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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
最新軍事技術である電信・インターネットなどの通信技術や情報網を支配する者が世界を支配する。
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日露戦争の勝利は、日本軍が電信・通信を積極的に軍事情報網として応用したからである。
日本海軍が、日本海海戦でバルチック艦隊を撃退できたのは軍事的電信技術のお陰であった。
現代日本、現代日本人には、昔の日本人に比べて軍事科学技術に対する理解能力は極めて乏しいか、ない。
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2021年5月15日 MicrosoftNews JBpress「大英帝国の繁栄を支えたのは「海底ケーブル」による電信網だった
玉木 俊明
© JBpress 提供 1948年、チェコスロバキアの通信社でモールス信号によって送信されてきたニュースを受信する従業員(写真:CTK Photobank/アフロ)
© JBpress 提供 ドイツに現存するシャップの腕木通信塔(ドイツ語版ウィキペディアのLokilechさん, CC BY-SA 3.0 , ウィキメディア・コモンズ経由で)
© JBpress 提供 『16世紀「世界史」のはじまり』(玉木俊明著、文春新書)
中国・春秋時代の兵法書『孫子』の中に「彼を知り己を知れば百戦殆からず」という有名な一説があります。
この格言にもあるように、あらゆる勝負事で勝とうと思うのなら、味方の戦力を把握し、その上で相手の戦力について正確な情報を素早く入手することが必須になります。特に、相手がどのようの行動に出るのかが事前にわかれば、勝利はぐっと近づきます。
18世紀末から19世紀初頭にヨーロッパじゅうで戦争をし、次々と勝利を収めていったナポレオンも、その栄光の陰には独自の情報網のネットワークがあったのです。それを支えた技術が「腕木通信」です。
手旗信号の原理で脅威の通信網
腕木通信とは、1793年、フランスの発明家クロード・シャップによって考案された通信手段です。
原理的には手旗信号と同じものです。あらかじめ一定間隔ごと(10~15キロ程度)に有人の通信塔を設置します。そして通信塔の屋根に建てた可動式の三本の大きな棒を自在に操り、その棒が作る形によって通信内容を表します。その通信情報は遠く離れた次の通信塔で待機していた係員が望遠鏡を使って読み取ります。そして同じ内容を、やはり棒を操作して表すのです。同じことが次から次へと行われる、いわばバケツリレー式のシステムです。通信塔をどんどん設置すれば、そのぶんだけ情報通信の距離を延長することができます。フランスでは最盛期にこの通信網の総延長距離は4000キロとも5000キロだったとも言われています。
自ら武器として誇った通信網に監視されたナポレオン
腕木通信を研究したノンフィクション作家の中野明氏によれば、ナポレオン軍が強かった理由の一つに、このような情報通信技術が発達していたことがあったといいます。中野氏の著書『腕木通信 ナポレオンが見たインターネットの夜明け』(朝日選書、2003年)には、ナポレオンは手旗信号を使って最前線での情報を最寄りの腕木通信塔まで送信させ、さらにその情報を腕木通信で次々と伝送させていたことが記されています。これによって正確な戦況をより早く得ることが出来たナポレオンは、効果的に軍隊を動かし、他国を圧倒することが出来たのです。
ところが、そのナポレオンも戦争に負けると、1814年に皇帝から退位させられ、エルバ島に流されてしまいます。彼は翌年この島からの脱出に成功するのですが、皮肉にもその情報は、腕木通信によりフランス政府に届けられていました。
それでも一時的に復位したナポレオンでしたが、ワーテルローの戦いでイギリス・プロイセンの連合軍に敗れてしまい、今度はセント・ヘレナ島に流されます。ナポレオンはこの島で亡くなりますが、ここでも彼の行動は、腕木通信により監視されたのです。
このように腕木通信はすぐれた通信伝達システムでした。ただし技術的な問題もありました。例えば、天候が悪いと棒の動きが読めなくなり、正確な情報が伝えられなくなります。
腕木通信の弱点
腕木通信についてもう少し説明しましょう。腕木通信は、フランス以外のヨーロッパ諸国でも採用さるようになりました。イギリスにおいては、主として腕木通信用の基地が、3.3〜12.5マイル(約5〜20キロメートル)間隔で設置されました。システム自体は、通常は非常によく働いたようで、信号が一日中停止することはほとんどなかったそうです。通信は、概して、数分間で全基地の連鎖を通して伝達されたのです。
しかし、問題は、通信塔に常時人間を待機させなければならなかったうえに悪天候時には使えないという点にありました。さらに、腕木通信では、どうしても情報に誤差が生じます。
たとえば、1840年代に送受信の成功率を調べたところ、温暖な時期でも、1日に送られたメッセージの3分の2しか届かず、冬季にはそれが3分の1に落ち込んだそうです。しかもメッセージの内容が間違っていることも少なくありませんでした。
つまり、伝言ゲームのような状態は避けられませんでした。より確実に低コストで情報を送ることが必要でした。それを可能する技術が発明されます。電信です。
まさに革命、急速に普及した電信
電信は、腕木通信を圧倒する、効率的で正確、そして迅速な情報伝達を可能にしました。
実用的な電信技術については、18世紀後半から19世紀初頭にかけて各国の物理学者を中心に開発競争が始まっていました。その中から傑出した技術が編み出されました。アメリカのサミュエル・モールスとアルフレッド・ヴェイルが1836年に発明したものです。モールス信号と呼ばれる符号を用いたこの電信技術は、本格的な実用実験にも成功し、1840年には特許を取得。瞬く間に世界中に浸透していきました。
フランスも、腕木通信を電信ラインに切り替えました。ベルギーでもブリュッセル―アントウェルペン(アントワープ)間に電信が敷設されました。スウェーデンでは1853年から電信の使用が増え、ロシアでは1858年から、モスクワ―サンクトペテルブルク間において使用されるようになります。
ただこうした電信の敷設には、多額の費用がかかります。そう簡単に巨大な通信網を築くことはできません。
ところがその巨大なインフラ事業に果敢に挑んだ国がありました。それがイギリスです。しかもイギリスはさらに巨額の費用と高度な技術が必要となる海底ケーブルを敷設し、国外に通信網をどんどん広げていきました。1851年に初めて英仏海峡を結んだイギリスの海底ケーブルは、20年後の1871年には長崎にまで達していました。1913年の時点で、世界の電信網の約8割はイギリスが敷設したものとなっていたのです。
海底ケーブルによる情報網は、イギリスの商業力を力強く押し上げました。ヨーロッパにおいてはオランダが、ヨーロッパ外ではポルトガルが築き上げた商業世界をイギリスは奪い取っていくことになりますが、その力の裏付けになったのが海底ケーブルを使ってもたらされる情報だったのです。
19世紀のイギリスの経済発展は、しばしば自由主義体制の賜物のように言われることがあります。しかし現実には、国家が経済成長に必要なインフラをどの国よりも整備したために実現したものだったのです。
イギリスの繁栄を支えた情報インフラ
電信の誕生は情報通信における「革命」でした。電信の発明以前には、徒歩であれ船であれ、情報は人間が伝えたのです。腕木通信も当時としては画期的な情報伝達技術でしたが、伝達速度では電信にはとても及びません。電気信号による情報伝達は世界を瞬時に結びつけます。
現代を生きるわれわれにとってそれは当たり前の世界ですが、世界規模でそうした社会が実現したのは、20世紀初頭のことです。
世界中に張り巡らされた電信は、軍事情報や外交情報だけでなく、貿易の決済に利用されました。18世紀後半からは蒸気船や蒸気機関の発展により、世界の貿易は発展しますが、その決済を支えたのが主としてイギリスが敷設した電信で、決済の中心地となったロンドンは世界最大の金融街へと発展していきます。
なによりイギリスは、決済の手数料で大儲けすることが出来ました。一つの国家があるシステムを形成し、そのシステムを多くの国が利用しなければならないレベルのものになると、そのシステムを構築した国家には巨額の手数料が転がり込むことになります。近代世界はイギリスによって形成されたため、イギリスに多額の手数料が流入することになりました。そのベースとなったのが海底ケーブルを介した通信網だったのです。
私の考えでは、このような経済システムは現在も続いています。だからこそイギリス、さらにその後継者と言えるアメリカが覇権国家になったのです。このシステムにいま中国が挑んでいますが、中国が覇権国家になれるかどうかは、自国に世界中からの手数料が流入するシステムを形成できるかどうかにかかっていると言えるのではないでしょうか。」
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日本軍が日露戦争に勝利しシベリアでの人道貢献を成功させ世界で一等国として認められたのは、電信の軍事技術のお陰であった。
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現代日本は、電信・インターネットなどの情報網を軽視し発展させる努力を放棄した為に衰退し、その愚かさは今もって変わらない。
その証拠に、国家・企業・個人の情報・ビッグデータが中国に流れ続けている。
その原因は、「経費の削減」である。
現代の日本人には、情報・ビッグデータの価値が理解できない為に、中国共産党政府など仮想敵国に流出して悪用されても危機感がなく、赤字経営から機密保持セキュリティ経費が同じ効果なら少しでも安い方を選択する。
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