判決が出て、学校教育における人種隔離を解消する道が開かれた。
■まだ戦いは続く
 それでもまだ、奴隷制と植民地支配が残した負の遺産は解消されていない。差別は続き、黒人たちの戦いも続いている。黒人少年を殺した白人男性が無罪放免となったことに端を発する抗議運動「Black Lives Matter(黒人の命は大事だ)」は、あっという間に世界中に広まった。なぜか今も世界中で、黒人が不当な扱いを受けているからだ。本書でも、そうした不公正の数々に光を当てていく。
 だがそれだけではない。私たちは本書で、黒人の輝かしい歴史をこそ語りたい。黒人が今の世界にどんな影響を与え、どう変えてきたか。以下、私たちはそれを誇らしく描く。
 科学的に存在するのはヒトという種族のみ。
 人種は人工的で社会的な概念にすぎない。
 トニ・モリスン(アメリカの黒人作家、1931~2019年)
 もはや植民地ではない、今日からの私たちは自由で独立した民だ。
 クワメ・エンクルマ(ガーナ初代大統領、1909~72年)
 ネマータ・ブライデン(編集顧問)
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