☭17」─1─世界を震撼させたウクライナ市民の虐殺 第一次世界大戦まで遡るロシア軍兵士「残虐性」の思想。~No.50No.51No.52 ⑬ 

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 ロシア人兵士による残虐行為は昔から行われていて、日本人は目の当たりにしていた。
 その代表例が、義和団事件による北京占領地での虐殺行為とアムール川虐殺事件である。
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 日本は、江戸時代後期からロシアの軍事侵略に恐怖して、明治維新を行い、平和的外交戦略一派を暴力で排除して、天皇と母国をロシア軍から守るべく、国民生活を犠牲にして軍国主義政策を強行し強力な軍隊をつくった。
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 2022年5月7日 MicrosoftNews AERA dot.「世界を震撼させたウクライナ市民の虐殺 第一次世界大戦まで遡るロシア軍兵士「残虐性」の思想
 © AERA dot. 提供 プーチン氏(gettyimages)
 街のいたるところに横たわる市民の遺体や集団墓地。ウクライナに侵攻したロシア軍の残虐行為は世界に強い衝撃を与えた。これまでの戦争や侵略でも民間人が戦闘に巻き込まれて亡くなったケースはあった。しかし、それと今回ウクライナで起こったことは明らかに異なる。ロシア軍は非戦闘員を虐殺し、しかもおぞましい方法で処刑した例がいくつも見つかった。なぜ、ロシア軍は民間人の殺りくをいとわないのか。現代ロシア史が専門の東京大学大学院人文社会系研究科の池田嘉郎准教授に聞いた。
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 池田准教授は、「ロシア人が民族的に暴虐とは思いません」としたうえで、こう語る。
 「戦争に起因する残虐性を抑えるような仕組みがロシア軍には十分にないといえます。むしろ、占領地で敵を排除するにはどんな手段を使ってもいいという非人道的な意識が感じられます」
 それはロシアに限ったことではなく、かつて欧州諸国も同様なことを行ってきたという。
「しかし、人権意識が社会に浸透し、交戦規定が徹底されるようになった現代の戦争では、民間人を殺傷することは処罰の対象となる行為です。ところが、ロシア軍の兵士の間には第一次世界大戦のころの『占領地の住民は敵だ』という思想がいまだ生き続けているように見えます。それが今回の虐殺の原因の一つと推察します」
■自国民にも向けられた銃
 18世紀末まで、欧州での戦争は国の支配者である君主たちの争いだった。軍を率いるのは貴族で、兵士として駆り出された農民が敵国の住民に対して憎しみを抱く理由はなかった。戦いは互いの軍隊がぶつかり合う会戦で決着がつけられた。戦争はあくまでも軍人たちが前線で戦うものであり、基本的に民間人は関係がなかった。
 その後、フランス革命(1789–1804)で国民全体が国防にあたるという発想が登場し、19世紀半ばまでにヨーロッパに広まっていった。
 「民間人を戦闘に巻き込まないという風潮が明確に変わってきたのはドイツ(プロイセン)とフランスが戦った普仏戦争(1870~71年)あたりです。単なる軍人たちの戦いから国民対国民の戦争、つまり『総力戦』へと変わっていきました」
 背景にあったのは産業革命だ。工業化社会が成立すると、身分制社会が崩れ、「国民国家」化が進んだ。
 「『国民』という概念ができてくると、戦争に勝つか負けるかが『自分たちの国』の運命だけでなく、それが家族や自分自身の運命をも左右するという意識が芽生えました。普仏戦争ではドイツ軍が進撃すると、フランスの軍人だけでなく、民間人も抵抗した。すると、占領地の住民は信用できない、という考えが生まれた。総力戦ではお互いの国民が憎悪し合っていますから、もう二度と立ち上がれないように、徹底的に叩き潰すようになったのです」
 それが全面的に展開したのが第一次世界大戦だった。しかも占領地の住民だけではなく、自国民に対しても銃が向けられた。
 「例えばロシアは、東部戦線ではドイツとオーストリアを相手に戦ったわけですが、ロシア領内の国境付近にはポーランド系やユダヤ系の人々が多く住む地域があった。自国民であっても、いざ戦争が始まればドイツ側に寝返るかもしれないという恐怖心が支配者にはありましたから、先手を打って敵対する可能性のある住民を前線から遠い地域に根こそぎ強制移住した。反抗したらその場で銃殺したりした」
■国家が「敵」とみなした国民
 ドイツやその他の参戦国も多かれ少なかれ同様のことを行った。しかし、戦争が終わると、植民地支配下を除き、自国市民に銃を向けるような態度は改められた。
 「ところが、ロシアや旧ソ連の場合、敵はすべてせん滅しなければならないとか、住民も監視しなければならないとか、総力戦に由来する思想が第一次世界大戦後も支配層に残り、恒常化してしまった」
 第一次世界大戦のさなか、ロシアで革命が起こった。共産党が権力を握り、のちのソ連につながる体制を樹立すると、独裁体制を確立していった。
 「旧ソ連では、選挙で指導者が選ばれることがなかったので、国民から説明責任が求められたり任期を終えたら交代したりするシステムができませんでした。そこでは常に支配者側と住民が潜在的に対立関係にあった。国家は国民を潜在的な敵とみなし、取り締まった。人々の間にスパイを送り込み、監視する体制がつくられた。当局の人権意識は薄く、恣意的に市民を逮捕したのです」
 ※記事後編<<許されざるロシア軍の暴虐に、国家による市民や兵士「命の軽視」の歴史 専門家の懸念>>に続く
 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)」
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