- 作者:本村 凌二
- 発売日: 2016/12/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
人口激減の日本は信用を失い始めている。
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ゲルマン民族大移動(大量移民)と西ローマ帝国滅亡
372年 南ロシアで生活していたフン族が、西に向かって移動し始めた。
フン族の軍事力に圧迫されて、進路上にあいた東ゲルマン人諸部族がさらに西ゲルマン人諸部族が移動し始めた。
ゲルマン人の大移動である。
西ゲルマン人は、ローマの文化や豊かさに魅せられ、その社会に加わりたいとの望みからゆっくりと移住し、定住してからは反抗せず従順に下僕として使えた。
ゲルマン人は、ローマ化する為に、多神教の民族宗教を捨てキリスト教に改宗し、民族言語を止めてギリシャ語とラテン語を話した。
民族の宗教と言語を捨てる事は、民族文化の消滅であった。
だが、そうまでしても越えられない一線があった。それは出身としての人種であった。
ゲルマン人が、ローマ人になる為に民族を捨てても、人種という血族は消す事が出来なかった。
ローマ人は、地中海人ではなく草原の蛮族の血筋を理由にして差別していた。
ローマの平等は、地中海圏が絶対条件であり、圏外出身者には認めてはいなかった。
ゲルマン人の怒りは、そこにあった。
ローマ人になれない事への怒りから、民族回帰が始まり、忘れられていた民族言語の使用が広まったが、民族宗教の復古は起きなかった。
445年 パンノニア・フン人のアッティラ王は、兄のブレダ王を倒して大王に即位し、大帝国を建国した。
451年 アッティラ大王は、西ヨーロッパに侵入した。
西ローマは、長年敵対していた西ゴート王国・ブルグンド王国・フランク族らと和解して連合を組んで撃退した。
453年 アッティラ大王は急死して、フン大帝国は瓦解した。
西ローマと西ゴートら諸国は、共通の脅威が無くなるや対立を再現して小競り合いを始めた。
476年 ゲルマン人傭兵隊長オドアケルは、ローマ皇帝を廃帝して、西ローマ帝国を滅亡させた。
西ローマ帝国の滅亡。
ブライアン・ウォード=パーキンズ「ローマ帝国西方の終焉は、自分なら絶対に遭遇したくない類の、恐怖と混乱の経験だった。そしてそれは複雑な文明を破壊し、西方の住民達を、先史時代の典型的な生活水準まで戻した。崩壊以前のローマ人達は、今日の私達と同様、彼らの世界が、実質的には変わりなく永遠に続くであろうと疑わなかった。彼らは間違っていた。彼らの独善を繰り返さないよう、私達は賢明でありたいものである」(『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』)
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- 作者:宇山 卓栄
- 発売日: 2018/01/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)