💟5¦─3─アメリカ陸軍情報部報告。日本兵超人神話の崩壊。~No.18 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 アメリカ陸軍は、ナポレオン軍を滅ぼしたロシア軍を撃破した日本陸軍に恐怖していた。
 アメリカ海軍は、世界最強艦隊であったロシア帝国バルチック艦隊を全滅させた日本海軍・連合艦隊を怖れていた。
 アメリカ軍は、開戦の緒戦、海上島嶼・空中などで日本軍に百戦百敗の完敗で敗走を続けていた。
 アメリカ軍将兵の間には、日本軍不敗神話と日本兵超人神話が蔓延していて、日本軍との戦闘に怖じ気付き勝てる自信が持てずにいた。
 日本人に浴びせたイエロー・モンキー、ジャップは差別用語であったが、日本人に対する恐怖心を克服する為であった。
 アメリカの海軍は1942年6月5日のミッドウェー海戦に勝利し、陸軍は同年8月のガダルカナル島攻防戦での優勢で、日本軍に勝つ自信を持つ事ができた。
 アメリカ陸軍情報部は、日本軍と戦う全将兵に対して情報教育を行った。
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 2023年8月7日6:34 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「話し方から下着まで…米兵捕虜が分析した「日本人」の驚きの姿
 敵という〈鏡〉に映しだされた赤裸々な真実。
 日本軍というと、空疎な精神論ばかりを振り回したり、兵士たちを「玉砕」させた組織というイメージがあります。しかし日本軍=玉砕というイメージにとらわれると、なぜ戦争があれだけ長引いたのかという問いへの答えはむしろ見えづらくなってしまうおそれがあります。
 【写真】米軍が宣伝していた、日本兵が「超人」ではない「興味深い」根拠
 『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』は、戦争のもう一方の当事者である米軍が軍内部で出していた広報誌を用いて、彼らが日本軍、そして日本人をどうとらえていたかを探ります。
 ※本記事は一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』から抜粋・編集したものです。
 米兵捕虜のみた皇軍兵士
 図1。
 まず最初に、日本陸軍を構成する兵士たちの振る舞い、身体的特徴とは何だったのかを問いたい。このことは、日本陸軍それ自体の特徴にも深くかかわるだろう。
 IB(Intelligence Bulletin『情報公報』米陸軍軍事情報部が1942~46年まで部内向けに毎月出していた戦訓広報誌)には日本軍戦法・兵器の解説以外にも、従軍米兵の回想や座談など、日本軍に関する多種多様な情報が収録されている。そのひとつに「日本のG.I.(The Japanese G.I.)」(1945年1月号所収、G.I.は米軍兵士の一愛称)と題する記事がある。これは日本軍の捕虜となり、戦争中に解放されたある米陸軍軍曹が1年以上共に暮らした日本軍兵士の日常生活や風習を〈他者〉の視点で細かく観察、報告したもので、たいへん興味深い。
 彼がなぜ、どこで捕まっていたのかは機密保持のためか書かれていないが、内容から推察するに、航空兵で搭乗機を撃墜されてフィリピンの捕虜収容所に連行され、現地の抗日ゲリラに助けられるなどして解放されたのではないかと思う。記事の書き出しは次のようなものだ。

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 15か月間日本軍の捕虜になっていた米軍のある軍曹が、日本陸軍の日常生活についての目撃談を寄せた。トラック運転手の仕事を強要されて敵の将校や下士官兵たちとつきあい、日本語を勉強して理解できるようになった。彼の話は陸軍航空隊ですでに若干紹介されているが、Intelligence Bulletinにも掲載して日本陸軍の日常生活を知り、その基本的特徴を学ぶことにした。
 最初に接した日本兵の一団は「日支事変」で3~5年間戦った歴戦者だった。彼らは華北で戦っていた。将校の多くは英語が話せた。日本兵たちは中国軍の戦いぶりに賞賛を惜しまなかった。最も印象に残ったのは、中国兵が長刀だけでしばしば突撃してきたことだった。日本軍はどこに宿営しようとも中国軍に悩まされて困った、とこぼしていた。

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 米軍軍曹が最初に体験を語ったのが陸軍航空隊であったことが、彼を航空兵ではないかとみた理由である。彼が日本人と日本語で会話したときの内容が中国軍との戦争体験であり、そこで中国兵に対する評価が決して低くなかったのは興味深い。では個々の日本兵はどのように観察されていたのだろうか。

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 多くの日本兵は農村出身で、そのためわずかな教育しか受けていなかった。だがほとんどの者は読み書きができる。彼らは21歳になると兵役の義務を負うが、学校に行っている者は25歳まで延期してもらえる。訓練はたぶんどの国の陸軍よりも厳しいものだ。彼らを頑健にするためであり、たいていの者はそうなる。日本兵たちは私に、訓練期間の終わりに多くの名誉あるハラキリが行われる、なぜなら厳しい懲罰に耐えられないからだと語った。体罰はひどいものだ。兵は上官に殴られ、蹴られている間直立していなくてはならない(図1)。もしビンタを受け損なえば立ち上がって直立し、再び罰を受けねばならない。私は兵が殴られて気を失い、宿舎へ運ばれていくのを見たことがある。あるときなどは大尉が兵の睾丸を蹴るのを見た。上級の者はそれがささいな怒りによるものでも、いつでも罰を加える権限を持っている。
 日本軍の最下級兵は一つ星の兵、すなわち二等兵である。彼は他の者の服を洗い、食事を作り、寝床や荷物を整え、その他のあらゆる嫌な仕事をしなくてはならない。からかわれ、何か間違いがあれば身代わりとされる。6か月野戦を経験すると自動的に二つ星の一等兵に進められる。彼の生活に二等兵を殴ってもよくなったこと以外の喜びは特にないため、熱心に殴っている。しかし、もし二等兵がいなければ相変わらず殴られている。

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 農村出身であるが読み書きができる。訓練は殴打を含む過酷なもので脱落者も多い。軍隊内から暴力がけっしてなくならないのは、殴られている者もやがて下級者が来たら彼らを殴れる立場になるからだ。この場合、戦局悪化による輸送の途絶などで下級者が来ないと実に悲惨なことになりそうだ。
 日本人とは?
 図2。
 そもそも米軍は、このような生活をしていた日本兵たちを、どのような〈人間〉として認識していたのだろうか。まずはIBで〈日本人〉がどう語られていたのかをみよう。
 戦争初期に出たIB1942年10月号「日本人の特徴」は、日本人の「人種的起源」について「彼らが信じている人種的純潔性とは異なり、実際は少なくとも四つの基本的人種の混血である。マレーから来たマレー系、華北から来たモンゴル系、朝鮮から来た満州・朝鮮系、そしてアイヌのような日本固有の部族」と述べている。
 米軍将兵が戦うべき平均的日本兵は背が低くがっしりした農民、漁民たちで、この形質の発現にもっとも強く影響するのは、初期にマレーから渡来してきた人々の血統である。日本人と中国人の一部は人種的背景が同じであるため、日本の農民と華南人、さらに生粋マレー人との相違もごくわずかである。一方、日本の農民=兵士と「ほっそりしていて肌の色が明るい」華北人(モンゴル系)とは正反対の外見である。
 なぜ米軍が日本人の「人種的」起源や外見にかくもこだわったかというと、同盟国軍たる中国軍兵士との区別をつけねばならなかったからだ。【図2】はIBの挿図で「左が農民階級の日本兵、右が華北人の兵士。外見的特徴に注目」との説明書きがあるが、日本人たる私からみるとどちらも〈日本人〉にいるような気がする。
 戦時中の米軍もそう考えたらしく、日中両軍の兵士は外見とは別のポイント、つまり次のような「文化的な特徴、癖」で区別しなくてはならないという。
 話し方 日本語には英語の「l」に相当するものがないので日本人の生徒はこれを発音するのがとても困難であり、よく「r」に置き換える。一方、中国人は通常「r」を「l」に換える。よって英語で短い話をさせると判別上有効である。例えば「Robins fly」と言わせれば、英語をほとんど知らない日本人は「Robins fry」と言うし、中国人に言わせれば「Lobins fly」と言う。
 歩き方 日本人が歩くとき、姿勢は悪く、足を引きずって歩きがちである。家では足の親指と人差し指の間の革ひもで足に固定する木のサンダル(ゲタ)に慣れ親しんでいる。このサンダルの基部は小さく、歩くとき、足は地面から完全には離れない。ゲタを履くと歩き方がだらしなくなる。日本軍兵士の足の親指と人差し指の間には、ときに〔ゲタの鼻緒のため〕異様な隙間がある。親指側にはゲタの鼻緒で圧迫されてできたたこがある。
 歯 日本人の歯の質は悪い。そのため歯を完全に治療すると人々の間で目立つ。出っ歯はありふれている。中国人はよりましな、真っすぐで歯学的特徴のない歯を持っている。
 個人の清潔さ 日本人は可能であれば必ず一日一回風呂に入る。清潔さが無視されることはほとんどまれである。兵士は入浴設備のない所では即製で温浴設備を作る。
 下着 実に多くの日本兵を下着の二つの特徴で区別できる。(1)下帯──厚い、毛で織った畝模様のある帯が夏と冬を問わず、特に農民や労働者の間でよく腰に巻かれている。日本人はこの帯の暖かさが体力を高めると信じている。加えて兵が多数の赤い糸の結び目を付けた黄色い布〔千人針を指す〕を、戦いの「お守り」の印として巻いていることがある。この幸運の印は、故郷の女性たちが別れの贈り物として用意する。(2)腰布──軍服を着た兵が腰布を、外国式の下着を付けるのと同じ場所に巻いている。これは軽い木綿でできていて、腰に巻く細ひもで支えられている。下帯はゆるく折りたたまれる。裏に武器や爆発物を隠すポケットが付いているとされている。小型ナイフくらいなら隠せるかもしれないが、小火器まで隠すことはないだろう。
 では、IBの読者たる米兵がいずれ戦場で相対する日本兵の体格はどうだろうか。いうまでもなく米兵の方がよい。「平均的なアメリカ兵は日本兵よりも背が高く重い。彼の身長はおよそ5フィート8インチ〔172.7センチ〕、体重は150~155ポンド〔68.0~70.3キロ〕である。平均的日本兵は身長5フィート3.5インチ〔161.3センチ〕、体重116~120ポンド〔52.6~54.4キロ〕である。よって米兵は身長で4.5インチ〔11.4センチ〕、体重で30~35ポンド〔13.6~15.8キロ〕勝っている」とされている。
なぜ体格を分析したのか
 写真:現代ビジネス
 私は、IB1942年10月号「日本人の特徴」が日米兵士の体格差をかくも詳しく考察したのは、今後の戦いにおける両軍将兵間の格闘戦生起を見越して、日本兵の肉体上の劣位を味方に周知しておくためではなかったかと思う。
 実際、IB同記事は日米両軍兵士の身体能力について、

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 日本人農民の手足は短くて太く、アメリカ人の手足を測定すると通常彼らより勝っている。これらの身体的特徴は偉大な筋力と持久力の証ではあるが、敏捷さではおそらくアメリカ兵にかなわない。すべての日本人は柔道(柔術)、自衛術を習っていて比類なき格闘戦の能力を持っているとされてきた。間違いなく多くの日本兵が学校での訓練を通じてこの技量を身に付けている。しかし、柔道の価値を外国人は過大評価しがちである。それに、平均的な農民は筋力の鍛錬は積んでいたとしても、身体の動きはぎこちない。

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 と優劣の観点から比較分析している。こうした一種のレッテル貼り的な説明がなされたのは、当時の米軍内に日本人を「比類なき格闘戦の能力」を持った一種の超人(superman)とみなす風潮があったため、これを否定し去る必要があったためだろう。
 なぜ日本人はそのようにみられていたのか。アメリカ人が戦前、「劣等人」と見下していた日本人に東南アジア一帯の占領を許したことは、彼らを非常に驚愕・恐怖させ、日本人は実は得体の知れない「超人」だったのではないか、という思い込みを米軍内に生み出した。古い黄禍論の一変種ともいうべき「日本兵超人伝説」の誕生である(ジョン・W・ダワー『容赦なき戦争』1986年)。つまり開戦当初の米兵たちは、普通の日本人がいったいどんなものかすらもよく知らないがゆえに、途方もない不安を抱えていたのだ。
 これとは別のIB記事は、英軍将兵80人が「中国軍であるかのように装い、友軍の信号を送ってきた日本軍に騙され」て捕虜になり、「連合軍に日本軍と中国軍の区別を付けるのが難しいことを、将来日本軍は利用してくるであろう」(1942年12月号「英軍捕虜の報告」)と警告している。実戦で日中両軍兵士の区別ができず実害が出た(とされる)ことも、大まじめに日本人の〈識別法〉が論じられた理由であったろう。
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 さらに【つづき】〈米軍が宣伝していた、日本兵が「超人」ではない「興味深い」根拠〉では、米軍の日本軍と中国軍との兵士識別法や、日本兵超人神話の崩壊について、くわしくみていく。
 一ノ瀬 俊也(歴史学者
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 8月7日「米軍が宣伝していた、日本兵が「超人」ではない「興味深い」根拠
 米軍報告書は語る
 一ノ瀬 俊也歴史学者
 敵という〈鏡〉に映しだされた赤裸々な真実。
 日本軍というと、空疎な精神論ばかりを振り回したり、兵士たちを「玉砕」させた組織というイメージがあります。しかし日本軍=玉砕というイメージにとらわれると、なぜ戦争があれだけ長引いたのかという問いへの答えはむしろ見えづらくなってしまうおそれがあります。
 本記事では、前編〈話し方から下着まで…米兵捕虜が分析した「日本人」の驚きの姿​〉にひきつづき、米軍が日本軍と中国軍をどのように識別していたのか、そして日本兵超人神話の崩壊についてくわしくみていきます。
 ※本記事は一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』から抜粋・編集したものです。
 日本人か、中国人か?
 日本軍と中国軍との兵士識別法は、IB(Intelligence Bulletin『情報公報』)「日本人の特徴」のかなり後に出た1945年3月号「彼は日本人か、中国人か?」にも掲載されている。これは「米軍が大陸に接近し、敵のスパイや侵入部隊と交戦する可能性が膨らむにつれ、中国人やその他の極東の人々と区別するためにますます重要になって」きたからであった。
 フィリピンの日本兵はフィリピン人ゲリラになりすまそうとしているし、中国では便衣兵たち(plainclothesmen)──中国人の服装をした日本人──がはびこっている、つまり日本軍兵士が容貌のよく似た現地住民に化けて襲ってくるから、兵は識別法を学べというのである。
 この記事もまた「多くの場合、日本人と中国人を身体の面から見分けるのは、ドイツ人とイギリス人をシャワー場でその会話を聞く前に見分けようとするのに等しい」といい、日本人は中国人よりも基本的には長い胴と短く太い手足、濃いあごひげと体毛、そして貧弱な歯を持つものの、「結局、中国人と日本人を身体的特徴のみで見分けるのは困難」と識別の難しさを認める。それでもその方法はなくはないという。「文化的特色と身ごなしが日本人判別の一助となりうる」と。
 その具体的なポイントとして、〈話し方から下着まで…米兵捕虜が分析した「日本人」の驚きの姿​〉で出てきた「l」と「r」の発音や姿勢・歩き方、下着以外に「尋問する際に、相手の顔をみてみる」ことが挙げられている。「中国人なら簡単かつ自然にほほえむが、日本人は撃たれるかもしれないと思ってしかめ面になる。日本人は習慣的に会話の間、歯の間から急いで息を吸う。日本人は驚いたとき、思わず身に深くしみこんだ習慣を示すことがある」。
 それでもはっきりしない場合の結論は、「日本人の真の相違点はその思考にあるという大事な点を覚えておくべきだ。中国人はこれを知っており、撃ってもよいかわからない場合の最良の判別法は、質問してみることだと言っている」というものであった。
 これらのIBの記述をまとめるに、日本軍兵士は(中国人もだが)先の戦争を通じて「l」と「r」を正確に発音できないだけで、学んだことを忠実に実行しようとする米兵から撃たれてしまいかねない嫌な立場に置かれていたといえる。【図3】は米陸軍省海軍省が1942年、自軍将兵向けに中国人との接し方を解説したパンフレット『ポケットガイド中国(Pocket Guide to China)』(1942年)の巻末付録マンガ「日本人の見分け方(How to Spot a Jap)」の数コマである。
 生井英考アメリカの戦争宣伝とアジア・太平洋戦争」(2006年)は、この「日本人の見分け方」を「一読して苦笑するほかないこじつけの羅列」としつつも、米軍がこうしたステレオタイプな識別法をあえて将兵に示した理由として「理解不能であることの不安を克服するために過去の知識や経験のなかから参照可能なものを探し出し、幼児の心的発達の過程で二元化された善悪の対立の構図へとこれを流し込んで自他の差異を描き出す──それがすなわちステレオタイプで、したがってこれは恐怖を飼い馴らすことを機能としているのである」という外国人研究者の指摘を引用している。
 確かにこれらの「識別法」は米兵に恐怖を飼い馴らさせるために作られたものだったのだろうが、問題は日本人と中国人の識別が「こじつけ」でしかできない、つまりほぼ不可能だったということである。日本人への「人種」偏見を強調すればするほど、同盟国人たる中国人蔑視につながりかねないのだ。じっさい『ポケットガイド中国』に「日本人の見分け方」が添付されたのは最初の42年版のみで、次の43年版からは削除されている。
 日米両国ともに「人種戦争」であったようにみえるこの戦争で、中国人というアジア人が米側に立って戦っていたことは、米軍側にとって戦争を「人種戦争」というわかりやすい図式に落とし込めない、歯切れの悪いものにしたといえるだろう。日本兵は中国人と似ているが故に、すくなくとも建前上は単純な人種偏見の対象にできなかったのである。
 日本兵超人神話の崩壊
 米海兵隊も陸軍と同じように、日本軍兵士は卓越した肉体を誇る「超人」ではない、ふつうの人間に過ぎぬという宣伝を自軍将兵向けに行っていた。興味深いのは、なぜ日本兵が「超人」とは評価できないのか、その説明理由である。
 1943年ごろ、米海兵隊中佐コーネリアス・P・ヴァネスの名で出された全16頁、機密扱いの将兵向けパンフレット『日本兵超人神話の崩壊(Exploding the Japanese Superman Myth)』はガダルカナル島、ツラギ島、ニューギニアでの実戦経験に基づき、なぜ日本兵はもはや「超人」ではないのかを、いくつかの要素別に根拠を挙げてわかりやすく説明しているので、以下に要約する。
 概説 南太平洋の米軍には、狙撃、音もなくジャングルを移動して側背から攻撃してくる日本兵は超人だという話が広まっており、なかには恐怖心を抱く兵もいて有害である。確かに日本兵はよき戦士だが、その戦法を逆手にとって倒すことは可能である。
 狙撃 日本の狙撃兵は射撃が下手で、直射可能な短距離にいる経験の浅い部隊にのみ有害である。我が方の狙撃兵、兵2〜4人の探知により倒せる。陣地近くで行動する狙撃兵には手榴弾が有効だし、防御陣地に空き缶付き仕掛け線や仕掛け爆弾を設けておくとよい。敵が姿を現すまでこちらは姿をみせないという原則さえ守れば、狙撃兵は脅威ではない。
 ジャングル内での移動 特に夜間、日本軍は音もなくジャングルを移動できるとされている。しかし実際の日本軍は会話をしたり初歩的な防御隊形も組まないため、繰り返し我が方のパトロール隊に捕捉されている。
 夜襲 日本軍の夜襲が心配なのは対処法をよく理解していないときだけだ。騎哨(cossack posts)、警報装置、仕掛け爆弾、鉄条網で容易に対抗できる。小火器、迫撃砲に続いて「バンザイ」や我が方を混乱させるための英語を叫びながら大挙突進してくるが、それは機関銃手にとって夢のような状況である。突撃時、陣地を奪取せんとする決意は確かに侮れないが、それは我が方の火力に対し、もっとも脆弱となる瞬間でもある。
 身体の持久力 日本兵はわずかな食料で長期間ジャングルで作戦可能と言われているが、彼らは食料なしでは動けないし、持久力も我が方がしかるべき訓練を経て到達したほどではない。雨が降れば濡れそぼってマラリア〔蚊の媒介する熱病〕などの熱帯病に罹る。それは捕虜や文字通り餓死した者の遺体を観察すればよくわかることだ。
 防御 夜間の休止時には全周囲防御を構築すれば潜入・直接攻撃からも安全である。暗くなってから全員が位置を替えて、伏兵や狙撃兵を配置しておけば敵が不用意に位置を暴露したとき容易に倒せる。
 緒戦で日本軍と対峙しはじめたころの米軍側は日本軍兵士を恐れており、これを克服するには実際に戦い、飢えもすれば病気にもなる普通の肉体の持ち主だとその眼で確認し、勝つことが絶対に必要だった。彼らは狙撃・夜間戦法で攻撃し、機関銃で防戦する日本軍戦法への対抗法にかくして目処をつけたのだが、まずは日本兵も自分たちと同じ人間であり、それ以上でも以下でもないという〈事実〉の確認からはじめねばならなかったのだ。
 ところで、ソロモンでヴァネス中佐の部隊と対戦した日本軍は我々のイメージする「ファナティック」な銃剣突撃ばかり敢行していたのではない。ひとたび防御に回ると、巧妙に偽装した機関銃で前進してくる連合軍部隊を迎え撃った。このことは『日本軍と日本兵』第3・4章で改めて論じるが、中佐がこれを「脅威」ととらえ、対抗策を次のように説いていることのみあらかじめ指摘しておきたい。
 敵の機関銃座は巧妙に作られ偽装されており脅威だが、射界〔射撃できる幅〕が狭いという弱点があるので、銃剣、手榴弾を持った二〜四人の兵が側面から接近すればこれを回避できる。銃座が相互に支援しており接近不可能な場合は、小銃擲弾、対戦車擲弾、三七ミリ対戦車砲が有効である。日本兵は陣地の側面をとられ、殺されるとなっても後退しない。機関銃手は偽装や敵の接近路を射界に収めるのは上手な代わりに、めったに銃口の旋回、掃射を行わない。ここに彼らを倒すための鍵がある。
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 本記事の抜粋元『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』では、戦争のもう一方の当事者である米軍が軍内部で出していた広報誌を用いて、彼らが日本軍、そして日本人をどうとらえていたかを探ります。
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