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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
江戸時代後期、日本には東西南北から日本を侵略しようとして攻めてくる外国勢力が存在し、東の侵略者とはアメリカであった。
現代の歴史教科書では、その歴史的事実が抹消されている。
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2023年3月31日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「「アメリカの歴史は白人が創った」主張に見る過ち ヨーロッパ人入植の背景、国が形成される過程
アメリカ合衆国国旗(写真: zaimasukoike /PIXTA)
「世界各地の民族紛争はなぜ起こるのか」「各地の民族はなぜその土地土地に存在し、これからどこへ向かおうとしているのか」――。民族にまつわるそうした疑問に対する答えは、多くは「血統と起源」から探ることができます。そうした視点から人類史を読み解く、著述家の宇山卓栄氏の新著『世界「民族」全史』から、今回はアメリカの歴史をひもときます。
17世紀の前半から、イギリス人のみならず、オランダ人やフランス人などの他のヨーロッパ人が入植を進めていったものの、入植者の数としては、イギリス人が他を圧倒していました。
荒野を耕し、新天地を開拓するのは想像を絶する苦難で、多くの入植者たちはそれを乗り越えることができませんでした。当初、入植者の多くが過酷な環境に耐えられず、新大陸を去っていきました。
■イギリス人が入植を進めた背景
イギリス人入植者たちが自ら進んで、そのような苦難に立ち向かうことができたのは、ピューリタンとしての宗教的情熱があったからです。また、経済的な理由として、フランスやオランダには、肥沃な土地が充分にあり、フランス人やオランダ人はあえて、そこから離れる必要がなかったということも挙げられます。
イギリス人ピューリタンの子孫はWASP(ワスプ)というアメリカ合衆国を主導していく中核層になります。「WASP」はWhite Angro-Saxon Protestantの頭文字をとった略称で、白人でアングロ・サクソン系、プロテスタント信者である人々を指します。
オランダ、ドイツ、北欧のプロテスタントたちも一定数、北米大陸へ移住しており、彼らもまた、ピューリタン入植者と協力して開拓を進めたため、WASPの中でも一定数、アングロ・サクソン系でない白人も含まれています。
彼らは、自らの生存圏を築くことは神から与えられた「マニフェスト・ディスティニー(Manifest Destiny=明白なる使命)」であると考えました。領土拡張は宗教的な使命であり、神の名のもと、異教徒の先住民族を迫害・虐殺することも正当化しました。
17世紀後半、先住民族側は部族間で同盟を組み、白人入植者らと戦争をはじめます。銃で武装した白人入植者は先住民族を追い詰めていき、各地で民族浄化を行ないます。
先住民族絶滅政策は18世紀にも引き継がれ、ジョージ・ワシントンは植民地軍司令官時代に、先住民族部族の集落に対し、焦土作戦を指揮・実行しました。
スペインの白人入植者たちは、中南米で先住民族や黒人と混血しました。特に、スペイン人は先住民族女性を好み、彼女らを半ば性奴隷にして、メスティーソと呼ばれる混血児を生ませました。
■ピューリタンの宗教戒律
これに対し、イギリス人入植者は他人種と混血をしませんでした。これは、ピューリタンの宗教戒律が大きく影響しています。
新天地を築き、神と共に生きていこうとする当時のピューリタンたちにとって、宗教的な戒律は精神の支えでした。ピューリタンたちは戒律を先鋭化させて、極端ともいえる理想主義を生み出し、異端分子や異質なものを排除しようとしました。
アメリカの文学者ナサニエル・ホーソーンの小説『緋文字(The Scarlet Letter)』(1850年出版)は当時のピューリタンの精神的状況をよく表現しています。
この小説は17世紀のアメリカのピューリタン社会を舞台に、不倫の末に出産をする女性を主人公にしています。不義の子を産んだ主人公はピューリタンの戒律により、姦通(adulty)の罪を表わす「A」の緋文字の入った布を胸に付けることを強制されます。
街の人々からの激しい誹謗に晒されながら、生きていく主人公の姿や内面を描いています。「密通した男の名を言え」と執拗に迫る牧師に対し、主人公の女は黙秘を続けます。ホーソーンはピューリタンの戒律の急進性とその矛盾を描写しました。
このような厳格な戒律が現実としてどこまで守られていたかは疑問ですが、建前として理想主義が掲げられ、自分たちを正当化し、他民族を異端として排除するための理論として大いに活用されました。
他民族との混血は受け入れられるものではなく、それは戒律への挑戦と見なされました。この考え方はWASPに属する人々に広く共有されていました。
一方、カトリックを奉ずるスペイン人入植者には、このような排他的な戒律はありませんでした。カトリックは博愛主義の傾向が比較的に強かったのです。また、スペイン人入植者はコンキスタドール(征服者)をはじめ、宗教的情熱よりも経済利益の追求が勝っていました。
独立戦争を経て1776年にアメリカが独立宣言を発布した時、東部13州における白人の人口は約300万人と推定されています。この300万人の白人がアメリカ合衆国の建国に携わった「原合衆国人」であると言うことができます。
この原合衆国人の中には、ドイツ系が1割程度、オランダ系や北欧人が5%程度含まれていたと推定されていますが、そのほとんどはイギリス人でした。原合衆国人はイギリス人であるとする一般理解は間違っていません。
南北戦争(1861年~1865年)時代の合衆国人口は約2300万人に増加します。その内、約2000万人分が建国に携わった白人たち(原合衆国人)が自己増殖した数で、この時代までに、外部からやって来た移民が約300万人であると見られています。つまり、アメリカ合衆国初期のアメリカ人はほぼ、原合衆国人の子孫といえます。
1900年に、合衆国人口は約7600万人に到達します。南北戦争時代から19世紀末までに、外部からやって来た移民は約1600万人であると見られています。この時代、外部からの流入率が高くなります。
南北戦争後、かつて奴隷として人口に含まれなかったアフリカ系黒人も合衆国人口に含まれるようになったため、原合衆国人の子孫だけの自己増殖ではなく、黒人が人口に加わっています。当時の合衆国人口に占める黒人人口の割合は1割から2割程度と見られています。
また、19世紀の合衆国の拡大の中で、旧フランス領のルイジアナ、旧スペイン領のフロリダを併合したことによって増大した人口は移民として数えられず、合衆国内の人口増加として数えられています。この地域の住民はもちろん、原合衆国人ではありません。
■移民の子孫も増加している
この時代において、原合衆国人の子孫がアメリカ全体の中で、どのくらいいたのか、移民との混血なども含めると、ほとんど判別がつかない状態になっています。アメリカの人口増加において、原合衆国人の子孫が自己増殖した部分だけでなく、移民の子孫も増加していることも考慮せねばなりません。
2000年に、合衆国人口は2億8142万人に到達します。1900年から1999年までの100年間の移民は約4600万人と見られています。外部からの流入率は19世紀に比べれば、低く推移しています。
アメリカにおいて、建国に携わった原合衆国人やその子孫だけでなく、それ以外の人々も合衆国の歴史の大部分を形成してきた内部者であるといえます。
それは、人種や民族を問わず、移民全体にいえることなのですが、白人と非白人というカテゴライズを内部者と外部者に、そのまま適用しようとする人々がいます。
「アメリカは、白人がつくった国であるのに、黒人やヒスパニック、アジア系が治安悪化、雇用機会の侵蝕などの問題を引き起こし、白人社会を棄損している」と主張され、白人の不満が鬱積しています。
一部の急進派は「合衆国の歴史はWASPによってつくられた」と主張しますが、正しくは「建国の歴史」がWASPによってつくられただけであって、合衆国の歴史全体は様々な人種や民族によってつくられています。
■移民も国家の歴史を形成してきた
アメリカは移民を積極的に受け入れて人口拡大し、国家の歴史を形成してきたという事実を否定することはできません。
しかし、「アメリカは、白人がつくった国」という感覚が、白人の間で常に共有され、白人ナショナリズムが形成される土壌となっています。われわれ日本人はアメリカを「多民族国家」「人種の坩堝」とイメージしますが、白人にとっては、そうしたイメージは、われわれが考える以上に希薄です。
アメリカは人種の多様性を寛容に認めてきたとする定型的な図式が経済成長の低迷とともに、すでに通用しなくなっているという現実があります。
宇山 卓栄 :著作家
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