🐖64」─1─14億人の中流階級が内需として中国経済を支える。独身の日に爆買い12兆円。~No.297No.298No.299 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本の輸出産業は、中国市場で日本製品を売って利益を上げている。
 日本の輸入産業は、中国の工場で安価な製品を製造し日本市場で売って利益を上げている。
 日本経済に於いて、アメリカ市場やヨーロッパ市場よりも中国市場の存在が死活問題である。
 日本国内で売られている商品の多くがメイド・イン・チャイナで、日本産はほんのごく少数である。
 中国人観光客は、日本国内でメイド・イン・チャイナを爆買いしている。
 14億人が中流階級中産階級となって、メイド・イン・チャイナを海外ではなく国内で爆買いすれば中国経済は今以上の高度経済成長に突入する。
 千人計画で、アメリカや日本などから優秀な人材を高額報酬や優遇特権で数多く招聘し、中国製品の性能・機能を向上させて大量に生産し内需で大量消費させれば、中国経済は海外市場を必要としなくなる。
 そうなった時、少子高齢化内需が減少し始めている日本経済は成り立たなくなる。
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 2020年11月19日 産経新聞「【中国観察】国内で爆買い12兆円 中国「独身の日」が刺激した14億人の消費パワー
 アリババが「独身の日」セールのため特設した会場で、累計取引額4982億元(約7兆9千億円)を表示するスクリーン=11月12日、浙江省杭州市(三塚聖平撮影)
 中国で「独身の日」と呼ばれる11月11日に、インターネット通販各社による毎年恒例の値引きセールが行われた。中国インターネット通販最大手のアリババ集団が始めたセールは12年目を迎えて中国社会にすっかり定着し、期間中の取引額は大手2社だけで12兆円を上回った。新型コロナウイルス禍という未曽有の状況下で行われた今年のセールは、海外旅行に行けないことで中国国内に向かった「爆買い」と「巣ごもり需要」という形で14億の消費パワーをみせつけた。
(中国浙江省杭州 三塚聖平)
 楽天は年間3・9兆円
 11月12日午前0時(日本時間同1時)、アリババ本社がある浙江省杭州市内の特設会場に置かれた巨大スクリーンには「4982」という数字が並んだ。1~11日の「独身の日」セール期間中のアリババの取引額は4982億元(約7兆9000億円)だった。大音量の効果音が流れるライブハウスのような会場では「わずかに5000億元に届かなかったか」という声も聞かれた。
 アリババに次ぐ業界2位、京東集団(JDドット・コム)の1~11日のセール期間中の取引額は2715億元(約4兆3000億円)だった。両社の単純合算で実に約7700億元(約12兆2000億円)に上る計算だ。日本の楽天の国内EC(電子商取引)流通総額は19年度に3・9兆円だったというので、その額の大きさが分かる。
 アリババは、昨年まで11月11日の1日のみだったセール期間を、今年は実質的に1~11日までの11日間に拡大している。拡大の理由についてアリババは、消費者に商品購入の検討時間を十分に提供するためといった説明を行っているが、物流や配送の負担を軽減するためという指摘もある。例年、11月11日の当日に注文が殺到して消費者の手元に商品が届くまで時間がかかるという問題があるからだ。その効果もあってか、「昨年は全てのものが届くのに1週間近くかかったが、今年は早く購入品が届いた」という反応を北京で複数耳にした。
 セール期間の拡大効果もあってアリババの取引額は19年の2684億元を大きく上回った。対象期間が異なるので単純比較はできないものの、今年の取引額は前年比85・6%増という計算になる。好調な結果について、中国国営新華社通信は「記録を塗り替えたデータは、中国市場の強靭性を十分に示している」と強調していた。
 自動車やマンションも販売
 今年の「独身の日」セールでは、新型コロナの影響による「巣ごもり需要」や、渡航制限で海外旅行に出られない消費者の購買意欲が中国国内での「爆買い」に向かった効果が指摘される。そうした需要を取り込むべく、25万以上のブランドが参加したアリババのセールには、「プラダ」や「カルティエ」といった欧米の高級ブランドが初参加したほか、マンションや自動車といった高額品の投入もあった。最終的に470以上のブランドが取引額1億元以上を達成したという。
 「メード・イン・ジャパン」の商品も注目された。アリババによると、越境ECの取引額の国・地域別ランキングでは日本が5年連続で首位を記録。日系企業関係者は「コロナ禍で日本へ旅行に行けない中国の消費者が、ネット通販で日本の商品を買うという動きが活発になっているようだ」と指摘する。
 独身者の“ごほうび”から国民的イベントに
 中国では独身を意味する数字の「1」が4つ並ぶ11月11日を「独身の日」と呼んでいて、アリババが09年に値引きセールを始めた。発案者は、アリババ創業者の馬雲(ジャック・マー)氏の後任として昨年から会長を務めている張勇氏だ。10月の国慶節(建国記念日)と年末商戦に挟まれた消費閑散期の対策として始まったとされる。
 当初は、独身者が自分への“ごほうび”をネットで購入する日として位置付けられていたが、国内外の企業が参加して取引額も右肩上がりを続け、競合他社も追随。今では独身者に限らない国民的な消費イベントに成長しており、ネット通販各社や出店企業が大幅な値引きや芸能人を呼ぶといったイベントを競って仕掛けている。最近では国慶節や1~2月の春節旧正月)と並ぶ商戦期と位置付けられる。アリババ幹部の劉博氏は、独身の日について「消費者が大喜びする記念日だ」と表現する。
 その一方で、膨大な消費者を狙った参加企業が、採算を度外視した値引き合戦を繰り広げていると指摘される。そのため、日用品をまとめ買いする消費者も多く、セールは需要の集中や先食いを引き起こしているだけだという冷ややかな声もある。記者も、日常的に必要な子供のオムツを一気に6セット購入したが、値段は通常の半額程度だった。
 中国の新たな消費イベントとして根付いた「独身の日」セール。中国の消費動向を示す上で今後も注目される。」
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🛲16」17」─1─アジア各地に慰安婦像を設置する華人・華僑団体。~No.108No.109No.110No.111 * ⑬ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アジア各地の反日派とは、華人・華僑と彼らとの利益関係にあるアジア人、そして彼らに協力する反天皇反日的日本人である。
 彼らを支援しているのが反日派の本家本元である中国共産党共産主義者である。
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 2017年12月11日 産経ニュース「【歴史戦】フィリピン政府機関、首都マニラに慰安婦像を初設置 日本大使館が抗議
 フィリピン・マニラ湾沿いに設置された慰安婦問題を象徴する女性の像=11日(共同)
 【シンガポール=吉村英輝】日本軍占領下(1942〜45年)の慰安婦を象徴するフィリピン人女性の像が、首都マニラに設置されたことが11日までに分かった。政府機関「フィリピン国家歴史委員会」が、現地の民間団体などの支援を得て建てたという。フィリピン国内に慰安婦像が建てられたのは初めてとみられる。在フィリピン日本大使館はフィリピン政府へ抗議した。
 像が設置されたのは、マニラ市のマニラ湾に面したロハス通り沿いのベイウォークと呼ばれる遊歩道上。夕日を眺める名所として観光客も多く、周辺にはフィリピン政府庁舎や、日本を含めた各国大使館がある。
 同委員会は学者らで構成され、歴史的建造物への碑文設置などを行う。ホームページに今月6日、慰安婦像の除幕式を8日に実施し、碑をマニラ市のエストラーダ市長(元大統領)に引き渡すと発表していた。
 中国国営新華社通信(英語版)は8日、除幕式の様子を配信。像は高さ約2メートルで、フィリピン人彫刻家が作製。目隠しをして頭にベールをかぶり、フィリピンの伝統的なドレス姿。8日は1941年の日本軍のフィリピン侵攻開始日で、式典ではエストラーダ市長の代理人が、「私たちは慰安婦の苦境を忘れない」との声明を読んだという。
 在フィリピン日本大使館は9日、報道で情報を得て、慰安婦像設置を確認。同日中に大統領府や外務省へ遺憾の意を伝えた。同委員会やマニラ市にも経緯を問い合わせるとしている。」
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 12月12日 産経ニュース「【歴史戦】菅義偉官房長官「極めて残念」 マニラの慰安婦
 フィリピン・マニラ湾沿いに設置された慰安婦問題を象徴する女性の像=11日(共同)
 菅義偉官房長官は12日午前の記者会見で、フィリピンの首都マニラに慰安婦を象徴する女性の像が同国で初めて設置されたことについて「極めて残念なことだ。設置の経緯を含め、事実関係を確認しているところであり、フィリピン政府と相談して対応したい」と述べた。
 撤去を求めるかとの質問に対し、菅氏は明言しなかったものの、「慰安婦像の設置はわが国の立場と相いれない。外務省からフィリピン政府にすでに申し入れは行っており、マニラ市当局にもこれから行う」と語った。」
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 12月16日 産経ニュース「【歴史戦】【「慰安婦」日韓合意】「フィリピン慰安婦像」現地ルポ 日本側に動き察知されぬようステルス化する中華系団体 大統領府も「寝耳に水」
 フィリピンのマニラ湾に面した遊歩道に建った慰安婦像を見つめる人々(吉村英輝撮影)
 フィリピンのマニラ湾に臨む約3キロの遊歩道には、元大統領や人気俳優らの銅像が立ち、市民に親しまれている。そこに唯一、実在した人物ではない像が加わった。中華系団体が、フィリピンの人権団体を巻き込みひそかに準備を進め、マニラ市や政府機関の“お墨付き”を得て、8日に除幕した「慰安婦像」だ。設置までの工作には、日本側に事前に動きを察知されないようにする手法の“ステルス化”が浮かび上がる。(マニラ 吉村英輝)
 責任のなすり付け合い
 台座正面の碑文には「日本占領下の1942〜45年に虐待を受けたフィリピン人女性犠牲者の記憶」などとある。タガログ語で書かれ表現は穏当だ。「慰安婦」の言葉もない。政府機関であるフィリピン国家歴史委員会が作成した。
 ある委員は、慰安婦像作製は現地の人権団体「リラ・ピリピーナ」などが2014年から始め、今年10月に碑文作成を要請してきたとした。1990年代の韓国での慰安婦運動をフィリピンに導入した団体だ。
 歴史委員会は、年間約30件の碑文を全国の歴史建築物などに設置しているが、新設の銅像が対象となるのは「異例」という。「マニラ市からの協力要請」を受け、歴史家らからなる委員6人で決めたと強調した。
 この委員は、日本政府の反発に「銅像は民間団体からの寄贈で、私たちの責任は碑文のみ。除幕式も招かれただけだ」と困惑した。6日にホームページで除幕式を公表したが、その後「騒ぎを受け削除した」。
 だが、遊歩道を管轄するマニラ市側の担当者は、慰安婦像の設置や除幕式を行政的に主導したのは、歴史委員会だと反論した。エストラーダ市長宛てに11月16日付で届いた除幕式の招待状は確かに歴史委員会から出されており、「招かれた」との説明とは食い違う。
 市長代理として除幕式に参加した幹部は、日中間の懸案事項に関わる式典に違和感を覚え、用意された祝辞の代読前に「問題になりませんように」と挨拶。歴史委員会の担当者に外務省の承諾を確認したが、「即答がなかった」と説明しているという。委員会と市側が責任をなすり付け合っている。
 「慰安婦」を知らない現地市民
 フィリピンの慰安婦像の台座裏には、寄贈者の5個人・団体名が刻まれている。ほぼ全て華人だ。英語で「フィリピン人慰安婦の像」と記され、フィリピン人作製者名もある。もっとも、慰安婦像前で足を止めた市民数人に聞いたが、「慰安婦」を知る人はいなかった。
 慰安婦像を警備していた男性によると、像の建造が始まったのは今夏。銅像のはす向かいにある「アロハ・ホテル」に雇われているという。同ホテル経営者は台座裏に名がある華人、マニュエル・チュア氏。「マニラ市役所にも人脈を持つ」(地元記者)という。
 関係者によると、除幕式出席者らは、同ホテルに待機して式典に向かった。呼ばれたメディアは、中国国営新華社通信など中国系のみ。式典を報じたのも中国系だけで、現地メディアはほぼ伝えていない。当事者であるはずの元慰安婦や日本も“除外”された。
 「日本メディアの取材は受けない」
 ほかの寄贈者名には、日本占領期に抗日ゲリラだった華人のほか、比華人団体「トゥライ財団」も。同財団は路上孤児救済などで実績がある。なぜ急に慰安婦問題に関与したかは不明だが、「日本メディアの取材は受けない」という。最後の「ワイ・ミン(惠明)慈善基金有限会社」は、香港が拠点で、創設者の鍾惠明氏は、中国本土の慰安婦救済や日本への賠償請求支援を行ってきたとされる。
 「慰安婦」をキーワードに海外の華人ネットワークを駆使する中国の反日プロパガンダは、オーストラリアでも2015年に行われたが、公共の場への慰安婦像設置の嘆願は、当該市が地方自治体の判断の範囲外だとして認めなかった。
 豪州では問題が表沙汰になったこともあって日本政府も動き対抗した。だが今回、在フィリピン日本大使館は、除幕式翌日の9日の報道で動きを知った。連絡を密にしている大統領府や外務省へ問い合わせたが「向こうも寝耳に水」(幹部)で、後の祭りだった。
日比の友好に中国がくさび
 隠れて既成事実を積み重ね開き直る中国の手法は、南シナ海の人工島の軍事拠点化でも実証済みだ。
 人権派弁護士として慰安婦問題にも携わってきた、フィリピンのロケ大統領報道官は11日、今回の慰安婦像について「支持もしないし、反対の立場もとらない」と述べた。
 日比が戦後に築いてきた友好関係に、中国の新たなくさびが打ち込まれた。
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 【用語解説】フィリピンの慰安婦問題
 日本とフィリピン両政府は、先の大戦の賠償問題などはサンフランシスコ平和条約で解決済みとしているが、フィリピンで、日本軍占領下(1942〜45年)に慰安婦だったという女性らが90年代に名乗り出た。村山内閣当時の95年に発足した「アジア女性基金」が「償い金」などとしてフィリピンの元慰安婦211人に1人320万円を支払った。これを拒否し日本政府に「公式な謝罪と賠償」を求める動きもある。」
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 2018年1月15日 産経ニュース「【歴史戦】フィリピンで「慰安婦の苦境と経験」勉強会 像設立の華人団体、「許可受けた」と主張
 15日、マニラ湾に面する慰安婦像に献花する比華人団体の代表者ら(フロイラン・ガルシア撮影)
 【シンガポール=吉村英輝】フィリピンの首都マニラに設置された、日本軍占領下の慰安婦を象徴するとするフィリピン人女性像の近くで15日、「フィリピン人慰安婦の苦境と経験」と題した勉強会が開かれ、地元メディアの記者ら約40人が参加した。
 像設立に名を連ねた人権団体などが主催。像近くの商業施設を会場に、デ・ラサール大学の歴史学者、チュア准教授が、慰安婦は「性的奴隷だった」と主張。元記者が「多くの日本兵が性的暴行を行った」などと証言した。
 比華人団体「トゥライ財団」は同日、主導した像の設立が「関係政府機関から全ての必要な許可を受けた」との声明を出した。
 だがマニラ市などは認めていない。フィリピンのカエタノ外相は12日、慰安婦像が「特定の感情や関係に影響をもたらす」と懸念を表明し、像が公共の場に設置された経緯について、政府内で調査チームを立ち上げたことを明らかにした。
 比華人体幹部らは勉強会後、約200メートル離れた慰安婦像に移動し、献花した。像が撤去されれば「抗議活動を展開する」と記者団に述べた。慰安婦像はすでにネット検索大手「グーグル」の地図などにも記載されている。」
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アジア女性基金と慰安婦問題――回想と検証

アジア女性基金と慰安婦問題――回想と検証

🛲14」15」─1─天皇、皇后両陛下 2月28日からベトナム・タイご訪問。平成29年~No.104No.105No.106No.107 * ⑫ 

知られざる皇室外交 (角川新書)

知られざる皇室外交 (角川新書)

  • 作者:西川 恵
  • 発売日: 2016/10/10
  • メディア: 新書
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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 現皇室の皇統に繋がらない者には、皇室外交はできない。
 同様に、祭祀や慰霊も、現皇室の血が流れない者にはできない。
 天皇制度を否定する事は、皇室外交や祭祀や慰霊を否定する事である。
 全てを否定する日本人には、日本民族日本人の心・志・誠・気概は無縁であり、そもそも持ってはいない。
 華僑・華人や中国に協力する地元住民は反日派であったが、それ以外の地元住民の多くは親日派であった。
 反対派は少数派で、親日派は多数派であった。
 財力があり政治権力に近い特権階級は少数派であり、貧しく虐げられている下層階級は多数派である。
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 日本軍は、白人のアジア植民地支配からアジア民族の独立を指導し、華僑・華人の経済支配から現地人の解放に協力した。
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 天皇皇后、皇太子同妃、皇族が公式に訪問してはいけない国は、中国共産党政府、韓国・北朝鮮、ロシアである。
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 2017年2月27日 産経ニュース「天皇、皇后両陛下 28日からベトナム・タイご訪問 残留元日本兵の家族「義に生きた父誇り」
 父、和正さんに贈られたベトナムからの勲章を見ながら、思い出を語る正男さん。勲章は自宅の壁に飾られている=仙台市青葉区(伊藤弘一郎撮影)
 天皇、皇后両陛下が28日から6泊7日の日程でベトナム、タイを訪問される。ベトナムでは先の大戦後も現地に残った「残留元日本兵」の家族と面会されることになっており、残留元日本兵の息子である仙台市青葉区の写真家、猪狩正男さん(60)はそれを心待ちにしている。2つの祖国の間で父の足跡と自らのルーツを追い求めてきた猪狩さんは、今回のご訪問を亡き父に報告し、日越友好が進むことを願っている。(伊藤弘一郎)
 猪狩さんは2歳のとき、父の和正さん、ベトナム人の母とともに同国から帰国した。和正さんは現地でのことをあまり語らなかったが、テレビでベトナム戦争の映像が流れた際、戦車を指し「あの中に俺の生徒がいる」とつぶやいたことが記憶に残り続けていた。
 帰国から20年余りが過ぎた昭和56年、肝硬変で入院した和正さんを見舞った際、猪狩さんは初めて父の足跡を聞いた。
 ■ベトミンに協力
 和正さんは先の大戦で陸軍少尉、中尉として従軍し、フィリピンやインドネシアを転戦。ベトナム終戦を迎えて間もなく、ベトナム独立同盟(ベトミン)から協力を求められた。「ベトナムにも新しい時代が来る。時代を切り開くのに自分の力をぶつけたい」。そう考え、求めに応じたという。
 和正さんは士官学校の教官として、銃の扱いとともに、「源平の戦い」「川中島の戦い」など日本の合戦を例示しながら戦いの手法を教え、フランスとの第1次インドシナ戦争中、8期生まで兵士を育てた。各地に散った卒業生は後のベトナム戦争を戦った。歯科医免許を持っていたため、医学教育にも当たった。
 和正さんが現地で結婚した後の1954年、残留元日本兵の帰国が許可された。だが、家族を伴うことは許されなかったため残留。帰国する同僚に、故郷の父への歌を託した。
 《今さらに何をか言わん遅桜 故郷の風に散るぞうれしき》
 「『今は何を言っても遅いが、故郷に戻りたい』という望郷の思いを歌にした。日本兵が協力していたことは当時は極秘。理由を書けば検閲にひっかかる。それでも、故郷を忘れていないということを伝えたかった」。和正さんはそう話したという。5年後に家族の同伴が認められて帰国した後は、和正さんがベトナムの地を踏むことはなかった。「病気が治ったら、また行きたい」。病床でそう話した和正さんは、間もなく亡くなった。
 ■「心震える喜び」 
 「父が生き、自分のルーツでもあるベトナムを撮りたい」。猪狩さんは写真家の道を進み、91年、ベトナムで個展を開いた。
 ある日突然、ベトナム建国の父、ホー・チ・ミンの側近だった軍最高司令官、ボー・グエン・ザップ将軍が個展会場に現れた。「日本軍を(ベトミンに)入れたのは自分だ。ファンライ(和正さんのベトナム名)の息子に会いたかった」。将軍はそう言って写真を見て回った。3年後、ベトナムでの功績が認められ、和正さんに勲章が贈られた。
 勲章以上に猪狩さんが誇りに思うのは、常に人のために尽くす父の人柄だった。和正さんは材料不足を補うため、現地の竹で作った入れ歯を考案。ベトナム国内で広まったことを和正さんの死後に知った。故郷の福島県三春町の竹で、和正さんがいろいろな竹細工を作っていた記憶と重なった。
 帰国後、歯科医として働いた和正さんは「貧乏人から金は取れない」と無料で治療したこともある。猪狩さんは言う。「人との関わりを大切にする姿勢は変わらなかった。父の誇りでもあり、私の誇りでもあります」
 両陛下がベトナムで残留元日本兵家族と面会されることを知り、猪狩さんは「心が震えるような喜び」を感じた。「父は時代と時代の流れに揺れながら決断し、国、イデオロギーを超えて懸命に生き抜いた。両陛下のご訪問には涙を流し、私以上に喜んでくれると確信しています」
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ベトナム残留元日本兵 1940年に当時フランス領だったベトナムに進駐した日本軍は45年3月、ベトナムを事実上、軍政下に置いた。だが、同年8月の敗戦により、多くの日本兵は日本へ帰国した。一方、一部は現地にとどまり、約600人がホー・チ・ミンらが率いるベトナム独立同盟(ベトミン)に参加。再統治を狙うフランスとの第1次インドシナ戦争に加わった。「ディエンビエンフーの戦い」で敗れたフランスは54年7月にジュネーブ協定を締結。元日本兵はその後、順次、日本に帰国したとされる。」
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 3月3日 産経ニュース「【両陛下ベトナム・タイご訪問】「長い間、ご苦労さまでした」 両陛下、残留元日本兵家族とご面会
 残留元日本兵家族と言葉を交わされる天皇、皇后両陛下 =2日午後、ベトナムハノイ(代表撮影)
 【ハノイ=伊藤弘一郎】天皇、皇后両陛下は2日、ハノイの宿泊先ホテルで、先の大戦終結後もベトナムに残り、フランスとの第1次インドシナ戦争で指導にあたるなどした残留元日本兵家族と面会された。両陛下は「ご苦労もあったでしょう」などとねぎらわれた。
 両陛下と面会したのは、残留元日本兵の妻でハノイ郊外に住むグエン・ティ・スアンさん(93)と、その長女ら15人。天皇陛下はスアンさんらに「こちらでの生活はいかがでしたか。いろいろなご苦労もあったでしょう。お察ししています」「平和というのは本当に大事だと思います」などと言葉をかけられた。皇后さまは家族の手を取りながら「長い間、ご苦労さまでした」といたわられた。
 父が残留元日本兵のゴー・ザ・カインさん(72)が「感動して、何を言っていいのかよく分かりません。われわれは常に日本のことを考えています」と話すと、陛下が「大変心強いです」と応じられる場面もあった。
 両陛下は同日夜、駐ベトナム日本大使夫妻主催のレセプションで、ベトナム戦争で米軍が散布した枯れ葉剤の影響とみられる結合双生児として生まれた「ベトちゃんとドクちゃん」の弟、グエン・ドクさん(36)らと懇談された。
 これに先立ち、陛下が新種を発見し、昭和51年にベトナム側に寄贈した「ウロハゼ」の標本が展示されている「自然科学大学生物学博物館」も訪問された。」
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皇室外交とアジア (平凡社新書)

皇室外交とアジア (平凡社新書)

🛲13」─1─軍国日本の敗因は、アジア人が西洋規格を受け入れ日本規格を拒絶したからである。~No.102No.103 * ⑪ 

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 大岡昇平「フィリピン人はこれらの損失を、白い天使アメリカ人に猿のような日本人を追い払ってもらうために堪えた」(『レイテ戦記』)
 全てのフィリピン人が日本軍を受け入れたわけではなく、むしろ攻勢に転じたアメリカ軍に味方して、敗走する日本軍を襲っていた。
 フィリピン人は、中国人や朝鮮人と同様に反天皇反日意識が高かった。
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 ロバート・キャンベル「今の日本人は、外国から高く評価されたい思いが凄く強い。
 周りの評価を気にするのは自分に自信がないからでは」
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 2014年12月号 SAIPO 「精神性
 『他者』の存在を意識しなくていい異質な民族が生んだもの
 『勤勉さ』『協調性』『没個性』日本人の源流を探る
  橋爪大三郎
 ……
 『日本人とは何か』を考える際、まず理解すべきなのは、わが国に、日本『文明』なるものは存在しない、ということです。
 そもそも文明とは何か。それは、様々な異なる人びとの、いくつものグループが混在している場所で、その異なる人びとを共存させるための『共通ルール』のことです。それをもとに帝国ができあがる。
 日本人は歴史を通じて、異質な人びととの共存を強いられた経験がありません。ですから日本には『文化』はあっても、文明は生まれなかった。
 世界地図を拡げて、文明が成立した場所(中国やインドやメソポタミア)を眺めてみましょう。大河の流域に集中していることが分かるでしょう。大河は、周辺から沢山の民族を引き寄せます。しかも、彼らの農耕地帯はステップ草原と隣接しています。
 こうして世界の『文明地域』は、戦争に明け暮れ、騎馬民族の襲来にも悩まされきました。中国も、ヨーロッパでも中東でも、異民族の侵入による征服王朝は枚挙にいともがない。『文明地域』の人びとは、こうして否応なく異質な人びとと向き合いながら、すべての人びとが生存するための共通ルールを作り上げてきました。
 日本は海で囲まれ、輪郭のはっきりした地域です。いかもイギリスとは違って、異民族侵入の経験もありません。農村の特徴は、土地所有の権利関係をいくらでも過去にさかのぼって調べることができることです。土地所有権がひっくり返るような動乱が起きていない。これが中国やヨーロッパと異なる点です。
 中国やヨーロッパの都市は城壁で囲まれていますが、日本には都市国家がありません。正規軍すら存在せず、武士(私的な権力)で用が足りた。『異質な敵』を意識して暮らす必要がなかったからです。
 農民は本来、自分で自分の安全を保障することができません。異民族など外敵の襲来を、自分ではねのけることができないからです。
 そこで、政府の正規軍に守ってもらうという話になる。ところが日本の場合、農村の存在が脅かされるケースはまれだった。
 そこで日本の農民は、貴族や武士など『いないほうがいい』と思うようになった。
 室町時代にさかのぼる『ムラの自治』が、日本人のメンタリティを基礎づけています。中央政府にはなるべく頼らず、かかわらず、目の前の農作業を頑張っていればいい。
 この考え方は、現代人にも『政治への無関心』として引き継がれています。
 日本人の『勤勉さ』は、こうした自然的・社会的条件の中から生まれてきたものです。勤勉が報われるのはムラの信念です。人びとがばらばらな職業に分断されているインドのカースト制のもとでは、勤勉が報われるという発想は生まれようがありません。
 『武士の智恵』に学べ
 世界の文明を考える場合、宗教の要素は抜かせません。では、日本ではどうか。
 日本の『カミ』は、中国の『神』という漢字が入ってくる前から、存在しました。これは西洋の『God』のような、万物を創造した全能者ではありません。『八百万のカミ』として、どんな自然現象の背後にも控えている存在で、人間にとっていいことでも悪いことでも、カミのおかげで人びとに与えられると考えられていました。
 ですから人びとは、カミと良好な関係を保つために、定期的にカミの『まつり』を行い、共に食事をし、贈り物をおくってきたのです。カミが大事なのは、自分たちに有益だから。つまり、カミより自分のほうが大事なのです。
 一神教はこの反対です。人間には価値がなくGodが価値があると考える。ゆえに、Godのために命を惜しまない殉教は、高く評価されます。日本はキリスト教イスラム教のように、複数の民族や社会をまたいで拡がる普遍的な一神教が、根付くことはありませんでした。
 戦国時代の一向一揆や、戦前の日蓮主義など、日本にも原理主義的な信仰があったのは事実です。しかしそれは常に少数派でした。何か宗教が大きな力を持ちそうになると、必ずそれを抑えこむもっと大きな力が働いた。それが日本の、宗教の歴史です。
 『同調性』から『他者嫌い』に
 このように、『他者』の存在をほとんど気にせずともよく、政治権力との関わりも気にせずに、絶対的で超越的な『God』もいない世界で育まれたのが、日本人の『同調性』です。
 それがさらに進むと、『自分たちと同化しない異物は受け入れない』という体質に発展します。外来の思想が入ってきてもいつのまにか、自分たちに觥合のいいように解釈している。
 儒教や仏教はまさにそうでした。儒教とは本来、中国の王朝交代(革命)を正当化する政治思想です。しかし日本に持ち込まれると、その要素がすっかり脱落し、当たり障りのない政治道徳になってしまう。仏教も、世俗の価値観と無関係に真理を追究する個人主義の思想ですが、日本ではたとえば、『真面目に働くのが一番だ』といった勤勉の哲学めいたものになっていった。
 このような日本人の姿勢は、第二次世界大戦の敗北を経て、近隣アジア諸国の反発する『他者嫌い』のレベルにまで達します。
 大日本帝国の朝鮮支配や中国への伸長は、欧米列強による植民地統治とはやや違った性格を持っていたと、よく言われます。欧米のように、植民地を苛酷に搾取して、ひたすら経済的な利益を追求するというより、むしろ『多民族を日本に同化していく』ことを目的としていました。
 だから教育やインフラの整備に熱心でした。しかし敗戦によって『同化』政策が終焉し、さらには中国や韓国の人びとから『反省が足りない』と非難される。
 日本人はこれで一種の自信喪失を起こし、その挙げ句に自己防衛反応を起こして、『他者嫌い』になっているわけです。現在話題になっているヘイストスピーチも、その極端な表現なのかもしれません。」
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 アジアは、日本と日本流を拒絶し、アジアから軍国日本を追い出す為に連合軍に味方した。
 軍国日本は、敵に囲まれて四面楚歌となり、助けてくれる仲間もなく、頼るべき相手もなく、信頼できる友もなく、唯一人、悲惨な死闘を孤独に続けた。
 男はもちろん、女も、老人も、子供も、何かの為に、何かを信じ、何とかしなければならないという使命感から殺されるまで武器を取って戦った。
 自分の命を捨てても守るべき、何かがあると確信していた。
 銃がなければ日本刀で、日本刀がなければ竹槍で、竹槍がなければ石か素手で、軍艦やB−29や戦車に勝てると信じて立ち向かった。
 老若男女は、神懸かり的に靖国神社を信奉していた。
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 日本は、アジアを侵略し植民地化して、アジア人を奴隷化して重労働で使役して殺害した、戦争犯罪国家である。



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🦟15」─2─中国は「自由で開かれたインド太平洋」阻止に躍起~No.39・ 

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 日本国内には、反米派・反安保派・反米軍基地、再軍備反対派、軍事産業反対派、反自衛隊派・反戦平和団体護憲派が存在する。
 中国共産党に忖度する親中国派・媚中派がいる。
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 アメリカ依存を止めて中国と仲良くしたいと、考えている日本人がメディア・報道機関の中に存在する。
 リベラル派・革新派そして一部の保守派。
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 中国共産党は、尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を日本から強奪しようとしている。
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 2020年11月14日12:24 産経新聞米原子力空母が横須賀帰港 南シナ海で中国牽制
 神奈川県横須賀市の米海軍横須賀基地に入港する原子力空母ロナルド・レーガン=14日午前
 南シナ海に展開し、中国を念頭に軍事演習を行った米海軍の原子力空母ロナルド・レーガンが14日、拠点とする神奈川県横須賀市の米海軍横須賀基地に帰港した。空母の艦載機は既に米軍岩国基地山口県岩国市)に戻っており、レーガンは今後、横須賀基地で定期点検やメンテナンスに入る見通し。
 米海軍によると、レーガンでは新型コロナウイルス感染症対策として、長期航海中の寄港地では、乗組員の下船を最小限にとどめた。だが、8月22日に米領グアムに寄港した後、複数の乗組員の感染が判明。日本国内の米軍施設に搬送された。
 レーガンは、6月に横須賀基地を出港し、南シナ海で軍事演習を複数回実施。7月には、南シナ海から米領グアム周辺の海域で海上自衛隊とオーストラリア海軍との共同訓練に参加した。いずれも海洋支配を強める中国を牽制(けんせい)する狙いがあるとみられている。
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 11月14日20:00 産経新聞「中国は「自由で開かれたインド太平洋」阻止に躍起
 首脳会議で発言する中国の李克強首相=12日(中国政府のホームページから、共同)
オンライン形式で開かれたASEANとの首脳会議で発言する中国の李克強首相=12日(中国政府のホームページから、共同)
 【北京=三塚聖平】中国は今回の東南アジア諸国連合ASEAN)関連首脳会議を「対中包囲網」の構築に歯止めをかける場と位置付けているようだ。中国は、日本が提唱する「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」をアジア版の北大西洋条約機構NATO)だと反発。米国が大統領選後の混乱もありアジア戦略が固まらない状況を横目に、ASEAN各国の切り崩しを進める構えだ。
 「結束と協力を強化して知恵と力を結集すれば、感染症の影響を克服して地域の平和と安定を守ることができる」。14日に開いた日中韓3カ国とASEANの首脳会議で、中国の李克強首相はASEANとの関係強化の姿勢を前面に打ち出した。12日の中国とASEANの首脳会議では、新型コロナウイルスの流行を受けた公衆衛生面での協力の深化や、地域経済の回復促進などを提案している。
 中国としては、日米豪印がFOIPの下で連携を強める中、ASEAN各国をつなぎ留めることが喫緊の課題となっている。中国の王毅国務委員兼外相は10月中旬、FOIPについて「インド太平洋版の新たなNATOの構築を企てるものだ」と露骨に牽制した。
 ASEAN加盟国にはカンボジアなど親中姿勢を鮮明にする国もあり、南シナ海への海洋進出を強める中国に対して反対姿勢で足並みをそろえることは難しい。中国はこうした隙をつき、ASEAN諸国がFOIPに同調して対中包囲網に加担する事態を避けたい考えだ。王氏は、FOIPは「ASEANを中心とした地域協力の枠組みと衝突し、東アジアの平和と発展の将来を損なう」とも述べ、ASEAN側に同調しないよう呼びかけている。
 中国は、新型コロナへの対応をASEAN各国との関係強化のテコに用いている。コロナ禍で世界の貿易量が減少する中、中国とASEANとの貿易総額は1~10月に前年同期比5・1%増と拡大。タイやミャンマーなどに新型コロナワクチンの優先提供を申し出るなど「ワクチン外交」も展開し、中国への支持の取り付けを図っている。
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 11月14日21:04 産経新聞「対中戦略に不安 首相「インド太平洋」に言及せず

テレビ会議方式で開かれた日中韓3カ国とASEANの首脳会議に臨む菅義偉首相=14日、首相官邸(内閣広報室提供)
 12日から開かれた東南アジア諸国連合ASEAN)関連首脳会議で、菅義偉首相は法の支配など普遍的価値を基調とした「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の実現に向け、各国の協力を呼びかけた。ともにFOIPを推進する米国は政権移行期にあり、トランプ米大統領も不在の状況で迎えた国際会議。14日のASEANプラス3ではFOIPに言及しないなど不安を残す側面もあった。
 「平和で繁栄したインド太平洋をともに作り上げていきたいという思いを各国首脳に伝え、そのために必要な協力を進めていくことで一致した」
 首相は14日、官邸で記者団に一連の首脳会議を振り返り、こう胸を張った。首相の念頭にあるのは、経済や軍事面で覇権主義的行動をとる中国だ。中国は南シナ海の軍事拠点化などを進める一方、経済力やインフラ開発などを通じて影響力強化を進めている。
 これに対し、日本は安倍晋三前政権から米国など価値観を共有する国々とFOIPを推進することで対抗しており、菅政権でもこうした方針を受け継ぐ。ただ、トランプ氏は4年連続で東アジアサミットに欠席。米大統領選で当選を確実にしたバイデン前副大統領の対中政策も明確に見通せず、地域各国は米中対立の趨勢を慎重に見定める雰囲気が色濃い。
 一連の首脳会議では中国の矢面に立つ日本の姿勢が目立った。首脳会議の成果文書をめぐり、中国はFOIPを対中封じ込めと警戒して「インド太平洋」との文言を盛り込むことに反対したのに対し、日本は中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)や巨大経済圏構想「一帯一路」を削除するよう主張した。
 しかし、ASEANプラス3に同席した政府高官によると、首相はFOIPに言及しなかった。昨年11月の同会議では、安倍氏ASEAN版のインド太平洋構想(AOIP)に触れ「FOIPとAOIPとのシナジー(相乗効果)を追求し、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて連結性の向上に貢献したい」と呼びかけている。
 首相は9月の自民党総裁選で「反中包囲網」に否定的な見解も示している。首相が融和的な対中政策を模索しているのではないかとの懸念は、今後も政府・与党内でくすぶることになりそうだ。(田村龍彦、市岡豊大)」
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💠6」─6─中国31社への投資禁止 トランプ氏が大統領令。〜No.32No.33No.34 

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 2020年11月13日 産経新聞「中国31社への投資禁止 トランプ氏が大統領令、中国軍の近代化阻止
 トランプ米大統領=11日、バージニア州(ロイター)
 【ワシントン=塩原永久】トランプ米大統領は12日、中国人民解放軍の近代化を支援していると分析した中国企業31社への証券投資を禁じる大統領令に署名した。投資会社や個人による株式購入のほか、対象銘柄が組み込まれたファンドへの投資をできなくし、軍事力増強につながる企業資金の供給阻止を狙う。来年1月11日から実施する。
 31社は米国防総省が、中国軍事技術の発展に役立っていたり、国から支援を受けているとみなした企業。監視カメラ大手の杭州海康威視数字技術(ハイクビジョン)や、通信大手の中国移動通信(チャイナモバイル)、中国電信(チャイナテレコム)などが対象に含まれるとみられる。
 来年1月から新規投資を禁じるほか、すでに投資している個人や企業には、2021年11月までの処分を求めている。
 トランプ米政権は、中国軍が民生技術を活用し、軍備の近代化を進める国家戦略「軍民融合」に力を入れていると分析している。
 大統領令は「中国が軍民融合の国家戦略によって軍産複合体の規模を拡大させている」と指摘。当該企業が人民解放軍の軍事力強化や諜報活動を「直接的に支援」しているとみて、金融市場を通じた資金供給を遮断する必要性を強調している。」
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🛲12」─1─親日国家ペルシャ(後のイラン)のパーレビ国王~No.100No.101 ⑩ 

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 江戸時代、ペルシャと日本はともに世界七大帝国の一つであった。
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 日本の文明・文化・宗教など多方面で、ペルシャ中央アジアの影響を受けていた。
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 日本陸軍は、対ソ戦略として、満州から内モンゴル中央アジアペルシャ・トルコに至るイスラム教徒を利用して防共回廊を建設しようとした。
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 昔の日本人は、現代の日本人よりも、地政学や戦争学そして情報戦や謀略戦に優れていた。
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 中東や中央アジアなどのイスラム教徒が親日派なのは、戦争をしない九条の平和憲法を持っているからではなく、白人キリスト教列強国に対して一か国で宣戦布告して、ロシア帝国に勝利し、ソ連共産主義勢力に抵抗し、アメリカに敗北したからである。
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 アラブ人は、戦う人で戦わない奴は人として信用せず、信仰の民として反宗教無神の奴は人として信用しない。
 敬虔かイスラムであれば共産主義者マルクス主義者)は、皆殺しにし、根絶やしにし、絶滅し、消滅させるべき信仰の敵であった。
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 昔のイスラム教徒は、白人キリスト教西洋列強と戦争を果敢に行った明治天皇昭和天皇を偉大な名君として尊敬していた。
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 2019年8月1日 週刊新潮「変見自在 高山正之
 知らない イラン
 日本とイラン(ペルシャ)には深い誼(よしみ)があった。
 昭和14年、皇太子パーレビとエジプトの王女フォージェの結婚式に日本は三菱双発輸送機『そよかぜ』で天皇特使をテヘランに派遣した。
 独、伊などからも慶祝(けいしゅく)の特別機が飛んできたが、パーレビには日本機に特別の感激があったという。
 イラン人は西欧人と同じアーリア系なのに妙に差別されてきた。白人なのにイスラムというのも嫌われる理由の1つで、ハリウッド映画『300』はイランを魔物の国に描いている。
 侮蔑は現代も生きる。結婚式の翌々年、独がソ連に侵攻するとソ連への物資輸送に便利だからと連合軍はイランを占領し、父レザ・シャーはインド洋に島流しにされた。そこらの土人国並みの扱いだった。
 傲慢な白人が世界を仕切る中で、日本は自力で工業化を果たし、白人しか作れない飛行機まで作ってここに飛ばしてきた。
 日本機は『イラン王室の特別要請で結婚祝賀の分列飛行に特別参加』(大日本航空社史)している。
 パーレビ自身も特別な体験がある。父を追放された後、彼は連合国管理下で皇帝に即位する。昭和16年末、その挨拶回りを終えてパンアメリカン機で帰国の途次、あの真珠湾攻撃に遭遇する。
 乗機はハワイ島ヒロに降りるが、彼はそこでいつも偉そうに振る舞ってきた白人どもが青ざめ逃げ惑う姿を確かに見た。
 戦後、パーレビは祖国を停滞させてきたイスラムの縛りを断って『アジアの西の日本たれ』と工業国化を推し進めた。
 当時の農民は税を免れるため農地をモスクに寄進してその小作人になっていた。モスクは肥えていた。
 米国がモスクの親玉ハメネイ師に経済制裁を科したが、対象の個人資産が十数兆円超もあったのはそういう背景があったからだ。
 近代化にモスクは財政上も障害だった。皇帝は当時のモスクも親玉ホメイニ師と深刻に対立した。
 欧米はしかし皇帝を見捨てた。中東に『日本』は要らない。お前らはイスラムの澱(おり)にまみれ、石油だけ出していればいい。
 ホメイニ師の抵抗はむしろ歓迎され、国外追放された師の説教はBBCが丁寧にイランに流し続けた。ホメイニ師はモスクの財産を守り切ったが、それで満足はしなかった。オレたち坊主でこの国を乗っ取ってみるか。
 彼の手先になったのがシーア派狂信者集団、革命防衛隊パスダランだった。
 彼らは敵対する共和党派を殺しまくり、企業も大学も役所も支配下に置いた。
 その上で『イスラム坊主を指導者と崇め、民は良きイスラム信者となる』憲法草案を国民投票にかけた。
 もし通ればコーランに従い飲酒、賭博が禁じられる。女は髪も素顔も夫以外に見せてはならない。何より不倫をすれば最も残酷な石打刑に処される。
 民はそっぽを向いたが投票に前後してパスダランが米大使館を占領し、館員を人質に取った。
 米のミサイルが今にも飛んできそうな不安が覆う中で国民投票は『坊主専制憲法は99.8%の民が承認した』と発表された。インチキだと言えば即座にしょっ引かれて殺された。
 翌日から本当に不倫女が公開処刑され、酒を隠し持った男が鞭打たれた。それがもう40年続く。日本人が知るイランはとっくに消え去っていた。
 イランの新しい顔パスダランは先日、日本のタンカーを爆破し、米軍の無人偵察機を撃ち落とした。英タンカーを拿捕した。彼らの狂気はまあ健在なことを示している。
 ボルトンは狂気の宗教支配に抗(あらが)う市民を支援してきた。『ハメネイが国を変えないなら政権を転覆させるしかない』と公言もした。
 あのときホメイニ師を黙認した米国にも一端の責任があると考えている。
 この問題を朝日新聞の社説は『トランプが悪い』と書く。それはちょっと違い。ときには滅ぼした方がいい政権もあることを知ろう」
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 現代日本は、イスラムの事も中東の事も理解できず、親日的な人々を裏切り見捨てた。
 その象徴的な事件が、イラン・イラク戦争時にテヘランに取り残された邦人救出の為に民間機も自衛隊機も派遣する事に猛反対した護憲派日本人達であり、トルコが自国民を犠牲にして助けてくれたのに感謝もしなかった恩知らずの人権派日本人達である。
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 他人の命より自分の命が大事という平和主義の日本人達。
 彼らは、非情と冷酷に徹して、平然と他人を見捨てる。
 それが、戦後平和教育が育てた、公より私を優先する個人主義の日本人である。
 現代日本人は、悪い事はしないが善い事もしない。
 戦前の日本人は、悪い事もしたが善い事もして、シベリアで、満州で、華北で、数百人、数十万人、数百万人、1,000万人の、ロシア人を、ホーランド人を、ポーランドユダヤ人を、中国人を、命を犠牲にして助けた。
 現代日本人は、善い人間だがつまらない人間でもある。
 そうした日本人は、高学歴出身知的エリートのメディア関係者や解説者・評論家に多い。
 味も素っ気もない無味乾燥、個性もなければ特徴も特性もない、無色無臭のキレイが現代日本人の実態である。
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 航空機は、最先端技術が詰まった白人専用兵器であり、欧米の軍需産業が独占するかのようせ生産していたが、日本の軍需産業は大半を独自技術で開発生産で挑戦していた。
 日本の戦闘機「ゼロ戦」や「隼」は、一時、アメリカやイギリスの戦闘機を駆逐し、東アジアや太平洋の大空を支配した。
 日本の一点豪華主義は、誇るべき功績を残したが、技術は日進月歩で新しく更新される為に他を圧倒できる期間は短かった。
 欧米の軍需産業は、世界兵器市場を独占する為に日本の軍需産業を潰す必要があり、多額の政治資金・選挙資金を提供している政治家を通じて政府や議会に対日強硬政策の実行を強要した。
 それが、日本資産の凍結や日本への石油禁輸である。
 日本の軍需産業は兵器生産の為に、在外日本資産で必要物資を購入し、石油を使って輸入し工場を稼働させて生産していた。
 諸外国政府を裏で支配していたのは、ユダヤ系国際金融資本と軍需産業、石油産業、化学産業であった。
 日本が挑戦した相手とは、そうした世界の裏の支配者であった。
 戦前の日本が、「世界に挑戦し、世界で孤立化した」とは、軍事行動ではなく科学技術であった。
 戦後、アメリカは日本を支配し、日本の航空産業を潰し、航空機の研究・開発・生産を禁止した。
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 現代日本人よりも戦前の日本人の方が、幾分かは優れている。
 現代日本人は、自分では何も決められず、あれこれ屁理屈を捏ねて狼狽し、強力なリーダーシップを持つリーダーに無理矢理、強制的に決めてくれる事を心の中で願っている。
 そして、リーダーに対して不平肥満を並べたて自由と民主主義の敵だと激しく非難してて潰す。
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 西洋列強の植民地にされていたり、屈辱的な保護国・属国にされている地域の住民にとって、日本機は憧れであった。
 唯一、苦々しく眺めていたのが中国人とアジアに住む華僑や華人達であった。
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 中東や中央アジアなどのイスラム教徒には、親日派反日派・無関心はの三派が存在する。
 年配層は親日派で、若年層は反日派である。
 イスラム原理主義主義など過激派は、反米派であり、反日に近い。 
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 中国共産党は、一帯一路構想で中東や中央アジアに勢力を拡大し、イスラム教勢力との協力関係を強めている。
 イスラム教諸国は、中国共産党が国内で行っているイスラム教徒ウイグル人への非人道的ジェノサイドを黙認している。
 イスラム教徒テロリストは、アメリカとの聖戦の為に、同教同胞であるウイグル人を見殺しにしている。
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 モハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー(ペルシア語: محمدرضا شاه پهلوی, ラテン文字転写: Mohammad Rezā Shāh Pahlavi、1919年10月26日 - 1980年7月27日)はパフラヴィー朝イランの第2代にして最後の皇帝(シャーハンシャー、在位:1941年9月26日 - 1979年2月11日)である。パフラヴィー2世とも呼ばれる。亡命前後の日本の報道ではパーレビ国王と呼ばれることが多かった。
 父である先代の皇帝レザー・シャーの退位により即位し、「白色革命」を推進してイランの近代化を進めたが、イラン革命により失脚した。

 生涯
 皇太子時代
 1919年、ガージャール朝の軍人レザー・ハーンの長子としてテヘランに生まれた。1925年に父がレザー・シャーとして皇帝に即位しパフラヴィー朝を開くと、皇太子となった。
 その後、上流階級の子弟が通うスイスの私立寄宿学校「ル・ロゼ」へ留学した。なお、同校においてはその後アメリカのCIA長官となるリチャード・ヘルムスら同級生からの信頼も厚く、多くの友人を作った。

 即位
 1941年、議会にて皇帝即位の宣誓を行うモハンマド・レザー・シャー
 1939年9月1日に勃発した第二次世界大戦中には、レザー・シャーがイラン国内に居住するドイツ人の追放を拒否し、連合国に鉄道の使用を拒否するなど、イランは急速に枢軸国のドイツに傾斜した。
 このために連合国のイギリスとソビエト連邦は、1941年8月25日に鉄道を含む補給路と、石油などの豊富な資源の確保のためにイランへの侵攻を行った。この侵攻を受けてレザー・シャーは、連合国の一国でイランとの関係も深かったアメリカ合衆国フランクリン・ルーズベルト大統領に仲介を求めたものの拒否され、9月17日にはイラン軍は制圧された。その後イランは両国による共同進駐を受け、両国の圧力を受けて退位した父に代わり、モハンマド・レザーはモハンマド・レザー・シャーとして皇帝に即位した。

 結婚
 同年にムハンマド・アリー朝エジプトの国王フアード1世の長女ファウズィーイェ・ビント・フォアードと結婚したが、のちに不和となり1948年に離婚した。
 次いで1951年にイラン南部のバフティヤーリー族 の貴族の長女ソラヤー・エスファンディヤーリー・バフティヤーリーと再婚したが、後に彼女が不妊症であることが発覚し、帝位継承の安定のため、1958年にやむなく離婚した。そして1959年にイラン軍軍人の一人娘ファラー・ディーバーとみたび結婚した。
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帝国陸軍 知られざる地政学戦略 見果てぬ「防共回廊」 (祥伝社新書)
帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」