🏛25」26」─1─ゲルマン民族大量移民(大移動)。西ローマ帝国はモラルが低下して滅亡した。そして日本。372年~No.54No.55No.56No.57 @    

教養としての「世界史」の読み方

教養としての「世界史」の読み方

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   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 人口激減の日本は信用を失い始めている。
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 ゲルマン民族大移動(大量移民)と西ローマ帝国滅亡
 372年 南ロシアで生活していたフン族が、西に向かって移動し始めた。
 フン族の軍事力に圧迫されて、進路上にあいた東ゲルマン人諸部族がさらに西ゲルマン人諸部族が移動し始めた。
 ゲルマン人の大移動である。
 西ゲルマン人は、ローマの文化や豊かさに魅せられ、その社会に加わりたいとの望みからゆっくりと移住し、定住してからは反抗せず従順に下僕として使えた。
 ゲルマン人は、ローマ化する為に、多神教民族宗教を捨てキリスト教に改宗し、民族言語を止めてギリシャ語とラテン語を話した。
 民族の宗教と言語を捨てる事は、民族文化の消滅であった。
 だが、そうまでしても越えられない一線があった。それは出身としての人種であった。
 ゲルマン人が、ローマ人になる為に民族を捨てても、人種という血族は消す事が出来なかった。
 ローマ人は、地中海人ではなく草原の蛮族の血筋を理由にして差別していた。
 ローマの平等は、地中海圏が絶対条件であり、圏外出身者には認めてはいなかった。
 ゲルマン人の怒りは、そこにあった。
 ローマ人になれない事への怒りから、民族回帰が始まり、忘れられていた民族言語の使用が広まったが、民族宗教の復古は起きなかった。
 445年 パンノニア・フン人のアッティラ王は、兄のブレダ王を倒して大王に即位し、大帝国を建国した。
 451年 アッティラ大王は、西ヨーロッパに侵入した。
 西ローマは、長年敵対していた西ゴート王国・ブルグンド王国・フランク族らと和解して連合を組んで撃退した。
 453年 アッティラ大王は急死して、フン大帝国は瓦解した。
 西ローマと西ゴートら諸国は、共通の脅威が無くなるや対立を再現して小競り合いを始めた。 
 476年 ゲルマン人傭兵隊長オドアケルは、ローマ皇帝廃帝して、西ローマ帝国を滅亡させた。
 西ローマ帝国の滅亡。
 ブライアン・ウォード=パーキンズ「ローマ帝国西方の終焉は、自分なら絶対に遭遇したくない類の、恐怖と混乱の経験だった。そしてそれは複雑な文明を破壊し、西方の住民達を、先史時代の典型的な生活水準まで戻した。崩壊以前のローマ人達は、今日の私達と同様、彼らの世界が、実質的には変わりなく永遠に続くであろうと疑わなかった。彼らは間違っていた。彼らの独善を繰り返さないよう、私達は賢明でありたいものである」(『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』)
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 2019年2月号 正論「日本は世界史から学べ 木村凌二
 木村 かつて、今の欧州や中東の地域には、主に三つの文化圏がありました。オリエント文化圏、ギリシャ語文化圏、そしてラテン語文化圏です。その後、ラテン語文化圏のローマが他の二つの文化圏に進出し、現在のEUよりもはるかに広い地域を支配しましたが、400〜500年も経つと分裂します。どういう範囲で分裂するかと言うと、イスラム文化圏、ギリシャ正教文化圏、カトリック文化圏、つまり、ローマ帝国以前の文化圏を素地とする三つに分かれました。このことから、彼の地においては『元に戻る力』が非常に強く働くことが分かります。
 ……
 現代人の宗教心の希薄さを念頭に置いて、今のカトリック文化圏の影響力を小さく見積もる人たちがいるかもしれませんが、僕はそのような見方は間違っていると思います。僕はローマを訪問するたびに、作家の塩野七生さんとお会いするのですが、日本育ちの彼女がキリスト教にある種の距離を置いているのに対し、現地で育った息子さん、特別熱心に教会に通ったわけでもないのに、『キリスト教的な見方をする』と塩野さんは仰っていました。要するに、信仰の強弱を問わず、カトリック文化圏で育った人間には、キリスト教的価値観が自然と染み込んでいるわけです。
 『AI』は21世紀の民族大移動? 
 ──いにしえのローマ帝国ゲルマン民族の大移動、つまり、移民の急増も影響して滅びました。現代のドイツも移民の急激な増加によってその屋台骨を揺さぶられつつあります。
 木村 ゲルマン民族の未裔が移民に悩んでいることはまさに皮肉ですね。しかし、ユダヤ人の出エジプト記を持ち出すまでもなく、世界史とはある意味で移民の歴史と言い換えてもいいぐらいなのです。かつてゲルマン民族フン族など他の民族に追い払われる形でローマ帝国内に入り込んできました。当時のローマ帝国にはゲルマン民族の侵入を怖れる人たちが一方、『慢性的に人員不足のローマ軍だけでは異民族を追い払う事はできない。ゲルマン人を軍人として訓練し、彼らに他の異民族を撃退させよう』と考える人たちもいました。足らざる労働力は外国人に頼ろうとしている現代日本の経営者の発想とよく似ています。
 しかし、異民族を大量に受け入れると、必ず起こるのが文化的摩擦です。現に『毒を以て毒を制する』の発想で、多くのゲルマン人を招き入れたローマ軍は、次第に軍政、指揮命令系統、規律が乱れ、崩壊への道を辿ることになりました。また、ゲルマン人は野蛮人として差別されることや、ローマ市民との待遇の違いに不満を抱き、それが騒動や反乱へとつながり、それを鎮圧する羽目になるローマ帝国側にも疲労が蓄積していきました。
 ……
 古代ローマ人にとってのゲルマン民族は『何を考えているか分からない人たち』でした。それでもローマ人は『得体は知れないが、偉大なる文化を持つ俺たちには逆らわないだろう』と楽観し、異民族をローマに組み入れましたが、彼らをあざ笑うかのように言うことを聞かない異民族が増え、社会の不安定化に拍車をかけたことは先に述べた通りです。……
 ──ご著書で、ローマは『寛容』で繁栄し、『非寛容』で衰退したとかかれています。
 木村 ローマが繁栄した背景には、侵略した地域の文化や宗教を尊重し、無理に同化を求めず、逆に相手側から『ローマに組み入れてほしい』と言わせる寛容さ(クレメンティア)、いわゆる『ゆとり』がありました。しかし、想像を超える数の異民族が入ってきたことにより、発展の原動力となった寛容さを失った、もしくは失わざるを得なくなったころが、その崩壊につながったのではないかと僕は考えています。
 ──ローマが衰退していくと同時に広がりを見せたのがキリスト教でした。
 木村 ローマは日本と同じ多神教の世界でしたが、そこに一神教キリスト教が入り込んできました。当初、『自分たちが信じる神様だけが正しい』と主張し、古代人が何百年、何千年と大切にしてきた神々を否定するキリスト教徒は、多くの人の目には『とんでもない人たち』『無神論者』のように映りました。しかし、そのキリスト教徒が3世紀に入ると激増します。それは半世紀の間に70人もの皇帝が乱立し、『パックス・ロマーナ』に陰りが生じ始めた時期と奇しくも一致しており、人々の不安が『弱者への愛』に満ちたキリスト教への関心を引き寄せたのだと思います。
 そして、本来であればローマ帝国の中枢を担うべき優秀な人物が次第に教会に入るようになります。毅然として立ち居振る舞いで時のローマ皇帝を謝罪に追い込んだミラノ司教のアンブロシウスはその一例です。彼は異端派の放逐や教義固めなどで教会内部を統制し、その権力伸長に大きく貢献しました。 
 トランプ政権はローマに学べ
 ご著書では、『アメリカこそローマ帝国に学んでほしい』とも記されています。
 木村 ……ローマはその軍事力に陰りが見えてきた後も、ラテン語や文化芸術などの分野、いわゆる『ソフトパワー』で周辺のローマニゼーションを促し、大きな影響力を維持し続けました。……僕は『ゆとり』に支えられた米国のソフトパワーは、未だその絶大なる影響力を失っていないと思っているのですが、このまま寛容さを失えばローマの二の舞を演ずることになりはしないかと懸念しています。……
 ──寛容さを持つことは大切ですが、移民があまりにも急激に入ってくると、ローマ帝国のように倒れてしまうのではないでしょうか?
 木村 『寛容さ』と『規制』のバランスをうまく保つ必要があります。……
 ──米国と覇権を争う中国に関するご意見もお聞かせ下さい。
 木村 中国の長い歴史を振り返ると。飢饉などで生活苦に追い込まれた民衆の反乱により、その時々の為政者が倒されてきたことが分かります。今の中国を牛耳る共産党もその事を理解していて、『民衆が食えてさえいれば反乱は起こらない』と考え、ひたすら経済成長を目指しています。
 欧米諸国は頻繁に中国の民主主義の欠如や人権軽視を批判しますが、その効果は限定的だと思います。なぜかと言うと、両者の間には決定的な認識の違いがあるからです。古代ローマは市民同士の争いを収めるべく、その長い歴史を通じて民法を発展させ、6世紀に『ユスティニアヌス法典』としてまとめました。『法の基本は民法である』という考え方は、ナポレオン法典やドイツ民法典に引き継がれ、明治時代にドイツに学んだ日本もその影響を受けています。
 これに対し、中国は基本的に刑法を重視してきました。つまり、お上が『こいつは悪い奴だから処罰するのだ』と言えば、それに対して下々は口を挟まないような習慣があryのです。国家にとって良からぬ人間が排除されることは至極当然のことであり、いくら『人権』『民主主義』『基本的人権』と叫んでも中国の人々の心に響くことはありません。是非は別として、それが彼らの法意識なのです。中国の為政者が恐れているのは、欧米諸国からの批判ではなく、景気が低迷し、『食えぬ者』が増え、その怒りの矛先が自分たちに向くことなのです。
 『誠実さ』を失いつつある日本
 ──次は日本についてお聞きします。古代ローマ人と日本人の共通点の一つに、『正直を尊ぶ価値観がある』と指摘されています。また、ローマ帝国は誠実さを失って衰退してきたと書かれていますが、最近の日本でも企業によるデータ改ざんなどモラルの低下が目立っています。
 木村 相次ぐ企業の不祥事を見ていると、そう遠くない時期に日本は衰退してしまうのではないかという危機感を覚えます。古代ローマ人と日本人との間には『オリジナリティはないが、ソフィスティケイトされた能力に優れている』という類似点もあります。ローマ人は他民族が生んだ技術を独自に発展させ、優れた建築、街道、法などを残しました。そして日本人も外国で誕生した乗用車の性能を向上させ、世界中に輸出しています。
 質を高めるために必要なのは、一切の誤魔化しを排除する『誠実さ』です。
 ……
 また、日本に留学した小説家の魯迅もこの民族性に気付いていました。日中戦争に突入する直前、今より反日感情が強かった祖国に戻った彼は、同胞を前に『日本の悪口をどれだけ言っても構わないが、彼らの誠実さからだけは学ぶべきだ』と訴えたそうです。
 最近の日本人はラグーザや魯迅が感心した誠実さを失っているのではないか・・・。僕にはデータ改ざんが単なる一企業の不祥事ではなく、日本人が大切に守ってきた価値観を失いつつあることを示す、ある種の『象徴』のように見え、非常に心配しています。
 『重荷』を自ら背負う気概見せよ
 ──ご著書の中で『興味深いのは、モラルが低下していくとともに、人々が優しくなっていく傾向が見られることです』『今の日本も、必要以上に優しい社会になっているような気がします』と指摘されています」。
 木村 ……」
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 西ローマ帝国は、異民族移民によって弱体化して滅亡した。
 古代ローマ人は、異民族移住者によって虐殺され、そして死滅した。
 だが、イタリア、ローマに人が住み続ければイタリア人やローマ人は生き残る。
 イタリア人やローマ人とは、イタリアやローマに住む人間の事を言うのであって人種名でもなければ民族名でもない。
 ローマの虐殺によって、古代ローマ人は死滅し、新に住みついた異民族が新たなローマ人となった。
 つまり、見た目では、ローマ人が古代ローマ人なのかゲルマン人などの異民族なのか判別で切んない。
 それは、日本人と中国人・韓国人・朝鮮人が区別できないのと同じである。
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 イタリア人やローマ人とは、人種や民族ではなく、イタリア半島ローマ市に住んでいる人間の事である。
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 日本人とは、日本列島に住む人間の事である。
 日本民族日本人とは、数万年前から南から渡ってきて日本列島に住みつき、日本人天皇を中心に歴史、伝統、文化、言語、宗教、風習、習慣を共にしてきた人の子孫である。
 某元総理大臣「日本は日本人だけの日本ではない」
 大量の外国人移民が日本に押し寄せても、彼らは新しい日本人と呼ばれる。
 それが、人類史である。
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 産経新聞 IiRONNA
 「大英帝国はローマに学んだ
 今週末の日本ダービーは今年で80回目をむかえる。だが本場イギリスのダービーは1780年の創設だから、234回目というとてつもない数字になる。
 そのころ、のちに「18世紀イギリス歴史叙述の最高傑作」と謳(うた)われる『ローマ帝国衰亡史』が執筆されていた。その第1巻が出たのが1776年、アメリカ独立宣言の年である。数日にして売り切れ、第2刷もすぐに完売だった。5年後に第2巻、第3巻が出版され、これも続々と売れた。最終の第6巻が出たのが、1788年、フランス革命の前年であった。
 歴史家エドワード・ギボンが生きた18世紀後半、イギリスは農業国から工業国に脱皮しつつあった。さぞかし興隆期につきものの活気あふれる時代だったろうと想像されがちである。そのような時期に、なぜ『ローマ帝国衰亡史』が書かれ、多くの読者を得たのだろうか。疑問といえば疑問でもある。
 1773年12月、南アジア産の茶を陸揚げすることに反対した米ボストン市民は夜間に船に乗りこみ、茶箱を海に投棄してしまう。これをきっかけに、イギリスと植民地アメリカとの関係は悪化する。もともと本国の負債を課税で補おうとしていたから、植民地側はかたくなだった。とうとう武力衝突がおこり、戦況は次第にイギリス本国に不利に傾いていった。植民地側への義勇兵の参加もあり、1781年、本国は決定的な敗北を喫する。
ボストン茶会事件の翌年、ギボンは国会議員に選ばれている。それから敗戦にいたる数年間、ギボンはまさしく国家の舵(かじ)取りの現場をその目で見る所にいた。植民地側の実力行使に怒る対アメリカ強硬論者もいれば、植民地側の主張を支持し代弁する論客もいた。ギボンはこう語る。
 「内気が自尊心のために一層強くなり、文章の成功がかえって声を試してみる勇気を奪った。とはいえ自由な審議会の討論には列席して、雄弁な理路整然たる攻防戦に聞き入り、当代一流の人々の性格・意見・熱情などをすぐに傍らから見ることができた。…(中略)…しかもこの重大な討論の主題は、大英帝国アメリカとの連合か分離かであった。私が議員として列(つらな)った8度の議会は、歴史家のまず学ぶべきもっとも枢要な美徳、すなわち謙譲を教える学校であった」(『自伝』)
 ここから、興味深いことがわかる。おそらくギボンは議会で一度も発言しなかった。だが、錚々(そうそう)たる論客たちの人となり、息づかいまでも肌で感じていた。その経験は政治上の分別心を鍛えたにちがいない。北米大陸カリブ海域、さらにはインドやアフリカにもイギリスの覇権は拡大していた。その領土は広く、人種も社会も多種多様であった。その異様さのために、イギリスの支配層にはなにかしら心穏やかな気分になれなかった。そのうえ、アメリカ喪失が絵空事ではなくなり、不安感は高まる。
 そもそも、「ローマ衰亡のことを書物に著そう」という考えがギボンの念頭に浮かんだのはローマ滞在中の出来事だった。1764年10月15日、彼はカピトリーノ丘の遺跡に座って瞑想(めいそう)していた。そこにユピテル神殿の廃虚で夕べの祈りを朗誦(ろうしょう)する裸足(はだし)の修道士たちの声が聞こえてきたという。最初の着想は帝国よりもむしろ都市の衰退にかぎられていたのだが。
 イギリス史の専門家の間では、植民地アメリカの独立は島国イギリスを頂点とする海洋帝国にはそれほど大きな意味をもたないと考えられている。その後1世代もたたないうちにアメリカへの移民はふたたび活発になり、アメリカ喪失という記憶も薄れていったからという。しかし、ギボンと同時代を生きた人々には、拡大されすぎた領土とその喪失の危機という観念はどこか真に迫るものがあった。19世紀ヴィクトリア王朝期における大英帝国の飛躍は、むしろこの危機感を踏み台にしていたのではないだろうか。『衰亡史』という失敗から学ぼうとしたイギリス人。ギボンの著作の成功は、愛読したイギリス人のしたたかさの成功でもあったのだ。(東大名誉教授・本村凌二産経新聞 2013.05.23)
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 ローマ帝国は「武装難民」に自由を与え、そして自壊した
 『井上文則』 2018/07/30
 井上文則(早稲田大文学学術院教授)
 今から1500年前、陽光輝く北アフリカの地にゲルマン民族の一派、ヴァンダル人の王国があった。この王国の歴史は一見、歴史ロマン以外のなにものでもない。
 ゲルマニア地方の薄暗い森の中から出てきた金髪碧眼(へきがん)のヴァンダル人が長い流浪の末、「英雄王」ガイセリックに率いられてイベリア半島から北アフリカへ渡り、自らの王国を建設した。この王の下でヴァンダル人は強勢を誇り、地中海沿岸各地を海賊のように荒らし回り、455年には「永遠の都」ローマを攻略する。
 だが、その後、王国は100年ほどの命脈を保つが、最後はビザンツ皇帝ユスティニアヌスの送り込んだ遠征軍によってあっけなく滅ぼされ、地上から跡形もなく消え去ったのである。しかし、この興亡が歴史ロマンに感じられるのは、われわれがあくまでもヴァンダル人の側に立っているからである。
 ヴァンダル人が王国を建てた土地は、ローマ帝国の領土の一部であったのであり、ローマ帝国の住人にとっては、彼らは侵入者であり、征服者であった。ローマ帝国は、なぜ彼らの北アフリカ征服を許してしまったのだろうか。
 ヴァンダル人がライン川を渡って、ローマ帝国領に侵入したのは、406年の大みそかの日であった。アラン人とスエビ人もヴァンダル人と行動をともにした。彼らは、女子供を伴っており、何らかの事情で元の居住地を追われた人たちであったのであり、今日の言葉で言えば「武装難民」であった。
 ヴァンダル人たちは3年間、ガリア(現フランス)の地を荒らしまわった後、409年にはピレネー山脈を越えて、イベリア半島に入り、その地にいったん住み着いた。ヴァンダル人はハスディングとシリングという二つの部族から成っていた。
 ハスディング系ヴァンダル人はガラエキア(スペイン北西部)を、シリング系ヴァンダル人はバエティカ(スペイン南西部)を、アラン人はルシタニア(ポルトガル)とカルタギニエンシス(スペイン中南部)を、スエビ人はガラエキアの北西部を、それぞれ分捕った。
 このようなヴァンダル人らの動きに対して、ローマ帝国政府は即座に反応することができなかった。当時、本国のイタリア自体が、バルカン半島のゴート人によって脅かされていたからである。
 そもそも、ヴァンダル人たちがライン川の国境を突破できたのも、イタリア防衛のためにライン川の国境からローマ軍が大幅に引き上げられていたからであった。イタリアのためにガリアは犠牲になったのである。この処置を取ったのは、当時、政府の実権を握っていた将軍のスティリコであったが、スティリコの父親はヴァンダル人であった。
 ガリアに入ったヴァンダル人たちにさらに幸いしたのは、407年にブリテン島でコンスタンティヌス(3世)なる軍人が反乱を起こし、皇帝を称して、ガリアに乗り込んできたことであった。このためスティリコは、ヴァンダル人たちよりも、まずは簒奪(さんだつ)帝コンスタンティヌス3世を相手にしなければならない状況になったからである。
 結局、ローマ帝国の内乱は、彼らに大きく利することになったのである。結局、ヴァンダル人追討は遅れに遅れて、ローマ帝国政府が動き出すのは、416年になってからであった。
 スティリコに代わる実力者として411年に姿を現したコンスタンティウスは、簒奪者のコンスタンティヌス3世を倒すと、続いて先にガリアに入っていたゴート人に命じて、イベリア半島のヴァンダル人らを攻撃させたのである。ゴート人は、瞬く間にシリング系ヴァンダル人とアラン人に壊滅的打撃を与えた。ローマは、「夷を以て夷を制す」ことに成功した。
 しかし、ハスディング系のヴァンダル人は見逃された。コンスタンティウスは、ゴート人が圧勝することで彼らが過度に強大化するのを恐れていたのであろう。また同時に、ヴァンダル人に利用価値を見いだしていたのかもしれない。
 もともとローマ帝国は、帝国領内の異民族を兵力の供給源とみなし、その力を利用する政策を長年取ってきていたのである。しかし、この政策は裏目に出ることが多く、今回もヴァンダル人の勢力を温存させたことは、帝国にとって大きな災いの種となった。
 案の定、生き残ったハスディング系のヴァンダル人が、やがて南下を開始し、その王ガイセリックに率いられて、429年にジブラルタル海峡を渡ることになったからである。北アフリカに渡ったヴァンダル人の総数は8万人であったと伝えられる。
 ヴァンダル人が北アフリカに渡ることができたのも、ローマ帝国が内紛を起こしていたからであった。当時、北アフリカの支配権を握っていたのは将軍のボニファティウスであったが、ボニファティウスは、中央政府で実権を握る将軍アエティウスと対立していた。一説によれば、このボニファティウス自身が自らの勢力強化のためにヴァンダル人を呼び寄せたとされているのである。
 真相は定かではないが、いずれにしても、上陸したヴァンダル人は、アフリカの都カルタゴを目指して東進を開始した。ボニファティウスも遅まきながら攻撃を試みるが、敗退してイタリアに逃げ戻り、やがて439年にはカルタゴがヴァンダル人の手に落ちたのである。
 彼らが占拠した北アフリカは、ローマ帝国で最も豊かな地方であったのであり、この地方を奪われたことはローマ帝国にとって致命的な打撃となった。そして、ローマ帝国はその後40年もたたずに滅ぶことになる。
 ローマ帝国の滅亡の原因については、さまざまな説が出されているが、以上の事実から明らかなように、それにはローマ帝国の内紛が深く関わっていたのである。ガリアに入ったヴァンダル人が直ちに殲滅(せんめつ)されなかったのは、同じ時期にスティリコとコンスタンティヌス3世との対立があったからである。
 また、ヴァンダル人の北アフリカ渡航を許したのも、ボニファティウスとアエティウスの政争の故であった。結局、肝心なところで、ヴァンダル人に行動の自由を与えたのは、ローマ帝国自身であったのであり、この意味ではローマ帝国は自壊したといえるのである。
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 奥山真司(地政学者、戦略学者)
 現在はいわゆる「グローバル化」の時代であるが、それに大きく関係してくる移民・難民の受け入れ問題について書かせていただきたい。
 まず、先に結論だけいえば、移民や難民の受け入れが成功するかどうかは、歴史的に見ても「価値観や生活レベル、それに文化の違う人々をどこまで社会に溶け込ませることができるか」という点にかかっているということだ。
 「グローバル化」とは、国境を越えた「ヒト・モノ・カネ」の動きの活発化であるといわれている。「モノ」と「カネ」の動きは、自由貿易の促進という形で比較的受け入れやすいものと考えられているが、最も厄介なものが、「ヒト」の移動に関する移民や難民の問題である。
 本稿では、古代ローマ帝国と、その末裔(まつえい)である現代のドイツが直面している深刻な問題を振り返ることで、この厄介な移民・難民問題の核心を考えるための、いくつかのヒントを提供していきたい。
 古代ローマ帝国の崩壊というのは英国の歴史家、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をはじめとして、近代の欧州では実にさまざまな知識人たちが論じてきたテーマの一つである。その最大の要因の一つとして、次々に侵入してきた難民の処理を誤ったことにあるのは間違いない。
 もちろんローマ帝国自体は、当時から世界最大の多民族・多文化社会である。無数の移民を同化したり、他民族のいる場所を占領したりすることによって数世紀にわたって発展してきた国であった。端的にいえば、当時のローマは現在の欧米のように、移民や難民に寛大だったのである。
 だが、今から1700年ほど前の西暦300年ごろから、状況がおかしくなる。ユーラシア大陸の内部、中央アジアから移動してきたフン族の侵入により、東欧を支配していたゴート族をはじめとする部族たちが追い出され、「難民」としてローマ帝国との国境沿いに大量に集結したからである。その数は、当時としても驚異的な20万人にのぼるといわれている。
 それまでのローマ帝国であれば、異文化の「野蛮人たち」を同化させるために、その部族をまとまらせず、小集団に分割して抵抗してこないようにしてきた。いわゆる「分断統治」である。
 ところが、当時のローマ帝国皇帝のフラウィウス・ユリウス・ウァレンス(在位364-378年)に、このゴート族の一部であるテルヴィンギ族を分断するだけの兵力がなかった。しかも、皇帝ウァレンスには労働力や兵隊としてすぐにでも活用したいという意図があったことから、分断せずにまとまって住むことを許可したのである。ここで誕生したのが、いわゆる「難民キャンプ」である。
 しかし、ローマ帝国は、難民状態の「野蛮人」であるテルヴィンギ族に対し、食料の中抜きのような腐敗や汚職のせいで、保護が十分に行き渡らず、難民キャンプで暴動が発生する。この暴動を契機として、テルヴィンギ族は本格的な反乱を起こし、国境の外にいた西ゴート族たちと呼応しながら、ローマ帝国の内部で自治権を確立させることに成功した。
 そしてゴート族たちは、ついにローマ軍と現在のトルコ領内で行われた「ハドリアノポリスの戦い」(378年)に勝って、皇帝ウァレンスを殺害した。さらに、410年には「ローマ略奪」により、ローマはゴート族の手に落ちた。その後も東欧からやってくる部族たちの侵入が続き、ついに、ローマ帝国は決定的な崩壊を迎えることになる。
 この歴史から得られる教訓は、流入し続ける難民の扱いを間違えて同化に失敗すれば、それが確実に国家の生存に直結するような大きな政治問題へと発展する、ということである。
 もちろん、スケールの大きさは違えども、現代のローマ帝国の末裔であるドイツ連邦が、同じような形で移民・難民問題に悩まされ始めていることは、実に興味深い。例えば、最近のドイツで注目されているのは、移民・難民による女性暴行事件である。
 特に象徴的だったのが、6月6日に南西部のヴィースバーデンという都市で14歳の少女が暴行された上、殺害された事件である。難民申請中だったイラク人の容疑者は、事件2日後に高飛びしていた先の同国のクルド自治区で身柄を拘束された。
 その他にも、ここ1、2年で亡命希望者(asylum seekers)による性的犯罪が目立つ。実際のドイツ国内の犯罪率は全体的に減少しているのにもかかわらず、増加しているのである。とりわけ、このような難民や亡命希望者の男性による性的犯罪は、ドイツ国内で「中東系の男性に襲われるドイツの白人女性」というバイアス(偏り)の構図に拍車をかけ、実に悩ましい問題となっている。
 また、宗教的にも「イスラム教徒がキリスト教徒を襲う」という構図があるだけではない。欧州のリベラルな人々に対しても、「寛大な多元主義」を守るか、それとも「女性の人権」を守るかを迫っているという点で、強烈なジレンマを突きつけているともいえる。
 この問題に関しては、ドイツ与党でメルケル首相が率いるキリスト教民主同盟(CDU)の幹部、クレックナー食糧・農業相も、政府に対して、移民・難民の受け入れについて慎重にすべきだというトーンに変わってきている。メルケル氏の後継者の一人といわれるクレックナー氏ですら、有権者たちが直面する異文化との摩擦を目の当たりにして、政策転換を視野に入れ始めているのである。
 彼女が最近出版した本の中では、実際問題として、娘を遠足に行かせなかった移民や難民の両親や、女性教師と握手しなかった男親の存在などを挙げている。
 また、全体的に犯罪率は減っているとはいえ、バイエルン州では、2017年前期だけで性犯罪が50%上昇した。しかも、そのうち18%が移民や難民によるものという統計結果も出ている。ドイツは、全体的には「安全」になっているのかもしれないが、それがドイツ国民全体の「安心」にはつながっていないことがうかがえる。
 ここで、今ドイツで迫られている移民・難民に関する論点を整理すると、大きく二つの議論に分かれる。一つが「移民は国力になるし、難民受け入れは義務である」というものである。ドイツをはじめとする欧米の先進国による議論のエッセンスは、まさにこの言葉に集約されている。つまり、「経済」と「倫理・道徳」というリベラル的な観点から積極的に受け入れるべきだというものである。
 もう一つが「国境を開放してしまえば、ますます社会問題が深刻になる」という反対意見である。要するに「すでに生活している国民の安全を優先せよ」ということだ。だが、この主張をする人々は、とりわけ倫理・道徳面での話を無視していると感じられ、あまりいいイメージを持たれにくい。
 確かに、移民や難民問題において、日本とドイツ、さらにはローマ帝国までも比較することは無理な話である。だが、それでも、冒頭で記したように「価値観や生活レベル、それに文化の違う人々を、どこまで社会に溶け込ませることができるか」を真剣に考えなければならないのである。
 果たして、われわれはゴート族が侵入してくるまでのローマ帝国のように、外国から来る人々を上手に同化させることができるのだろうか。それとも、ドイツのように、移民や難民が増えて悩むことになるのだろうか。
 移民や難民の適応や同化を間違えれば、いったいどうなるのか。グローバル化している現代だからこそ、われわれも真剣に考えざるを得ないのかもしれない。
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 ローマ帝国はなぜ移民で滅んだのか
 政府が外国人労働者の受け入れ拡大を検討する関係閣僚会議を発足させた。これに伴い、法務省所管の入国管理局の庁格上げの議論も始まった。この流れは、どう考えても移民政策への布石だが、労働力不足という大義名分だけで安易に進めて大丈夫なのか。いま一度、ローマの歴史をひもとき、この議論を冷静に考えてみたい。
 三橋貴明経世論研究所所長)
 ローマ帝国は元々、一都市国家であったが、領域国家として勢力範囲を拡大していった。そして最盛期には地中海沿岸の全域に加え、ガリア(現フランス)、ブリタニアダキア(現ルーマニア)、アルメニアメソポタミアにまたがる大帝国を築き上げた。ローマ帝国が繁栄したのは、軍事力やインフラ整備(道路や水道など)に関する突出した技術力に加え、「ローマ市民権」を慎重に、同時に着実に拡大していったためである。市民権は、支配下に置いた部族や民族はもちろん、解放奴隷にまで与えられた。
 ローマに征服された属州民であっても、補助兵に志願し、ローマ「国家」のために尽くすことで、世襲ローマ市民権を手に入れることができた。当然ながら、ローマ軍には各属州からも優秀な人材が集まり、軍事力が強化されていく。ちなみに、五賢帝の一人として名高く、ダキアを征服したトラヤヌス帝はスペイン属州の出身である。
 ローマ帝国は、支配する領域を拡大し、被支配地の人々をすら「ローマ国家の一員」として育成することで繁栄した。ローマ軍に屈した地域では、族長の子弟がローマに留学し(人質という意味合いもあったのだろうが)、完全にローマ化された上で故郷へ戻された。いわゆるソフトパワーをも活用し、帝国の「統合」が推進されたのである。
 そういう意味で、ローマ帝国は最近までのアメリカに似ている。アメリカは「移民国家」ではあるものの、アメリカ国籍を取得したい移民は、アメリカ合衆国憲法への「忠誠の誓い」を果たさなければならない。あるいは、法律が定めた場合に「兵役」に従事することも求められる。さらには、「言語」についてもアメリカ英語が強制された(現在は、かなり緩んでしまっているが)。
 ローマ帝国の場合、支配領域が拡大したがゆえに「外国人」を「ローマに忠誠を誓う」ローマ市民に育成する必要があった。アメリカは、膨大な外国人が移民として流入するがゆえに、国籍取得に際し「アメリカ国家への忠誠」を求めたわけである。
 ローマ帝国にせよ、アメリカ合衆国にせよ「ナショナリズム国民意識)」を重視し、国家として繁栄した、あるいは繁栄しているわけである。
 世界最古の自然国家「日本国」の国民である我々にはピンとこないかもしれないが、外国人を自国に受け入れる場合、ナショナリズムを重視した同化政策が必須なのである。ローマの場合、ゲルマン系民族を受け入れる際など、複数の小規模なグループに分け、帝国各地に分散して住まわせるなどの工夫もなされた。「帝国の中に別の国」が出現し、ナショナリズムが壊れることを、可能な限り回避しようとしたのだ。
 さて、西暦375年、ユーラシア・ステップの遊牧民フン族の脅威を受けたゲルマン系の西ゴート族約20万人が、ドナウ川の対岸からローマ帝国への亡命を求めてきた。当時のヴァレンス帝は、西ゴート族が好みの場所にまとまって居住することを許可してしまった。ローマ帝国の中に「別の国」ができてしまったわけである。
 さらに、当時のローマ帝国ドナウ川を越えてきた難民たちを杜撰(ずさん)に扱い、食料すら十分に供給されなかった。結果、ゴート族の難民が蜂起し、同族を次々にドナウ川の向こうから呼び寄せ、ゴート系のローマ軍の兵士たちまでが呼応し、大反乱に至ってしまった。
 鎮圧に向かったヴァレンス帝は、378年にアドリアノープルにおけるゴート反乱軍との決戦で戦死してしまう。その後、ゴート族はローマ帝国内部における「自治権」を確立。ローマ市民ではない人々の「別の国」を認めた結果、ローマ帝国(厳密には西ローマ帝国)は滅亡への道を歩んでいくことになる。
 さて、2018年。日本は少子高齢化に端を発する生産年齢人口対総人口比率の低下を受け、人手不足が深刻化していっている。何しろ、人口の瘤(こぶ)の世代が続々と現役を退いている反対側で、彼らを埋めるだけの若者は労働市場に入ってこない。現在の日本の人手不足は必然であり、しかも長期に継続する。
 日本の人手不足を受け、経済界を中心に、「人手不足を外国人労働者で埋めよう」という、国民国家、あるいは資本主義国として明らかに間違った声があふれ、安倍政権が続々と日本の労働市場を外国人に「開放」していっている。2017年時点で日本における外国人雇用者数は130万人に迫った。
 驚かれる読者が多いだろうが、データがそろっている2015年時点で、我が国はドイツ、アメリカ、イギリスに次ぐ、世界第4位の移民受入大国なのである。216年以降、ブレグジットの影響で、イギリスへの移民流入が減少している。2016年、あるいは2017年には、我が国が世界第3位の移民受け入れ大国になっている可能性が高い。
 人手不足ならば、生産性を高める。具体的には、設備や技術に投資し、「今いる従業員」一人当たりの生産量を高め、人手不足を解消しなければならない。生産性向上で経済を成長させるモデルこそが、資本主義なのだ。
 すなわち、現在の日本の人手不足は、まさに経済成長の絶好のチャンスなのである。逆に、人手不足を「外国人労働者」で埋めてしまうと、生産性向上の必要性がなくなってしまう。安倍政権の移民受入政策は、日本の経済成長の芽を潰す。
 その上、安倍政権は2025年までに外国人労働者50万人増を目指す方針を示しているわけだから、あきれ返るしかない。
 経済成長に対するネガティブなインパクトに加え、安倍政権の移民受入政策は、日本国民の「ナショナリズム」を破壊することになる。例えば、日本で暮らす外国人が、我々と同じように「皇統」に対する畏敬の念を持ち得るだろうか。ありえない。
 日本国は、世界屈指の自然災害大国である。自然災害が発生した際には、国民同士で助け合うという意味におけるナショナリズムが必須だ。被災者を助けてくれるのは、別の地域に暮らす日本国民だ。
 「困ったときはお互い様」という「ナショナリズム」なしでは、人間は日本列島で生きていくことはできない。2011年3月、東日本大震災が発生し、福島第一原発の事故が起きた際、東京のコンビニから外国人店員が消えた。多くの外国人が、原発事故を受けて帰国したようだ。筆者にしても、例えば韓国で働いていたとして、原発事故が起きたならば即刻、帰国するだろう。筆者の心の中に「韓国と心中する」などという気持ちは皆無だ。
 日本にいる、あるいは「移民」として来日する外国人たちも同じなのである。我々は外国人と「日本国のナショナリズム」を共有することはできない。ローマ帝国は「国の中の別の国」を認め、「市民権」というナショナリズムが崩れたと同時に、亡国に向かい始めた。
 そして現代、安倍政権は移民受入により、「安く働く労働者」と引き換えに、日本の経済成長を妨害し、かつ自然災害大国である日本には不可欠なナショナリズムを壊そうとしている。移民受入を推進する以上、安倍政権は「亡国の政権」以外のなにものでもないのだ。
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