🔯21」─1─人類初の戦争とは?約1万5,000 年前の旧石器人、スーダンのヌビア砂漠。~No.65No.66No.67 

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 早稲田の学問人類初の戦争とは?
 早稲田の学問
 プロローグ:歴史の変化を読む③ 前編 個人間の争いから集団間の争いへ
 文学学術院 教授 高橋 龍三郎(たかはし・りゅうざぶろう)
 1953年、長野県生まれ。1986年早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。近畿大学助教授などを経て、現職。現在、先史考古学研究所所長も務める。専門は先史考古学。主な著書に『縄文文化研究の最前線』(早稲田大学オンデマンド出版シリーズ)、『村落と社会の考古学』(朝倉書店)などがある。
 人間はいつから戦争を始めたのか
 世界各地で繰り返される凄惨(せいさん)な戦争を憎む人は多いと思いますが、戦争の根源や歴史的変遷を知る人は案外少ないのではないでしょうか。
 戦争は、人類学的な定義に従うと「武力(武器)を伴った集団間の戦い」ということになります。歴史学や考古学で扱う戦争はもう少し限定的です。敵対する大規模な集団が、互いの戦力を徹底的に破壊しようとする行為を戦争と捉え、その政治経済的原因として時代背景や歴史的要因の解明を目指します。
 現在のところ歴史上で最も古い戦争の跡とされているのが、スーダンのヌビア砂漠にある「ジャバル= サハバ117 遺跡」です。ここから見つかった約1 万5,000 年前の旧石器人骨は武器で殺傷されたもので、しかもその数はおびただしいものでした。穀物の生産も家畜の飼育もまだ始まっていない旧石器時代に戦争の可能性が示されたことは、余剰生産物がもたらす富の偏在と分配を戦争の原因と考える従来の戦争史観に対する大きな反証でした。
 日本では、戦争の起源をめぐって縄文時代弥生時代かで学者の間で意見が割れておりますが、弥生時代に戦争をしていたことはほぼ間違いないといえます。その最たる証拠が殺傷人骨と高地性集落跡の存在です。弥生人は小高い山の上にムラを築くことで、敵の来襲を防いだのではないでしょうか。また、縄文時代に比べて殺傷能力の高い大型の石鏃(せきぞく、石製のやじり)や金属製武器が多く出土していることも、弥生時代の戦争を証拠立てるものです。
 そもそも、武器が武器として最初から存在したとは考えにくく、縄文時代に使われた狩猟のための弓矢や槍(やり)が戦闘に転用されたとみる方が自然でしょう。実際、縄文時代の「高根木戸遺跡」(千葉県・船橋市)からは腕に突き刺さった石鏃(せきぞく)が致命傷になったと考えられる人骨が出土するなど、戦闘の証拠となる事例が複数知られています。戦闘の連続性・継続性があるか疑問が残りますが、狩猟採集社会でも戦争があったことは疑いないと思います。しかし、それは政治経済的な角逐が原因だったのでしょうか。
 戦争はなぜ起こり、大きくなっていくのか
 現代社会に近づくにつれ、戦争における対立の構図は複雑化していきます。それは戦争の要因が増えて複雑化することを意味しています。では、その原因を根源にまでさかのぼると何が見えてくるのでしょうか。
 私は、パプアニューギニアにおいて民族考古学的調査を行っています。パプアニューギニアでは、部族ごとに行われる実にさまざまな儀礼を調べました。その代表的なものが「成人儀礼」です。セピック川中流域に住むイアトムル族の場合、少年の体に一生残るワニのうろこを模した瘢痕(はんこん)を施します。彼らがワニに対して共通の祖先観念を持ち、強い同胞意識の連帯で結ばれる部族であることも原因となって、彼らは強い団結力を持ちます。もし個人間の争いが起これば、やがて部族間の戦争に発展していきます。例えば「息子が見下された」「女房に色目を使った」といったごくたわいないもめごとも、最終的に相手を壊滅させる部族間の戦争にまで発展しかねないのです。調停機構が社会に備わっていないことが要因です。現に、パプアニューギニアの民族史をひもとくと、第二次大戦前まで弓矢と槍(やり)を使った攻撃で4~5 人の死者が出るのは日常的なことで、それに対するリベンジも日常のことでした。
 実は、こうした歯止めのない、集団による血讐(けっしゅう)は人間以外の動物には見られないことなのです。それでは、戦争は人間の本能に根差すものなのでしょうか。私の考察はその逆で、社会組織や宗教生活の存在なしに戦争は起こらないし、戦争は決して恒常的制度ではなく、戦争の要因が日常的に存在しているに過ぎないと考えています。
>>> 後編へ続く(5月20日掲載予定)
(『新鐘』No.82掲載記事より)
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 プロローグ:歴史の変化を読む③ 後編 個人間の争いから集団間の争いへ
 文学学術院 教授 高橋 龍三郎(たかはし・りゅうざぶろう)
 1953年、長野県生まれ。1986年早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。近畿大学助教授などを経て、現職。現在、先史考古学研究所所長も務める。専門は先史考古学。主な著書に『縄文文化研究の最前線』(早稲田大学オンデマンド出版シリーズ)、『村落と社会の考古学』(朝倉書店)などがある。
 >>プロローグ:歴史の変化を読む③前編はこちら
 戦争はなぜ起こり、大きくなっていくのか
 未開社会には武器を伴わない戦争があります。それは、「スピリットウォー(呪詛(じゅそ)」と呼ばれる戦争です。彼らは身内の不幸や災厄は敵の呪詛によるものだと真剣に考えており、相手の髪の毛やたばこの吸い殻を呪詛する相手に見立てて、「作物が不作に終わるように」「壊滅するように」といった非常に生々しいことを祈ります。呪詛が日常的に行われ、それが原因で戦争に発展することもあります。その中から、戦後処理の取引関係を築くことで台頭するビッグマンが現れ、近隣の部族のビッグマンと交渉して部族の利益を誘導するのです。部族社会は平等な社会だったと長らく考えられてきましたが、そんなことはありません。強い霊性を背景にビッグマンというリーダーが登場する過程にある社会で、たくみに戦争を利用して政治経済的な役割を果たすようになります。
 人の心から起こる戦争、未然に防ぐには
 未開社会では「霊」や「カミ」はしばしば集団の組織化の根拠となります。しかし、国家段階になると「神」の観念が代わって登場します。英国の人類学者A.M.ホカートの著した『王権』に次のような一節があります。‘’神なくして国家なし、国家なくして神はなし” クラン(氏族)に分かれて群雄割拠していた状態から国家形成の過渡期になると絶対的な求心力や支配力に成り得る、神というシンボルを人々、特にエリート層は求めたのではないでしょうか。覇権には「強い神」が必要なのです。例えば、古事記日本書紀において天照大神は秩序と良俗の守護神、弟のスサノオの命は乱暴者という構図で描かれていますが、一説によると天照大神の前身はたたり神、怨霊だったといわれています。8世紀に編纂(へんさん)された『記紀』にみる、日本を生んだ天照大神の美しく善良な文脈は、国家形成が進む中で政治的に作り上げられ変質していった可能性も十分に考えられます。神そのものが変質するわけです。
 私たちは戦争について、政治経済的利害が原因で敵味方に分かれるものと考えがちです。しかし、未開社会の戦争を知れば、それが戦争を生んだわけではないことは明らかです。戦争が親族意識や宗教意識の違いから生まれ、人々の氏族的エトスによって主導されてきたものだとすれば、仲間の枠組一つで社会は好戦的、平和的のどちらにも変わるはずです。
 最後に一つ、極北のイヌイット社会におけるユニークな風習を紹介しましょう。村でもめごとが起こると、人々はニス歌と呼ばれる辱しめの歌を歌います。ニス歌とは、当事者の仲間が騒動のてんまつを面白おかしく揶揄(やゆ)する歌を発表し、聴衆の笑いと拍手で事態を収束するというもの。一見するとけんかをたきつけるような行動に思えますが、現にこれが良い緩衝剤になって争いの拡大を防いでいるのです。未開社会の知恵なのでしょう。民族考古学的調査を通じて、世界的・歴史的横断をしながらこうした例を見ていく中に、平和な世界をつくるヒントを見つけられるかもしれません。文明には文明の知恵があるはずです。
 (『新鐘』No.82掲載記事より)
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