🛲5」─12・B─インドのインパール作戦から80年の価値観外交。世界行動学。 ~No.56 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 何故、インドが親日知日で反中国敵中国なのか、安倍晋三元総理の中国包囲網である「自由で開かれたインド太平洋」戦略と「地球規模の価値観外交」に賛成して参加したのか。
 アベガー勢力であるエセ保守とリベラル左派は、安倍晋三元総理の全ての業績に反対し否定している。
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 心ある日本民族は、唐の儒教よりも天竺の仏教に憧れていた。
 唐とは中国であり、天竺とはインド、ネパール、ガンダーラである。
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 2024年5月22日 MicrosoftStartニュース 産経新聞インパール作戦から80年の価値観外交 植民地支配されたインド人は英国人が嫌いなのか 世界行動学
 価値観外交という言葉が言われて久しい。日本は自由と民主主義の理念を共有する陣営の側にあり、全体主義の中国やロシアの価値観とは相いれない。
 一方で、どちらの陣営ともある程度の距離を置く国もある。その代表格が南アジアのインドだ。自他ともに「民主主義国家」をうたうが、ロシアのウクライナ侵略を非難することはしない。非同盟を貫き、大国の米国といさかいがあってもひるまない。
 2年ほど前にインドで大ヒットし、日本でも上映されたアクション映画「RRR」を見ると、インド人の反植民地感情もよく伝わってくる。1920年の英領インドが舞台で、2人のインド人男性が支配者の英国人をやっつけるという内容だが、多くの英国人はとにかく極悪非道なのだ。少女をさらい、市民に暴力をふるう。一人だけ主人公らに理解を示すうら若い英国人女性がいて、最後は楽しくインド人と踊りまくる。
 今や英首相はインド系、ロンドン市長パキスタン系人物の時代だ。インド人に「そんなに英国人が嫌いなのか」と尋ねると、大抵は「あれは映画だ。植民地支配なんて昔の話で、恨んでないよ」という答えが返ってくる。とはいえ、インドで英国人を悪者にした作品が娯楽として人気を呼んだことには違いはない。
 「眠れる巨象」などといわれてきたインドは昨今、成長著しい。まもなくGDP(国内総生産)で日本を抜くと予想される。理想は英米主導の先進7カ国(G7)ではない。支配された側のグローバルサウス(新興・途上国)の盟主だ。
 逆に米国などではインドのモディ政権がロシアを非難せず、野党指導者を逮捕したり、ヒンズー至上主義だったりすることへの批判がある。識者からは「インドとは民主主義の価値観をそもそも共有していない」という意見さえ上がる。
 しかし、民主主義陣営は、その先の戦略的関係を見据える必要もある。日本は対中国でインドと連携しなければならない。シビ・ジョージ駐日大使はことあるごとに「インドと日本の間には歴史上の問題がない」と強調する。RRRの時代から24年後の80年前、第二次世界大戦で日本軍は英領インド北東部インパールを攻略する作戦を試みて失敗し、撤退した。
 大戦で敗北した日本の指導者の戦争責任を問う東京裁判が始まったのがインパール作戦から2年後の5月。インド代表のパール判事は、被告の起訴罪名の「平和に対する罪」「人道に対する罪」は「事後法だ」などとして、全員を無罪と主張した。
 戦後、歴史問題で対立せず、尊重し合える関係が築けたことは、両国の財産となっているのだ。違いを乗り越え、協力の道を歩みたい。
 (インド太平洋特派員 岩田智雄)
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 日本軍・日本人兵士は、戦場で敵軍兵士と便衣隊・ゲリラ・パルチザンを殺す戦争犯罪をおこなったが、同時に戦場で敵軍兵士や一般市民を自己犠牲で助けるという人道貢献もおこなっていた。
 人道貢献の希望と光が、旭日旗であり、靖国神社であった。
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 西洋の植民地であったインドやインドネシアなどのアジア諸国と西洋人の奴隷であったインド人やベトナム人などアジア民族にとって、一カ国だけで世界と戦った非白人非キリスト教の軍国日本・A級戦犯達は希望の光であり、旭日旗日章旗は希望の旗であり、そして靖国神社は・・・。
 アジア人といっても、中国人・漢族、華僑・華人朝鮮人は別種のアジア人である。
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