🔯64」─3・H─英連邦諸国におけるイギリス王室離れ。~No.240 ㉘ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2023年5月6日23:14 MicrosoftStartニュース 時事通信「印メディア、英国王の戴冠式を詳報=「冷酷な支配者」に複雑さも
昨日
 インドを訪問し、生徒らに誕生日を祝われる皇太子時代のチャールズ英国王(中央)=2019年11月、ムンバイ(EPA時事)
 © 時事通信 提供
 【ニューデリー時事】かつて英国の植民地だったインドの主要メディアはチャールズ英国王の戴冠式の様子を逐一伝え、関心の高さをうかがわせた。
 ニューデリーにある英国国教会の奉仕団体トップ、モノディープ・ダニエル神父(59)は「インドとの関係は故エリザベス女王の治世と変わらず強固であるべきだ。(チャールズ国王が)どれだけインドを訪問するかに懸かっている」と話した。エリザベス女王は1997年に訪印した際、同団体を訪れたという。
 6日、ロンドンでの戴冠式後、王冠を着用しウェストミンスター寺院を去るカミラ英王妃(AFP時事)
 © 時事通信 提供
 ダニエル神父は一方で、過去英領インドで起きた大飢饉(ききん)を念頭に「飢饉に対処しなかった冷酷な支配者に対する恨みは、インド人一般に残っている」とも指摘した。
 カミラ王妃の王冠に、インド原産のダイヤモンド「コイヌール」が使われなかったことにも注目が集まった。インドでは植民地支配の象徴と捉えられており、ツイッターには「今こそインドに返還すべきだ」といった投稿も多く見られた。
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 5月7日 MicrosoftStartニュース 時事通信君主制廃止支持じわり増加=「元首と認めず」6割―カナダ
 エリザベス英女王の死去を受け、弔問名簿に記帳するカナダのトルドー首相夫妻=2022年9月、ロンドン(AFP時事)
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 【ニューヨーク時事】英連邦加盟国で英国王を国家元首とするカナダで、君主制廃止への支持が増加している。トルドー首相は「議論するようなことではない」と早期の体制変更に否定的だが、最新の世論調査では、約半数が英王室との関係見直しに賛同している。
 カナダ北西部のノースウェスト準州を訪れた皇太子時代のチャールズ英国王(中央)=2022年5月、デタ(AFP時事)
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 カナダのアンガス・リード研究所が4月に行ったオンライン調査では、チャールズ英国王に肯定的な感情を持つ回答者は28%。60%は「国家元首として認めることに反対」と答えた。
 「次世代のために君主制を続けるべきだと思うか」との質問には、52%が「そう思わない」と回答。維持派は27%だった。同研究所によると、君主制廃止の支持者は2016年ごろから増加傾向にあるという。
 カナダのメディアによれば、君主制廃止には憲法の改正が必要で、連邦議会の上下両院に加えて全10州の議会による承認が必須。憲法改正に関し専門家は、君主制以外の争点も浮上して議論が紛糾することが予想され「非常に困難だ」と指摘している。 
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 5月7日 MicrosoftStartニュース 時事通信「共和制の議論再燃か=豪、徐々に英王室離れ―英国王戴冠式
 オーストラリアのアルバニージー首相=5日、ロンドン(AFP時事)
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 【メルボルン時事】英連邦の一つであるオーストラリアでは、6日のチャールズ英国王戴冠式への祝賀ムードは控えめで、物価上昇に苦しむ市民の間で関心はさほど高くない。論壇ではむしろ英国王が豪州の国家元首であり続けることに疑問の声が湧いている。戴冠式を機に立憲君主制から共和制への移行の議論が再燃する可能性もある。
 豪国立大のアンジェラ・ウラコット教授(歴史学)は論文で「21世紀に民主主義のミドルパワーの独立国が外国の君主を頂くべきなのか。豪州人の元首を持つことは必須だ」と主張。豪紙オーストラリアンのトロイ・ブランストン氏も論説で「君主制は非民主的で非論理的。戴冠式は豪州人を目覚めさせるだろう」と述べた。保守勢力が戴冠式への祝意を示す一方、共和制を求める団体などは「時代錯誤」と批判している。
 1999年の豪国民投票で共和制移行が否決されてから約四半世紀。英国人に迫害された先住民に対する2008年の公式謝罪や、アジアなどからの移民増加を受け、英王室離れは徐々に進んでいる。豪紙シドニー・モーニング・ヘラルド系列の世論調査によると、共和制への賛成は39%、反対は31%と、賛成がやや優勢だ。
 アルバニージー首相は、先住民の地位確立のための憲法改正を優先する考えで、共和制移行は「将来のある段階で国民が決める」としている。とはいえ、エリザベス女王が描かれた5豪ドル札を先住民文化の図柄に変更する方針を決めたり、共和制担当の次官を任命したりして、機運を高めるための布石を周到に打っている。 
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 5月8日13:20 YAHOO!JAPANニュース ハフポスト日本版「戴冠式の抗議デモで50人以上が逮捕「平和に抗議活動をする権利、もうイギリスにはない」
 デモ参加者とグレアム・スミス氏
 イギリスで5月6日に行われたチャールズ国王の戴冠式では、君主制に抗議したデモ参加者50人以上が逮捕された。
 【画像】戴冠式でのデモで、参加した人々を拘束する警察
 君主制廃止を求める団体「リパブリック」のグレアム・スミス代表は「平和に抗議活動をする権利はもうイギリスにはない。私は、王は我々の自由を擁護すると何度も聞かされた。しかし彼の名のもとに、私たちの自由は攻撃されている」とTwitterに投稿している。
 「基本的な権利に対する直接攻撃だ」
 抗議活動では、スミス氏を含めた参加者52人が逮捕され、16時間拘束された後に釈放された。
 スミス氏は釈放後「多数のリパブリックのメンバーが、平和で合法な抗議活動の準備をしていた時に逮捕され、終日拘束された」と声明で述べ、警察を強く批判した。
 「これらの逮捕は、我々の民主主義と、この国で暮らす全ての人が持つ基本的な権利に対する直接攻撃だ」
 「現場で関与したすべての警官は、恥ずかしさで顔を伏せるべきだ。彼らは、判断力も常識も基本的な礼儀も示さなかった。証拠や私たちの行動に関係なく、逮捕することがあらかじめ決まっていたかのようだった」
 「イギリスで、平和的に抗議する権利はもはや存在しない。抗議の自由が保障されるかどうかは、閣僚や警察幹部の政治的な決定次第になっている」
 「ロンドンではなくモスクワで起きるような行為」と批判
 イギリスではチャールズ国王の戴冠式で国中が祝賀ムードに包まれた。しかし、生活費の高騰で多くの人が貧困に苦しむ中で王室に多額の費用が使われていることや、何年も続く王室のトラブルなどを背景に、君主制に対する反発も強まっている。
 3月に実施されたイプソスの調査では、共和制を支持する人の割合は1990年代以降最高だった。
  一方、イギリスでは戴冠式に先立つ5月3日に、警察による平和的なデモの取り締まりをより強固にする「公共秩序法」が施行された。
 そして今回ロンドン警視庁は、抗議活動の参加者たちが、戴冠式を妨害する予定だという情報を元に、52人を乱闘や迷惑行為などの疑いで逮捕した。
 メトロポリタン警察のカレン・フィンドレー警視長は逮捕について「人々の懸念を理解していている」としつつ、「法に則った行為だった」と強調した。
 「抗議活動は法律で認められている一方で、混乱を引き起こすものでもあります。戴冠式前および最中に、我々は介入せずに数多くの抗議活動参加者を取り締まりました」
 「我々は、関連する法律に従い適切に取り締まる義務があります。また、抗議が犯罪に発展し、混乱を引き起こす可能性がある場合に介入する義務もあります」
 「これは状況によって異なります。戴冠式が一世一代の行事であることは、重要な判断材料です」
 しかし、人権擁護団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」UK代表のヤスミン・アフマド氏は、「平和的に抗議する人々が逮捕されたことは、非常に憂慮すべき問題だ」と警察の行為を批判した。
 「これは、ロンドンではなくモスクワで起きるような行為です。平和的な抗議で、市民は権力者の責任を問うことができます。しかしイギリス政府はますますそのような抗議に反対する傾向にあるようです」
 また、リパブリックは声明で「私たちは、『チャールズは私たちの国王ではない。君主制を廃止すべき時が来た』というシンプルなメッセージで、今後も抗議活動を続ける」と述べている。
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 日本大百科全書(ニッポニカ) 「イギリス連邦」の意味・わかりやすい解説
 イギリス連邦 いぎりすれんぽう
 Commonwealth of Nations
 一般に英連邦とよばれる。イギリスと旧イギリス領植民地から独立した合計53か国で構成される国家グループ。イギリス以外の構成メンバーは、大別して自治領(ドミニオンDominion)とよばれたオーストラリア、ニュージーランド、カナダと、第二次世界大戦後に独立したアジア、アフリカ、オセアニアおよびカリブ海の諸国に分類される。南アフリカも以前には自治領の立場にあったが、1961年共和制に政体を変えイギリス連邦を離脱、1994年に復帰。パキスタンは1972年脱退、1989年に復帰。最近の加盟には、1995年のカメルーンモザンビークがある。オセアニアカリブ海の構成メンバーには小国が多い。
 構成メンバーは、イギリスと対等な立場にある主権国家で、それらの集合体がイギリス連邦とよばれている。イギリス連邦の構成国の間には、普通の独立国家間にみられない特殊の関係がある。これは、これらの構成国が、かつてのイギリスの植民地であったという歴史的原因に基づいている。日本では普通、英連邦とよんでいるが、けっして国際法上の連邦ではない。正しい名称は「コモンウェルス・オブ・ネーションズ」であり、略して「コモンウェルス」である。
 [池田文雄]
 コモンウェルスの性格目次を見る
 コモンウェルス国際法上の国家連合でも同君連合でも連邦でもなく、既成の概念ではとらえることのできない特殊な多民族の国家グループである。それはイギリス国土を相互の自由な結合の象徴として認め、かつイギリス国王をコモンウェルスの首長として認める諸国家のグループである。この諸国家の結合はきわめて緩く、友好協力関係と実利を基礎とするクラブ的な結び付きで、いわば「多民族クラブ」であり、「多人種の寄合い世帯」である。そこにあるのは実利による結合と緩やかな協力にすぎない。イギリス国王を元首とする国もあるが、別個の国王や大統領をもつ国も多い。各国は政治的にまとまることもなく、むしろ非政治的な国際協力がコモンウェルスの枠組みになっている。そのうちでも、経済援助と開発投資が大きな役割を果たしている。新独立国がコモンウェルスに加入するのは、そこに利益があるためで、利害が対立すれば離脱する。ただし、いずれもイギリス領植民地であったため、英語を共通語として使用し、英語が英連邦を結ぶきずなといわれるほか、議会制度をはじめイギリス流の社会制度ないし社会慣習という共通点をもつ。
 [池田文雄]
 コモンウェルスの成立と発展目次を見る
 構成国のなかで、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどは、自治領(ドミニオン)とよばれてきた。自治領は、当初はイギリス本国の植民地であったが、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)前に内政上の自治を獲得し、戦後は対外関係においても独立する傾向を強めた。1926年のバルフォア宣言はこの自治領独立化の傾向を進め、自治領は本国と対等で、国王に対する共通の忠誠によって結ばれ、英コモンウェルスの一員として自由に結合するものとなった。1931年のウェストミンスター条例は、このバルフォア宣言の趣旨を法律化し、自治領の独立的地位を法的に確立した。ここに第一次コモンウェルスが成立した。そこにはイギリス国王を共通の元首とする濃い血族の連帯意識があった。第二次世界大戦後、アジア、アフリカ、オセアニアカリブ海の旧イギリス領植民地の独立に伴い、白人の自治領で構成されていた第一次コモンウェルスは変質して、異文化をもつ多民族の国家グループである第二次コモンウェルスが成立した。そこでは第一次コモンウェルスがもっていた高度の内部的同質性は失われていった。ことに、インドが1949年政体を共和制に変え、イギリス国王に対する忠誠を拒否したのちも、コモンウェルス内に残ることとなったため、従来の国王に対する共通の忠誠という観念は維持できなくなった。そこで1949年のコモンウェルス首相会議で「イギリス国王は独立したコモンウェルスの自由な結合の象徴であり、かかるものとしてコモンウェルスの首長である」という観念が形成された。まさにコモンウェルスの劇的な変身であり、この第二次コモンウェルスが現在のイギリス連邦である。
 [池田文雄]
 コモンウェルス諸国の特殊関係目次を見る
 (1)イギリス国王はコモンウェルス諸国の自由な結合の象徴である。(2)イギリス国王はコモンウェルス諸国において、首長という特別の地位をもつ。首長は元首ではなく、自由な結合の象徴にすぎない。(3)共通の問題を協議するためにコモンウェルス首脳会議がある。(4)通常の外交使節のかわりに高等弁務官を派遣している。(5)条約を結ぶ際、相互に通報し、一部のコモンウェルス諸国間では、相互間の紛争は国際裁判機関に付託せず、犯罪人引渡しも普通と異なる。(6)コモンウェルス諸国の国民は、コモンウェルス市民という地位をもっている。
 [池田文雄]
 イギリスのEC加盟とコモンウェルス目次を見る
第二次世界大戦後、イギリス経済の斜陽化に伴い、構成各国に対するイギリスの指導的地位が低下し、構成各国間の利害対立も目だってきた。1973年のイギリスのEC(現EUヨーロッパ連合)加盟により、コモンウェルスの経済的紐帯(ちゅうたい)といわれた「イギリス連邦特恵関税」が廃止された。イギリスは生き残るために、コモンウェルスを切り捨てて、大陸ECの一員となる道を選んだ。EC加盟に伴い、英ポンドは国際基軸通貨の座を降り、ポンド地域はほとんど消滅した。この二つの事実は、加速的にコモンウェルス諸国のイギリス離れをよんだ。ではコモンウェルスは解消してしまうかというとそうでもない。ポンドは基軸通貨ではなくなったが、ロンドンのシティは依然としてコモンウェルスを含む世界の金融市場の中心であり、イギリスがコモンウェルス諸国にもつ経済的権益はなお大きい。コモンウェルスを構成する貧しい諸国にとっては、頼りになるロンドンである。利益のあるところに結合がある。それがコモンウェルスである。
 コモンウェルスの機構としては、2年に1回開催される首脳会議、事務局、援助基金、技術基金などがある。
 [池田文雄]
 『伊東敬著『英連邦史論』(1963・表現社)』▽『英連邦研究会編『英連邦の研究』(1969・国際電信電話株式会社)』▽『池田文雄著『英連邦と国際問題』(1978・教育社、現、ニュートンプレス)』
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 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イギリス連邦」の意味・わかりやすい解説
 イギリス連邦 イギリスれんぽう
 Commonwealth of Nations
 イギリス (連合王国) を中心とする自治領,旧植民地諸国から構成されるゆるやかな連合体。 1887年イギリス本国とその属領を結ぶため開かれたイギリス植民地会議は 1907年イギリス帝国会議と改称され,イギリス帝国 British Empireを事実上形成していた。しかし第1次世界大戦後,経済的にも政治的にも発言力が増した自治領の要求をいれ,23年の British Empireから British Commonwealthへの改称,さらに 26年のバルフォア報告の採択,31年ウェストミンスター憲章の制定など,本国と属領は次第に対等の関係におかれるようになった。この傾向は第2次世界大戦によってさらに促進され,44年従来の帝国会議に代ってイギリス連邦首相会議が開かれるようになり,また 47年のインド,パキスタンの独立を機に,49年以降はイギリス王室を共通の元首としない単なるイギリスと自治領・旧植民地諸国の連絡調整会議に変化し,名称も Commonwealth of Nationsに改称されるにいたった。政治的には 61年南アフリカ共和国の脱退,65年のローデシア (現ジンバブエ) 独立をめぐるイギリスとの対立によってイギリス連邦の結束はさらに弛緩しつつあり,経済的にはイギリスの経済力の低下,73年のヨーロッパ共同体 ECへのイギリスの加盟などによってイギリス連邦の役割は弱まりつつある。しかし 71年に締結されたイギリス,オーストラリア,ニュージーランド,マレーシア,シンガポール5ヵ国間の英連邦5ヵ国条約にみられるように,英連邦構成国間で緊密な防衛協力が行われているのも現実であり,その生命力には無視できないものがある。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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