🗽7」─6・C─リョコウバトの「無慈悲な絶滅」が「人類の絶滅」を示唆していないだろうか。~No.27 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 欧米人や反民族グローバル派日本人が普遍的動物愛護を持って、日本民族の鯨漁や馬追神事など伝統的宗教的文化を理解せず排斥する根拠に存在するのはなにか。
   ・   ・   ・   
 マイノリティ・ファシズムエコ・テロリストヒューマニズム原理主義、環境過激派、リベラル・ファシズム(エセ・リベラル)は、文化マルクス主義の反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人達である。
 彼らは、動物愛護を隠れ蓑にした反宗教のイデオロギー的不寛容な差別主義者である。
   ・   ・   ・   
 2024年5月7日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「これは「人類の絶滅」を示唆していないだろうか…リョコウバトの「いびつな繁栄」と「無慈悲な絶滅」が教えること
 かつて北米の野生鳥類の3分の1はリョコウバトだった
 先日、ある学会で一般公演を行った。講演者は2人で、私は化石など過去のことを話し、もうひと方は未来のことを話した。その方は、未来の話の中で、人類の絶滅についても少し触れられていた。その話を聴きながら、私はリョコウバトのことを思い出していた。
 【画像】「ホモ・サピエンスの起源」本当にアフリカ…?  意外な所を示唆するヒント
 リョコウバトは絶滅種である。しかし、かつては北アメリカにいる野生の鳥類の3分の1はリョコウバトだったという見積もりがあるくらい繁栄していた種で、その数は19世紀の半ばには50億羽に達していたという。
 1866年にはカナダのオンタリオ州南部で、空が暗くなるほどの巨大な群れが目撃された。その群れは、幅が1.5キロメートル、長さが500キロメートルに及び、通り過ぎるのに14時間もかかったと伝えられている。
 リョコウバトは胸の部分が赤い特徴的なハトで、時速100キロメートルで飛べたという。開けた場所だけでなく、森の中でも自由に飛べたらしい。リョコウバトの基本的な生息地は森林だったのである。そして、1本の木に、あまりにも多くのリョコウバトが止まったために、木が裂けて倒れることもあったらしい。
 リョコウバトを激減させた理由とは
 北米の鉄道の発達が、リョコウバトを目的とする狩猟者の行動範囲を格段に広げた   また、名前からもわかるように、リョコウバトは毎年大移動をした。夏は北アメリカ北部の五大湖周辺で繁殖して子どもを育て、冬は南部で過ごすのだが、そのときに通るルートは毎年同じではなかったらしい。リョコウバトの巨大な群れは、その通り道にある木の実や果実をすべて食べ尽くしてしまうので、それらの植物が回復するまで、数年間はそのルートを通らなかったのかもしれない。
 そして、リョコウバトは人間の食料にもされた。栄養たっぷりで美味しくて、手軽な食料として人気があったらしい。しかし、19世紀の前半までは、それほど大量に狩られることはなかった。その理由の一つが、この、毎年移動ルートを変えることだったようだ。他の渡り鳥と違って、決まった移動ルートがなかったため、リョコウバトの群れがどこにいるかはわかりにくかった。そのため、待ち伏せされて大量に狩られることが少なかったのだろう。
 しかし、電報と鉄道の発達によって、状況は変わった。電報が発達することによって、リョコウバトの群れの位置を遠くの人にも知らせることができるようになった。そして、鉄道が発達することによって、多くの狩猟者が列車に乗って、リョコウバトのもとへ向かったのである。
 リョコウバトを狩るのは簡単だったらしい。群れに向かって散弾銃を1回撃てば、何十羽ものリョコウバトを撃ち落とすことができた。ある記録では、1発で99羽を撃ち落としたという。
 撃ち落としたリョコウバトは、羽毛を毟り取って樽に詰め、塩漬けにされた。そんな、リョコウバトの樽ばかりを積んだ列車が、都会に向けてたくさん走っていたらしい。とくに脂ののった仔鳩は人気があり、ニューヨークやシカゴのレストランにおける人気メニューだったという。
 そうして、19世紀後半になると、リョコウバトは急激に数を減らしていった。
 リョコウバトの最後の1羽「マーサ」
 アメリカ、オハイオ州シンシナティ動物園で飼育されていたメスのリョコウバト「マーサ」。飼育時の写真(Enno Meyer)
 人間による乱獲がおもな原因だが、森林の伐採も追い打ちをかけたらしい。そして、1910年になると、ついにリョコウバトはたった1羽になってしまった。それは、アメリカのシンシナティ動物園で飼われていた、マーサというメスのリョコウバトだった。
 そして、1914年9月1日の午後1時に、アメリカのシンシナティ動物園の職員が、床に横たわっている彼女を見つけた。それが、リョコウバトが絶滅した瞬間だった。
 古代都市にリョコウバトはあまりいなかった
 推定62万立方メートル分の土から作られた高さ約30メートルのモンクス・マウンド。 カホキア墳丘群州立史跡で最も高い建造物(gettyimages)
 あんなにたくさんいたリョコウバトが、人間の無慈悲な乱獲により、100年ほどで絶滅してしまった。とんでもないことだ。それはまったくその通りなのだが、話はそこで終わらないのではないだろうか。
 たしかに19世紀には、リョコウバトがたくさんいたのだろう。しかし、空が暗くなったり樹木が避けたりするほど多くのリョコウバトがいる状態は、やや不自然な感じがする。バランスのとれた安定した生態系とは思えないのだ。果たしてリョコウバトは、ずっと昔からそんなにたくさんいたのだろうか。
 アメリカのイリノイ州ミシシッピ川の東に、アメリカ先住民が築いたカホキアという古代都市の遺跡がある。11~13世紀にかけての最盛期には、面積が約16平方キロメートルに達し、モンクス・マウンドと呼ばれる高さ30メートルに達する墳丘がそびえていたという。
 このカホキアの遺跡を調査した報告によると、リョコウバトはほとんど住民の食料になっていなかったらしい。なぜ、あんなに美味しいリョコウバトを、アメリカ先住民はほとんど食料にしなかったのだろうか。
 いや、アメリカ先住民も、リョコウバトを食料にはしていたのだろう。ただ、古代都市における食料の中で、リョコウバトが占める割合が小さかったということだ。おそらく、その理由は、リョコウバトがあまりいなかったからではないだろうか。かつてはリョコウバトの個体数が少なく、群れの規模も小さかったという説は、他の考古学的証拠からも支持されているようだ。
 リョコウバトが少なかった理由は、おそらくアメリカ先住民がその個体数を抑えていたからだろう。アメリカ先住民は、リョコウバトを食べたり、リョコウバトのエサである植物を食べたりしていた。そのため、両者は競合関係にあり、個体数もバランスが取れて安定していたのである。
 先住民族の社会の崩壊がリョコウバトを繁栄させた
 イエローストーン国立公園のシカ(gettyimages)
 しかし、約500年前にヨーロッパ人がアメリカ大陸にやってくると、状況は変わった。ヨーロッパ人が持ち込んだ感染症アメリカ先住民に対する虐殺と奴隷化が、アメリカ先住民の社会を崩壊させ、人口を激減させた。
 その結果、アメリカ先住民とリョコウバトのバランスが崩れて、リョコウバトが大発生したのではないだろうか。もし、そうだとすれば、19世紀にリョコウバトが50億羽もいたことは、異常な状態だった可能性がある。
 かつて、アメリカのイエローストーン国立公園で、オオカミを駆除したためにシカが大発生して、森林が大打撃を受けたことがあった。
 これは生態系のバランスが崩れた例として有名だが、19世紀の北アメリカにおけるリョコウバトの大発生も、イエローストーン国立公園におけるシカの大発生のようなものだったのかもしれない。
 ヒトの質量は、野生の哺乳類全体の質量の約9倍
 もしもアメリカ先住民が激減したために、19世紀の北アメリカでリョコウバトが大発生したのだとすれば、そのあおりを食って多くの野生の鳥類が絶滅した可能性が高い。北アメリカの自然が保持している、鳥類を養うための資源は、有限だからだ。
 そして、ある種が大発生している生態系は、一般には不安定で、その状態が長期間にわたって続く可能性は低い。さまざまな種が絶滅の危機に瀕するだけでなく、大発生している種自体も不安定で、個体数が激減する危機に晒されている可能性がある。もちろん、それは北アメリカに限らない。地球全体で考えても、生物を養うための資源は有限なのである。
 生物体の質量を炭素で見積もった研究(*)によると、私たちヒトの質量は、野生の哺乳類全体の質量の9倍近くに達しているという。これだけ多ければ、他の種を絶滅に追いやることはもちろん、私たちヒト自体も、このレベルを長期的に維持していくことは難しいだろう。
 もしそうであれば、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか。学会の一般公演を聴きながら、私はそんなことを考えていた。
 (*) Bar-On, Y. M. et al.(2018)The biomass distribution on earth. Proceedings of the national academy of Sciences of the United States of America, 115, 6506-6511.
 更科 功(分子古生物学者
   ・   ・   ・