🐒4」ー1ー残虐なモンスター中国を育ててしまった日本。中国共産党政府は永楽帝の明王朝に酷似している。~No.7No.8No.9 

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 日中国交半世紀の裏歴史。
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 2022年10月3日 MicrosoftNews JBpress「日中国交半世紀の裏歴史、モンスター中国を育ててしまった日本の「莫大援助」
日本戦略研究フォーラム
 © JBpress 提供 都内のホテルで開催された日中国交正常化50周年の記念レセプション(資料写真、2022年9月29日、写真:AP/アフロ)
 (古森 義久:日本戦略研究フォーラム顧問、産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)
 9月29日は50年前に日本と中国が国交を樹立した記念日だった。日中国交正常化という言葉が日本政府の公式用語して使われるが、1972年までは日本は台湾の中華民国を中国全体の代表とみなして国交を保っていた。その状態が正常ではなかったのか。いちがいに断定はできまい。
 さて中華人民共和国との半世紀の国交が日本にとってなにを意味するのか。全体図を俯瞰するには好機だろう。日本の対中政策はなにが特徴だったのか。その政策は正しかったのか。現状を熟視しながら自省をすべき機会だろう。
 日本からのODAで富国強兵を推進
 では日本のこれまでの中国に対する政策の特徴とはなんだったのか。それは巨額の経済援助である。
 戦後の日本の対外関係でも中国に与えた援助の金額は記録破りである。日本政府は1979年から2018年までODA(政府開発援助)総額3兆6000億円を供与した。そのうえに同じ趣旨の中国への経済援助として「資源ローン」という名目の資金を総額3兆数千億円を与えた。日本から中国への援助総額は実際には約7兆円という巨大な金額だったのだ。この資金はすべて日本政府の公的資金、つまり日本国民の税金が基盤である。
 日本のODAは中国の国家の骨組み建設への正面からの貢献となった。すべて中国側からの要請で選ばれた経済開発のインフラ建設に大部分が投入された。鉄道、高速道路、空港、港湾、通信網などの建設だった。中国全土の鉄道の電化の40%、港湾施設の15%が日本のODA資金で建設された。他の諸国がこの種のインフラ建設にはまったく援助を出さなかったことを考えると、驚嘆すべき中国政府への貢献だった。中国側の民間の貧困救済や人道支援などに投入される部分というのはほとんどゼロだった。中国共産党政権の富国強兵の国是をまともに推進する結果となったのである。
 このODAは日本側が当初、目標に掲げた日中友好の促進にはつながらなかった。中国政府が日本からの援助を国民に知らせなかったのだ。中国側の民主主義の促進にも寄与しなかった。共産党一党独裁政権の鉄のような支配はこの半世紀、変わらず、むしろ強化されたといえる。
 軍事用途を念頭においてインフラ建設
 だがこの対中ODAの最大の問題的はその援助が中国の軍事能力の増強に寄与した点である。その実態を伝えよう。
 第一には日本のODA資金が中国政府に軍事費増加への余裕を与えたことである。
 中国政府が非軍事の経済開発に不可欠とみなす資金が多ければ、軍事費には制約が出てくる。だがその経済開発に日本からの援助をあてれば、軍事に回せる資金は増える。ごく単純な計算である。たとえば中国の公式発表の国防費は1981年は167億元、日本円で約2600億円だった。この金額は1980年代から90年代にかけての日本の対中ODA・1年分に等しかった。だから日本のODAが中国の国防費を補っていたといえるのだ。
 第二には日本のODAで築かれたインフラ施設が中国軍の軍事能力の強化に間接に寄与したことである。
 日本の対中援助で建設された鉄道、高速道路、空港、港湾、通信網などのインフラ施設は軍事的な効用を発揮する。人民解放軍総後勤部(補給や輸送を担当)の楊澄宇参謀長は1998年に『地域戦争のための兵站支援』という論文でこう述べていた。
 《戦時には鉄道、自動車道、地下交通路を使っての軍需物資や兵員を運ぶ総合的システムが必要となる》
 まさに戦争遂行能力の向上には日本のODAの主対象のインフラ建設が不可欠だというのだった。
 1999年はじめに人民解放軍系の『中国国防報』に載った「高速道路も国防の実力」という大論文はもっと直截だった。南京・上海間の高速道路について《戦争が起きたらどれほど大きな役割を果たすかと感嘆した》と書き出す同論文は、中国の高速道路が(1)軍事基地や軍事空港との連結、(2)砲弾やミサイルの被弾への強度、(3)軍事管理への即時切り替え、(4)軍用機の滑走路や軍用ヘリ発着場への即時転用──という要因を重視して設計される、と述べていた。
 この高速道路の建設に貢献したのが日本のODAだったのだ。日本は1999年までに中国の高速道路建設に2500億円を提供し、延べ2000キロ12本を開通させていた。
 台湾攻撃能力も増強
 第三には日本のODAの一部は直接に中国側の軍事力強化に投入されていた。
 日本のODA30億円で蘭州からチベットのラサまで建設された3000キロの光ファイバーケーブルの敷設は、すべて人民解放軍部隊によって実施され、その後の利用も軍優先だった。
 中国西南部軍事産業の重要地域として有名な貴州省には、ODA資金約700億円が供与された。鉄道、道路、電話網など、ほとんどがインフラ建設だった。貴州省には戦闘機製造工場はじめ軍用電子機器工場群や兵器資材を生産するアルミニウム工場や製鉄所があった。その軍事産業インフラへの日本の資金投入は当然、中国側からすればほとんどが軍事的寄与だった。
  日本のODAが中国軍の台湾攻撃能力を増強させたという指摘もあった。なんと私はそのことを1997年に当時の台湾の総統だった李登輝氏から直接伝えられた。台北での単独インタビューの場だった。
 李登輝氏は次のような趣旨を切々と語ったのだった。
 《日本政府が中国に援助をすることはわかるが、福建省の鉄道建設強化へのODA供与だけはやめてほしい。福建省の鉄道網強化やミサイルへ兵隊の運搬を円滑にして、台湾への攻撃能力を高めるからです。
 当時も現在も中国軍は台湾に近い福建省内に部隊とミサイル群を集中的に配備しています。明らかにいざという際の台湾攻撃のための大規模な配備です。そうした軍事態勢では兵器や軍隊を敏速に動かす鉄道は不可欠であり、軍事態勢の一部だといえます。日本政府は1993年にその福建省の鉄道建設に67億円の援助を出していたのです》
 日本政府は本来、「ODA大綱」に従えば、この種の軍事寄与につながるODAは出してはならなかったのである。日本政府自身がODA供与の指針とした「ODA大綱」は日本のODAの「軍事用途への回避」を明記していたからだ。とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」することを義務づけていた。だが対中ODAはこのあたりの規定にすべて違反していたことになる。
 モンスターの成長に貢献してしまった日本
 その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となった。軍事力をテコに日本の尖閣諸島を奪取しようとする行動をみても、いまの中国は国際モンスターだといえる。この日中国交樹立50周年の記念日当日にも中国の武装艦艇は尖閣沖の日本領海に侵入してきたのである。
 日本政府は対中ODAという手段でそんな覇権志向の軍事大国の出現に寄与したのだ。自分をも襲うことになるモンスターの成長にせっせせっせと公的資金を与え、強くすることに貢献してしまったのである。
 日本の外交政策の大失態だと言えよう。日中国交樹立50周年のこの機に改めての反省、自省が欠かせないだろう。
 [筆者プロフィール] 古森 義久(こもり・よしひさ)
 1963年、慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1981年、米国カーネギー財団国際平和研究所上級研究員。1983年、毎日新聞東京本社政治編集委員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。
 著書に、『危うし!日本の命運』『憲法が日本を亡ぼす』『なにがおかしいのか?朝日新聞』『米中対決の真実』『2014年の「米中」を読む(共著)』(海竜社)、『モンスターと化した韓国の奈落』『朝日新聞は日本の「宝」である』『オバマ大統領と日本の沈没』『自滅する中国 反撃する日本(共著)』(ビジネス社)、『いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ』(幻冬舎新書)、『「無法」中国との戦い方』『「中国の正体」を暴く』(小学館101新書)、『中・韓「反日ロビー」の実像』『迫りくる「米中新冷戦」』『トランプは中国の膨張を許さない!』(PHP 研究所)等多数。
◎本稿は、「日本戦略研究フォーラム(JFSS)」ウェブサイトに掲載された記事を転載したものです。
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 10月8日 MicrosoftNews 文春オンライン「「一族ばかりか門弟まで含めて873人が処刑された」権力のためなら投獄・虐殺さえいとわない“中国のリーダー”たちの暴虐
 城山 英巳
 教師たちに「糞便や虫を食べさせ、電気ショックを与え、割れたガラスの上にひざまずかせ…」元紅衛兵が明かした「中国・文化大革命」の狂気 から続く
 「真実は、死をかけても、正しく記録されるべきだ。記録されたものが、歴史を編集するときの資料となる。まちがった記録は、歴史をまげることにほかならない」
 作家の陳舜臣氏が雑誌『文藝春秋』に綴った中国のリーダーたちによる「言論弾圧の歴史」とは? 同誌のバックナンバーをもとに「中国と日本の100年間の歴史」について解説した城山英巳氏の新刊『 日中百年戦争 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
 ©iStock.com© 文春オンライン 中国はなぜ歴史を歪めるのか? ©iStock.com
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 今の学生は知らない「流血」の事実
 習近平は2021年11月11日、建国以来「第3の歴史決議」を採択した共産党第19期中央委員会第6回全体会議(六中全会)で講話し、民主化運動を武力弾圧した1989年6月4日の天安門事件(六四)についてこう総括した。
 「党と国家の生死の存亡を懸けた闘争に打ち勝ち、西側国家のいわゆる“制裁”圧力に耐えた」(共産党理論誌『求是』2022年第1期)
 この習近平の認識に基づけば、「六四」は習にとっても、現在の中国共産党にとっても「勝利の歴史」のはずである。それではなぜ、天安門事件は今も共産党にとって最大のタブーであり、メディアで公に語られることはなく、国内でネット検索しても表示されないのだろうか。SNSで発信しても削除され、民間人が記念集会を開けば、警察に連行され、投獄されることもある。教育現場で語られることも皆無だ。
 中国人の若い学生に聞くと、「大学3年まで知らなかった」「天安門事件の真相を知って死ぬほど驚いただけでなく、騙された感じがして悲しかった」「『知らなくて大丈夫だよ』ではなく、『知らない方がいい』という印象が強い」という。
 筆者が通信社の特派員として最初に北京に駐在した2000年代前半、共産党がまさか「六四」を歴史から抹殺しようと本気で考えているなんて思いも寄らなかったが、2回目の北京駐在の際、本気だと分かった。
 2014年、25年前の民主化運動に参加した著名な改革派知識人たちが「六四」の事実と記憶を引き継ぐため内輪の研究会を開いた直後、相次ぎ連行された。習近平がトップに就いて「歴史抹殺」は加速する。
 元号まで抹消した明代
 天安門事件直後、流血の惨事が歴史から消されかねないと予言したのが、『阿片戦争』『諸葛孔明』など中国の歴史をテーマにした作品で知られる作家陳舜臣。祖父の代に台湾から移住した陳は神戸生まれ。中華人民共和国籍だったが、天安門事件に憤り翌90年に日本国籍を取得した。
 「真実は、死をかけても、正しく記録されるべきだ。記録されたものが、歴史を編集するときの資料となる。まちがった記録は、歴史をまげることにほかならない」
 「1989年6月4日は、正確に記録されなければならない。幸い現代では、ペンのほかに映像が記録の有力な武器となっている」
 「権力をもつ側が、このような歴史の歪曲を試みるものだが、いまはそれが通用しなくなっている。きびしい規制を受けたとはいえ、天安門惨事の報道は、それをはっきりと示したといえよう」
 陳は言論弾圧に関する中国史の事例を複数紹介しているが、ここで取り上げるのは明王朝(1368~1644年)の第3代皇帝永楽帝のケース。明朝創始者洪武帝朱元璋)が死んだ際、皇太子は既に亡く、皇位を継承したのは皇太子の次男で、これが第2代の建文帝である。
 だが、これに不満だった洪武帝の四男は建文帝を殺し、自分が永楽帝として即位した。永楽帝は「建文」時代の4年間を抹殺するため、31年で終わった「洪武」時代が35年続いたことにした。陳舜臣は記す。
 「あらゆる記録から建文という元号を抹消したのである。建文が即位したという事実まで抹消してしまった。この歴史歪曲に反対した方孝孺(ほう・こうじゅ)たち知識人が大量に殺されたのである」
 習近平の治世と似ていないか……
 思想家の方孝孺は「燕賊位を簒う」(逆賊の燕王=後の永楽帝=が皇帝位を奪った)と批判した結果、一族ばかりか門弟まで含めて873人が処刑された。「建文」という元号の存在が認められたのは193年後の1595年になってからだが、建文帝即位までは認められなかった。それが認められたのは明が滅びて92年後の清の乾隆元年(1736年)で、死後330余年もたってからだ、と陳は書く。
 「中国歴代王朝のなかで、士気が最も振わなかったのは明王朝である。明代にはなんどか歴史の歪曲がおこなわれ、そのたびに知識人にたいする弾圧があった」
 こう記す陳舜臣は、明末の宦官、魏忠賢の恐怖政治に触れる。魏は秘密警察を駆使して反対者を弾圧した。当時の皇帝が死ぬと魏は逮捕され、縊死したが、新帝は、屍をはりつけにするよう命じた。明王朝滅亡はその17年後だ。
 永楽帝は、鄭和に命じた南海大遠征、5度のモンゴル親征、安南(ベトナム)出兵などを通じて、「中華」の対外拡張を推進した。明朝の時代は、現在の共産党政権、特に今の習近平の治世と似ていないか。
 歴史の歪曲・抹殺と知識人への言論弾圧――。
 陳舜臣は、勃興しては崩壊した中国王朝史の視点で天安門事件を観察し、懸念が現実となった33年後の今に警告を発しているかのようだ。
 「このたびの流血に、私は多くのことを、歴史に照らし合わせておもった。
 公認記録による歴史の歪曲は、勇気ある記述者と人びとの記憶によって粉砕されることを考えた。建文の4年は、同じ王朝代に回復されている。映像時代になっても、書かれた記録とおなじで、糊と鋏で、でっちあげることも可能であろう。だが、真実は〔作家の〕魯迅のいうように消せないものなのだ」
 (城山 英巳/文春新書)」
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