🔔51」─1─世界で民主主義は衰退し中国やロシアのような権威主義が増えている。〜No.136No.137 

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 2024年3月20日 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「衰退続く世界の民主主義 冷戦期並みの低水準 スウェーデン研究所調査
 民主主義陣営の結束強化を図る韓国政府主催の民主主義サミットは最終日の20日、首脳級会合をオンライン形式で開いた。一方で、世界では民主主義の衰退が顕在化している。スウェーデンの独立調査機関「V-Dem研究所」が今月7日に発表した「民主主義リポート」によると、民主主義のレベルを示す「自由民主主義指数」は昨年、0・3を下回り、冷戦期の1985年以来の低水準を記録。同研究所のリンドバーグ所長は「世界各地で民主主義が後退し、権威主義化が進んでいる」と警鐘を鳴らす。
 同指数は公正な選挙や三権分立、表現・結社の自由などの状況に応じて算出し、民主主義と権威主義に区分。集計対象の179カ国・地域のうち、民主主義陣営は91で、ロシアや中国など88の権威主義陣営を数では上回った。しかし、人口面では民主主義陣営の29%(約23億人)に対し、権威主義陣営が71%(約57億人)と大幅に上回り、10年前の48%よりも割合を増やした。
 民主主義の退潮が特に目立つのが東欧や南アジアだ。ハンガリーではオルバン首相が強権的な政治体制を敷き、インドでもモディ首相の下でヒンズー至上主義が勢力を増していると指摘した。
 今年は世界人口の約45%を占める60カ国・地域で選挙が行われるが、うち半数超の31カ国・地域で民主主義が後退している。同研究所は11月の米大統領選に注目した上で「トランプ前大統領が2期目を務めれば、世界の民主主義に深刻な影響を与える可能性がある」としている。(本間英士)
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🔯17」─2・C─仏教経典は中国語よりヨーロッパ語の方が翻訳しやすかった?~No.54 

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 2018年2月18日 東洋経済ONLINE「ヨーロッパ人とインド人は、同じ民族なのか
 意外と知らない「民族のルーツ」
 宇山 卓栄 : 著作家
 ヨーロッパ人とインド人のルーツは?(写真: IBudgetPhoto.com / PIXTA
ここ数年、コンビニなど日本で働く外国人を見かける機会が増えています。言葉や肌の色はもちろん、行動のパターンなど、日本人と違うところがいろいろあると感じる人も多いでしょう。
 彼らはいったいどういう人なのか。それには、○○人という民族がどのように生まれたかを知ること、それが彼らを理解するうえで欠かせません。
 しかし、民族のルーツというのはミステリアスなことだらけです。「われわれ日本人はどこからやってきたのか?」という問いに関し、朝鮮半島や中国大陸からやってきたとする説がありますが、その実態は詳しくわかっていません。
 では、ヨーロッパ人はどうでしょうか。ヨーロッパ人のルーツについては、定説とされるものがあります。しかし、それが形成された経緯をたどれば、疑わしい点が多く、やはり、ミステリアスです。今回の記事では、それについて少し詳しく取り上げてみたいと思います。
 「インド・ヨーロッパ語族」とは?
 高校の歴史の授業で、「インド・ヨーロッパ語族」について習ったのを覚えていますか。インド人とヨーロッパ人は元々、中央アジアにいた同源の民族であり、共通の祖先を持つ。このように習います。
 多くの人は「どうして、インド人とヨーロッパ人が同じなのか?」「言葉も違う、肌の色や顔付き、文化や習慣も違うじゃないか?」と疑問を持ちます。しかし、教科書にはその説明がほとんどなされておらず、疑問をあいまいなまま放っておいたという人が多いと思います。
・2つの方面に分かれる
 では、何を根拠に彼らが「同じであった」というのでしょうか。それを読み解くためにも、「インド・ヨーロッパ語族」の復習を少しだけしましょう。
 インド・ヨーロッパ語族アーリア人(アーリアは“高貴”という意味)とも呼ばれ、中央アジアを原住地としていましたが、紀元前2000年ごろから寒冷化を避け、大移動します。西を目指した多数派は中東からヨーロッパへ、南を目指した少数派はインドへ移動します。
→次ページサンスクリット語がヨーロッパの諸言語と類似
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 2024年3月19日7:04 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「ユダヤ教キリスト教イスラム教との決定的な違いは何か? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。
 タイのワット・マハタート photo/gettyimages
 約2500年前のインドに生まれた仏教が、アジアに生まれた他の無数の宗教とは異なり現在の世界に広がっているのは、なぜなのだろうか? 唯一神を信仰するユダヤ教キリスト教イスラム教との大きな違いとは? 講談社選書メチエの新刊『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエル・ロベール著/今枝由郎訳)は、多言語に通じた著者の視点で、「仏教の強さ」を明らかにしている。
 【写真】チベットテーラワーダ
 コーランアラビア語カトリックラテン語、では仏教は?
 チベット語の仏典写本
 本書の著者、ジャン=ノエル・ロベール氏は、仏教を中心とした日本文化の研究で国際的に高く評価されるフランスの東洋学者で、2021年、第3回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞している。
 ロベール氏は、母語であるフランス語のほかに、中国語・日本語・英語はもちろん、朝鮮語サンスクリット語チベット語ラテン語ギリシャ語…などに通じた「ポリグロット(多言語話者)」で、学生時代から「不世出の語学の天才」と称されていたという(本書「訳者解説」)。
 そして、その能力は、仏教研究においても存分に発揮されてきた。ロベール氏は、さまざまな言語の仏典と言語資料を読み込むことで、仏教の世界的な広がりと多様性を明らかにしてきたのである。
 ではなぜ、仏教には「さまざまな言語の仏典」があるのだろうか? 
 実は、「さまざまな言語に翻訳されてきた」ということこそが、世界宗教としての仏教の大きな特徴なのだ。一方、一神教であるキリスト教イスラム教、ユダヤ教は、必ずしもそうではなかった。
 〈言語の問題は経典と切り離すことができない。コーランはその原語であるアラビア語でしか学習されないし、ヘブライ語モーセ五書だけが今日でも書写されるということを知らない人はいないだろう。また今から数十年前までは、カトリックでは聖書はラテン語で読まれていた。言語と宗教は密接に繫がっている。〉(『仏教の歴史』p.25)
 仏教と同じくインドに生まれたヒンドゥー教でも、〈神々と人間の完全な言語〉としてサンスクリット語が尊重されてきた。ところが仏教は――
 〈諸々の精神的伝統の中で、仏教は開祖がその教えをある特定の言語に限定してはならないと規定した最初であり、ブッダは各々の民族の言葉で教えを伝承することを推奨した。仏教の伝道者たちが、その教えをインドの内外に伝えた時、彼らの最初の仕事は受け継いだ教えをまずは口頭で、次いで文字で翻訳することであった。〉(同書p.25-26)
 開祖であるブッダ自身が、他言語への翻訳を推奨していたのである。
 言語からみた仏教の「意外な歴史」は、まだある。原始仏教といえば「梵語」すなわちサンスクリット語、と連想してしまうが、どうやらこれは日本人特有の「誤解」らしいのだ。
 日本の仏教寺院では、よく「梵字」を見かけるが、ブッダ自身が梵語(サンスクリット語)で教えを説いたわけではなかった。むしろ〈サンスクリット語は最初は仏教徒に軽蔑されたが、そのうちに主要な伝道言語の一つとなった。〉(『仏教の歴史』p.26)という。
 〈ブッダ在世当時およびその後の何世紀にもわたって、インドの宗教的、知的で偉大な言語はサンスクリット語であった。ブッダは明言してはいないが、弟子たちに彼の教えをサンスクリット語にしないようにと忠告していたと伝えられており、初期の仏教徒たちは意識的にサンスクリット語を避けてきた。その理由は、サンスクリット語バラモン教との繫がりがあまりにも強かったからであろう。〉(同書p.118-119)
 バラモン教とはヒンドゥー教の前身で、仏教以前からインド宗教の主流だった。しかし紀元1世紀頃から、バラモン教聖典以外でもサンスクリット語が使われるようになると、そうした状況に追随して、仏教もサンスクリット語を用いるようになった。そして――
 〈中国文化圏では、そして不思議なことに日本では、サンスクリット語は「ブラフマー神〔梵天〕の言葉〔梵語〕」として真言を記すのにもっとも有効な言葉となり、それを記すインド文字〔梵字〕も同じように見なされた。〉(同書p.119)
 中国語よりヨーロッパ語の方が翻訳しやすかった?
 それでは、初期の仏教では、いったい何語が用いられていたのだろうか。
 最古の仏教テクストとされるテーラワーダ(東南アジア系仏教)の仏典は、「パーリ語」で記されている。パーリ語は、アショーカ王の帝国で用いられていた言語に近いといわれるが、現在は使われておらず、仏典や仏教儀式の用語として伝わるのみだ。しかも、〈パーリ語ブッダ自身が話した言葉ではないことはほぼ確実である。それゆえに、これはすでに翻訳ということができる。〉(同書p.118)という。
 また、仏教は「アジアの宗教」と思いがちだが、それも結果からみた思い込みらしい。
 〈かつて仏教がインドから中国に伝播したことは、文化的には(中略)度肝を抜くことであった。ヨーロッパの諸言語は、中国語、日本語、チベット語よりもインドの諸言語に近い関係にあり、仏教概念の翻訳はそれ以上に難しくはないはずである。〉(同書p.18)
 パーリ語サンスクリット語と同じ「インド・ヨーロッパ語族」に属するヨーロッパの言語のほうが、中国語よりも翻訳しやすかったはずだ、というのだ。
 こうして仏教は、中国語やチベット語、東南アジア諸国の言語をはじめ、モンゴル語、コータン語、トカラ語、西夏語…など様々な言語に翻訳された。そしてその言語に新たな文字文化を誕生させたり、その土地の文法学や論理学、さらに言語文化や文学・思想の源泉にもなった。
 その結果、〈仏教の計り知れない多様性は他の宗教に見られるものを遥かに超えている〉(同書p.18)といい、〈仏教を一律に語ることはほとんど不可能である〉(同書p.27)という。
 〈仏教は、多様な文化に対する並はずれた適応能力によって、特異な豊かさを呈している。それゆえに、仏教徒ではなくても、仏教研究は魅惑的である。〉(同書p.27)
 この巨大な翻訳活動から生まれた多様性こそが、「世界宗教」としての仏教の「深さ」であり、キリスト教イスラム教、ユダヤ教とは大きく異なる「強味」なのだ。
 ※著者・ロベール氏の詳しい経歴については、〈日本研究国際賞を受賞したフランス屈指の東洋学者による〈世界レベル〉の仏教史入門、待望の日本語版。 〉を、さらに、〈中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」だ! しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている。〉もぜひお読みください。
 学術文庫&選書メチエ編集部
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 3月18日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」だ! しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている。
 学術文庫&選書メチエ編集部
 日本のお葬式や法事で耳にする「お経」が、チンプンカンプンでまったく意味が分からないのはなぜだろうか? 「仏教」とは、本来そういうものなのだろうか――。日本人が知っているのは、「仏教」のほんの一部分にすぎないことを教えてくれるのが、講談社選書メチエの新刊『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエル・ロベール著、今枝由郎訳)だ。
 「日本のアショーカ王」は誰か?
 本書によれば、中国・朝鮮やチベットはもちろん、東南アジアやヨーロッパでもまったく違う姿を見せることこそが、仏教の大きな特質だ。
 〈仏教について何かを語るときには、それがどの時代の、どの国の、さらにはどの宗派のことなのかを限定する必要がある。(中略)仏教は多様性を含んだ宗教であり、ある事柄に関して〔仏教ではこうであると〕決定的に断言することが非常に難しい。〉(『仏教の歴史』p.27)
 そのなかで、「日本仏教」はどう位置づけられるのだろうか。日本の天台宗の研究で国際的に高く評価されるロベール氏は、日本仏教について多くのページを割いている。
 550年頃に百済から公式に日本に伝来した仏教は、聖徳太子(574-622年)の働きによって本格的な発展を始めた。
 〈十七条憲法は仏教を国教として宣明したものと見なされるが、実際にはこの中には仏教的要素以上に儒教的要素が含まれている。しかしながら日本史においては、聖徳太子は仏教を保護した治世者として、日本のアショーカ王的存在として記憶されている。〉(同書p.110)
 奈良、東大寺の盧舎那大仏と如意輪観音。photo/istock
 その後、奈良時代東大寺唐招提寺など「南都仏教」の発展、平安時代天台宗真言宗の誕生を経て、鎌倉時代には新たな動きが起こる。日本の教科書で「鎌倉新仏教」と呼ばれる浄土系宗派や禅宗の創始だ。
 〈こうした潮流の全てに共通しているのは、膨大な大蔵経に説かれている極めて複雑な教義、実践、儀式の抜本的単純化である。実際のところ、大蔵経全体を読んだと自慢できるのはほんの一握りの僧だけである。民衆、貴族、武士に自らが実際に、そして有効的に仏教を実践しているという気持ちを抱かせたことが、こうした単純化された教えが、さまざまな階級に受け入れられ、普及した理由である。〉(同書p.115)
 そして、江戸時代の一種の国教化、明治時代の〈中国の文化大革命にも匹敵する徹底的な排斥〉(同書p.116)すなわち「廃仏毀釈運動」が吹き荒れた後――
 〈終戦と共に、神道はそれまでの地位から失墜したが、仏教が返り咲くことはなかった。ここで出現したのは、「新興宗教」と呼ばれるかなり独自な現象である。その中では、日蓮を祖と仰ぎ、『法華経』を崇拝する在家宗教が数多く見られる(創価学会立正佼成会など)。しかし一層革新的な運動もあり、伝統を無視して、外国─―中には西洋もある─―の仏教を直接導入したりする、正直なところ軌を逸したと言えるものもある。こうした中で、もっとも過激な集団であるオウム真理教による1995年春の東京メトロでの襲撃事件は記憶に新しい。〉(『仏教の歴史』p.116)
 日本仏教が「偏食」になった理由
 一神教では、同じ宗教の信者間に連帯や友愛の感情が生じるが、仏教徒には「すべての仏教徒」を代表して語る人や、中心的組織が存在しない。ダライ・ラマでさえ、〈その宗教的権威は自らがその長である宗派の域を越えるものではない。〉(同書p.26)という。日本仏教ももちろん、御多分に洩れない状況にある。
 〈仏教が最も深く浸透した極東の一つの国である日本の例を取ってみよう。仏教には数多くの宗派があり、全仏教界を統一しようとする試みはあるものの、近代社会が直面する大きな道徳的問題に対して、仏教を代表して一つの立場で見解を述べることができないし、その必要性すら感じていないのが現実である。〉(同書p.26)
 そうした日本仏教の歴史と現状については、訳者の今枝由郎氏が巻末で解説してくれている。なお、今枝氏はチベット歴史文献学の第一人者で、フランス、ブータンで長く研究に携わり、2023年、第57回仏教伝道文化賞を受賞している。
 以下、今枝氏の解説によると――
 インドから各地に伝播した仏教は、大別すると、スリランカ、東南アジアに伝わったテーラワーダ系(南伝仏教)と、中央アジアチベット、中国、日本へと伝わった大乗系(北伝仏教)の二系列があり、さらに大乗系は、大きくチベット系と中国系の二つに分けることができる。
 このうち、テーラワーダ系仏教ではすべての経典が大蔵経として一まとまりで伝承され、スリランカミャンマー、タイをはじめすべての国に共有されている。文字は国ごとに変わるが、言語的には古典語であるパーリ語のままで伝承され、注釈書や僧侶による法話は現地の言葉が用いられる。
 また、チベット系は、八世紀後半にチベットが仏教を国教として取り入れ、国家の一大事業として、当時インドで入手できた大乗仏教経典がすべて数十年の間に組織的にチベット語に翻訳されたという。こうしてテーラワーダ系仏教とチベット系仏教は、その教義、修行体系は大きく異なっているものの、各々が一つのまとまった大蔵経を共有しており、本来の僧侶の集団も存続し、仏教本来の姿が見失われていない。
 チベット仏教の僧侶たち。photo/gettyimages
 ところが中国系仏教では、仏教経典全体が一まとまりとして翻訳されることはなかった。インド、中央アジアの僧侶が、自らが精通しているいくつかの経典を単発的に中国語に翻訳してきたのである。
 〈こうした翻訳活動が数世紀に及び、結果的には膨大な経典が訳出されたが、けっして整然と組織的に行われたわけではなかった。いってみれば、仏教はアラカルト的に単品ごとにしか紹介されることはなく、仏教全体がセットメニューとして提供されることはなかった。すなわち中国人僧各人は、大蔵経全体からすればごく一部の経典だけに基づいて仏教を理解する、いわば「偏食」することになったわけである。〉(同書「訳者解説」p.168-167)
 そして、中国仏教の延長線上にある日本仏教は、この偏食――仏教用語で「専修(せんじゅ)」の傾向が一層高まったという。
 日本の各宗派は、もっぱら特定の経典を専門に修め、しかも経典そのものは漢訳仏典のままで、近代にいたるまで日本語に訳されることもなかった。
 結果的に「お経」は一般信者にはチンプンカンプンになり、日本の仏教は「信仰」というよりは、葬式、お彼岸といった「行事」「法要」としてのみ存在している感がある。
 〈かつて日本の携帯電話は、国際標準仕様とは異なる進化を遂げたがゆえに、生物が南米大陸から西に離れた赤道直下のガラパゴス諸島において独自に進化したのになぞらえて、「ガラパゴス携帯電話」(略して「ガラ携」)と評された。これにならえば、アジア大陸の東の海に浮かぶ日本列島に孤立して、千五百年近くにわたって特異な進化をたどった日本仏教は「ガラパゴス仏教」すなわち「ガラ仏(ぶつ)」ということができるのではないだろうか。〉(同書「訳者解説」p.169-170)
 しかし、だからといって、日本仏教が「本来の仏教から逸脱した誤ったものであると一蹴することはできない」と今枝氏はいう。ロベール氏が本書で述べているように、〈多様な文化に対する並はずれた適応能力によって、特異な豊かさを呈している〉(同書p.27)のが仏教なのである。
 ※著者・ロベール氏の詳しい経歴については、〈日本研究国際賞を受賞したフランス屈指の東洋学者による〈世界レベル〉の仏教史入門、待望の日本語版。〉を、さらに、〈ユダヤ教キリスト教イスラム教との決定的な違いは何か? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。〉もぜひお読みください。
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〖目次〗貼り付ける記事。:皇位継承と人口激減の原因はアメリカ大統領の道徳エゴであった。令和6年版。

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
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 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。

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2024-03-02
🎷64:─2─戦後レジームとは日本の人口を減らす為の人口抑制計画の事であった。~No.287 
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 日本の人口激減は、アメリカ・ソ連そして国連が仕組んだ罠であった。
 戦後レジームとは、日本の九条憲法と国連の敵国条項である。

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 ルーズベルトが日本人の上に原爆を落とす事にこだわったのには理由があった。
   ・   ・   ・   
2024-03-10
🎺40:─3・B─1944年9月 ハイドパーク協定。原爆を「日本人に対して使う」秘密合意。~No.179No.180No.181 
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 (ハイドパーク覚書原文より)
 The matter should continue to be regarded as of the utmost secrecy; but when a "bomb" is finally available, it might perhaps, after mature consideration, be used against the Japanese, who should be warned that this bombardment will be repeated until they surrender.
 (日本語訳)
 この問題は、極秘にし続けるべきものである。しかし「爆弾」が最終的に使用可能になったときには、おそらく、熟慮の後にだが、日本人に対して使用していいだろう。日本人には、この爆撃は降伏するまで繰り返し行われる旨、警告しなければならない。
   ・   ・   ・   
 ルーズベルトチャーチル - 確認の際によく指摘される項目
 https://www.amazon.co.jp>reviews-render>lighthouse
 ... 人の愛人を持った。真珠湾攻撃で失った3000人の若者の命など気にも留めなかった。簡単に洗脳され「ドイツ人、日本人を絶滅させ、民族浄化させる」と本気で考えた。議会 ...
    ・   ・   ・   
 裏切られた自由 - 確認の際によく指摘される項目
 https://www.amazon.co.jp>reviews-render>lighthouse
 簡単に洗脳され「ドイツ人、日本人を絶滅させ、民族浄化させる」と本気で考えた。 ... 渡辺惣樹氏は、フランクリン・デラノ・ルーズベルト( FDR)大統領の前の大統領で ...
   ・   ・    ・   
 ヒトラーは戦争を欲したか?--1939年9月1日の「開戦 ...
 http://www.asyura2.com>reki02>msg
 2013/9/1 -... させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった ... 日本人を狙った民族浄化は、かなり露骨になっているのに、何故か気付い ...
   ・   ・   ・   
 日本の人口激減は、ルーズベルトの対日強硬策を実行したGHQと敗戦利得者であるエセ保守・リベラル左派が計画的に起こした悪質な現象であった。
 戦後民主主義教育で生み出されたメディアと教育は、日本人を無能化するべく子供を洗脳した。

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 ハイドパーク協定
 1944(昭和19)年9月18日
 フランクリン・ルーズベルト米大統領ウィンストン・チャーチル英首相が米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について申し合わせた秘密協定
 1972(昭和47)年に初めて公開された
 ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国のロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の品種改良というとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。
 「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」

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2018-12-26
🎺54:─1・A─アメリカは、二種類の原爆投下実験と稲作地帯への枯葉剤散布を計画していた。1945年8月~No.259No.260No.261 @ 
2024-03-15
🎺54:─1・B─幻の日本に対する枯葉剤散布作戦。全国各地の国有林に埋められた化学兵器。~No.259No.260No.261 

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 減少する日本人は、日本民族であって日本国民ではない。
 外国人移民に日本国籍を与えれば、日本人は減る事なくむしろ日本人は増える。
 現代日本人は、民族主義を嫌い、日本民族への愛着はない。

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人口爆発。多産少死。
2018-03-14
🍙3〗4〗─1─国際連盟は、人口爆発を続ける日本で飢饉が発生する恐れがあると警告を発した。昭和元(1926)年。~No.8No.9No.10No.11No.12No.13・ @ 
2018-03-08
🍙7〗─2─太平洋戦争の原因は昭和5年~16年までの人口爆発と食糧緊急輸入に対するアメリカの経済制裁であった。~No.23No.24No.25・ @ ③
2018-04-11
🍙21〗─4─昭和16年6月 戦争回避を目的とした幻の「ニューギニア島日本売却」提案。~No.101No.102No.103・ @
2018-04-15
🍙21〗─8─ルーズベルトは、軍国日本に戦死か、餓死か、奴隷の如く土下座するかの選択肢を突き付けた。昭和16年11月~No.112No.113No.114・ @ 
2018-05-13
🍙29〗─1─アメリカは、極東委員会の対日食糧輸出不要論に従い飢餓状態にある日本への食糧輸出禁止を回答した。・昭和21年~No.187No.188No.189・ @ 
2018-05-02
🍙33〗─2─日本の自由・民主化改革や平和憲法制定はルーズベルトの遺志であった。日本難民救済会とララ物資。~No.211・ @ 
   ・   ・   ・   
2018-12-31
🎺55:─1─日本民族は、「国體」を死守する為に一億総玉砕を誓った。~No.272No.273・ @ 
2019-01-01
🎺57:─1─アメリカ軍は、3発目の原爆は10月中旬頃と報告した。昭和天皇の「聖断」。 関東軍最後の戦い。1945年8月10日~No.277No.278No.279・ @ 
2019-01-04
🎺58:─1─涙の聖断。昭和天皇は戦争を嫌う平和主義者であり、数多くの人道貢献を行った。~No.286No.287No.288・ @ 
2019-01-05
🎺59:─1─昭和天皇の聖断が、日本人を共産主義者の虐殺から救った。1945年8月16日~No.289No.290No.291・ @ ㊳
2019-01-07
🎺64:─1─ソ連は、日本領北方領土を占領し、北海道の強奪する事を決定した。1945年8月19日~No.303No.304No.305・ @ 
2022-06-10
🎺65:─1─日本陸軍の抵抗がなければ日本は分断国家になっていた。~No.306No.307No.308 ㊶ 
2019-01-09
🎺68:─2─アメリカの国民とユダヤ人は、懲罰として、昭和天皇の極刑(死刑)と天皇制度の廃絶を望んだ。1945年9月16日~No.317No.318No.319No.320・ @
2019-01-10
🎺69:─1─GHQは日本人洗脳ラジオ放送を始める。キリスト教史観とマルクス主義史観による日本犯罪教育。1945年11月~No.321No.322No.323・ @ 
2023-09-14
🎺70:─1─GHQWGIPで日本人に戦争贖罪意識を植え付け戦犯国の汚名を刻み込んだ。~No.324 
2019-05-16
🎺74:─1─アメリカの対日政策は、昭和天皇天皇制度を利用するが皇室は消滅させる事でった。〜No.335No.336No.337・ ㊺
2019-09-27
🎺77:─1─敗戦後の日本人は、反抗も抵抗もせず占領軍・GHQに媚び諂った。〜No.344No.345No.346
2021-02-12
🎺78:─1─1945年12月、GHQによるに教員組合の結成を指令。日本教職員組合日教組)。〜No.347No.348No.349 ㊼ 
2019-01-19
🎺81:─3─日本国憲法占領政策基本法)制定。憲法の主権は、日本国民ではなく実はアメリカ政府とアメリカ企業であった。1946年7月~No.362No.363・ @ 
2019-01-23
🎺87:─1─戦勝国の特権。日本占領軍兵士による強姦・殺人・強奪などの犯罪は無罪。~No.384No.385No.386・ @ (55)
   ・   ・   ・ 
人口激減。少産多死。
 2018-05-03
🍙34〗─1─静かな有事。人口激減は、GHQが押しつけた占領政策日本国憲法産児制限優生保護法が原因であった。~No.214No.215No.216・ @ 
2018-05-06
🍙34〗─2─GHQの人口抑制策は反天皇反日ユダヤ人と日本人共産主義者の仕掛けた罠であった。~No.217No.218No.219・ @ 
2018-05-08
🍙34〗─3─ルーズベルト日本民族絶滅方針とGHQの日本人口減少政策。加藤シズエと優生保護法。サンガー。~No.220No.221No.222・ @ 
2018-05-10
🍙34〗─4─アメリカ・GHQの対日占領政策の置き土産。母体保護法優生保護法。~No.223No.224No.225・ 
2018-05-24
🍙34〗─5─人口抑制と優生保護法成立に資金を提供した米富豪クラレンス・ギャンブル。優生保護法が日本人女性を救った。~No226No.227No.228・ @ 
2021-03-13
🍙34〗─6─GHQは優生思想で日本民族を減少させる人口政策を行った。~No.229No.230No.231・ 
2021-06-13
🍙34〗─7─GHQ対日占領政策における経済民主化とは、日本経済の弱体化・無力化である。~No.232・ 
2022-06-22
🍙34〗─8─日本の少子化と人口激減はGHQと加藤シヅエが原因の人災。~No.233 
2023-04-25
🍙34〗─9─「子供は二人まで」宣言。国・政府、メディア、教育が少子化を推進した。~No.234
2018-06-24
🍙50〗─1─人口爆発で食糧危機を進化して回避する。~No.277No,278No.279・ @ 
2021-02-01
🍙51〗─1─人口減少の出生抑制は正しい選択であった。人口激減の始まり。昭和49年。~No.283・ 
   ・   ・   ・   
2024-03-06
🍘48〗ー1ー人口戦略会議「2100年に人口8000万人維持」。2023年の出生数75万人で減少加速。~No.145 

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 日本を襲う陰謀論、文化マルクス主義者(リベラル左派)の陰謀、中国共産党媚中派)の陰謀、レーニンの亡霊(レーニン崇拝者)。
   ・   ・   ・   
 ソ連コミンテルンの27年テーズ、32年テーゼ。
 日本国内に潜む、反宗教無神論・反天皇反民族反日マルクス主義エセ保守。
   ・   ・   ・   
 レーニンは、搾取されている貧しき人民を解放する為には世界の共産主義化しかないとの信念から、日中戦争と日米英蘭戦争(太平洋戦争)をプロデュースし、中国共産党日本共産党ディレクションした。
 スターリンは、屈辱的日露戦争敗北の復讐としてレーニンの対日陰謀を実行し、ピョートル1世(大帝)の日本征服の夢を叶えるべく北海道と北方領土4島を武力で強奪しようとした。
 中国共産党は、レーニンスターリンの指示に従って軍国日本を対米戦争に追い込むべく、中国在住の日本人を虐殺していた。
 当時の日本人は、戦争を嫌い争う事を避ける現代の日本人とは違い、中国人の非人道的残虐行為に激怒し、惨殺された日本人の復讐・報復を政府や軍部に求めた。
   ・   ・   ・   
 日本人の共産主義者無政府主義者テロリストは、キリスト教朝鮮人テロリスト同様に昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。

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 現代日本の人口激減は作られた人為的現象で、自然現象ではなく、明らかなエビデンス、科学的根拠が存在している。
   ・   ・   ・   
 明治の近代化によって人口爆発期に突入し、明治元(1868年)年の3,455万人が昭和20年(1945年)の7,281万人に増加した。77年間で3,826万人、1年間で約50万人と増えた。
 63年後の平成20(2008)年には総人口が1億2,808万人に達した。63年間で5,527万人、1年間で88万人と増えた。
 日本の総人口は、140年間で9,353万人増加した。1年間で約67万人。
 人口爆発は多産少死で、若者が多く老人が少ない時代である。
   ・   ・   ・   
 日本の国内食糧生産で養える人口は約6,000万人で、昭和15年には約1,000万人が潜在的飢餓民となっていたが、仏印(現ベトナム)から外米を輸入して食糧危機を回避していた。
 外米を購入するに必要だったのは、在米日本資産・米ドルであり、食糧輸送船を動かす為に石油であった。
 日本を追い詰める最善の方法が、資産凍結と石油禁輸であった。
 異常気象で凶作が発生し外米を輸入できなくなれば、飢餓は顕在化して、国内で餓死者が出る怖れがあった。
 敗戦で東南アジアから外米を輸入できなると、東京・名古屋・大阪などの消費都市部で数千人の戦災孤児が餓死していた。
   ・   ・   ・   
 人口爆発期とは、老人が少なく若者が多い時代で、未来は明るく、子供達は夢や希望を抱い生きていた。
   ・   ・   ・   
 日本政府は、人口爆発で増えた余剰人口を解消する為に貧困層を海外移住で解消しようとした。
 アメリカは、国内に日本人移民が急増した為に人種差別的日本人排斥運動を始めた。
 中国や朝鮮では、アメリカの日本人排斥運動やソ連の敵日行動に連動して抗日運動が燎原の火のように広がっていった。
 そして、日本人の共産主義者無政府主義者テロリストやキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
   ・   ・   ・   
 親中国反日ルーズベルトは、日本の総人口を減らす為に軍国日本を戦争へと追い込む為に、嫌日派スチムソンの対日強硬策を採用して実行した。
 アメリカ政府は、正規兵をボランティア部隊としてファシスト中国(国民党)軍に派遣して日中戦争に参戦した。
 アメリカ軍による日本の女性や子供を生きたまま焼き殺す無差別絨毯爆撃や原爆投下実験は、科学的人口削減の為に行われた。
 ルーズベルト日本民族消滅計画は、戦争で減少した人口を回復させる為に劣等的外国人を大量に日本に移住させ人工交配で生み出され混血児を新たな日本人とする事であった。
   ・   ・   ・   
 スターリンは、天皇制度国家日本を滅ぼして新たに共産主義国家日本を建設するべく、ソ連軍と国際的人民義勇軍日中戦争に派遣して日本軍を攻撃した。
   ・   ・   ・   
 反天皇反民族反日ユダヤ系国際金融資本と欧米の軍需産業は、抗日軍を支援していた。
 戦後日本を混乱させていた左派系イデオロギー闘争は、大正時代から高学歴な政治的エリートや進歩的インテリの間に浸透していた反宗教無神論マルクス主義共産主義が原因であった。
 反天皇反民族反日的日本人達は、ソ連コミンテルンからの指示を受け、中国共産党からの協力・支援を得、国際的共産主義勢力と連携して人民革命を起こして天皇制度を廃絶し皇室を根絶やしにするべく策動していた。
 彼等にとって、数万年前からの民族的な歴史・文化・伝統・宗教・神話には興味がなくむしろ唾棄すべき「諸悪の根源」に過ぎなかった。
 彼等のイデオロギーDNAは、現代日本現代日本人の中、特に左派リベラル系の教育界とメディア業界に根強く残っていて、一部の保守系の中にも存在する。
   ・   ・   ・   
 昭和27(1957)年4月28日に日本が独立し、自由諸国の一員として国際社会に復帰する前後、国内でも荒々しい風が吹いていた。一つは日本共産党武装闘争である。暴風とすらいえるものだった。もう一つの左翼政党、日本社会党は共産思想をめぐる距離の違いから左派と右派に分裂した。共産主義は排するとした左派だったが、距離は近かった。土台にあるのはマルクス主義階級闘争なのである。左派は労働組合の全国組織、日本労働組合総合評議会(総評)と連動した。国会外での闘争も活発になる。1960年安保闘争に至る流れはこのころにできている。
 ……。
 武装闘争
 ソ連の独裁者スターリンが筆を入れ、共産党第5回全国協議会(5全協)で採択された『綱領─日本共産党の当面の要求』については、前回触れた。こう書かれていた。『日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しようと考えるのはまちがいである』(『日本共産党綱領集』昭和32年)。
 ……。
(令和4年11月号 正論「産経新聞の軌跡 昭和20年代編  河村直哉」)

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 戦後日本における人口爆発
   ・   ・   ・   
2018-07-20
🌁28〉─1─安定した年金老後は人口爆発期に作った夢のような成功モデルであった。~No.117・ @ 

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 ウィキペディア
 日本
 日本の合計特殊出生率(TFR)と出生数(1000人単位)の推移。
 第一次ベビーブーム
 日本では1947年から1949年にベビーブームが起きた。この3年間は出生数が250万人を超えており、合計すると約800万人程度の出生数となる。1949年の出生数269万6638人は戦後の統計において過去最多であり、この出生数は2019年の出生数86万5239人の約3.1倍である。なお、この期間に生まれた世代は団塊の世代と呼ばれる。
 第二次ベビーブーム
 1971年から1974年までの出生数200万人を超える時期を指すことが多く、1973年の出生数209万1983人がピークとなった。ただし、この出生数の増加は第一次ベビーブームと違い、合計特殊出生率の増加が伴われない出生数の増加である。なお、この期間に生まれた世代は団塊ジュニアと呼ばれることが多い。
 しかし、日本においては、第二次ベビーブーム以降少子化の一途をたどり、未だに2020年代に入っても第三次ベビーブームは発生していない。詳しくは「団塊ジュニア#消えた第三次ベビーブーム」や「少子化#日本」などを参照のこと。
   ・   ・   ・   
 2020年10月24日・31日号 週刊現代少子化政策で『子供は2人まで』を決議していた
 1974年7月5日付 朝日新聞産児制限で人口増に歯止めに
 日本人口会議宣言「子供は2人まで」
 国民的合意で実現を』
 1974年7月5日付 読売新聞『〝子供は2人までに〟
 年130万人増は危険 日本人口会議が宣言
 高齢者社会に備え 専門家200人を集めて 政府、今秋シンポジウム』
 1974(昭和49)年 国を挙げて『産み控え』を推奨
 74年に厚生省(当時)人口問題審議会は、『出生抑制に一層の努力を注ぐべき』と提言している。
 1976(昭和51)年 国民は『子供を作らない』ことを選択
 11月19日付 朝日新聞出生率、49年末から急減 不況で産み控え?
 50年後に静止人口 予想より500万人減』
 73年のオイルショック後の不況も響き、74年を頂点に日本の出生数は減少局面に入った。」
   ・   ・   ・   
 2024年2月27日 東京新聞「出生数は第2次ベビーブームのピークだった1973年(約209万人)以降、減少傾向に入り、16年に100万人を割った。2022年の速報値は79万9728人で初めて80万人を下回り、23年はさらに4万1097人減った。減少は8年連続。
 厚労省の国立社会保障・人口問題研究所は将来推計人口で、76万人を割るのは35年と見込んでいたが、実際は12年早まった形だ。」
   ・   ・   ・   
 大来佐武郎の人口問題審議会。
 人口爆発で歯止めがきかず人口が急増する事に危機感を抱いた日本政府は、適正人口を8,000万人と定めて人口増加を緩やかにして人口抑制策を採り始めた。
 1974(昭和49)年 国を挙げて『産み控え』を推奨。
 1976(昭和51)年 国民は『子供を作らない』ことを選択。
 その為に、メディアと教育は子供は国の宝と子供は愛の結晶という子供神話を壊し、「子供は親の人としての権利を奪う存在である」という新しい認識を広めた。
 重要な課題は、「女性は結婚して子供を産み育てる」という良妻賢母を理想とする家の呪縛からの解放、つまり女性の社会進出を推し進める事であった。
 その為には、日本は男尊女卑の「女性差別社会=ブラック社会」である事を認識させる必要があった。 
   ・   ・   ・   
 第三次ベビーブームは起きなかった。
2018-06-29
🦋6〗─3─誰が団塊ジュニアの第三次ベビーブームを潰し少子高齢化と人口激減をもたらしたのか。~N0.20・ 
2023-02-07
🦋6〗─4─経済大国日本を衰退させたのは「おじさん・シニア文化」であった。~No.21No.22No.23No.24No.25 
2024-03-07
🦋6〗─7─第3次ベビーブームはなぜ起きなかったのか。平成4年国民生活白書「少子社会」~No.24No.25 
   ・   ・   ・   
 マルクス主義者であるエセ保守とリベラル左派は、天皇信奉の日本民族を消滅させる為に暗躍していた。
 彼らの最終目的は、天皇制度の廃絶と天皇家・皇室の断絶であり、日本固有の伝統的神話物語の消滅、つまりは日本を科学万能の反宗教無神論国家に作り替える事であった。

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 
 
 メディアは人口を減らす目的で、第3次ベビーブームを起こさないようにする為に独身貴族とパラサイト・シングルを煽り、今だけ・自分だけ・金だけの価値観で若者達を洗脳した。
   ・   ・   ・  
2024-03-08
🦋6〗─8─メディアは若者の新しい生き方としてパラサイト・シングルを美化した。~No.25 
2024-03-09
🦋6〗─9─メディアが称賛した独身貴族の孤独な老後。1977年。~No.26
2024-03-10
🦋6〗─10─核家族孤独死老老介護が発生しやすい原因。~No.27 

 *  *  *  *  * ・・・ 

 平成年間。政府・官僚、国会・政治家、メディア、教育・学者、企業・経営者などのエリートやインテリ達は、日本で人口激減が始まり、その結果、将来にどんな深刻な事態が起きるかを知りながら、それを食い止める方策を考えず放置してきた。
   ・   ・   ・   
2024-03-13
🚷7〉─11・I─「人口崩落」が止まらない日本。出生数75.8万人過去最少。~No.50
2024-03-14
🚷7〉─11・J─日本人がいよいよ「絶滅危惧種」になる。人口減少は2段階で進む。~No.50 
   ・   ・   ・   
 厚生労働省が発表した、2023年の出生数速報値によると75万8631人と前年に比べて5.1%も減少、8年連続でのマイナスとなり、1899年の統計開始以来、最低となった。
 対して、死亡数は159万503人と過去最多となり過去最大の人口減少を記録し、社会機能が軋み始めている。

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 
 
 昭和の人口爆発期における8,000万人とは、若者が多く老人が少なかった。
 令和の人口激減期における8,000万人とは、老人が多く若者が少ない。

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 エセ保守とリベラル左派の文化マルクス主義者は、メディア業界や教育界での自己満足的「権威」を維持する為に、自分の業績を書き換え自分を乗り越えようとする有能な助手や優秀な学生を学界中央から地方や閑職に追放し、自分よりレベルが低く言いなりになる腰巾着やヒラメのような助手を後継者に指名し、薫陶して育てた従順な学生達を集めて派閥を作って院政を敷いた。
 彼等は絶対的「権威」を振りかざし、自分より優れた人材を認めず育てず、悪意の●○神話を作り広め、日本を衰退し崩壊させるガラパゴス化と蛸壺化へと追い込み、バブル崩壊からの復興や回復を潰した。
 彼等とは、北朝鮮日本人拉致事件を否定し、日本を批判・非難する関東大震災朝鮮人・中国人虐殺事件、従軍慰安婦問題、歴史教育問題、靖国神社問題などを世界に広めた教育界・メディア業界・法曹界(弁護士)で活躍していた権威者である。
 1980年代後半以降の高学歴出身企業家・経営者にも言え、彼等は視野が狭く思考力・発想力・決断力などの総合力が乏しい故に改善的リノベーションに固執して経済発展をもたらす最先端の科学技術を潰し、横並びと前例主義による「出る杭は打たれる」で時代を動かすベンチャー企業や世界を驚かす破壊的イノベーションを徹底的に潰し、将来有望な若者から夢や希望を奪った。
 1980年代頃の日本は、自然に優しい再生可能エネルギーの最先端技術を持ったトップランナーであったが、2000年代に気付けば何時の間にか後進国並みの低レベルに後退していた。
 文化マルクス主義者は、バブル経済期で権威あるカリスマと呼ばれ、2010年頃から勝ち組で逃げ切り組の若者を踏み台にしている「老害」と言われるようになった。
 2020年代から深刻な問題となる、農業衰退と食糧自給率低下、老人が多く若者が少ない人口激減(日本民族消滅の危機)、外国人移民(主に中国人移民)増加、外国資本(中国資本)による国土と企業の爆買い、その他の諸原因は、この時代を動かしていた高学歴の政治的エリートと進歩的インテリ達の反天皇反民族反日的日本人が原因であった。
 彼等が目指したマルクス主義的人材教育とは、金太郎飴的人材を大量生産して世に送り出し、日本民族(純日本人)の古臭い根本的本質的価値観(懐の広い寛容さ)を消滅させ日本人を根無し草状態(無関心・無責任)に追い込む事であった。
 彼等の口癖が、「天皇・皇室はそれほど古い家族・一族ではない」であった。
 彼等は、人権派護憲派・反自衛隊派・反戦平和派、反米派・反安保派、反核派・反原発派、親中派媚中派として日本学術会議など権威ある機構・組織・団体の中枢を占めている。
   ・   ・   ・   
 文化マルクス主義者によって、2010年頃のノーベル受賞ラッシュは今後は望めない。
   ・   ・   ・   
 文化マルクス主義者とは、国境を低く無力化し、国家を無価値化して乗り越え、民族を無意味化して消し去るボーダーレスを目指す反宗教無神論のグローバリストであった。
 グローバリゼーションを日本に持ち込み、マイナス面を広め、負のグローバル化で神話的な公徳や民族的な家制度を潰した。
   ・   ・   ・   
 ビズクロ
 しらけ世代とは?一般的な定義や年齢・特徴・背景について解説
 最終更新日時:2023/06/14
 しらけ世代とは
 しらけ世代とは、団塊世代とバブル世代の間の世代のことを指します。現在日本の多くの組織で中枢を担っている人が多い世代です。本記事では、そんなしらけ世代について、しらけ世代の年齢から特徴まで詳しく解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
 しらけ世代とは?
 しらけ世代とは、団塊の世代とバブル世代の間にある世代のことです。管理職が多い世代でもあるため、上司がしらけ世代に当てはまる場合も多いことでしょう。
 まず、しらけ世代とは何かを理解するために、定義・年齢・由来など、基本的な部分からみていきましょう。
 しらけ世代の年齢
 しらけ世代は、1950年〜1964年生まれで2023年現在59歳〜72歳の定年前後である世代です。団塊世代に次ぐ世代であることから、ポスト団塊世代とも呼ばれています。しらけ世代が過ごした時代は、団塊世代で活発だった学生運動も沈静化を迎えた時期でした。
   ・   ・   ・   
 文化マルクス主義者は、2020年代でも日本国内で隠然たる勢力として影響力を持っている。その事実は、天皇家・皇族は税金泥棒という誹謗中傷、そして日本国の衰退、日本民族の激減、食糧自給率の低迷である。
   ・   ・   ・   
 平成20(2008)年6月12日 自民党外国人材交流推進議員連盟は、今後50年間で約1,000万人の移民受け入れを目指す提言案をまとめた。
 エセ保守派は、安価な外国人人材(労働者)を求める経済界の強い要請に従い、大量の移民を受け入れるという世界的風潮に乗り遅れない為に、民族国家を移民国家に転換する事を提言し、日本を多民族共生社会・多文化多宗教多言語社会に改造する為に日本民族を少数派におとして日本文化・日本神道・日本天皇を消滅させる事を決断した。
 多数派のエセ保守はリベラル左派同様に「移民国家論」者で、少数派の正統保守・真正保守天皇主義者は「移民反対論」者である。
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 令和5(2023)年6月23日 YAHOO!JAPANニュース 共同通信「中国、米抜き科学貢献度首位 研究論文、日本は5位
 自然科学研究貢献度の国別順位
 【北京共同】英科学誌ネイチャーの出版元シュプリンガー・ネイチャーは23日までに、世界の有力科学誌が2022年に掲載した論文に対する国別貢献度を分析した結果、中国が初めて米国を抜きトップになったと発表した。日本は21年と同じ5位だった。中国は国を挙げて技術向上を進めている。
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 6月27日 MicrosoftStartニュース SmartFLASH「国際競争力、日本は35位で過去最低「異次元の凋落」「悲しいけどこれが現実」SNSにあふれる無念の声
 © SmartFLASH
 スイスの「国際経営開発研究所(IMD)」が発表した2023年版「世界競争力ランキング」で、日本は前年より順位を1つ下げ、世界35位だった。順位は2年連続で低下し、過去最低を更新した。6月26日、共同通信が報じた。
 IMDは世界の主要な64カ国・地域を対象に、「経済実績」「政府の効率性」「ビジネスの効率性」「インフラ」の4項目で、競争力を評価している。日本は「ビジネスの効率性」を除く3項目が前年より順位を落とした。
 アジアでは世界4位のシンガポールが最高。6位の台湾、7位の香港とともに世界のトップ10に入った。中国は21位、マレーシアが27位、韓国が28位、タイが30位、インドネシアが34位となっており、日本を上回った。
 日本はランキングの発表が始まった1989年から4年間は、競争力が世界首位だった。しかし、今回はアジア太平洋地域で14カ国中11位となり、凋落ぶりが顕著になっている。
   ・   ・   ・   
 6月27日 MicrosoftStartニュース 日刊SPA!「「日本を飛び出して本当によかった」年収360万円だった43歳男性、アメリカに渡り年収2000万円に
 バブル経済が崩壊した1990年代以降、日本人の平均年収は「400万円台」から30年間ほぼ変わっていない。しかし、自身の“市場価値”を把握し、世界を相手に適正年収で働く日本人も存在する。果たして、我々日本人の値段とは――。
 ……
 取材・文/週刊SPA!編集部
 ※6月27日発売の週刊SPA!特集「日本人の値段」より
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 6月27日 MicrosoftStartニュース zakzak「ニュース裏表 田中秀臣 日本経済の大敵 不況を放置する「緊縮主義」のゾンビ理論 学者たちの関心は自分たちのムラ社会の話題だけ
 経済財政諮問会議の様子
 © zakzak 提供
 日本経済の大敵は緊縮主義である。緊縮主義は、景気が悪い時や、あるいは十分に経済が回復していない段階で、増税社会保障の負担などを増やす政策を行うことだ。当たり前だが、そうなると不況を深めてしまう。失業や倒産が再び増加することは明白だ。
 経済が失速すれば税収が悪化する。そうなると緊縮主義者は、「財政再建が必要だ」とまた不況の中で増税しようとするだろう。不況と増税の悪循環がいつまでも続くことになる。緊縮政策にはいいところは一切ない。
 だが緊縮主義は、日本の経済学者やエコノミストたちには大人気である。日本には少なくとも1万人以上の経済の専門家たちがいる。だが、率直にいって、日本の経済学者たちの大半は、テレビのワイドショーなどを見て「岸田さんはダメだねえ」と愚痴を言っているレベルである。彼らの念頭には日本経済や国民の生活のことはない。
   ・   ・   ・   
 6月28日 YAHOO!JAPANニュース 幻冬舎ゴールドオンライン「韓国を下回る「日本人の平均年収」…アジアで「一番年収の高い国」からも陥落、日本の没落はいつまで続くのか?
 一時期、賃上げ、賃上げとニュースを賑わせていましたが、聞こえてくるのは「なかなか給与が上がらない」の声。「日本のどこで給与が上がっているんだか」と、会社員のボヤキが止まりません。世界でみたとき、ここまで給与が上がらない国も珍しいようです。みていきましょう。
 【ランキング】世界主要国「平均年収」…世界の中の日本の順位
 主要国「平均年収」ランキング…日本は38ヵ国中21位
   ・   ・   ・   
 6月28日 YAHOO!JAPANニュース 読売新聞オンライン「英語論文や国際共同研究で劣勢、日本の大学「世界ランク」苦戦続く…知名度向上へ動画配信も
 各国の大学を教育や研究の指標で順位付けする世界大学ランキングで、日本の苦戦が続く。政府は2013年に「今後10年でトップ100に10校以上」との目標を定めたが、主な指標である英教育誌の23年版ランキングで100位以内は東京大(39位)、京都大(68位)の2校だけ。教育のランク付けには疑問の声もあるが、学生の留学先選びや海外の大学との交流連携で参考にされており、巻き返しを図る動きもある。(新井清美)
   ・  ・   ・   
 6月29日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「仲間を平気で裏切り、国民を見下す…「木っ端集団」が乱立する立憲民主党の「正体」《共産党選挙協力して自爆》《ついに連合も分裂危機》
 選挙で自民党をコテンパンにしたのも今は昔。この国の最大野党は、空理空論を弄し、足の引っ張り合いに明け暮れるばかり。独りよがりの正義に酔うだけの政治家を、国民は「大人」とはみなさない。
 前編記事『国民に見放された弱小政党・立憲民主党のヤバすぎる末路《選挙で党名を名乗らぬことを幹事長が推奨》《参院選で大敗しても誰も責任を取らない》』より続く。
 欠けている党の道徳規範
 まず、多くの議員や党職員、民主党OBらがそろって口にするのが「立憲の政治家は、義理と人情を知らない」という愚痴である。仲間であっても平気で裏切り、陥れようとして憚らない。
 ……
 ある議員は「そうした体質が党の根幹を蝕んでいることが国民にも周知されたのが、'21年7月、党内の『性犯罪刑法改正ワーキングチーム』で不適切発言をしたとして、衆院議員の本多平直が離党・議員辞職に追い込まれた一件だ」と語る。
 「この会合では(衆院議員で元総理大臣補佐官の)寺田学さんを座長として、刑法が定める『性交同意年齢』引き上げの是非を議論していました。そこで本多さんは、『刑罰の範囲を拡げることには常に慎重であるべきだ』という文脈で『極端な話、50代の自分と14歳の女子の恋愛は罰せられるのか』とたとえ話をした。
 © 現代ビジネス
 その場では引き上げ慎重派の本多さんが積極派の寺田さんらを論破する形になったが、寺田さんは悔しかったのか、その後の本多さんとの二人きりの会話の内容をもとにして、『本多議員は小児性犯罪を許容する価値観の持ち主だ』とする報告書をまとめたのです」
 本多は大炎上して党を追われたが、その後「発言を寺田に捏造された」と反論。枝野ら一部の幹部が正規の党内手続きを経ずに処分を下そうとしたことに対しても、別の議員や支持者から「ガバナンスがおかしい」と批判が集まり、やがて党全体に延焼していった。
 ……
 「木っ端集団」の乱立
 先の議員が続ける。
 ……
 国民を見下す政治家たち
 党勢が衰えてゆく中、立憲は政党としての命綱である「有権者との意思疎通」をも軽んじるようになってしまった。以前は旧民主党系の野党に期待していたという、哲学者の東浩紀氏が指摘する。
 ……
 「週刊現代」2023年6月24日号より
   ・   ・   ・   
 6月30日 MicrosoftStartニュース 東スポWEB「大前研一文科省はおおきながん」 日本の教育方針に懸念
 大前研一
 © 東スポWEB
 経営コンサルタントで起業家の大前研一氏(80)が29日、上場企業である株式会社ビジネスブレイクスルーの会長を退くにあたり記者会見を開催した。
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 政権与党の自民党がエセ保守の巣窟なら、共産党・旧社会党以外の野党の弱小政党はリベラル左派の根城である。
 霞ヶ関の諸官庁中枢の中のキャリア官僚にも、エセ保守とリベラル左派が含まれている。

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 エセ保守とリベラル左派は、現在の正統皇室を廃絶しようとしている。
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2024-03-11
💍45)─1─女性母系天皇擁立の目的は男系父系皇統の断絶である。〜No.156 
2024-03-15
💍45)─2─日本国民の75%が女系女性天皇即位に賛成している。〜No.157 

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 昔の人はなぜ寿命が短いのか?
 2022年2月10日 中央公論jp編集部「ヒトの最大寿命は115歳!? 私たち人間の「死ぬ理由」について新書大賞2位『生物はなぜ死ぬのか』著者が解き明かす
老化の始まりは徐々に“遅く”なっている
 小林武彦
 2500年前まではヒトの寿命は15歳だった
 まず、日本人の寿命の変遷を見てみましょう。
 大昔は戸籍のようなデータはないので骨や歯などからの推定ですが、旧石器〜縄文時代(2500年前以前)には、日本人の平均寿命は13〜15歳だったと考えられています。この時代は狩猟が主で、ヒトは小さな集団で暮らしていました。
 旧石器時代はマンモスなど大型の哺乳類を狩っていましたが、氷河期以降は、海産物や木の実、シカ、イノシシといった動物などを食べていました。この時代のヒトの平均寿命が他の霊長類(サル)よりも短いのは驚きです。
 環境に左右され生活が安定していなかったこと、狩猟での事故死、そして何より病気や栄養不足による乳幼児の死亡率が非常に高かったために、平均の寿命は短くなります。アクシデント的な死に方がメインでした。人口も10万〜30万人と変動が大きかったようです。
 つまり20万年ほど前にアフリカで誕生し、その後新天地を求めて世界中に広がっていった"裸のサル"であるヒトは、まだ悩める存在だったのです。
 もちろん全員が13〜15歳で死ぬわけではなく、幼少期を生き延びられたヒトは出産・子育てをして30代、40代までは生きました。
 現在よりも多産で多死のこの状態が、結果的に多様性を生み出し、のちの人類の大躍進につながった可能性もあります。ちなみに身長は、現在より10センチメートルほど小柄だったようです。
 弥生時代に入ると、日本人は稲作を始めました。これは大陸から来た技術です。稲作で収穫量を上げるには人々が協力する必要があるため、生活集団が大きくなって組織化された村(ムラ)が誕生し、指導者的な人物も現れました。
 食生活は狩猟中心の生活から定住型となり、安定はしてきましたが、やはり技術が低いため天候に収穫量が左右されることも多くあったと思われます。
 乳幼児の死亡率も多少は改善されてきました。平均寿命は20歳、人口は急激に増加して60万人とも推定されています。それから寿命はしばらく横ばいで、奈良時代以降は少しずつ延びていきました。

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 日本人の平均寿命
 『寿命図鑑 生き物から宇宙まで万物の寿命をあつめた図鑑』
 やまぐちかおり (イラスト) いろは出版 (編著)より引用
 縄文時代 15 歳
 弥生時代 18 歳から 28 歳
 古墳時代 25 歳未満
 飛鳥・奈良時代 20 歳未満
 平安時代 30 歳から 40 歳
 鎌倉時代 24 歳
 室町時代 16 歳
 安土桃山時代 34、35 歳
 江戸時代 31.7 歳
 明治時代 44 歳(明治 24~31 年の平均)
 大正時代 43 歳(大正 10~14 年の平均)
 昭和時代 ※31 歳
 平成時代 83 歳
 ※昭和時代は、戦時中、31 歳まで下がったといわれて
 います。戦後、平均寿命は延び、昭和 22 年に 50 代、昭和 46 年に 70 代を超えるようになりました。

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 日本民族の和食とは、コメ魚介食文化で、菜食・雑食である。草食動物。
 欧米人の洋食とは、パン酪農食文化で、肉食である。捕食動物。
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2018-01-04
🐟3〗─1─日本は、アメリカの「食の植民地」であるがゆえに日米同盟下での対米従属から脱する事はできない。~No.5No.6No.7・ @ 
日本農業不要論
2018-02-06
🐟13〗─1─賢い消費者と日本経済界の日本農業不要論。~No.53No.54No.55・ @
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食糧
2018-05-22
🍙33〗─1・A─食糧植民地化の小麦戦略。肉・パン食への大改造計画。ロックフェラー財団の報告書。日本人の本性はえげつないほどに醜い。昭和22年~昭和30年~No.208・ @ 
2023-10-29
🍙33〗─1・B─アメリカの対日食糧支配として日本の農業や酪農を潰した。~No.209No.210 
2018-05-02
🍙33〗─2─日本の自由・民主化改革や平和憲法制定はルーズベルトの遺志であった。日本難民救済会とララ物資。~No.211・ @ 
2021-08-16
🍙33〗─3─給食が作った日本のパン文化…アメリカの小麦が食生活を変えた。昭和25年。~No.212 
2021-10-17
🍙33〗─4・A─「和食にもたっぷり」日本人がいつの間にかアメリカに押しつけられた"デブ穀物"の正体。~No.213 
2022-12-26
🍙33〗─4・B─「米を食うとバカになる」という左派系洗脳の悪巧みの意図は「民族神話殺し」であった。~No.213 
 
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 米穀機構米ネット
 公益社団法人米穀安定供給確保支援機構
 2-2 米の生産量が増えて日本の人口も増えた
 弥生時代の人口は日本全体で約60万人、この数字は縄文時代の最大人口27万人の約3倍弱です。
 古墳時代には、日本全体の人口が約540万と、弥生時代の9倍にも達します。
数も大幅に増加したのです。ちなみに、奈良時代(8世紀中頃)の人口は600~700万人で、
 奈良時代(8世紀中頃)の人口は600~700万人で、当時の米の生産量は707万石といわれていますから、1人あたり1年間に1石、約150キログラムの米を消費していたことになります。
 水田稲作における耕地拡大や収量の増加は、中世・近世を通じて伸び、江戸時代の人口資料をみると、なんと人口は縄文時代のそれと比較して、約100倍にも達しているのです。縄文時代からの稲作を中心とする歴史をひもといてみると、米を主とする食料生産が、いかに多くの人々を扶養するかを左右する重要なポイントであったかがわかります。
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 日本の人口。
 縄文早期は約2万人。
 縄文中期は約26万1千人。
 縄文後期は約16万人。
 縄文晩期は約7万6千人。
 *日本列島には、多種多様な人種・民族、文化・宗教・言語の人々が流れ着いていた。
 奈良時代は約550万人(公地公民で農地が急増)
 平安時代は約644万人
 鎌倉時代は757万人
 室町時代は約818万人
 戦国から江戸時代(1600年代)は約1,227万人(農地を増やして年貢米取り立てた)
 明治元(1868年)年の3,455万人。
 昭和20年(1945年)の7,281万人。
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 未来の日本の総人口予測。
 2010年:1億2,806万人。
 2030年:1億1,662万人。
 2048年:  9,913万人。
 2060年:  8,674万人。
 2110年:  4,286万人。

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 日本の家制度とは。
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 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
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 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
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 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い

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 3万5000年から3万年前以後 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)=旧石器人(ヤポネシア人)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 縄文時代 1万2000年~2000年前。縄文人(日本土人)。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
 この時点では、まだ日本民族(和人)・琉球民族アイヌ民族は生まれていない。
 何れにせよ、日本民族は数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた先住民・日本土人であった。
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 帰化人と渡来人は違う。
 現代で言われる日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
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 現代日本人は昔の日本民族とは同一とは限らない。

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 日本民族文化における自然観とは、縄文時代以来、自然と人間が対立しない、自然との繋がりを大切に文化である。
 それを体現しているのが、自然物をご神体とする神社である。
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 日本列島とは、同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
 日本の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 日本民族は、旧石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。

 日本土人である縄文人(日本土人)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の旧石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 旧石器人(ヤポネシア人)は、南方系海の民であった。
 縄文人(日本土人)は、森の民であった。
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 日本民族琉球民族アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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 日本民族は、旧石器人(南方東南アジア系ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)、弥生人(南方揚子江系渡来人)、古墳人(北方満州帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。

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 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
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 日本民族が崇拝してきた八百万の神々が正統な神である事を保証しているのは、最高神・女性神の血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇の神性である。
 つまり、民族宗教、神話物語でる天皇神話である。
 近代の憲法や法律の宗教法人法が認定する神仏には、合憲・合法に基づいた正当性がっても、神性・神聖の正統性はない、つまり金儲けの為に作られたウソの神仏である。
 当然、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇には神仏を認め保証する神力はない。
 日本の八百万の神々は天皇家の祖先神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と伊邪那岐命イザナミノミコト)から生まれた、それが天皇神話である。
 八百万の神々の正統な神性は、天皇神話は保証している。
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 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた超エリート層の高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にリベラル左派のマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
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 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。

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 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話・神話物語、2,人類の文明発展・進化・進歩の物語、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・野伏せり・悪党、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民{海人、海女})、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持ち命を犠牲にして天皇を守ろうとした「帰化人」は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否し自己益で天皇を殺そうとする「渡来人」は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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🔯36」─1・B─ローマ帝国は経済格差の拡大で衰退し滅亡した。〜No.123  

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 2024年3月15日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「ますます豊かになる貴族や騎士、没落する一般市民…ローマ市民社会に広がる格差
 前2世紀中葉頃、ローマ帝国が誕生した。
 巨大な帝国社会全体の頂点に位置したのは、ローマ市民のなかでもエリートである貴顕貴族であり、その貴顕貴族が成員の大部分を占める元老院が、共和政の政治体制のもとでローマの国政を動かした。
 【画像】飢餓で人間を喰い…ローマ人の冷酷な侵略と戦った都市ヌマンティアの最後
 しかし、元老院は、帝国の巨大化ゆえにさまざまな難題に直面するようになる。
 元老院の危機的状況は、やがて帝国の政治危機へと通じていく。その引き金となったのはなによりも、ローマに生きる人びとの抱えていた諸問題・諸矛盾であった。詳しく見てみよう。
 【本記事は宮嵜麻子『ローマ帝国の誕生』(2月22日発売)から抜粋・編集したものです。】
 経済格差の拡大
 貴顕貴族成員は、今や帝国社会の頂点に立っていた。彼らは政務官として、また元老院議員としてかつてなかったほどの政治権力を握ったが、経済的にもかつてないほどの豊かさを得ることになった。
 属州総督として、あるいは戦場に出た命令権保持者として勝利を収めれば、時に莫大な富が彼ら個人の掌中に入った。これら貴顕貴族成員の多くは、今や広大な広がりを持つローマの国土において農地を買い、ないしは公有地を借りて、農業経営を行うようになった。
 これと並んで騎士層成員からも、商業・金融業等で得た利益を農地に投下する者が現れた。彼ら富裕者は広壮な農園(ウィッラ)で多くの奴隷を使役して大規模な農業経営を展開する。こうした形態の農業経営は、当然市場向けの作物栽培を主眼とした。
 ウィッラ villa というラテン語を語源とする現代のヴィラは、どちらかというと贅沢なしつらえの保養用別荘のイメージがある。ローマ時代のウィッラにもそういったものもあるが、農園としてのウィッラは、所有者の邸宅、農場、生産品加工用の作業場、倉庫、厩舎、奴隷居住棟などの設備が備わった農業経営用の複合施設であった。こうした農園で地中海の気候・土壌等に適した農作物──ぶどう、オリーブ、柑橘、麦など──が生産・加工されて輸送・販売される。
 富裕者によるこうした大規模農業経営は、ローマ史研究では「大土地所有制(ラティフンディア) latifundia」と呼ばれ、それが帝国形成期以降に地中海の農業全体を変えるまでに展開した、と説明されてきた。最近の研究では、かつて信じられていたほどローマの農業が大規模農園経営のみとなってしまったのではないと考えられている。
 しかし貴顕貴族ら一部の富裕者が、帝国形成期以降の農業経営で大きな富を得たことは疑う必要がなかろう。彼らがさまざまな農業生産品をローマ市ばかりでなく、帝国各地に輸送・販売していたことが知られている。
 また農園だけでなく、各種の手工業品の生産も専用の作業所で行われるようになり、その製品も交易の対象となった。クラウディウス法が、元老院議員とその息子の大規模商業活動を禁止したが、じつは元老院議員は代理人を用いて、遠距離交易にも事実上従事していた。帝国の形成は富裕者の経済活動の幅を広げ、彼らの富を増したのである。
 他方、多くのローマ市民には帝国化による経済的な恩恵はなかった。そのため一部富裕者層とその他の市民の経済格差は拡大した。いや、むしろ一般の市民たちのなかには、帝国化の過程のなかで経済状態が悪化した者たちも多かったと考えられる。帝国の支配者となったはずのローマ市民であるが、彼らの生活はむしろ困窮したという側面もあったのだ。中小農民の没落
 ローマ市民社会は中規模・小規模農民によって大半が占められていた。つまり、市民の多くは都市内に住んではおらず、農村部に住んでいたのである。
 都市国家ローマは市民軍団制をとっていた。ここまで見てきたローマの対外戦争その他の軍事行動の主軸は、市民によって編制されたローマの市民軍団であった。
 しかしローマの帝国化の過程のなかで、この軍役の負担が市民に重くのしかかるようになった。かつて、戦争はローマ周辺の都市国家や共同体との間に起こった。このため、兵士として戦う市民たちは農閑期に戦場に出向き、数日から長くても数ヵ月戦って農繁期までには家に戻ることができたのである。
 ところが多くの戦争がイタリアの外で起こるようになった。すると兵士たちは故郷を遠く離れて長期にわたって戦地で戦うことになった。たとえばヒスパニアでの戦いに従軍した兵士たちは、平均して6年間戻ってくることができなかった。また先住民との戦いの有無にかかわらず、属州には軍が常駐していた。つまり属州の数が増えれば、その分多くの兵士が必要となったのである。
 家族のみ、またはわずかな奴隷をそれに加えての中小農業経営で、おそらく最大の労働力であったろう成人男性が、長い年数を留守にするのだ。むろん、なかには結局帰って来なかった兵士もいよう。残された家族にとって農業を続けるのは至難だったということは想像にかたくない。
 さらに富裕者の大規模農園経営との競争に、中小農民は負けていった。大農園での農業労働者としての機会も、大量に使役された奴隷によって奪われた。その程度についてはさまざまな説があるが、大規模農園経営の出現によって、中小農民の自立した農業経営が困難となったこと自体は疑う余地があるまい。
 この事態が農村出身者のローマへの流入を招いた。この頃、ローマ市では二度にわたって新たな水道の建設が進められた。これは都市で生活することを選んだ人口の増加が起因していると考えられる。
 しかし都市に住みついた人びとが容易に職に就き、新生活を打ち立てられたわけではない。前二世紀中葉以降、ローマではしばしば穀物を入手できない住民が騒乱を起こすようになっている。貧民の増加が、このことの背後にある。
 ローマがマケドニアカルタゴアカイア同盟といった敵に勝利し、富を獲得したといっても、その富は一般市民の手にはほとんど入ってこなかった。豊かになったのは貴顕貴族や騎士層であり、実際に戦場で命を賭けて戦った市民はむしろ困窮に陥りさえした。しかしこの状況は、市民の生活の窮状という問題のみには終わらなかったのである。ローマ軍の主力は市民であった。市民の困窮はローマ軍の問題でもあった。
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 古今東西稀に見る巨大な版図を広げた帝国。
 地中海世界を「グローバリゼーション」が覆ったとき、人びとは未知の世界とどのように向き合ったのか? ローマ化する属州で暮らしていた人びとの「選択」は? 貴族と平民の格差はなぜ拡大したのか? 元老院政治が動揺した理由……。
 ハンニバルとの戦い、グラックス兄弟の改革、カエサルの死、アウグストゥスの出現など、ローマ建国から皇帝誕生まで、最新の知見に基づき、ローマと属州を生きた人びとの実像を描く。
 宮嵜麻子『ローマ帝国の誕生』(2月22日発売)は小さな都市国家が地中海を支配するまでが一冊でわかる決定版です! 
 宮嵜 麻子(歴史学者
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🐒7」ー3・Aー中国秘密警察が表玄関からNATO浸透の第一歩。~No.21 

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 2024年3月14日 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「中国警察が表玄関からNATO浸透の第一歩。ハンガリーが中国の警察官招き入れ
 <中国は世界中に秘密警察の網をめぐらし、中国の反体制派に監視の目を光らせている。ブダペストにもすでに2つの「秘密警察所」が置かれているが、今度はハンガリーの市街地を堂々とパトロールできることになる>
 北京の天安門広場で警備にあたる治安警察(2024年3月4日) REUTERS/Tingshu Wang
 ハンガリーと中国が、治安協力に関する新たな合意に署名したという報道があった。近いうちに、中国警察がハンガリー警察と協力して、ハンガリーの市街地をパトロールすることになる見通しだ。【マイカ・マッカートニー】
 【動画】さすがに無謀...中国製「ゴルフカート」で進軍するロシア兵、地雷で吹き飛ばされる 衝撃の瞬間が公開
 中国はセルビアとの間で既に同様の合意を結んでいるが、EUおよびNATOの加盟国としてはハンガリーが初めて、「体制上のライバル」と見なす中国の警察官を正式に受け入れることになる。
 中国警察は、世界各地の数十に及ぶ都市で密かに「在外警察署」を運営している疑いが取り沙汰されてきた。スペインの人権団体「セーフガード・ディフェンダーズ」が2022年に発表した報告書の中で、中国共産党の対外宣伝工作機関である「中央統一戦線工作部」の活動の一環とみられるこの「秘密警察署」について、海外在住の反体制派や亡命希望者、少数派民族の監視や弾圧を行っていると詳しく述べていた。
 ハンガリー国務省が先週、現地ニュースサイトの「テレックス」に対して語ったところでは、ハンガリーのサンドール・ピンテール内相と中国の王小洪・国務委員兼公安相が交わした合意文書の目的は、交通量の多い観光地での警備態勢を強化することだと語った。
 本誌はハンガリー内務省と在ハンガリー中国大使館に書面でコメントを求めたが、これまでに返答はない。
ブダペストにも秘密警察
 ハンガリー内務省は「テレックス」に対して、「将来的には両国の警察官が一緒にパトロール業務を行うことができるようになるだろう。それが両国の市民や当局の間での意思疎通や、国内の治安と秩序を改善する助けになるだろう」と述べた。
 このような合意は、ヨーロッパ大陸の近隣諸国同士の間では珍しいことではない。ハンガリー内務省によれば、クロアチア観光のピーク期にはハンガリー警察がパトロールに協力しているし、オーストリア警察もハンガリー国内の主要な観光地でのパトロールに協力している。
 だがビクトル・オルバン首相が率いるハンガリー政府は親中姿勢で知られており、今回の合意を受けて、政府がハンガリー国内での中国警察の活動をきちんと監視するのかを疑問視する声が上がっている。
 「セーフガード・ディフェンダーズ」によれば、ハンガリーの首都ブダペストにも中国の違法な在外警察署が2カ所あり、これらの警察署は中国・浙江省青田県と福建省福州市の公安当局が運営しているという。
■米司法省は厳しい対応
 アメリカは、中国が国外で反体制派などを弾圧している疑いがあることに警戒を募らせている。2023年4月には、ニューヨーク市マンハッタンで中国の秘密警察署を運営していた疑いで、中国人の盧建旺と陳金平を逮捕した。両容疑者は、自分たちが運営していたのは在外中国人を支援するための「サービスセンター」だと主張したが、共謀して中国政府の代理人として活動し、司法妨害を試みた疑いで訴追された。
 ニューヨーク州東部地区連邦検事局のブリオン・ピース検察官は、米司法省が発表したプレスリリースの中で次のように述べていた。「両被告やその共謀者たちは中国政府から、アメリカ在住の中国人反体制派活動家の居場所を特定するなどの任務を命じられており、通信記録を削除するなどして我々の捜査を妨害した。ニューヨーク市にも、アメリカのどのコミュニティーにも、そのような警察署のための場所はない」
 マイカ・マッカートニー
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 2023年10月30日 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「世界で暗躍する「中国・秘密警察署」に実はこっそり協力していたカナダ...見返りは何だったのか?
 アーディル・ブラール
 トルドー首相はどう弁明するのか KENA BETANCUR/GETTY IMAGES
 <中国の海外「秘密警察」を非難していたトルドー首相。しかし、カナダ政府高官の指示で実は逃亡者の身柄確保に協力していたという告発が...>
 互いの外交官を国外退去処分にするなど緊迫した関係が続く中国とカナダ。
 だがカナダ国営放送(CBC)の調査報道番組『フィフス・エステート』は10月20日の放送で、カナダ政府が対中貿易などで便宜を受ける見返りとして、中国当局による国外逃亡者の身柄確保を長年、ひそかにサポートしてきたと告発。人権団体などから批判が噴出している。
 カナダ国境サービス庁によれば、2008~22年に他国での「犯罪または重大な犯罪行為」を理由にカナダから強制退去させられた中国人は33人。
 カナダ連邦警察の元捜査官は番組で、「著名な逃亡者」を追う中国の担当者に協力するよう政府の最上層部から指示されたと証言している。
 中国に身柄を引き渡せば処刑を含む非人道的な扱いが待ち受けることは容易に予想できる。にもかかわらず、カナダが協力を続けてきたのは中国市場へのアクセスというエサのためだと、専門家は指摘している。
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 2023年4月19日 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「世界中に「秘密警察署」を張り巡らす中国の狙いは?
 ニック・モルドワネック
 中国公安の「手先」をしていた疑いで逮捕された米国市民、盧建旺(4月17日) Bing Guan-REUTERS
 <以前から存在が指摘されていた中国の海外「秘密警察」に、遂にFBIの捜査のメスが入った。マンハッタンのチャイナタウンで中国公安の手先として、中国反体制派に脅迫や嫌がらせをしていた容疑だ。だがこれは、アメリカだけの問題ではない>
 米当局は4月17日、ニューヨーク市で中国の「秘密警察署」を運営し、司法妨害を行なった疑いで、同市在住の男2人を逮捕した。これを受けて、世界中に埋め込まれた中国の「秘密警察署」に関心が集まっている。
 4月17日にブルックリンの連邦裁判所で公開された刑事告訴状のなかで米司法省が述べたところによれば、盧建旺(Lu Jianwang)と陳金平(Chen Jinping)の両容疑者は、中国公安部当局者の「指揮と監督の下」で活動していたという。ふたりは、マンハッタンに秘密の出先機関を設け、アメリカにいる中国反体制派を脅迫し、中国政府に対する批判を封じて中国政府を支援していたとされている。
 米政府高官は本誌に対し、「米国政府は、米国民やアメリカにいる人々を、国境をまたいだ抑圧や、その他外国からの有害な影響から守るために、利用可能なあらゆる手段をとると明言する」と話した。「中国政府が----あるいはいかなる外国政府でも----アメリカ人に嫌がらせをしたり脅したりするのを看過するつもりはない」
 中国外務省の汪文斌(ワン・ウェンビン)副報道局長は4月18日の記者会見で、逮捕のニュースを重大な事態ととらえたうえで、中国は「米国による中傷と名誉棄損、政治工作、『国境をまたいだ抑圧』なる虚偽の主張、中国の法執行機関とサイバー当局に対する臆面もない告発に立ち向かう」と述べた。
 中国と協力する警察も
 スペインのマドリードを拠点とする非政府組織(NGO)「セーフガード・ディフェンダーズ」は2022年9月、中国警察が、国外にいる中国共産党関係者と協力して、各国に「警察業務拠点」を設けているとする報告書を公開した。とりわけ目立つのがヨーロッパで、スペインなどで9カ所の拠点が発見された。
 この報告書をきっかけに、14カ国の政府が、そうした拠点の真偽をめぐる調査に乗り出した。
 同NGOはこう述べる。「そうした拠点が行う仕事の大部分は、単に中国人の住民や観光客にサービスを提供することだが、ほかならぬ中国政府から得られた証拠によると、マドリードにある1拠点は中国警察と積極的に協力し、秘密かつ違法な監視活動に従事していた」
 セーフガード・ディフェンダーズは2022年12月、続報となる報告書を公開。中国公安部のさまざまな組織が管理する秘密警察署とされる100カ所超の詳細を伝えた。そうした拠点があるとされた国は、スペインのほか、イタリア、クロアチアセルビアルーマニアスウェーデンハンガリー南アフリカ、日本などだ。
 中国のある公安当局は、135人を雇って初期の21拠点を管理していたとされる。ある労働認可証は、ストックホルムで3年契約で雇用されたある職員の身分は「国外連絡担当職員」となっている。
 ハンガリーの弁護士マートン・トムポシュは11月、ラジオ・フリー・ヨーロッパに対して、「(こうした)中国国外の警察(署)は、通常は(市民への)援助を提供しているだけだが、中国政府による監視の目が存在していることもうかがえる」と語った。
 ロイターの報道によれば、2022年9月には、中国当局者がセルビアの首都ベオグラードの街路で、セルビア当局とともに合同パトロールを実施したという。パトロール対象の場所には、歩行者用道路、ランドマーク、空港、さらには郊外の中国系モールが含まれていた。
 だがセルビアクロアチアの当局は、自国内に「事実上の」中国警察が存在するとの主張に強く反論していると、バルカン・インサイトは12月に報じた。どちらの国の政府当局者も、中国との関係を高く評価しており、セーフガード・ディフェンダーズの報告書の主張は「根拠がない」と述べている。
 中国は容疑を否定
 中国公安部は11月にCNNに対し、「関係者がこうした状況を煽り、緊張を生み出すのをやめることを望んでいる」と述べた。「こうした状況を、中国を中傷する口実として利用することは許容しがたい」
 セーフガード・ディフェンダーズによれば、アフリカとアジアで拠点はホスト国との二国間協定に基づいていると、中国政府は反論している。2015年に中国公安部が公開したそうした協定のひとつに、イタリア政府との合同警察パトロールがある。2016年には浙江省温州市の警察が、2018年には浙江省麗水市青田県の公安局が、この協定に基づきミラノに欧州の試験的拠点を設置している。
 イタリアのマッテオ・ピアンテドージ内務相は2022年12月、イル・フォリオ紙に対し、イタリアで中国警察がイタリア警察と合同パトロールする許可を取り消すつもりだと述べた。
 ロイターによれば、中国当局は脅威とみなす見方を一蹴し、問題の施設はボランティアが運営するセンターであり、書類更新などについて市民を援助するためのものだが、新型コロナウイルス感染症パンデミック中はその業務が中断されていたと主張している。
 2022年12月には、在フランス中国大使館が、フランスのオーベルビリエとパリに秘密拠点があるとする同様の主張を否定した。
 セーフガード・ディフェンダーズは、イル・ド・フランス地域圏(パリを中心とした地域圏)で4か所の違法な活動拠点を特定したと告発したが、中国大使館は同NGOについて、「人権を名目に、長年にわたり反中活動に従事しており......偽の情報を拡散して煽り、フランス国民に深刻な誤解を与えている」と批判した。
 在南アフリカ中国大使館の広報担当者ユー・ヨンは以前、南アフリカに13の中国警察拠点があるとする話を「フェイクニュース」だと述べた。ヤンによれば、そうしたセンターはもともと2004年に設置されたもので、「正真正銘の中国の非営利団体」であり、法執行当局とは関係ないという。
 (翻訳:ガリレオ
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🐉9」─1─《知られざる日中戦争の悲劇》河南省大洪水。黄河の堤防爆破で溺死100万人以上、難民117万人。〜No.26No.27No.28 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   

 2024年3月12日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「《知られざる日中戦争の悲劇》河南省では蒋介石が人為的に黄河の洪水を発生させ、省内の117万人が難民に
 国民政府を率い、日本や共産党と戦った蒋介石(写真:AP/アフロ)
 1937年の盧溝橋事件に端を発し、南京事件、38年の重慶爆撃などを経て、その後の太平洋戦争につながる日中戦争。だが、真珠湾攻撃によって太平洋戦争に突入して以降、中国との戦争がどう展開していったのか、それほど詳しくは知られていない。日中戦争の後半を詳述した『後期日中戦争』の続編『後期日中戦争 華北戦線 太平洋戦争下の中国戦線2』(広中一成著、角川新書)が刊行された。日本軍と国共両軍、三つ巴の戦場では何が起きていたのか――
 【当時の写真】黄河決壊でぬかるみとなった戦場を匍匐前進する日本兵
 (*)本稿は『後期日中戦争 華北戦線 太平洋戦争下の中国戦線2』(広中一成著、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
■ ひとたび氾濫すれば、甚大な被害をもたらす黄河
 河南省は、黄河下流域に位置し、北は山西と河北、東は山東と安徽、南は湖北、西は陝西の6つの省と隣接する。省の総面積は終戦頃で約16万5000平方キロメートルに及ぶ。
 この地は古くから中原といわれ、数多くの王朝が発生し繁栄を築いた。省北部の安陽は、今からおよそ3500年前、殷王朝後期に都が置かれた所だ。殷は占卜(せんぼく)に漢字の原点といわれる甲骨文字を用いたことで知られる。
 西部の洛陽は、周代の都市国家洛邑を原形とし、後漢以降いくつもの王朝がここに首都を定めた。省中部にある開封は、隋代に大運河が通ると、この地域の商業の中心地として発展し、960年に成立した宋(北宋)の首都となる。
 このように河南省が早くから発展したのも、黄河の影響が大きい。上流から流れてくる栄養を含んだ土砂が河南省の河岸に流れ着き、肥沃な土地を形成した。そこに人が住みつき、それが集団となり、やがて文明を花開かせていく。
 人々に恵みをもたらした黄河は、全長5464キロメートルもの長大さがゆえに、ひとたび氾濫すれば、川筋すら変えるほどの濁水が溢れ出し、甚大な被害をもたらす。
 黄河下流のなかでも、特に河南省鄭州から中牟の流域は砂泥が溜まりやすく、古くから洪水が何度も起こった。『中牟県誌』によると、その回数は元代(1271─1368年)から1938年までのおよそ650年間で、大きなものだけでも30回余りを数える。
 日中戦争中に起きた38年の洪水は、6月9日頃から鄭州の花園口の堤防が決壊し、集落や農地を次々と水没させていった。南東方面へと流出した河水は幅30~80キロメートル、長さ400キロメートル以上に達し、河南省だけでなく、東の安徽省江蘇省にまで広がる。新たにできたこの河流は新黄河と呼ばれた。そして、この洪水によって5万4000平方キロメートル以上(北海道の面積の7割近くに相当)の土地が水に浸かり、約89万人が死亡、1250万人以上が住む家を失ったのだ。
 その浸水の程度はどのくらいだったか。河南省開封南方の尉氏(いし)付近にいた第16師団輜重兵第16聯隊の小原孝太郎一等兵は、15日の日記にこう書き残す。
■ 「馬は首だけ出して城壁まで泳いだ」「城壁外は満々たる水」
 横江分隊長が尉氏城内との連絡から帰ってこられた。城壁のまはりは水で、馬は首だけ出して城壁まで泳いださうである。城内に師団司令部があるが、飛行機が機上から乾パンを投げてゐるさうだ。もう城壁外は満々たる水で、アノ自分等の宿営地であった部落も水浸しで影も形も見えないさうだ。(『日中戦争従軍日記』所収)
 独歩第56大隊本部附の梶野渡軍曹は、44年4月25日、安徽省潁州(えいしゅう、現阜陽市)の攻略を目指す潁水作戦に参加した。だが、その途上、一面の深いぬかるみに足を取られ、行軍が予定より大幅に遅れてしまう。このぬかるみは、まさに黄河の洪水によってできたものだった。
 拙著『「華中特務工作」秘蔵写真帖』に掲載された、そのとき撮影された写真を見ると、地面はぬかるみ、遠い先にわずかな建物があるのみでほとんど何もない。おそらく洪水によって何もかもが押し流されたのではないか。洪水の被害の深刻さをこの一枚は映し出している。
 この甚大な被害をもたらした洪水はなぜ起きたか。『中牟県誌』には次のようにある。
 六月五日、蔣介石は繰り返し厳命した。今回の決壊は国家の命運がかかっており、小さな犠牲でなく、大きくすることにより達成できるのだ。重要な点は厳しく手を抜かないことであり、必ずあらゆる懸念を打ち破り、決然と実行し、最後にすべてを成功させなければならないと。当時作業を監督した第二〇集団軍総司令の商震の命令のもと、新編第八師(元八八師)に花園口近くの京水鎮に進駐させ、堤防決壊の責務を負わせた。この師は六月七日午前、花園口関帝廟より西の地点で堤防の破壊を始め、同時に大きな甕に爆薬を詰めて発破させたのだ。師長の蔣在珍は自ら現場で作業の指揮をとった。
 すなわち、この花園口での黄河堤防の決壊は、蔣介石の命令のもと、現地の部隊によって決行された人為的に作り出された災害だったのである。自然災害ならまだしも、これはきわめて悪質ではないか。
■ 黄河決壊は抗日戦略のひとつだった
 森久男「蔣介石の対日抗戦戦略と平綏路東段抗戦」(『愛知大学国際問題研究所紀要』第160号、2022年10月所収)によると、蔣介石率いる国民革命軍は、28年より近代的な軍制改革を推し進めるため、ドイツから軍事顧問団を受け入れていた。35年、団長に就任したファルケンハウゼンは、8月20日、「時局に対処する対策に関する建議」を蔣介石に提出し、来たる対日抗戦の基本的な戦略構想を示した。
 その構想とはおよそ次のとおりだ。「ファルケンハウゼンの建議は、華北で軍事衝突が起こる危険性が高く、地方軍のみの抵抗に任せて、主抵抗線が平漢線に沿った線まで後退すれば、沿海諸省はすぐに陥落すると予想している。北方では、滄県・保定の線を絶対防禦して、黄河を最後の戦線とし、計画的な人工氾濫による防禦力の増大を付言している」。
 つまり、この建議ですでに黄河を人為的に決壊させることが計画に盛り込まれていたのだ。この考えは36年末に軍事委員会参謀本部が起草した「民国廿六年度国防作戦計画」に採用され、国民革命軍の抗日戦略となる。
 38年5月、国民革命軍は北支那方面軍に江蘇省北部の徐州を占領され、戦線が黄河にまで達した。ここに及んで、蔣介石はすでにあった抗戦戦略に基づき、洪水がよく起こる中牟付近に狙いを定め、堤防を爆破したのだ。
 河水が溢れ出したことで、北支那方面軍は国民革命軍の追撃を諦めた。黄河の戦線をめぐる日中両軍の対決は、決着を見ずに終わる。
■ 組織的放火だった湖南省の長沙大火では、市街地の3分の2が焼失、2万人死亡
 蔣介石は黄河決壊の5ヶ月後の11月、湖南省都の長沙が日本軍の占領目標にならないよう、省政府主席の張治中に命じて市内に火を放ち焦土化した。長沙大火といわれたこの組織的放火で、市街地の3分の2が焼失し、住民2万人余りが命を落とす。
 国民政府は39年、黄河決壊の被災者を対象に、内陸の官有地を開放して入植させるという救済策を講じた。だが、そのような措置をしたとしても、黄河決壊も長沙大火も、日本軍の侵略を防ぐという目的だったとはいえ、無辜の人々の命を必要以上に奪い、おびただしい数の民衆の生活の糧を無にしたことは、いかに戦時であろうとも非難すべきではないだろうか。
 『難民たちの日中戦争』(元データは趙燕「抗戦期河南的難民問題与難民救済」〔華中師範大学碩士論文、2007年〕による)によると、黄河決壊のあった38年の河南省における難民の総数は約117万人。これは省全人口の18パーセント余りに及ぶ。省内のおよそ5人に1人が難民となった計算だ。
 広中 一成
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 日中戦争の初期(第二次上海事変~南京攻略・第二回南京事件)までは、ファシスト中国(国民党)はナチス・ドイツの友好国として軍事支援を受けていた。
 ドイツ国防軍は、ワイマール共和国時代に軍事顧問団を派遣し、親中国反日ヒトラーの許可を受けて抗日戦の為に要塞建設と軍事訓練を強化した。
 ドイツの軍需産業は、ナチ政権の指導に従って日本軍の装備品より優秀な最新兵器を抗日軍に輸出していた。
 ドイツの国際金融資本は、ファシスト中国(国民党)の抗日戦勝利の為に金融支援を行っていた。
 ドイツ経済界が反日親中国路線を採用したのは、中国のレア‐メタル(希少金属)を輸入する為であった。
 日中戦争は、日本軍と抗日軍・ドイツ軍との戦闘で始まった。
 日本にとって、ヒトラーナチス・ドイツは敵であった。
   ・   ・   ・  
 A級戦犯松井石根は、ナチス・ドイツ、ドイツ軍の軍事支援を遮断する為に政府・軍部に国際法に従って「中国に対する宣戦布告」を意見具申したが、近衛首相と軍部は事変を国家間戦争に拡大しない為に拒否した。
 もしこの時、日本が中国に宣戦布告していれば日中戦争は数年で日本軍の勝利で終わっていた。
 それは、ロシアのウクライナ侵略戦争に似ている。
   ・   ・   ・   


日本の農業技術が中国の食糧不足を救った。
2019-12-05
💖17)─1─稲塚権次郎の小麦農林10号が、飢餓に苦しむ華北の中国人を救った。1935年。〜No.65No.66No.67・ 
   ・   ・   ・   
日中戦争
2019-05-13
💖18)─1─河南省黄河防爆破と大洪水。溺死100万人以上。日本軍は中国人10万人以上を助けた。1938年〜No.68No.69No.70No.71・ 
2019-05-15
💖18)─2─河南省大飢饉。日本軍は戦争をしながら飢餓民約1,000万人を助けた。日本軍の敵兵虐殺事件。1940年No.72No.73No.74No.75・ 
2019-05-16
💖18)─3─日本軍は河南省救援物資輸送路を死守した。大陸打通作戦。泰緬鉄道。日本軍兵士の餓死・病死。1944年〜No.76No.77No.78No.79・ 
   ・   ・   ・   
日本陸軍防疫部隊が中国人を救った。
2020-06-14
💖19)─1─日本軍は中国軍が行った堤防破壊、井戸への毒やコレラ菌投入の尻拭いをしていた。〜No.80No.81No.82No.83・ 
   ・   ・   ・   


第一次上海事変桜田門事件(昭和天皇殺害失敗事件)。
2020-02-16
🎹12:─1─華北大水害・華南大洪水。第二次上海事変国際連盟理事会。中国共産党江西省瑞金大虐殺。1932年〜No.50No.51No.52・ 
2018-07-16
🎹12:─2─スチムソン・ドクトリン。第一次上海事変。オタワ会議。5・15事件。中国共産党の瑞金大虐殺。1932年~No.53No.54No.56・ @ 
2018-07-17
🎹12:─3─桜田門事件。キリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇殺害失敗。大日本帝国憲法天皇条項。1932年1月8日。~No.57No.58No.59・ @ ⑨
   ・   ・   ・   
2019-03-27
🎹13:─1─日米戦争を想定した、軍国日本とアメリカの建艦競争。1933年〜No.60・ * 
2023-12-20
🎹13:─2─大和型戦艦設計案は最高軍事機密として保護されていた。~No.61No.62No.63 ⑩ 
   ・   ・   ・   
2018-07-18
🎹14:─1─ナチ党と国防軍は中国に軍事顧問団を派遣した。日本の国際連盟脱退。日本陸軍イスラーム工作。1933年~No.64・ @ 
2022-04-09
🎹14:─2─日本人が直に見たソ連の第一次5ヵ年計画とウクライナ餓死地獄。~No.65No.66 ⑪ 
   ・   ・   ・   
2018-07-19
🎹15:─1─ドイツ軍事顧問団は、アメリカ世論を反日派にして味方に付けるよう蒋介石に進言した。1934年~No.67・ @ 
2020-10-18
🎹15:─2─中国共産党が反英運動から反日運動に変わったわけ。中国共産党と瑞金大虐殺。~No.68No.69 ⑫ 

   ・   ・   ・   
2018-07-22
🎹16:─1─ファシスト・イタリアのエチオピア侵略。エチオピア帝国と軍国日本。オマーン国王と結婚した日本人女性。1935年~No.70No.71No.72・ @ ⑬
   ・   ・   ・   
2019-04-19
🎹17:─1─ドイツは、ヒトラーナチス・ドイツ時代から親中国反日派である。〜No.73No.74No.75・ * ⑭
   ・   ・   ・  
2018-07-23
🎹18:─1─ヒトラーは、ファシスト中国に対日戦用に要塞と陣地の築城技術を提供した。1935年~No.76No.77No.78・ @ 
2018-07-24
🎹18:─2─日本軍部は、中国軍内部のドイツ軍事顧問団とドイツ軍需産業の情報を集めていた。1935年7月~No.79No.80No.81・ @ ⑮
   ・   ・   ・   
中国人による日本人虐殺。
暴支膺懲。
2019-04-18
🎹19:─1─通州大虐殺と暴支膺懲。第二次上海事変、第二回南京事件。1936年〜No.82No.83No.84・ * 
2018-07-25
🎹19:─2─中国国民党は、ナチス・ドイツと軍事支援の協定を結びファシスト陣営に参加した。2・26事件。1936年~No.85No.86No.87・ @ 
2018-07-26
🎹19:─3─2・26事件と軍部大臣現役武官制復活の陰にコミンテルン共産主義者の対日謀略と世界戦略。~No.88No,89No.90・ @ 
2018-07-27
🎹19:─4─日本人居留民惨殺事件。日独防共協定。西安事件ファシスト中国の日本本土無差別爆撃極秘作戦。1936年7月~No.91No.92No.93・ @ 
2018-07-28
🎹19:─5─軍国日本は、1940年に東京でオリンピック大会を開催する為に、親日派エチオピアを見捨てた。1936年~No.94No.95No.96・ @ 
2018-07-30
🎹19:─6─ドイツ人は、日本人五輪選手団の礼儀を知らない無作法で傲慢な態度に憤慨し、反日感情を高めた。1936年~No.97No.98No.99・ @ ⑯
   ・   ・   ・   
2018-07-31
🎹20:─1─ドイツ軍顧問団は、アメリカを戦争に巻き込み、アメリカを利用して軍国日本を撃退すべきであると提案した。1937年~No.100No.101No.102・ @ 
2018-08-01
🎹20:─2─五族協和・王道楽土の犠牲になった流転の王妃・嵯峨浩の悲劇。~No.103No.104No.105・ @ ⑰
   ・   ・   ・   
2018-08-02
🎹21:─1─盧溝橋事件は中国共産党が仕組んだ罠であった。1937年7月7日~No.106No.107No.108・ @ 
2019-04-17
🎹21:─2─反日中国共産党政府と香港・台湾の反日市民団体の盧溝橋事件80年式典。2017年〜No.109No.110No.111・ * 
2018-08-05
🎹21:─3─中国共産党の真っ赤なウソ。抗日反ファシズム戦争勝利70年周年記念式典に集う同じ穴のムジナ。~No.112No.113No.114・ @ ⑱
   ・   ・   ・   
2018-08-03
🎹22:─1─国際報道機関は、軍国日本が主張する日本人居留民保護と自衛的軍事行動を犯罪と非難した。1937年7月28日~No.115No.116No.117・ @ 
2018-08-06
🎹22:─2─日本は中国に対して報復権・復讐権があった。通州大虐殺事件と暴支膺懲。侵略とは。~No.118No.119No.120・ @ 
2019-05-23
🎹22:─3─日本の戦争は財宝・領土・イデオロギー・宗教ではなく情の戦争であった。暴支膺懲。〜No.121No.122No.123・ 
2018-08-14
🎹22:─4─戦争を支持した庶民の熱狂の奥底には寂しい虚無感があった。~No.124No.125No.126No.127・ @ ⑲
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日本軍部と中国共産党の密約。
2019-04-25
🎹23:─1─毛沢東と日本軍部の裏取引。中国共産党と日本軍の共同アヘン密売。共産主義者汪兆銘。No.128No.129No.130・ * 
2018-11-26
🎹23:─2─日本軍と中国共産党が共謀した阿片密売。阿片王・里見甫。~No.131No.132No.133・ @ 
2019-04-26
🎹23:─3─中国共産党のアヘン、ヘロインによる日本人廃人化計画。~No.362No.363~No.134No.135No.136 * ⑳ 
   ・   ・   ・   
イギリス産業界はファシスト中国軍に大量の軍需物資を売った。
2019-04-27
🎹24:─1─イギリスの金融資本と軍需産業は、大量の武器を抗日軍に売って日中戦争の停戦を妨害しドロ沼化した。~No.137No.138No.139・ * ㉑ 
   ・   ・   ・   
2019-05-07
🎹25:─1─中国共産党の嘘がバレなければ何でもありの悪意に満ちた対日歴史情報戦。旧日本軍が残した札束。 〜No.140No.141No.142・ * ㉒ 
   ・   ・   ・   
2019-05-08
🎹26:─1─高学歴出身知的エリートの731部隊アメリカ。〜No.142No.144No.145・ * ㉓ 
   ・   ・   ・  
2019-05-09
🎹27:─1─漢族系中国人はガチョウの群れ。中国共産党は日本併呑を宿願としている。〜No.146No.147No.148No.149・ @ ㉔
   ・   ・   ・   
日本軍とファシスト中国軍・ドイツ軍事顧問団連合軍との戦争。 
ドイツ軍事顧問団は敗退して撤退した。 
2018-08-07
🎹28:─1─ソ連の極秘命令を受けた中国共産党日本共産党。第二次上海事変。中ソ不可侵条約調印。日本軍部の軍医部。1937年8月〜No.150No.151No.152・ 
2018-08-09
🎹28:─2─国際世論は、ファシスト中国の対日批判を支持し、宣戦布告に匹敵する対日経済制裁宣言を要請した。1937年9月 ~No.153No.154No.155・ @  
2018-08-10
🎹28:─3─ルーズベルトの隔離演説。ドイツ軍事顧問団は、アメリカを日中戦争に引き込む為に長期戦を蒋介石に提言した。1937年10月~No.156No.157No.158・ @ 
2018-08-11
🎹28:─4─ドイツ軍事顧問団は、中国人民に日本人を根絶やしにしたいほどの憎悪を植え付ける反日教育を指導した。1937年11月~No.159No.160No.161・ @
2018-08-12
🎹28:─5─第二回南京事件。パネー号事件。日本軍は南京を占領してドイツ軍事顧問団が育成した中国軍を撃破した。1937年12月~No.162No.163No.164・ @ 
2018-08-15
🎹28:─6─ニューヨーク・タイムズ紙など反日的報道機関は、ドイツ軍人が創作した南京虐殺を報道して国際世論を反日に誘導した。1937年12月17日~No.165No.166No.167・ @ 
2018-08-18
🎹28:─7─ドイツの保守層、国防軍軍需産業は、ヒトラーの許可を受け、抗日軍に軍需支援を続けた。1937年12月21日~No.168No.169No.170・ @ 
2018-11-16
🎹28:─8─アメリカの宣教師史観と第二回南京事件。布教の為には手段を選ばない宣教師達。~No.171No.172No.173・ @ ㉕ 
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創作された第二回南京事件
2019-04-23
🎹29:─1─西洋の潜在意識には反天皇反日敵日感情が蠢いている。~No.174No.175No.176No.177・ 
2019-04-20
🎹29:─2─南京陥落前のファシスト中国による漢奸(かんかん、ハンジェン)狩りと親日派知日派大虐殺。〜No.178No.179No.180・ * 
2019-04-21
🎹29:─3─第2回南京事件を事実と証明する一次史料。〜No.181No.182No.183・ * 
2019-04-22
🎹29:─4─中国共産党の「南京大虐殺関連資料」。世界記憶遺産認定と天皇に対する謝罪要求。~No.184No.185No.186・ *
2018-08-20
🎹29:─5─戦後50周年の終戦記念日村山富市内閣総理大臣談話全文。(平成7年8月15日)~No.187No.188No.189・ @  
2018-08-21
🎹29:─6─各国に広がる「南京大虐殺記念日」制定動議可決と日本批判。カナダ。~No.190No.191No.192・ @  ㉖ 
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中立国ソ連ファシスト中国に正規兵や武器弾薬を提供していた。
2018-08-22
🎹30:─1─日中戦争がドロ沼化し長期戦したのはソ連が原因であった。~No.193No.194No.195No.196・ @ 

🐉45」─1─中国仏教協会の会長「宗教の中国化は主要任務」。~No.173No.174No.175 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 中国共産党の宗教統制は、個人欲を満たす自分だけ・今だけ・金だけの現世利益宗教を認めたが公益な幸福と豊かさ、他者の救済と恩寵を願う啓示宗教を管理・監督し自由を奪った。
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 2024年3月8日 MicrosoftStartニュース 共同通信「「宗教の中国化は主要任務」 中国仏教協会の会長
 中国の人民政治協商会議で演説する中国仏教協会会長の演覚氏=9日、北京の人民大会堂新華社=共同)
 © 共同通信
 【北京共同】中国の国政助言機関、人民政治協商会議(政協)の委員で、中国仏教協会会長の演覚氏は9日、政協の全体会議で、習近平国家主席が掲げる「宗教の中国化」を推進することは「主要な任務だ」と述べ、宗教界は自覚を高めるべきだと訴えた。経典や思想、儀礼の中国化で「社会主義に適応した中国の宗教を建設すべきだ」と強調した。
 習指導部は信仰よりも共産党・政府への忠誠を優先させる「宗教の中国化」を推進。新疆ウイグル自治区で本格化した宗教施設の解体や改修、管理強化が全国に広がっている。
 関連するビデオ: 中国のモスク・教会などに“異変”…習政権の締め付け強化「宗教の中国化」 (日テレNEWS NNN)
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 2023年1月24日 DIAMOND online「チベットはなぜ中国からの激しい弾圧に晒され続けるのか
 ラサ デプン寺の仏像
 文庫新刊書『世界の宗教地図 わかる!読み方』からの一部抜粋で、宗教と世界情勢の密接な関係を、わかりやすく紹介していく。今回は、チベットが中国から厳しい弾圧を受けている背景、さらには共産主義国家による宗教弾圧の理由について解説する。
 約300年続いた政教一致体制が
 中国への併合で破壊される
 チベット仏教は、密教の要素が強い仏教である。7世紀頃からインド系、ネパール系、中国系の仏教が伝来し、チベット民間信仰と混交して成立したといわれる。
 現在、中国の一部となっているチベットではさまざまな時代を経て、ダライ・ラマによる政教一致体制が約300年続いた。しかし、その宗教国家は、第二次世界大戦後に建てられた中華人民共和国によって破壊されてしまう。人民解放軍の侵攻によりチベットは中国に併合され、多くの寺院が破壊され、多数の人々が殺害されたのだ。
 チベット人たちは高度な自治を求める運動を続け、大規模な騒乱にも発展したが、それにより中国政府による弾圧がさらに強まり、長い年月をかけて築かれてきた独自の社会、文化は徹底的に破壊された。
 ダライ・ラマ14世
 後継者選びに中国が関与か
 世界の紛争地図 わかる!読み方
 本コラムの元本『世界の宗教地図 わかる!読み方』
 このとき、チベットの最高指導者ダライ・ラマ14世はインドに亡命し、同国北部のダラムサラで亡命政府を樹立した。そしてチベット問題の平和的解決を世界に訴える活動を続け、ノーベル平和賞を受賞したことでも知られている。
 チベット仏教の大きな特徴として、「転生活仏」がある。活仏である高僧は、すべての人が救われるまで輪廻転生を続けると信じられているのだ。
 ダライ・ラマの死後に転生者は探し出され、認定を受けることになるが、中国政府はダライ・ラマの後継選びにも関与したと疑われている。
 事のはじまりは序列2位でダライ・ラマの転生者を決定する権限のあるパンチェン・ラマ10世の急死だった。このときダライ・ラマ14世は、ある少年を11世と認定したが、中国政府は別の少年を公認したと発表した。しかも、ダライ・ラマ14世側が認定した少年はその後、両親とともに消息不明となり、30年近く音沙汰ないままになっているのだ。
 その間も中国政府によるチベット弾圧は進み、チベット人の信仰の自由は奪われ、抵抗の意志を示すために、焼身自殺する僧侶が続出した時期もある。近年もダライ・ラマ14世の写真をもっているだけでも逮捕され、収容所での虐殺が続いているといわれている。
 子どもたちはチベット語での教育は受けられず、学校教育はすべて中国語。破壊をまぬかれた宗教施設はいまや観光スポットと化している。
 20人近くが死亡した2008年の騒乱以降、チベットの中心都市ラサでは大規模な抗議運動は起こっていない。しかし、チベット人は中国政府の宗教的弾圧に不満をもち続けている。
 共産主義国ではなぜ
 「宗教」が弾圧されるのか?
 仏教の本場は中国――。そんな印象をもっている人は多いのではないだろうか。
 日本に仏教が伝播したのは538年、中国から朝鮮半島を経て日本に伝えられた。さらに、遣隋使や遣唐使に同行した留学僧が中国で仏教を学び、日本にもち帰った歴史もある。
 しかしもとより仏教発祥の地は中国ではない。現在のインドで生まれた釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタが出家し、悟りを開いてブッダとなり、教えを広めたものだ。中国でも信徒を増やし、そこから朝鮮半島や日本へ伝わっていった。
 さまざまな統計があるが、現代の中国国内に仏教徒は少ない。その割合は約10%とも20%ともいわれている。中国は仏教の本場ではないのだ。
 現在の中国では仏教徒のみならず、特定の宗教を信仰する割合は限られている。その理由は共産主義にほかならない。
 「宗教は毒」
 と切り捨てた毛沢東
 マルクス共産主義思想は宗教に否定的な立場をとったことで知られる。マルクスの論文『ヘーゲル法哲学批判・序説』では、「宗教上の不幸は、ひとつには現実の不幸の表現であり、ひとつには現実の不幸に対する抗議である。宗教は悩める者のため息であり、心なき世界の心情であるとともに、精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と述べている。つまり宗教は、民衆にあきらめと慰めを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がることを妨げるというのである。
 中華人民共和国を建てた毛沢東は、マルクスの影響から「宗教は毒である」と言ったとされる。そこから中国では宗教は統制すべき対象となり、1966~77年の文化大革命ではさらに徹底した宗教弾圧が断行されたのである。仏教徒をはじめ、中国発祥の儒教道教の信奉者も激しく迫害され、多くの命が失われた。寺院などの宗教施設もことごとく破壊された。
 こうして中国の庶民がもっていた信仰心は、国家権力によって踏みつけられた。代わりに信ずるべきものは共産主義であり、中国政府だと信じ込まされたのである。
 共産主義国家の反宗教政策は、ソ連でも進められた。当時、最高指導者の座についていたスターリンは、ロシア正教会のハリストス大聖堂を爆破し、跡地を温水プールにした。
 スターリンの死後、実権を握ったフルシチョフはさらに激しい宗教弾圧を行い、ロシア正教会を閉鎖に追い込むため、聖職者を軒並み検挙していった。ソ連時代に殺害された聖職者は、約20万人にも上るといわれている。共産主義体制では、信教の自由は保障されないのである。
 本連載の元となった文庫本が好評発売中
 『世界の宗教地図 わかる!読み方』知的生きかた文庫
 宗教を通して考えると、いま世界で起こっている様々な出来事がこれまでと違った形で見えてくる。政治、経済、歴史、新聞・ニュースの話題から、宗教の成り立ち・常識・タブーまで――この1冊で、あなたの「世界を見る目」が変わるはず。
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