🔯64」─3・K─ロンドンでは人口の3人に1人以上が外国人となりイギリスの総人口が増えていく。~No.240 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 未来のイギリス国王は開かれた王家として、生粋のイギリス人ではなくイングランド国教会信者のイギリス国籍所有外国人が即位する。
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 人類史の事実として、民族には寿命があり、寿命が尽きた民族は死滅して地球上から消え、人々の記憶からも忘れ去られ、歴史の中に記録として残る民族と残らない民族がある。
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 歴史的事実として、民族主義は民族のイデオロギーではなく国家の政治的イデオロギーに過ぎない。
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 2024年1月8日 産経新聞「「移民」と日本人 今年起きること 「移民推進」リベラルは何をしている 治安、経済…真の弱者は誰か
 英ロンドンの街角に立つイスラム教徒の一家。ロンドンでは人口の3人に1人以上が外国人となった=昨年8月
 運転手は「移民」か「無人」か(下)
 外国人留学生に労働力を頼るコンビニ業界も、人手不足の解消策としてセルフレジ導入などの技術革新が進んでいる。ローソンでは店員が遠隔からモニター越しに接客する「リモート接客」の実証実験も始めた。
■働く人がいなければ賃金は上がるはず
 同社の竹増貞信社長(54)は「技術の向上やデジタル化で効率化は図れるが、やはり人が働く部分とのバランスは必要だ。現状では外国人に頼らざるを得ない」。
 労働力不足に端を発した「移民推進論」は、このままわが国を覆い続けるのか。文化や宗教、言葉の違いから、取り戻せないほどの治安悪化に苦しみ、ようやく移民政策の失敗を認めた欧米から学ぶことはないのか。
 青山学院大学大学院の福井義高教授は、経済的視点から「安易な移民推進は自国民の所得を下げるだけで、企業努力を妨げる」と指摘する。
 先進国で外国人労働者が従事するのは、自国民がやらないのではなく、現状の賃金ではやりたくない仕事だという。仮に外国人という選択がなければ、自国民がやりたくなるまで賃金水準は上がり、企業はより一層の技術開発などで乗り切ろうとする、という考え方だ。
■高度成長期とは何だったか
 安価な外国人が人件費を下げれば、結果的に自国民の賃金も抑えられる。賃金を上げずに人が集まれば企業は努力しなくなる。これは、経営者や株主だけが利益を追求する考え方だ。外国人に頼らず、多くの日本人労働者が生き生きと働いて国力を上げた高度経済成長期は、その正反対の時代だったのではないか。
 「本来、弱者の味方であるはずのリベラル層が多様性の名の下に移民政策に積極的であるのも矛盾している。仮にわが国が大量の移民時代を迎えたとしたら、治安や経済も含め本当の弱者は結局誰になるのか、国民一人ひとりが考える時が来ている」。福井教授はそう指摘した。=おわり
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 リシ・スナク(英語: Rishi Sunak ['rɪʃi ˈsuːnæk]、ヒンディー語: ऋषि सुनक、1980年5月12日 - )は、イギリスの政治家、実業家。ヒンドゥー教徒。同国第79代首相(在任: 2022年10月25日 - )、保守党党首、庶民院議員(リッチモンド (ヨーク)選出)。英国史上初のインド系首相である。

 来歴
 生い立ち
 スナクは1980年5月12日にハンプシャーサウサンプトンで、ケニア生まれの総合診療医の父と、タンザニア生まれの薬剤師の母の長男として生まれた。祖父はインドのパンジャーブ出身で、1960年代に東アフリカからイギリスへ家族とともに移住している。
 ウィンチェスター・カレッジを経て、オックスフォード大学リンカーン・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、フルブライト奨学金を得てスタンフォード大学経営大学院でMBAを取得。ゴールドマン・サックスヘッジファンドザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンドなどで勤務した。
 政治家として
 2015年イギリス総選挙に、政界を引退するウィリアム・ヘイグの後継としてリッチモンド選挙区から立候補し、庶民院議員に初当選。
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 人口回復策に対する日本の本音は、結婚して子供を生もうとしない日本人若者に期待せず、外国人移民(主に中国人移民)を受け入れる事であった。
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 国家と民族の成立は、日本とヨーロッパと中国・朝鮮とでは三者三様で全然違う。
 現代の日本人には、その歴史的事実が理解できない。
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 世界の開かれた王家とは、人種・民族、出自・出身、身分・家柄、血筋・血統に関係なく、個人の才能・能力・実力で即位できる事である。
 王位の正統性は、宗教で、絶対神の代理である教会による宗教由来「神と国王」の王権神授説・帝位神授説である。
 王位の正当性は、人で、憲法・法律が設置した会議による人間由来「国民と国王」の社会契約説である。
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 世界の王国・帝国は、自国民でなくても他国民でも国王に即位させ、他国の女性でも自国の女王・女帝に即位させた。
 そこには、外国人に対する偏見や差別は存在しなかった。
 その意味において、日本の皇室は閉ざされた王家として世界の非常識で、人種差別・民族差別・宗教差別そして女性差別を含んでいる。
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 西洋諸王国の即位する正当必須条件とは、人種は白人、民族はゲルマン系、宗教は西欧キリスト教、職業が王族か軍人、人物・才能・能力優先で血筋・家柄・身分・階級は二の次、女性でも即位可能である。
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 イギリスの歴代国王の出身部族は、先住民ケルト人を征服したアングロ・サクソン系、ノルマン系、フランス系、スペイン系、ドイツ系であった。
 ヴィクトリア女王の共同統治者である夫アルバート公子は、ドイツ人でザクセンコーブルク=ザールフェルト公エルンスト(後のザクセンコーブルク=ゴータ公エルンスト1世)の次男。
 イギリス人のヴィクトリア女王は、インド皇帝を兼ねてインドを統治した。
 女王エリザベス2世の夫フィリップ (エディンバラ公)は、ギリシャ人(古代ギリシャ人との血の繋がりはない)でギリシャ王家の王子。
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 イングランドエドワード3世は、フランス王家カペー家の直系男児が断絶したのを好機としてフランスに領土を拡大するべく、自らの母(シャルル4世の妹イザベル)の血統(女系相続)を主張して、フィリップ6世のフランス王位継承に異を唱えた。
 フランスの貴族や領主は、フランス国王派とイギリス派に分かれて内戦を始めた。
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 百年戦争(英語: Hundred Years' War、フランス語: Guerre de Cent Ans)は、フランス王国の王位継承およびイングランド王家がフランスに有する広大な領土をめぐり、フランス王国を治めるヴァロワ朝と、イングランド王国を治めるプランタジネット朝およびランカスター朝というフランス人王朝同士の争いに、フランスの領主たちが二派に分かれて戦った内戦である。国家という概念は薄い時代であり、封建諸侯の領地争いが重なったものであったが、戦争を経て次第に国家・国民としてのアイデンティティーが形成されるに至った。現在のフランスとイギリスの国境線が決定した戦争でもある。百年戦争は19世紀初期にフランスで用いられるようになった呼称で、イギリスでも19世紀後半に慣用されるようになった。
 伝統的に1337年11月1日のエドワード3世によるフランスへの挑戦状送付から1453年10月19日のボルドー陥落までの116年間の対立状態を指すが、歴史家によっては、実際にギュイエンヌ、カンブレーにおいて戦闘が開始された1339年を開始年とする説もある。いずれにしても戦争状態は間欠的なもので、休戦が宣言された時期もあり、終始戦闘を行っていたというわけではない。だが戦争状態が続いていた。
 両国とも自国で戦費を賄うことができなかった。フランスはジェノヴァ共和国に、イングランドヴェネツィア共和国に、それぞれ外債を引き受けさせた。
 背景
 詳細は「百年戦争の背景」を参照
 百年戦争の原因は、14世紀ヨーロッパの人口、経済、そして政治の危機にある。遠因はイングランド王国プランタジネット家)とフランス王国(ヴァロワ家)とのギュイエンヌ、フランドル、スコットランドにおける対立によってもたらされた。戦争の正式な理由はカペー家の直系男児の断絶である。
 フランス王位継承問題
 百年戦争前のフランス王家の家系図
 987年のユーグ・カペー即位以来フランス国王として君臨し続けたカペー朝は、1328年、シャルル4世の死によって男子の継承者を失い、王位はシャルル4世の従兄弟にあたるヴァロワ伯フィリップに継承された。フィリップは1328年、フィリップ6世としてランスでの戴冠式を迎えたが、戴冠式に先立って、イングランドエドワード3世は自らの母(シャルル4世の妹イザベル)の血統を主張して、フィリップ6世のフランス王位継承に異を唱えた。エドワード3世は自らの王位継承権を認めさせるための特使を派遣したが、フランス諸侯を説得することができず、1329年にはフィリップ6世に対し、ギュイエンヌ公として臣下の礼を捧げて王位を認めた。
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 ロシア皇帝エカテリーナ2世は、ドイツ人でプロイセン軍少将の娘で、側近や反ピョートル勢力の貴族・軍隊・教会・その他の支持を得て宮廷クーデターを起こして夫ピョートル2世を廃帝して即位した。側近達は、後顧の憂いを断つ為にピョートル2世を幽閉先で暗殺した。
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 メキシコ皇帝マクシミリアンは、ドイツ人でオーストリアハンガリー皇帝フランツ=ヨゼフ1世の弟。
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 オーストリア皇帝は、スペイン国王を兼ねた。
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 スペイン国王は、ポルトガル国王を兼ねた。
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 フランス・平民階級出身のジャン=バティスト・ベルナドット将軍は、スウェーデンノルウェー連合王国国王に即位してカール14世ヨハンと名乗った。
 スウェーデンの政治家や国民は、フランス人国王を認め受け入れた。
 フランス・マルセイユの絹商人フランソワ・クラリーの末娘デジレ・クラリーは、ベルナドット将軍と結婚して王妃となる。
 カール14世ヨハンとクラリー王妃の王太子がオスカル1世として即位し、フランス系ベルナドッテ王朝第2代のスウェーデン国王およびノルウェー国王となった。
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 ギリシャは、15世紀以後イスラム教国オスマン帝国に支配されていたが、1829年に独立戦争に勝利し、1832年にキリスト教ギリシャ王国を建国して独立した。
 ギリシャ国会は、国王に南ドイツ・バイエルン王国を支配するヴィッテルスバッハ家出身のオソン1世を迎えた。
 ギリシャ軍は、1862年にクーデターを起こしてドイツ人オソン1世を退位させた。
 ギリシャ国会は、次の国王にデンマーク王(グリュックスブルク家)クリスチャン9世の息子ヴィルヘルムが迎えた。
 1863年 ヴィルヘルムは、ギリシャ正教に改宗してゲオルギオス1世として即位し、王妃にロシア大公女オリガ・コンスタンチノヴナを迎えた。
 男ドイツ系女ロシア系のグリュックスブルク朝ギリシャ王国は、1974年までギリシャを統治した。
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 グリュックスブルク家は、オルデンブルク家の流れを汲む由緒ある名家で、現在のデンマーク王国ノルウェー王国の王家で、一族からはギリシャ国王も出している。
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 オルデンブルク朝は、1448年から1863年まで続いた、デンマークを中心とした北欧の王朝で、祖先はドイツ・ニーダーザクセン州オルデンブルクの出身であった。
 オルデンブルク伯エギルマール1世(1108年没)はザクセン公家の家臣であったが、1180年に独立した。
 オルデンブルク家は、13世紀に同家はオルデンブルク伯系とデルメンホルスト伯系に分かれたが、15世紀前半のオルデンブルク伯ディートリヒがデルメンホルスト伯の女相続人アデルハイトと結婚し、デルメンホルスト伯領は本家に復帰した。
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