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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・
「良い日本人は、死んだ日本人」
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外国人に好かれ助けて貰う為には、英語などの外国語を話せる事である。
日本国語だけしか話せない者は不利であった。
外国で生き残りたいと思うなら、せめて英語を話す事である。
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軍人を真に理解できる人間は、政治家でもなく官僚でもなく、まして学者や評論家でもなく、死から逃げず戦い続ける優れた軍人だけである。
彼らがいるのは、靖国神社とアーリントン墓地である。
日本の戦死者は、無名兵士ではなく、有名兵士である。
有名兵士であるがゆえに、靖国神社である。
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アメリカ軍の捕虜となった日本軍将校の中には、アメリカ軍の日本軍攻撃に積極的に協力して軍事情報を教える者がいた。
そうした日本軍将兵捕虜は、都会出身者に多く、農村出身者には少なかった。
日本軍は、一枚岩ではなかった。
日本人将兵は、集団から引き離されて個人になるや、最初は自決するなど騒ぐが、落ち着き冷静になると平気で日本軍を裏切った。
日本人は、奴隷根性的に「御上」に弱い。
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日本共産党は、日本人兵士捕虜を反天皇反日の革命家にするべく洗脳していた。
自意識の弱い日本人は、簡単に洗脳さ、敵に寝返っていた。
日本人は、日本の将棋の駒の様に、捕らえられると相手の駒として活躍する。
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日本の軍隊は、人間を単ある殺人機械に改造する為に、徹底して人間性否定の暴力による洗脳教育を行ったと言われている。
古参兵の新兵に対する陰湿なイジメや嫌がらせ。
上官の兵士に対する意味の無い理不尽な鉄拳制裁。
そうした人間改造がなされた日本兵は、無意味な作戦で万歳突撃や特攻を強要されて全員死亡した。
現代において日本人はおろか外国人からも、日本軍は悪の権化として憎まれている。
その象徴が、靖国神社批判である。
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なぜ。多くの日本兵士は、他国の兵士のように生き残る為に捕虜になる事を諦め、絶望の内に自暴自棄となって万歳突撃をして玉砕し、狂ったかのような「神風」特攻を行ったのか。
その問いに答えられる者は、平和しか知らない現代の日本人には一人としていない。
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1943年 日本陸軍は、軍隊内に蔓延っているヤクザ的な親分子分的結合の家族的雰囲気を完全否定し、大元帥・天皇への絶対服従を徹底するべく『軍隊内務令』を制定した。
アメリカ陸軍軍事情報部は、太平洋戦線における大攻勢に出るに当たり日本軍に関する情報を全部隊に伝えるべく戦訓広報誌「情報広報」の発行を開始した。
11月号に、戦線に向かう兵士に対して日本軍への恐怖心を払拭し、日本兵超人神話を打ち砕くべく日本人の長所と短所を分析した記事を掲載した。
長所。「肉体的には頑健である、準備された防御では死ぬまで戦う、特に戦友が周囲にいたり、地の利を得ている時には大胆かつ勇敢である、適切な訓練のお陰でジャングルは家のようである、規律はおおむね良好である」
短所。「予想していなかった事に直面するとパニックに陥る、戦闘のあいだ常に決然としているわけではない、多くは射撃が下手である、特に自分で物を考えず自分でとなると何も考えられなくなる」
1月28日 日本陸省は、1937〜43年までに原隊を抜け出して敵軍に走った脱走兵(奔敵、ほうてき)の件数を調べ、152件と報告した。『陸軍第255号別冊第8号 軍紀風紀上等要注意事例集』
日本陸軍は、脱走兵が敵軍に我が軍の防衛陣地、部隊配置、弾薬や糧食等の物資集積地とその量などの機密軍事を話す事を恐れ、全ての部隊に脱走防止を命じた。
各部隊は、脱走して捕虜になる事への恐怖心を植え付けるべく、「アメリカ軍は捕まえた日本兵を皆殺しにする」「捕虜になる事は不名誉で国には絶対に帰れない」「家族は非国民を出した者として、社会的迫害を受ける」等々を、非人道的鉄拳制裁を加えながら洗脳教育を施した。
ニューギニアのある日本軍司令官の会報(1942年12月1日)。
「我が部隊の一部は昨日、敵が固定無線通信所の地域に侵入したので退却したとの報告を受けた。分遣隊の全憲兵が徹底的に調査中である。
命令もないのに守備地を離れる者は陸軍刑法に照らして厳重に処罰、もしくはそのい場で処刑される事を忘れるな。容赦はしない。軍紀を振作し勝利の基礎を固める為、逃亡者は厳しく処罰する。
銃や刀のない者は、銃剣を棒に結びつけよ。銃剣もない者は木槍を常時携帯せよ。銃剣のみで、何の武器も持たず歩いている者がある。各自すぐに木槍を用意して、まさに突撃せんとしつつある部隊の如く準備を万端にせよ。患者にも準備せよ」
もし、こうした精神論での洗脳がなされなかったら、戦国時代の百姓のように日本兵士の多くが戦争を放棄して逃亡する可能性が多かった。
アメリカ陸軍軍事情報部の報告(1943年5月号)「数人の捕虜が、アメリカ合衆国、イギリスとの戦争に行くもは嫌いだったと述べている。一人の捕虜は、日本の兵士や水兵達が戦争に負けるのではないかとの見通しを語っていたと述べた」
アメリカ軍情報機関は、日本軍の情報を手に入れるべく、日系アメリカ兵を使って日本語の放送や宣伝ビラで日本兵に投降を進めていた。
だが。アメリカ軍将兵の中には、日本への憎悪から投降してくる日本兵を射殺する者が多くいた。
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日本軍は、日清戦争以来幾多の対外戦争を行うつど、敵軍の捕虜となった日本兵が軍事機密情報を漏らす事に頭を悩ませていた。
日本人兵士は、仲間と集団でいる時は安心して勇敢に戦うが、一人はぐれて孤独に陥ると気弱になって怯え、捕らえられ敵兵に囲まれると恐怖に怯え上がり相手の命令に忠実に従ってしまう。
日本人は、孤独に弱く、強い相手の言う事を聞いてその通りに行動する。
戦後。日本人が、抵抗運動を起こす事なくアメリカ軍の占領を受け入れ、反抗せずにアメリカ人の命令に奴隷の如く従った。
日本兵士捕虜は、捕まる前は「死ぬまで戦う」と勇ましい言動とは裏腹に、捕まってしまうと敵軍にゴマをすって味方を平然と裏切っていた。
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日本人兵士捕虜は、九死に一生を与えてくれた敵軍への恩義から、聞かれたこと以上の軍事機密情報を包み隠す事なく素直に話した。
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ガダルカナル攻防戦。
アメリカ陸軍情報部報告「日本兵達は概ね良き捕虜である。彼らは厚遇に感謝し、実に協力的である。
ある日本の高級将校は米軍将校に日本語で話しかけられても初めは名前以外一切の情報を与えなかった。やがてアメリカの厚遇により信頼が生まれ、躊躇なく話すようになった。『拷問でも何でもやってみろ、何も話さないから』と彼は言ったものだ。『でも厚遇してくれるなら知りたい事は何でも話す』
また、投降した日本軍の中尉は、退却する部隊の殿(しんがり)になれと命じられた事を明らかにした。『なぜ俺が殿に?』と彼は問い返した。『他の奴らは逃げていったじゃないか、俺は貧乏くじを引くような間抜けにはならないぞ』
おぼ全ての捕虜が、捕まれば殺されると思っていたと述べた。
数名の捕虜に『将校達からアメリカ軍に虐殺されるぞと言われたか?』と聞いてみたら。
全員が否定した。『いや。そんな事は全くない』と一人が応えた。『戦いの一過程としてそうなるだろうと思っていただけだ』」
赤紙の召集令状で強制的に徴兵された日本人兵士の大半は、できれば武器を捨て、生まれ故郷の愛する家族のもとに飛んで帰りたいと願い、許されるのなら敵軍陣地に走り込んで降伏したかった。
ムラ人にとって大事なのは、村であって国ではなく、村外の他人の土地ではなく自分の土地と家族であった。
徴兵された日本軍兵士は、戦争を始めた東京の政府高官や軍上層部らへの鬱積した不平不満を紛らわす為に、大酒を飲みでは暴れ、食べ物を調達する為に略奪を繰り返していた。
戦闘で死ぬ事を嫌がった一部の日本兵は、上官にゴマをすり、おべっかを使って後方の安全な部署への配置転換を勝ち取っていた。
何時の時代でも。ムラ社会的日本社会は、怠け者や狡賢い者は世渡りが上手に利益を得て生き残り、真面目な者や正直者は馬鹿を見て損をして死んで行った。
自分の利益の為ならば、敵側に味方して日本国や日本民族を裏切り、その後ろめたさを誤魔化す為に言葉巧みに仲間を作った。
「良い日本人は、死んだ日本人」
日本人は、精神的に図太くない。
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ニューギニア戦線で。所属部隊からはぐれた日本兵は、ジャングルを彷徨い飢えのひもじさからアメリカ軍に投降する者が少なからずいた。
中には。上官や古参兵からの虐待に耐えかねて、アメリカ軍やオーストラリア軍に降伏して捕虜となる日本兵もいた。
自分の意思で降伏した日本人捕虜の多くは、アメリカ軍に協力的で、問われた事には包み隠さず素直に答えた。
「日本軍の築城計画を図に描き、我が方の地図を修正し、日本軍の戦術的弱点を論じ、味方の陣地占領のため用いる戦術までも示唆した」
日本軍兵士捕虜は、敵であるアメリカ軍を罠に掛けるような偽情報を話さないどころか、日本軍守備隊に不利な情報を洗いざらい話していた。
アメリカ軍は、日本兵捕虜への訊問から、日本人の抗戦意思を砕くには空爆は有効である判断した。
アメリカ軍への降伏が出来ずにジャングルを彷徨う日本軍敗残兵は、士気を失い、軍紀を忘れ、生きる為に凶悪な盗賊となり、辿り着いた集落で食べ物を強奪し明日の命が分からない身の上を忘れる為に強姦を行い、止めようとする現地民を容赦なく殺害した。
各地で、日本兵による戦争犯罪が起きていた。
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軍部は、日本軍兵士が敵に走って投降し機密情報を漏らす事を最も恐れた。
憲兵隊や警察当局は、日本国内でもそうした利敵行為者が出ないように監視を強化していた。
「(日本兵は)民間人に売れると思った物は何でも盗む。彼らの賃金は世界の陸軍でおそらく一番低い。最下級の兵では月に3円もらう。戦地に出ると月に約3ドル相当の金を貰う。しかし占領地では物価が2,000%値上がりしている為、ほとんど何も買えない」
日本兵の給料は、朝鮮人従軍慰安婦の報酬に比べて30〜40倍も安かった。
日本兵の命は、赤紙一枚で徴兵され、1銭5厘の価値しかなかった。
政府や軍部は、紙切れのような価値しかない日本兵士の命を誤魔化す為に、名誉の戦死をすれば靖国神社に神として祀るという手形が与えた。
生きる事より死に重き価値を与え、捕虜になるず戦死せよと厳命した。
日本兵士には、捕虜になっても生き残るという選択肢は与えられていなかった。
強制的に戦場に連れられて来た日本兵は、死んだら靖国神社の神として祀られ、戦争を始めた首相や軍首脳部はもちろん、上は天皇陛下から下は一般国民まで全ての日本人に頭を垂れて参拝されなければ、命を賭けて戦えなかった。
地獄の様な戦場を這いずり回る日本兵の心の拠り所は、「靖国神社の神となる」という一点のみであった。
靖国神社参拝は、政府や軍部と赤紙一枚で強制的に徴兵され戦死する哀れな日本兵との、命を賭けた神聖な約束事であった。
日本政府が、靖国神社を守り公式参拝するのは、国の命令で戦死した日本兵に対する重い責任である。
地方の農家は、都会の家庭に比べて土地があっても極貧で、農作業は都市労働に比べて遙かに重労働できつかった。
働き手として家族を養わねばならない日本兵士は、留守家族の困窮を気にしていた。
戦争の長期化で財政難にあった政府は、臨時軍事予算を組んでも出征兵士の給料を上げられない為に、民間組織の隣組や在郷軍人会を使って留守家族への支援を行っていた。
「日本兵の『出征』にあたってはそれぞれ厳粛な行事を行って敬意を払い、国のみならず村の大切さ、有り難さを深く感じさせる。留守宅に関する兵士の安心感は、隣人達が家族の農作業を手伝う事により高められる。婦人、在郷軍人会など多様な団体もまた留守宅の面倒を見る」
農村出身兵士が投降して捕虜になると、農作業支援などの生活援助が全て打ち切られる為に、家族の為に捕虜になるという不名誉な事ができず、投降せず戦死するしか道がなかった。
都市出身者は、世間知らずの農村出身者とは違って戦争前の生産活動で計算ができただけに、アメリカの勝利は明白で、戦争は日本の敗北で終わり、家に帰って家族と普通の社会生活に戻れるという確信を持っていた。
「ホームシックにかかり、家族を心配している。彼は精神の高揚を保つ手紙をほとんど受け取っていないし、この数ヶ月間、自らは体験していなくとも、周囲の者から日本本土への猛爆撃の悲惨さについて聞かされている」
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日本軍は、死ぬまで戦えと徹底抗戦を命じ、捕虜になる事を禁止していた。
前戦の日本軍守備隊は、地獄の様な戦場に日本兵の屍体を放置しては士気を低下させるとして、敵軍陣地近くの戦友の屍体を夜陰に乗じて回収し、御経を上げて手厚く埋葬した。
「日本軍は遺体の回収に多大の困難を感じている。彼らは傷者はおろか遺体回収の為にさえ、米軍陣地の数ヤードそばまで這い寄ってくる。屍体は埋葬、または火葬される為、殺害者数を見積もるのは難しい」
部隊長は戦死した兵士の名前や遺品を司令部に報告し、司令部は戦死者を靖国神社に祀る為に東京に伝えた。
軍部は、戦死した兵士の名前を靖国神社に神として納め、遺灰や遺品は家族の元に届けた。
靖国神社に祀られている戦死者は、何処の馬の骨とも分からない無名兵士ではなく、一人ひとりの名前が明らかになっている兵士である。
日本軍は、従軍する神父・牧師を伴わなかった為に、他国の軍隊の様に宗教儀式が乏しく、人殺しを好む宗教性が薄い軍隊として有名であった。
出撃する前に作戦の成功と無事の帰還を祈らなかったし、帰陣後に激闘の末に生還できた事に対する感謝の祈りもしなかった。
それ以前に、朝起きての祈りも、寝る前の祈りも、その時々の日常での祈りも、日本兵士にはなかった。
「兵達は、毎日の朝夕に整列して宮城の方角を向き頭を下げ、祈りの言葉を唱えて再び頭を下げる」
河原宏「日本軍の本当の強さの源泉は……友を逝かせて己一人、退却し、降伏できないというヨコの友情関係にあった」(『日本人の「戦争」』)
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「ガダルカナル作戦での勝敗の差は、日本兵がマラリア、脚気、腸炎で弱って敗北が明らかになるまではわずかであった。ガダルカナルには4万2,000人の日本軍がいたとされるが、その半分以上が病気や飢餓で死亡し、負傷者の80%以上が不適切な治療、医療材料の不足、後送する意思と能力の欠如による死亡したと見られる」
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「部隊全体で生き残った者は50人に満たなかったであろう。ほとんどの者は脚気や飢餓で、若干はマラリアで死に、戦闘で倒れた者は比較的わずかであった」
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「日本兵個人は普通の東洋人と同じ様に戦争を嫌い、死を恐れる。銃剣を持った断固たる敵に遭遇すると、日本兵は教えられたほどに上手く立ち回れない。部隊は機動や戦闘で圧倒されると崩壊する」
「日本軍は決然として頑強で、特に我が方に少しでも崩壊の兆しが見えると不屈となった。断固たる攻撃を受けて損害を被ると、挑戦こそ続けたものの、ほとんど気力を失った。
我が海兵隊は日本軍と互角にぶつかった場合、特に頑強な相手とは見ていなかった。追い詰められ、苦境に立つと何時もパニックに陥り、同様な状況に陥った他国の兵士と同じ様に恐怖を示した」
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日本兵は、アメリカ兵に比べて体力的に劣っていただけに、精神的な強靱さを示そうとしたがそれも叶わなかった。
日本軍は、物資面においても、精神面においても、負けるべくして負けたのである。
日本兵の犠牲は、無駄死に、犬死にが多かった。
「彼らの成功は新しい戦術や超兵器によるものではない。基本的には他の近代陸軍が使っている戦術と異なるものではなく、兵器は全体的に連合軍のそれとより劣っている。…。…日本軍は、ハッタリは力より安上がりだと気付いたのである」
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1944年 日本軍部は、太平洋戦線で劣勢に陥っているのは、長年にわたってアメリカの映画や音楽に慣れ親しんできた日本国民のアメリカ人への敵意が足りないからとして、アメリカへの憎悪を?き立てるべき全国で「鬼畜米英」を叫ぶように仕向けた。
ムラ社会の人間は、村の中の事には神経質になるが、村の外の事には無関心である。
同時に、狭い村の中での人間関係に病的なほど気を使いが、村の外の人間には興味が無かった。
その生ぬるい村環境ゆえに、敵を激しく憎む事ができなかった。
ムラ人は、家や土地を奪い生活を脅かそうとしない限り、余所者を排他的に差別し迫害し追い出す事もしなかった。
ムラ人根性では、戦争が出来なかった。
アメリカ陸軍情報部は、ニューギニア島作戦などでの戦闘が長期化すると作戦地域への食料との物資が遅延する恐れがあり、その際は日本軍の糧食を奪って食べるようにとの指示を出し、日本軍兵士の携帯糧食で食べられそうなリスト情報を配った。
戦死した日本軍兵士の持ち物から戦場での記念品として、個人的に取ってよい記念品、上官の許可を得る必要がある戦利品、所有が禁止され提出すべき捕獲品、等の子細なリストを明らかにした。
そして、そうした物に爆弾などが仕掛けられている恐れがあると注意を喚起した。
如何なる軍隊に於いても、兵士の士気を高め、戦闘意欲を駆り立てる為に、記念品狩りを禁止していなかった。
1月 イギリス軍情報部は、ビルマで日本軍と戦う全将兵に対し、捕虜とした日本人兵士への訊問や行動などを観察して、人間性を科学的に分析した結果を伝えた。
「日本軍の虚を衝くと、奴らは全然戦う準備などしていない。奇襲するとパニックに陥り、叫び、逃げる。射撃して可能な限り速やかに一掃すべきである。しかし日本兵がひとたび立ち止まると臆病ではなく、むしろ勇気ある戦士となる」
「日本兵は射撃がひどくヘタで、特に動いている間はそうだ。組織され静止している時の射撃はややマシだ。しかし、陣地と偽装は優秀だ」
「日本軍はイギリス軍の砲撃を憎み、かつ恐れている。偽の攻撃で簡単に苛つかせる事ができる。我が方が叫び、足を踏みならし、全方向へ発砲し、煙幕を張り、できり限りの騒音を立てる。すると日本軍はあらゆる火器を発砲して陣地の位置を暴露する」
4月 日本軍と戦っているアメリカ軍従軍者達は、日本軍の実態を報告していた。
日本軍兵士は勝っている時は勇敢に戦うが、負けそうになると途端に臆病となり、死を恐れて弱くなりる。
「奴らは、決定的な特徴を持っている。勝ち目がないと明らかに死ぬのを嫌がり、総崩れになると豚のように喚いた」
日本軍兵士は白兵主義で銃剣突撃を行うと信じられているが、それは稀なケースで、実態は接近戦を嫌い敵軍が近づくと逃げ出した。
「奴らは接近戦を恐れており、よく偽装された蛸壺か要塞化された陣地にいない限り、我が部隊が近づくと逃げた。射撃は下手で、50ヤード(45.7メートル)あそこら離れていても安全だった。しかし偽装の専門家で、ジャングル戦の完全な教育を受けていた。命令によく服従し、夜間攻撃と艀(はしけ)を操る能力を示した。将校がしばしばその士気を高めた。英語が話せる者は100人中1人もいない」
仲間といる内は仲間から馬鹿にされないように空元気で威勢が良いが、一度、仲間から切り離され一人になるやだらしないほどに臆病になって従順に言う事に従うと。
「射撃は下手くそで、自動小銃や擲弾筒は運まかせである。(敵の)火線へ飛び込む意志はあるものの、将校に続いて突撃するのを躊躇っている兵士達を見た事がある。ある時などは、将校が突撃と絶叫して何百ヤードか進んだ所で誰も付いてこない事に気付いた。彼は舞い戻って兵達を殴り付け、そして突撃した。かくしてこの将校は靖国神社へ─過酷な道だ─と進められた」
胴長短足で身長が低い日本軍兵士は、頑強な肉体を持った長身な白人兵士への肉体的劣等感で、戦う前から敗北感に囚われ、身体的に勝てない以上は戦って死より逃げ回って生きる残る事に気が取られていた。
日本軍は、アメリカ軍の大量な物量以上に、日本兵士に蔓延している敗北主義を克服する為に異常なまでに精神教育を施し、死に物狂いで戦わせる為に敢えて生き残れない死地へと追い込んだ。
「多くの日本兵は農村出身で、その為わずかな教育しか受けていなかった。だがほとんどの者は読み書きができる。彼らは21歳になると兵役の義務を負うが、学校に行っている者は25歳まで延期してもらえる。訓練は多分どの国の陸軍よりも厳しいものだ。彼らを頑健にする為であり、大抵の者はそうなる。日本兵達は私に、訓練期間の終わりに多くの名誉あるハラキリが行われる、何故なら厳しい懲罰に耐えられないからだと語った。
体罰はひどいものだ。兵は上官に殴られ、蹴られている間直立していなくてはならない。もしビンタを受け損なえば立ち上がって直立し、再び罰を受けねばならない。私は兵が殴られて気を失い、宿舎へ運ばれていくのを見た事がある。ある時などは大尉が兵の睾丸を蹴るのを見た。上級の者はそれが些細な怒りによるものでも、いつでも罰を加える権限を持っている。
日本軍の最下級兵は一つ星の兵、即ち二等兵である。彼は他の者の服を洗い、食事を作り、寝床や荷物を整え、その他のあらゆる嫌な仕事をしなくてはならない。からかわれ、何か間違いがあれば身代わりとされる。6ヶ月野戦を経験すると自動的に二つ星の一等兵に進められる。彼の生活に二等兵を殴ってもよくなったこと以外の喜びは特にない為に、熱心に殴っている。しかし、もし二等兵がいなければ相変わらず殴られている」(日本軍の捕虜となったアメリカ兵の証言)
もし捕虜になる事を許したら、周囲の海を埋め尽くす敵の大船団を目にした日本兵士の半数以上が武器を捨てて投降し、日本軍は戦う前に瓦解していた。
幾ら国民の義務とは言っても、徴兵で強制的に戦場に放り込まれたムラ人意識の強い日本人は、命大事に戦う事より生きる事を選んだ。
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事実。籠城して全滅寸前の日本人は、領主一人が家臣や領民の身代わりで切腹してくれる事で、自分が助かると知るや表面で泣いても心の底では安堵した。
百姓根性とは、田畑という土地の為に命を賭けるが、領主の為に命を犠牲にするという意識は希薄であった。
救われた家臣や領民は、身代わりとして切腹した領主の復讐として敵を討とうという者がいないどころか、領主が殺害された事を忘れて敵の大将に忠誠を誓い兵士となって戦った。
ムラ人は、心理的に熱しやすく冷めやすく、辛さや苦しさをすぐ忘れて無かった事として普通の生活を再開し、他人への恨みや憎しみなどの悪感情を長く保てない。
日本人は、物事をクヨクヨと思い悩む精神的にひ弱な面があるが、その反面、物事を忘れてしまう淡泊な性格を持っている。
ムラ人の最大の関心事は、田畑と家族であり、領主の命でも上官の命令でもなかった。
日本軍の本音として、百姓根性の兵士を信用していなかったがゆえに、軍隊を逃亡する事は「売国奴」、敵の俘虜になる事は恥じという「戦陣訓」を、鉄拳制裁で教え込んだ。
部隊付き下級将校は、戦場では銃弾は後ろからも飛んでくると言う恐怖から、「親分子分」或いは「兄弟分」といった家族的雰囲気で情緒的な結び付き強め、兵士からの信用を勝ち取る為に、同じ食事を食べ、倶に酒を飲んだ。
日本人は、一緒に食事をし酒を飲まない者は「仲間」として信用しなかった。
日本の軍隊は、ムラ社会の縮図として、「生死を共にする仲間内」としての密接な内面的連帯感を大事にし、閉鎖性排他性として仲間内でない他の部隊の者は排除した。
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アメリカ軍情報機関は、日本兵を捕らえて日本軍情報を聞き出し、拡声器や宣伝ビラで日本兵の投降を促し日本軍守備隊を降伏させようとしていた。
「日本軍の司令官が出した膨大な命令は、彼ら自身が、陸軍の大部分を占める単純な田舎者は連合軍の尋問官が上手く乗せれば喜んで何でも喋ってしまう、と十分認識している事の証である」
日本兵捕虜は、飢えに苦しみながら絶望的な戦いを続ける戦友を救うべく、捕虜になっても殺さないし、投降すると美味しい食べ物が食べられ、病気や怪我をしても手厚い治療が受けられる事を知らせ、生きていれば家に帰って家族に会える事を必死なって戦友に伝えた。
「日本兵捕虜がもとの所属部隊に呼び掛ける事で、アメリカ軍は日本兵を殺さないという絶対的な保証が得られた」
「この手法を拡声器と組み合わせた事で一定数の捕虜を得られた。この任務に出た日本兵で戻らない者はなかった」
アメリカ軍情報部は、投降した日本兵捕虜に美味しい食べ物と清潔な衣服と温かい寝床を与えて籠絡して味方に付け、徹底抗戦で玉砕しようとする日本軍守備隊の瓦解に協力させた。
「お前は、この戦争を幸運にも免れた数千人の一人に過ぎない」
日本兵捕虜は、思慮分別のない単純さゆえに、心情操作に乗せられ敵の恩情にほだされ、戦争を早期に終わらせるべく進んで敵に協力した。
助けられた恩義を感じる日本人には、天皇や祖国や友軍を裏切っているという罪の意識がなく、平和の為に神聖な使命を果たしているという強い信念を抱いていた。
「親切、公正な扱いは白人の威信を高め、捕虜にその捕獲者への新たな敬意とともに、自らの顔を取り戻したいという欲求をもたらす」
アメリカ軍は、強者に依存して生きたいという日本人の心理的弱点を上手く利用して、日本兵士捕虜を味方にしていった。
その手法は、敵の駒を味方の駒として敵を追い詰めるという日本の将棋に似にていた。
「前戦将兵は捕虜にしうる日本兵に対し、私情を交えぬ態度を培うべきである。捕虜に対する侮蔑と憎悪という自然な感情を許せば、それは必要のない嫌がらせにつながり、我々の得られる情報は減ってしまう。一方、正しい扱いは、連合軍将兵の命を救い作戦の完了を早めるであろう、時宜にかなった価値ある情報をもたらす」
アメリカ軍は、今の対日戦勝利と将来の日本占領の為に多くの協力者を獲得すべく、捕虜収容所での快適な生活ができるように待遇改善を行っていた。
イギリス軍、オーストラリア軍、オランダ軍の捕虜収容所は、日本人への復讐心から、捕虜を保護するというジュネーブ条約を完全無視した非人道的虐待が日常茶飯事として行われていた。
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真珠湾騙し討ちと捕虜虐待への復讐に燃えるアメリカ軍兵士は、日本兵を見付けしだい問答無用で殺害していた。
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1945年 アメリカ陸軍情報部は、日本本土侵攻と日本占領での日本人の協力が欠かせないとして、アメリカ軍兵士の対日観を「憎悪から友好」に転換するべく意識改革としての情報操作に力を入れた。
「日本兵は降伏しようとしてもアメリカ軍に殺されると教えられているが、私の見る所、それは降伏を躊躇う主要な理由ではない。恥が大きな影響を与えている。都市の日本兵は映画のお陰で親米である。皆お気に入りの映画スターがいて、クラーク・ゲーブルやディアナ・ダービンの名前がよくあがった。私がアメリカで買える物を教えてやると彼らは驚いたものだ。むしろ田舎者は信じようとしなかったが、都会の者は熱心に聞いていた。……
日本軍の最後の一団は戦争に勝てるかどうか疑っていた。日本の市民の何人かは、日本はもうダメだと言った。彼らは命の危機を案じ、日本陸軍が撤退して置き去りにされたら占領地の住民に皆殺しにされるのではないかと怯えていた」
徹底抗戦準備を進める日本社会に混乱をもたらし、一億総玉砕で団結する日本人の絆を分断するべく、「生きる望みがある」という謀略情報をラジオ放送や宣伝ビラなどを使った。
「アメリカの勝利は明白なので、戦闘を止めて武器を置き、愛する家族のもとに帰って、平和な生活に戻るべき」
完全なる自由を持った「個」の為の徹底した分断。天皇と国民の分断。指揮官と兵士の分断。軍国指導者と一般市民の分断。都会と地方の分断。教養ある者と教養無き者の分断。資本家と労働者の分断。教師と生徒の分断。家・家庭・家族の元である親と子の分断。祖先と自分と子孫という絆の分断。昔と今という時間的歴史の分断。宗教・文化・習慣・生活という民族の伝統からの分断。日本人と朝鮮人及び台湾人の分断。
その為に。抵抗すればさらなる悲惨な状況に追い込まれるという恐怖心を植え付けるべく、日本焦土作戦として無差別縦断爆撃を敢行していた。
無駄死にするより、生き残って日本人を存続させ、日本を天皇専制の軍国から自由と民主主義の国家へ再建するべきであると。
「日本兵達は天皇の為に死ぬ事が最高の名誉だと教えられている。彼らは靖国神社に祀られ、一階級進められる。しかし大きな戦闘だと兵は二階級進められる。田舎者はたいへん素晴らしい事だと思っているが、教育を受けた都市の者は騙されない。多くの者が帰還を切実に求めていると言う。
だが一方で皆降伏したり捕虜になったら祖国には戻れないと信じている。もしそうなられば殺されると言っており、もっとも教育のある者ですらも同じく信じている。この信念が、彼らを強敵たらしめている基本的要素の一つである。体罰への恐怖もあった、戦場での働きの重要な要素である。個人的には、日本兵は頭脳と自分で考える力を考慮に入れる限り、三流の兵隊だと思う。私は数人の、どこ陸軍でも通用する兵隊に出会ったが、それはあくまで数人に過ぎない」
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本当の日本人とは、戦前・戦中の日本人なのか?戦後の日本人なのか?
昔の日本と今の日本は、正反対に近いほどの別の日本である。
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野党やメディア、リベラルや革新派勢力は、イラン・イラク戦争時教訓を学ぶ事なく、当時から一歩の成長していない。
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2018年6月号 WiLL「文明の不作法 湯浅博
『日報』公開が隊員を危険にさらす
みんなで渡れば怖くないと考えるのだろうか。国会議員やメディアの安全保障観の欠如には愕然とする。陸上自衛隊の海外派遣部隊が書いた『日報』を白日の下にさらそうと、防衛省をこづき回している。提出を逡巡(しゅんじゅん)し、見つからないと答えれば、『隠蔽するのか』と正義の鉄槌を下す。
野党の狙いは、日報に『戦闘』の二文字があることを探し出し、部隊を送り出した政府の責任を追求すること。憲法が自衛隊を戦闘区域に派遣することを禁じているとの解釈からだ。
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日報には、任務の経過や成果もあるが、他国から得た機密情報も含まれる。あるいは、過酷な地で活動する自衛隊員の行動パターンも分かってしまうから、日本を敵国扱いする悪辣な国にとって、こんな楽な情報収集はない。わが国会議員は騒動好きのメディアと一緒になって、かの国の工作員を喜ばせるばかりなのである。
軍事関係の日報や兵士の日記は、決して公開してはならないものだ。第二次大戦中に、日本軍将校が戦地でも欠かさずに書いた日記が、捕虜になって接収され、米軍に作戦行動のすべてを把握されてしまった苦い経験がある。これらの教訓が、戦後の反軍ムードから少しも生かされていない。
日本の旧陸軍士官学校は、紳士のならいとして平時から日記をつけることを奨励していた。日本軍人は戦地で捕虜になるという前提がないから、記録類が災いになるとは考えもつかなかった。しかし、敵情報の入手を重視する米軍にとっては、日記はまさに宝の山であった。ちなみに、米軍人は戦地で日記などメモを残すことを厳しく禁じられた。情報に対する考え方の違いが、勝敗や生死を分けることになる。
昭和16年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃で、ハワイや西海岸に住む日系人12万人が強制収容所に送られた。収容所から志願した日系二世は、欧州の激戦地に送られ、第442連隊がドイツ軍に包囲されたテキサス大隊を救出した戦闘は、ドキュメンタリー映画『442日系部隊』で広く知られるようになった。
実はこの戦闘部隊とは別に、米軍が敵国情報を入手する手段として日本語能力をもつ日系人を軍事情報部(MIS)が採用していた。彼らは語学学校で日本語の再訓練を受けたあと、太平洋戦線の情報部に語学兵として配属された。彼らの使命は、日本人捕虜からの聞き取りや、所持する日記の翻訳などであった。
日系語学兵は陸海軍の100を超える部隊に編入されたというから驚きだ。フィリップや南太平洋の激戦地では、日本兵に投降を呼びかけ、捕虜の尋問を行った。特に、日本人将校の日記を分析することによって、米軍司令官は敵行動の予測が可能になり、南太平洋戦域での劣勢を逆転することにつながる。
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今回、陸自の公文書管理に甘さがあった点は否めない。しかし、国会議員が『法の制定者』を自負するのであれば、国益に照らして欠陥のある法や規則を直ちに改めるべきであろう。日報は事実を把握し、のちの活動に生かすために引き継がれるべくものだ。こうした軍事資産を政争の具にするのではなく、本来のあるべきPKOの前提となる憲法改正を、粛々と行うのが議員の本懐ではないか」
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