🗽31」─3─移民国家アメリカでは黒人は「簡単に」殺されてしまう。~No.123No.124No.125No.126 

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 2023年9月28日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「なぜアメリカでは黒人は「簡単に」殺されてしまうのか…元海兵隊員の老人が白人警官に射殺された「衝撃の実話」から考える
 林 壮一
 68歳の老人の家に押し入った警官たち
 「I don’t give a FUCK. Nigger!」
 元米軍海兵隊員の老人は、自宅のドアを壊して侵入して来ようとする白人警官たちに、60回以上も「Don’t do that(やめてくれ)」と繰り返していた。その彼――ケネス・チェンバレンに対して、警官の一人が言い放ったのが、冒頭の言葉だ。字幕では「知るかよ ニガー」となっているが、ニュアンスとしては「ほざくな、ニガー」でも通じるだろう。
 9月15日から日本で公開されている映画、『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』のワン・シーンである。名優、モーガン・フリーマンが制作指揮を執った同作品は、事実に基づいたストーリーだ。
 モーガン・フリーマン(Photo by gettyimages)
 © 現代ビジネス
 2011年11月19日、ニューヨーク州南東部、ホワイトプレーンズのアパートで独り暮らしをしていた元海兵隊員の68歳(映画内では“70歳”と発言している)、チェンバレン双極性障害を患っていた。午前5時22分、医療用通報装置を誤作動させてしまい、同地区の警察に安否確認要請の連絡が入る。だが、黒人であるチェンバレンは警察に不信感を抱いており、訪れた3人の警官との対面を拒む。白人警官たちは挙動不審と解釈し、ドアを破壊してでも中に入って調べさせろ、と主張する。
 チェンバレンは言う。
 「誤作動で警察に連絡が入ってしまったが、私は大丈夫だ。もう、帰ってくれ」
黒人の応対にフラストレーションを感じる白人警官たちは、早朝にもかかわらず、何度もドアを激しく叩いて「開けろ」と繰り返す。
 「止めてくれ。捜査令状無しで、あんた達が私のアパートに入ることは許されないんだ」と、チェンバレンは応え、扉越しに押し問答が続くが、強引に警官たちがドアを壊してチェンバレン宅に押し入る。そして、最後は銃殺してしまう。元海兵隊員は午前7時までに息を引き取ったと記録されている――。
 同作品が全米で公開されたのは、2019年10月。モーガン・フリーマンが事件の顛末と黒人の人権を社会に問い掛けたかったことが、ストレートに伝わってくる。その一方で、筆者の脳裏には、酷似する事件が蘇ってきた。
 検察側の匙加減で裁判が大きく左右される
 1999年2月4日、アメリカ合衆国でコンピューターを学ぶためにギアナからニューヨークにやって来た、23歳のアマドゥ・ディアロが、ニューヨーク市警に属する4名の警官に、41発もの銃弾を浴びせられて絶命した(命中したのは19発)。
 ブロンクス在住だったディアロは、強姦容疑者を捜索中だった警察官4名に呼び止められた。職務質問されたため、胸ポケットから身分証明書を出そうとした折、警官たちが「銃を出そうした」と誤認し、連射されたのだった。ディアロの住むブロンクスのアパート玄関で発生した事件であった。ギアナ人の若者は、ドラッグも銃も持ち合わせていなかったことが、遺体検査後に明らかになっている。
 4名の警官は殺人罪と過剰防衛で起訴されたが、判決は全員を無罪とした。陪審員は6名の白人男性、2名の白人女性、4名の黒人女性で構成された。有罪となれば、それぞれが25年の懲役刑から終身刑となったが、検察側の匙加減で裁判が大きく左右されることが突き付けられた。
 この4名の白人警官が、深く後悔し、反省しているという検察側の巧みな演出、あるいはディアロが胸ポケットに手を入れた仕草が、銃を出そうとしたと感じるのはごく自然だという主張、更には、ディアロがいかなる目的でアメリカで生活していたかを詳らかにしなかった点が、被告を優位にした。
 当時、本判決はアメリカ国内で大きな社会問題となった。メディアも、この4名の警官と判決に多くの疑問を投げ掛けている。
 2009年元旦、カリフォルニア州オークランドを走る「フルートベール」駅でも、22歳の黒人青年が白人警官によって射殺された。被害者の名はオスカー・グラント。死の直前、グラントは電車内で乱闘騒ぎを起こしたことで、両手首に手錠をはめられ、ホームにうつ伏せに寝かされていた。つまり、無抵抗であった。
 ホームにうつ伏せになる直前、グラントは「(スタンガンを)こっちに向けないでくれよ! 俺には4歳の娘がいるんだ!」と叫んだ。しかし、その声は届かなかった。スタンガンどころか、警官は本物の銃の引き金を引いたのだ。同警官は白人だった。
 グラントには犯罪歴があり、ドラッグの売人という顔もあった。遅刻が原因で勤務していたスーパーマーケットを解雇されたばかりだった。それでも、4歳の娘を守るために、何とか生きる術を見付けようとしていた。
 グラントに発砲した警官に下された判決は「懲役2年」。収監後、僅か11カ月で釈放されている。
 「白人警官にとって、俺たちは“虫けら以下のブラック”なのさ」
 そして、2020年5月25日にミネソタ州ミネアポリスで発生したジョージ・フロイド殺害事件は記憶に新しい。偽札使用の疑いのあったこの46歳の黒人男性に対し、白人警官が首に自身の膝を当て、思い切り体重をかけて呼吸が出来ない状況を作る。「息が出来ない!」と悶え苦しむフロイドの声を聞こうともせず、8分46秒間もこの状態を続け、死に至らしめた。
 現場にいた警察官4名は免職となり、暴行を働いたデレック・チョーヴィン元警官は殺人罪で起訴される。2001年10月より警官としてのキャリアを重ねて来たチョーヴィンは、2006年に複数の同僚と共に家庭内暴力の疑いのあるウェイン・レイジェスを追跡中に発砲し、容疑者の命を奪った過去があった。
 ただ、複数の警官が多数の銃弾をレイジェスに向けたため、直接の死因がチョーヴィンが放った弾だったかどうかは解明されていない。
 チョーヴィンは、2008年にも暴力被害の通報を受けて現場に駆け付け、バスルームに隠れていた黒人男性の腹を2度撃っていた。
 フロイド殺害事件はアメリカ社会の恥部を映し出し、黒人の命を守れ! と<Black Lives Matter>運動が全米各地で起こる。
 2021年4月20日、チョーヴィン元警察官は、第2級殺人、第3級殺人、故殺の3つにおいて有罪となり、22年6カ月の実刑判決を受けた。また、被害者を標的として、獲物のように探し続ける累犯者として登録され、銃器の所有は生涯にわたって禁じられている。
 「白人警官にとって、俺たちは“虫けら以下のブラック”なのさ」
 2014年5月に、59歳で永眠したマックス・アントニオ・ローチは生前、そう話していた。バラク・オバマが黒人初の米国大統領となる直前の、選挙キャンペーン中のことだ。当時、筆者は、ペンシルバニア州フィラデルフィア南部の、ゲットーと呼ばれる貧民街で取材を続けていた。ローチも黒い肌を持っていた。
 親を知らずに育ったローチは、ポルトガル人家庭に養子として引き取られる。が、ギャングに支配される危険地帯で、ドラッグの売人や不良たちによる恐喝や暴力を味わいながら育った。
 マックス・アントニオ・ローチ(撮影:林壮一)
 © 現代ビジネス
 「物心ついた頃から、俺の周囲にはトラブルしかなかった。自分を守るためには、戦うしかなかったんだ」
 ローチは公立校を幾度も退学になり、更生・矯正するための特別校に通うが、荒んだまま成長する。
 「そんな俺はボクシングに救われた。セルフ・ディフェンスのためにジムに通い出したんだが、世界一の男になれたからね。ギャングとの抗争時に我々黒人の間で語られていたのが、『どんなことがあっても、警官には近付くな』だった。ヤツらは簡単に人の命を奪うからな。理由なんかない。難癖をつけて、ブラックを痛めつけたいのさ。大した給料を得られない現状を嘆き、捌け口を探しているんじゃないか。特に白人警官は、俺たちを目の仇にしていたよ」
 ローチは後にイスラム教徒となり、マシュー・サード・ムハマドと改名。世界ライトヘビー級王座に就き、8度の防衛に成功。引退後は国際ボクシング殿堂入りも果たしている。彼の言葉の重みを再認識する思いだ。
 2022年12月14日、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、同年の頭から11月までに、ニューヨーク市警の退職者数が約3200に上り、この20年間において、警官の辞任や退職が全米のどの地域よりもニューヨークが多いことを発表した。
 同記事で目を引いたのは、ニューヨークの新任警察官の年収は4万2500ドルで、5年半後には約8万5000ドルとなるが、コロラド州のオーロラ警察署なら、一年目に約6万5000ドル、勤続 4 年以上になると、年間およそ10 万ドルを稼ぐことが出来るというくだりだ。それにもかかわらず、大都市であるニューヨークの仕事量は多く、家族や友人と過ごす時間が減り、燃え尽き症候群になる可能性が高くなる、という同紙デスクの見解も紹介していた。
 『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』でも、警官が放つこんな一言がある。
 「もう、30分も待っている」
 ドアを開けろという自分たちの指示に従わないブラックに、白人警官は苛立ちを募らせていたのだ。エンドロールで流れた「ケネスの死に関して起訴された者も、有罪となった者もいない」という一文が哀しく胸に突き刺さる。
 一連の事件は決して他人事ではない。アメリカ社会において、黄色い肌の我々ジャパニーズも、黒人と同じ“マイノリティー”に括られるのだ。
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