🎄5」─1─東方系ユダヤ人虐殺とロシア皇帝アレクサンダー2世暗殺。ベルリン国際会議とアフリカの分割ルール。清仏戦争。1880年~No.14No.15No.16 @ ②

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 1880年代 農民も社会への不満から農民同盟を結成し、政治的権利を確保する為に人民党を結党した。
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 1880年にロシア、ポーランドルーマニアなどで数千人のユダヤ人を虐殺するポグロムが起きて、100万人以上のユダヤ人がアメリカに逃亡した。
 アメリカのユダヤ人会は、彼等を資金援助し、アメリカ的に再教育して民主党の支持母体に組み込んで政治的発言力を強化した。
 ユダヤ人移民は、家内工業的な仕事が多いニューヨークに居座り、西部の未開の地に農民として入植する事を嫌った。
 新たなユダヤ人移住者は、都市部の家賃の安い貧民地区に排他的ユダヤ人共同体を組織し、非ユダヤ人低所得階層の単純作業現場に入り込んで行った。
 新移民に仕事を奪われた旧移民は、家族を養う為にやむなく新たな新天地を求めて西部へと移住した。反ユダヤ主義は、都市から地方へと拡大した。
 世界中の都市や町には、貧しく虐げられ、差別と偏見に苛まれ、呪われた衛生・生活環境の劣悪な地区は存在した。
 そこは法律の外に置かれ、警察などの国家権力が手を出せない、殺人者、強盗犯、強姦魔などが住む犯罪地区でもあった。
 細々と生活していた人々は、少ない仕事を新参者のユダヤ人奪われて失業し、最低賃金を守る為に労働組合を結成して対抗した。
 気の荒い乱暴者の中には、自暴自棄となって犯罪組織に入る者もいた。
 ハイム・ヴァイツマン「イギリスのユダヤ人、フランスのユダヤ人、或いはドイツのユダヤ人、アメリカのユダヤ人というものは存在しない。ただイギリス、フランス、ドイツ、アメリカにユダヤ人が住んでいると言うだけである」
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 1881年 ロシア皇帝アレキサンドル2世は、貧困化した農民の大規模な暴動を防止する為に数百万人の非ユダヤ農奴を解放して耕作地を分け与え、啓蒙思想に基ずく開明政策から旧態依然として効率の悪い行政組織の改正を断行した。
 対ユダヤ差別政策も改善され、ユダヤ人で富裕商人や退役兵士の内陸移動を許可した。移住の自由を手にしたユダヤ人は、親ユダヤ政策を採用するアレキサンドル2世の呼ぶかけを無視し、ロシアの発展より自分の幸福を優先してアメリカや西欧に移住した。
 ユダヤ人のアメリカ移住は、年と共に増大した。
 3月13日 ロシアの過激派は、皇帝の改革は特権階級の搾取体制を強化する陰謀であるとして否定し、ロシア帝国を転覆させる為に爆弾テロで皇帝を暗殺した。
 彼らは、皇帝を殺害する事で農民や労働者が蹶起して人民革命が起きると確信していた。皇帝と帝室を愛するロシア人は、革命家の煽動に踊らされることなく人民蜂起に参加しなかった。
 帝国の臣民であるロシア国民は、敬愛していた皇帝を殺したテロリストにユダヤ人女性革命家が加わっていた事に激怒し、ロシアやウクライナの各地で報復的なポグロムを行い多数のユダヤ人を惨殺した。   
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 1881年(ロシア皇帝アレクサンダー2世暗殺)から1914年(第一次世界大戦勃発)までに、ロシア、ポーランドバルト海沿岸部などから250万人以上の貧しいユダヤ人が西方へと逃亡した。
 東方ユダヤ人がヨーロッパ諸国の街角に溢れる事によって、治安が悪化し、犯罪が頻発した。各国の保守派や右翼は、国家の危機として、人種差別による社会的反ユダヤ主義運動を起こした。
 新たな、反ユダヤ主義の始まりである。アメリカの宗教的人種差別主義者も、非ユダヤ人先移住者の権利と財産を守る為に、大量に移住してきた貧しいロシア・東欧系ユダヤ人移民を迫害した。
 アメリカに、ロシア領から200万人以上が逃亡して来た。
 だが、文化・風習を異にする東方ユダヤ人は信仰から便宜的妥協を拒否する敬虔なユダヤ教徒であった為に、移住先で戒律も習慣も異なる「愛」信仰のキリスト教徒と生活上のトラブルを引き起こし、暖かく迎え入れてくれた異人種異民族異教徒異文化の周辺住民にユダヤ人への憎悪と敵意を生む原因を与えた。
 選民思想ユダヤ人は、無国籍者として国家・国民という俗世的な枠組み意識はなく、放浪者として国境・領域という世俗的線引きも見えなかった。
 近代的法律で安定・安全・安心を維持している法治国家においては、無国籍の不法入国者は社会に害をもたらす犯罪者であった。
 無国籍を公言する事は、自分は兇悪犯罪者・国家破壊のテロリストである事を認めた事と、同等の意味を持つとするのが世界常識である。
 商才ある者は、向上心があり高い教養と学識を身に付け、国際ユダヤ資本の支援のものとで事業を興し、アジアやアフリカで黒人や有色人種を奴隷的労働者として働かせて財を成した。
 富を得たユダヤ人商人は、神から与えられた使命、富める者の義務として各国に住む虐げられたユダヤ人同胞の為に寄付金を出し、病人には病院を、孤児や老人には公共施設をそれぞれ建設して奉仕した。
 東ヨーロッパの各都市にあるユダヤ人共同体は、国家、政府、非ユダヤ人機関から援助を受けられない為に、世界中の同胞からの寄付を得て貧しいユダヤ人を支援し、将来ある全ての子供への教育に力を入れた。
 社会に不満を持つ貧しい非ユダヤ系ヨーロッパ人は、実利優先の市場経済を最大限に利用するユダヤ人資本家を憎んだ。ユダヤ人資本家は、非ユダヤ人資本家以上に多額の税を国家に納め、有力な政治家に巨額の政治献金をおこい、国内法はもちろん国際法を遵守していた。   
 第一次ボーア戦争(〜84年)。イギリスは、南アフリカの世界最大の金とダイヤモンド鉱山を支配するために内紛を煽って軍事介入した。
 ロスチャイルド財閥の資金援助を受けたデビス社のセシル・ローズは、全世界のダイヤモンドを独占すると共に、南アフリカの鉄道や電信業を支配した。
 南アフリカは、人種隔離政策を徹底して施行した。
 当時の世界常識では、力が正義であり、力なき者には権利はなかかった。 
 9月 イギリスは、国際金融資本による財政支配に反発するエジプトの民族派が内戦を引き起こすや軍隊を派遣し、カイロなどの主要都市や港湾施設を軍事占領して属国化した。
 民族主義者は、犯罪者として弾圧された。普遍的市場原理で競争力を失った民族資本を解体して、エジプト経済を完全支配した。
 欧州の政治シオニストは、パレスチナにユダ人国家を建設する為に活動を活発化さ、地元のアラブ人と武力衝突を繰り返した。  
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 1882(明治15)年 日本は、外国からの借金に依存しない健全財政を目差して、強権的緊縮政策を採用し、超均衡財政を強行して外債約1,488万円の償還を終えた。
 1881年の正貨保有高869万円を、1885年には3,832万円に増やした。政府は、金融政策を運営する中枢機関としての中央銀行を樹立する為に、資本金1,000万円のうち半額を国家が出資する日本銀行を設立した。
 欧米諸国の中央銀行は純然たる民間銀行団が運営したが、日本の中央銀行=日銀は政府の監督下に置かれた。
 横浜正金銀行は、皇室関係資産の管理運営を主任務として活動を続けた。
 日本全国で、民権運動が激化した。侍崩れの民権派は、藩閥政府を転覆させる為に秩父事件などの騒乱事件を煽りつつ、朝鮮や清国に対して武力行使を伴う強硬外交を政府に求めた。
 政府は、国際協調外交を国是として、国内体制強化の為に民権派を弾圧した。
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 アメリカ政府は、西海岸での治安を悪化させている中国人移民排斥運動を沈静化させる為に、シナ人移民制限法を成立させた。
 中国は、国外に移住した者は理由を問わず国を捨てた裏切り者と決めつけ、棄民である彼等が死のうがどうなろうが関心を持たず、中国出身者を保護する行動は一切取らなかった。
 華人や華僑は、本国の保護が得られないだけに、自分の才覚のみを頼りに熾烈な人種的競争や経済的競争に勝ち抜いて居場所を確保した。
 個人主義の中国人には、集団主義の日本人的な「甘え」は存在しない。 
 5月 ロシア政府は、人種的血統を守る為に5月法を成立させ、異人種のユダヤ人を強制集住地域以外の居住を制限し、農村での土地の所有も管理も禁止した。
 イグナティエフ伯「西方の国境は、ユダヤ人に対して開かれている。ユダヤ人はすでにこの権利をおおいに利用しており、彼等の移住は全然妨げられていない」
 ポベドノスツェフ宗務院総裁「ユダヤ人の3分の1は、死に絶えるであろう。3分の1は、国外に移住するであろう。あとの3分の1は〔キリスト教に改宗して〕跡形もなく周囲の住民に溶解するであろう」 
 急増したユダヤ人人口が、以前より狭い地域に強制移住させられ、そして死亡者より出産数が上回った為に各地のユダヤ人地区は深刻な過剰人口におちいった。
 「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という神の啓示に従い、人口抑制や出産制限や不妊処置をとらなかった為に、自然的に人口爆発を引き起こした。
 だが、非ユダヤ人地区との交易が制限された為に、食糧の入手が困難となった飢餓が起きた。ユダヤ人の民族中心宗教は、神聖な選民思想から他民族への妥協的同化を許さず、絶対神信仰から異教の神の存在を拒絶し、不屈な精神力から異民族から精神的肉体的の如何なる苦痛にも耐える強靱さを与えていた。
 彼等に自殺願望があったわけではない以上、彼等は金銀財宝を持てるだけ持って逃亡し、助かる為にその所有財産で相手を買収して、醜態をさらしても恥とはせずに逃げた。
 ユダヤ人の国外移住は、ポグロムなどの迫害ではなく、人口爆発による就職難や食糧及び資源不足から加速した。
 商才のあるユダヤ人の一部は、銀行家として周囲の塗炭の苦しみに無関心を示さず、個人的利益を追い求めて財をなし、証券取引市場を支配し、報道を操作し、政治家を意のままに操って法律を歪曲した。
 彼等は、国際主義者として、経済的に破綻する異民族に対して如何なる責任を取らず、異邦人・よそ者として全ての忠誠的行為も拒否した。
 彼等は、戦争の原因を人口増加による食糧確保の為の生物学的生存闘争から主義主張の神学的理論闘争に変質させ、戦争の終結を相手の殲滅、根絶やしに置いた。
 ロシア系ユダヤ人が直面したマルサス的危機によって容赦なき残酷な社会ダーウィン主義が現実のものとなり、民族間の生存競争が激化し、国際紛争が引き起され、地球上で凄惨な国家間戦争が勃発した。
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 1884年 欧州のキリスト教国14カ国は、アフリカの分割ルールを話し合う為にベルリンで国際会議を開催し、「占有権」を取り決め、原住民の意志を無視して国境線を引いて植民地とした。
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 清仏戦争(〜85年) 何時の時代でも、キリスト教会は植民地拡大の尖兵として布教行動を行っていた。
 キリスト教会は、全世界をキリスト教化するとの「聖なる使命」から、中国領インドシナで排他的な布教活動を行った。
 宣教師は、宗教界の最高位に君臨する霊的特権階級として、下位の仏教や民族中心宗教を悪の教えであるとして弾圧した。
 異教徒原住民は、先祖伝来の民族中心宗教を守る為に暴動を起こし、キリスト教会を焼き払い、宣教師や修道士らを殺害するか追放した。
 そして、改宗原住民を虐殺した。
 フランス軍は、宣教師を保護する事を名目として軍隊を派遣し、抵抗する者は容赦なく虐殺した。
 改宗を拒否する原住民は、女性や子供に関係なく、「神の御名」によって罪人として処刑した。
 キリスト教会は、改宗しない者は助けず、異教徒に対する首切り(ギロチン刑)を容認した。こうして、数百万人が殺害され、民族文化は衰退した。
 キリスト教が入り込んだ土地では、文明化するどころか近代化されることもなく未開のまま取り残され、愛と和解ではなく敵意と憎悪が渦巻いていた。
 そして、「世の終わり」や「最後の審判」という終末論による生きる事への絶望感が、人々の心にキリスト教への信仰をもたらした。
 キリスト教は、生きる事への絶望と死後の世界への憧憬から、植民地で信者を増やした。
 キリスト教会は、植民地政策に協力する原住民を増やす為に、各地に教会を建てて布教活動をおこなった。
 そして、魂の救済を独占する為に、歴史ある仏教を否定し、各地にある由緒ある仏教寺院を破壊した。存続の危機に追い遣られた仏教徒は、キリスト教に抵抗する為に植民地支配に反対する独立運動を始めた。
 だが、東南アジアの仏教徒は団結しなかった為に、外部からの支援を得られず仏教徒は絶えず窮地に立たされていた。
 フランスは、中国領インドシナ半島を植民地とする為に、清国に対して戦争を仕掛けた。フランス軍は、近代化された中国の南洋艦隊を殲滅した。
 フランスは、戦争に勝利してベトナム(中国領安南)を割譲させ、カンボジアラオスを武力占領し、タイから領土の一部を略奪して植民地とした。
 これが、フランス領インドシナ仏印)である。
 翌年 イギリスは、仏教国ビルマ王国を征服して植民地とし、異教徒ビルマ王族を庶民に格下げしてインドの下層階級に売り渡して消滅させた。
 非力なタイ王国は、絶望的な戦争を避ける為に「非暴力無抵抗政策」をとり、国民を裏切り、同胞を見捨て、国土の一部をイギリスとフランスの植民地として割譲する事で独立を守った。
 タイ王国は、イギリスとフランスの力の均衡によって独立を維持した。
 これを、破滅的戦争を回避する為の「平和を維持するタイ方式」という。  
 ベトナムだけでも300近い部族が生活し、独自の言語と生活風習を守り、仏教や迷信的土着宗教を信仰していた。
 フランスは、原住民の同化を避ける為に、各部族の言語と風習を尊重し、交わる事を制限して分断支配した。
 フランス語を公用語とし、改宗者原住民には使用を強制したものの、圧倒的多数の異教徒原住民には使用を禁止した。
 フランス支配に不満を漏らす者は、犯罪者として逮捕し、仲間の名前や隠れ家を吐かせる為に非人道的な拷問をかけた。
 そして、見せしめに公開で首を切断して処刑した。
 価値ある文化財は、暴力的に略奪して本国に送った。
 それを守ろうとした民族主義者や宗教関係者を逮捕し、死ぬまで奴隷的重労働を科した。  
 植民地には本国から総督や高官が派遣されたが、実質的な実務は忠誠を誓う改宗原住民や混血児と、「個」の利益の為なら非人道的行為を平然と行う華人や華僑を利用した。
 どこの国や地域でも、自分一人が生き残る為ならば平気で支配者に媚び諂い、同胞を売り、「個」の利益を得る為に仲間を見捨てる者はいた。
 民族の裏切り者である彼等は、特権を許された裕福な地主層として欧州の価値観を受け入れ、白人の様になろうとして改宗し、民族語や民族文化を捨て、盲目的にヨーロッパ風の生活様式を真似した。
 民族性を野蛮として捨て去り、西欧風の邸宅で白人の様にゴージャスな生活を送り、西洋文化的な洗練された日々を満喫した。
 日曜ごとに、敬虔な信者とてキリスト教会で恭しく絶対神に祈った。
 一方、異教徒原住民は、自由を奪われ、重税を課せられ、搾取され、奴隷として極貧の生活に落とされた。
 娘は、中国人高利貸しの借金の抵当として奪われ、白人相手の中国人経営の売春宿に高級慰安婦として売られた。
 中国人は、中華思想で原住民を差別していた。
 フランスは、商品価値のない生活必需品の生産を制限し、ゴムや米などの商品価値のある農作物の生産を強制した。
 ゴム農園の労働は過酷で、現地労働者は重労働と栄養失調とマラリア赤痢などの疫病の為に、毎年3分の1近くが死亡していた。
 米作地帯でも同様に極貧な状態で、農民達は自分達が生産した米が食べられず飢えに苦しんでいた。
 フランス人と改宗原住民富裕層は、イギリスのアヘン貿易を真似して大金を得るべく、雲南産アヘンを支配する中国人軍閥と手を組み雲南ハノイ間に鉄道を引いた。
 改宗原住民らは華僑や盗賊団と組んで奴隷貿易で莫大なる利益を得た。
 彼等にとって異教徒の同胞は、動物かそれ以下の権利なき人型生物にすぎなかった。
 雲南軍閥は、大量のアヘンを得る為に、地元の少数民族にケシ栽培を強制し、逆らう村は攻撃して村人を皆殺しにした。
 彼ら漢族は、差別的正統派儒教価値観で行動していた。
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 1885年 イギリスは、朝鮮王国領の巨文島を軍事占領した。
 鉄道王ジェイ・グールド所有の鉄道でストライキが発生し、労働組合の労働騎士団がストライキを支援した。
 グールドは、ストライキを終わらせる為に労働騎士団の要求を受け入れた。
 資本家は衝撃を受け、労働者は勝利に歓喜した。
 労働騎士団の組合員は急増し、10万3,000人であったのが一年後には70万人を超えた。
 9月2日 ワイオミング州ロックスプリングスの虐殺。白人労働者は、スト破りで働いている中国人労働者に激怒し、チャイナ・タウンを襲撃して、28名の中国人を殺害し、多くの中国人を負傷させた。
 州政府は、軍隊を派遣して暴徒を鎮圧した。
 アメリカ人による有色人種への人種差別暴動は、経済不況への不安と貧富の格差への不満から沈静化せずさらに拡大した。
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 1886(明治19)年 日本は、「八紘一宇」の皇道精神により国際赤十字条約に加盟した。
 5月4日 シカゴのヘイマーケット広場で開催されていた集会で、興奮した参加者が暴徒化して、警戒に当たっていた警察官7名を殺害した。
 各州政府は、ヘイマーケット事件を口実としてストライキ弾圧に乗り出した。
 労働騎士団は、これ以上の流血を避ける為に暴力を否定する誓いを行った。
 過激な共産主義者無政府主義者は、労働者革命の為に全米で騒乱を起こそうとした。
 アメリカ政府や各州政府は、容赦なく彼らを弾圧した。
 アイダ・ターベル「80年代は血塗られていた」
 銀行家や企業家などの富裕層は、政治権力を利用して、圧倒的多数の労働者や農民から利益を吸い上げて富を独占した。
 8月 長崎に入港していた清国海軍北洋艦隊の中国人水兵は、暴動事件を起こした。
 貧弱な国防力しか持たない小国日本は、軍事大国中国との全面戦争を恐れ、事件を不問に付して有耶無耶に解決した。
 中国海軍は、親善訪問といいながら、日本を軽蔑し威圧を加えていた。
 中国は、日本との親善関係という発言とは裏腹に、日本との対等な友好関係など認めてはいなかった。
 中国の真意は、日本を朝鮮の様に属国化し、朝鮮国王の様に天皇や日本の指導者に臣下の礼をたらせ、華夷秩序の下で主権を放棄させて朝貢する事であった。
 日本が臣下の礼をとらなければ、両国の戦争は避けられない宿命であった。
 10月24日 イギリスの貨物船ノルマントン号海難事件。  
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 1887年 非政府組織博愛社は、宮内庁管轄となって日本赤十字社と改称された。
 総裁に小松宮彰仁親王が就任し、皇后は積極的に赤十字活動を推奨し自らも支援活動を行った。
 皇道には、不言実行として、光明皇后の自己犠牲的「慈愛の精神」が受け継がれていた。
 軍部は、赤十字社が皇室と深い関係にある為に、その活動を妨害する事は不敬罪に当たるとして、腫れ物に触るが如く見守った。
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 1888年 『北米評論』ドイツ系ユダヤ人マックス・ノルダウ「あらゆる戦争論者のうち最高の権威者は、ダーウィンである。進化の理論が公表されて以来、戦争論者達は自然の野蛮さをダーウィンの名でカバーし、心の底に宿る殺伐な本能を科学という最高権威として主張する事ができた」
 ロシア帝国は、西欧諸国に較べて重工業化が遅れていた為に、フランス・ロスチャイルド家に外貨支援を要請した。
 フランス・ロスチャイルド家は、東洋との貿易ルートを独占するという野望とロシアの穀物及び石油を低価格・低コストで確保する為に、カスピ海黒海株式会社を設立し、その拠点をクリミア半島に置いた。
 フランス・ロスチャイルド家は、ロシア経済を支配する為に、ロシア政府に金本位制を断行させた。
 農業国家として資本力の弱い民族資本は、国際市場の攻勢にあって破綻し、貧しくとも安定していた労働者や農民の生活は打撃を受けた。
 その結果、反ユダヤ意識が燃え広がって各地でポグロムが発生した。
 ロンドン・シティーとニューヨーク・ウォール街そしてドイツの裕福なユダヤ人財閥らは、レーニントロッキー共産主義者に革命資金を与え、要人テロを実行させてロシア国内を無法地帯化させた。
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 1889年 J・P・モルガンは、アメリカの各鉄道会社の利害を調整する為に、おもだった銀行家と運送業界のトップを自宅に集めて会議を行った。経済の大動脈ともいえる料金のカルテルにより、燃料の石炭から乗客の運賃や石油・産物などの広範囲に渡る輸送価格に影響を与えた。
 彼らは、情報と物流を支配して価格を操作した。




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