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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
外省人の漢族と本省人の台湾人は同じだが、台湾の先住民(少数民族)は違う。
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2020年2月3日 JINF 公益財団法人 国家基本問題研究所 国基研ろんだん「台湾人の大半は漢族に非ず 伊原吉之助(帝塚山大学名誉教授)
台湾人を漢族とする誤解は、識者の間でも少なくない。台湾人の多くもそう信じている人が少なからずいるからややこしい。でも誤解は正しておかねばならない。
私がそれを承知したのは、1980年代末か、晩くとも1990年代の初期である。彭明敏先生が林媽利医師を連れて私が泊っていたホテルに訪ねて来られて仰るには、「台湾人の大半は漢族ではなく、マレー・ポリネシア系の原住民の子孫ですよ。私は自分の中に原住民の血が流れているのを誇りに思っています」
林媽利さんは、カナダの宣教師マッケイに因む馬偕医院の女医で、病理学・血液型の專門家である。日本の週刊誌に日本文で發表した文章のコピーを頂いた。これを大事に保存していたのに、書類の山に埋もれて見当らない。幸い、今回の総統選挙視察に際して彼女の著書『我們流著不同的血液』 (前衛出版社、2014年、第10刷増訂版) を買ってきたのでこれに基づき林医師の説の基本的な論点を紹介する。
●7割余はマレー・ポリネシア系
台湾の人口構成は、ざっと以下の通り。
台湾人 (本省人) 85%(客家系13%、残りは福建系) 、外省人13%、原住民 2%。
客家は広東省北部の出身者とその子孫、福建系は福建省南部の出身者とその子孫とされる。つまり、台湾人は中国大陸出身者とその子孫とされてきた。
だが、血液学の大家、林医師の調査によれば、「85%の台湾人の85%が原住民の血統に属する」。台湾人の大半が漢族とDNAが違い、マレー・ポリネシア系なのだ。85%×85%は72.25%だから、台湾の人口の7割余がマレー・ポリネシア系だということになる。
更にいうと、中国大陸の住民の大半を「漢族」で一括するのはおかしい。雜多な血が混在していて、一民族などではない。「漢族」が一民族というのは、欧米の白人を一民族とするに等しい乱暴な一括である。
習近平中共中央総書記(国家主席)は昨年1月2日の「台湾同胞に告げる書発表40周年講話」で台湾住民に「同胞」と呼びかけたが、台湾人の大半は中国人の「同胞」ではないのである。
●原住民の中に消えた漢族の血
では、中国大陸から台湾に渡った漢族はどこへ行ったか? 大半が平地原住民の中に消えたのである。そのからくりは以下の通り。
渡台者は家族の帯同を許されなかったから、台湾に渡るのは男ばかり。その一部は原住民の女と結婚して子供を生むが、子供はハーフ、その子が原住民と結婚して生んだ子の漢族の血は4分の1、その子の子の漢族の血は8分の1、以下、16分の1、32分の1……と、漢族の血は原住民の中に消えて行くのである。
最後に、台湾人の大半が自分を漢族の子孫と思う理由に触れておこう。
清朝の台湾支配の末期に、それまで禁じていた「中国風の三字名」を名乗ることを許した。これで原住民は争って中国名に改めた。理由は?漢族の文化が高く、多くの原住民が漢字を初めとする漢文化になじんでいた上に、漢族の税金が原住民より安かったので、争って中国人になりたがったのである。偽系図を買って漢族の名家を装った原住民も多かった由。
台湾社会の民族構成の複雑さは、台湾が経てきた複雑な歴史に由來する。台湾を知るには、台湾の歴史をしっかり学ばねばならない。」
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YAHOOJAPAN!ニュース
グアム先住民のルーツは台湾 先史人類のDNA解析で明らかに
2020/12/25(金) 11:41配信
中央社フォーカス台湾
オーストロネシア語族の移動ルート=PNASのウェブサイトから
(台北中央社)米領グアムの先住民のルーツが台湾であることが、先史人類のDNA解析によって証明された。研究に携わった国際研究チームの台湾人メンバー、オーストラリア国立大学の洪暁純(こうぎょうじゅん)上席研究員が、謎解明までの経過を中央社に語った。
グアムはマリアナ諸島を構成する島の一つで、最も近いフィリピンからは2000キロ余り離れている。洪氏によれば、先史時代の人類が約3500年前までにはマリアナ諸島に到達していたことが過去の研究から分かっているが、どこから来たのかについては考古学者の見解が分かれていた。
洪氏が参加する研究チームは2016年、グアム北部の遺跡で先史時代の人骨を2体発見。DNA解析を経て、フィリピン・ルソン島北部の先住民カンカナイ族と台湾の先住民アミ族に最も近いことが判明し、このことから、グアム先住民の祖先は台湾からフィリピンに移り、そこからグアムにたどり着いたという結論を導き出した。
洪氏によると、太平洋諸島からアフリカ・マダガスカルにまで広く分布する「オーストロネシア語族」の起源が台湾であることが近年の研究で証明されており、約4000年前に台湾からフィリピンに渡った同語族の一部がグアムやサイパンに、別のグループがインドネシアや他の太平洋の島々に向かったと確定できるという。
研究成果は学術誌「米国科学アカデミー紀要」(PNAS)のウェブサイトに掲載された。洪氏は、グアム先住民が3500年前に2000キロ余りを航海できる技術を持っていたことを、この最新研究が間接的に証明しているとの認識を示している。
(許秩維/編集:塚越西穂)
最終更新:2020/12/25(金) 11:41 中央社フォーカス台湾
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中国共産党の国土認識は伝統的王土認識と同じで、そこに中国に忠誠を誓って行動する中国人が住んでいれば無条件にその異国は中国領土とみなされ、中国の法律が他国の法律より上位法として適用される。
例えば、日本国内に住む中国人が中国共産党に忠誠を誓い中国の為に行動する時、中国人の住む土地は全て中国領とみなされ、中国の法律に従い日本の法律は破る事は合法とされた。
中国の栄光と中国の国土はこうして築かれてきた。
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ウィキペディア
台湾人では、現在台湾(台湾本島とその付属島嶼と澎湖諸島)に在住する者について説明する。2002年の人口は2300万人であり、群族関係(エスニシティ)をみると、台湾の言語学者による母語を族群の指標とし推計した調査(黄宣範『言語社会與族群意識』1995年)によると、先住民族が1.7パーセント、福佬(ホーロー)人が73.3パーセント、客家人が12パーセント、外省人が13パーセントとなっている。
台湾人の歴史
日本統治以前
台湾は、移民社会である。もともと台湾島には、人口は小さいが文化的には多様なマレー=ポリネシア系の先住諸民族が居住していた。オランダ統治時代になると対岸の中国大陸から漢族が移民してきた。具体的には、福建省南部出身でそれぞれの母語(福佬語および閩南語)を話す福佬人(閩南人ということもある)及び広東省北部出身で客家語を話す客家人であった。かれら漢族系住民の移民の波は19世紀初めまで続き、台湾の人口は200万人弱に増加し、先住諸民族は劣勢の少数者の地位に立たされた。
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オーストロネシア人またはオーストロネシア系諸族(Austronesian peoples、Austronesian speaking peoples)とはオーストロネシア語族を話す民族の総称である。台湾原住民、フィリピン諸民族、マレー人、メラネシア人、ミクロネシア人、ポリネシア人等が含まれる。卓越した航海技術によって、東南アジアから太平洋諸島、マダガスカルへと分布を広げた。
起源と拡散
オーストロネシア祖族は東アジアのモンゴロイドで、約6000年前に中国南部、現在の福建省付近から台湾へ渡ったとされる。
この時に一部のグループは黒潮や対馬海流に乗って日本列島にも渡っており、特に沖縄県、鹿児島県、宮崎県や和歌山県南部、三重県、愛知県、静岡県南西部などに彼らの末裔が多いと言われている[2](隼人や南島系海人族)。HLAハプロタイプはB54-DR4がこの流れを示している[3]。ちなみに日本語は文法がアルタイ諸語のものであるが、音韻体系はポリネシア語の属するオーストロネシア語族と共通している部分がある。
いっぽうで台湾からは5000年前以降に一部がフィリピンやインドネシア方面へ拡散し、紀元前2000年頃にインドネシアのスラウェシ島、ボルネオ島に到達した。
ボルネオ島のマレー人の一部はスンダ海峡を横断し、遠くマダガスカルへ達した。彼らは直接マダガスカル島まで航海した可能性が強く、この2つの島の間は4,500海里(8,300km)も離れているが、常に貿易風が追い風となる航海であるため、当時の東南アジア島嶼部の海民の技術レベルならば充分に現実的な航海である。
スラウェシ島のグループはここからニューギニア島海岸部、メラネシアと東進し、その間にオーストラロイドの先住民(パプア人、メラネシア人)と混血し、ポリネシア人、ミクロネシア人の始祖となる。彼らは紀元前1100年頃にはフィジー諸島に到達する。
現在、ポリネシアと呼ばれる地域への移住は紀元前950年頃からで、サモアやトンガからもラピタ人の土器が出土している。
サモアに到達した時点 でポリネシア人の東への移住の動きは一旦止まるのだが、紀元1世紀頃から再び移動を開始し、ポリネシア人たちはエリス諸島やマルキーズ諸島、ソシエテ諸島にまず移住した。その後、ソシエテ諸島を中心に300年頃にイースター島、400年頃にハワイ諸島、1000年頃にクック諸島やニュージーランドに到達した。ポリネシア人の移住の動きはこれ以降は確認されていないのだが、ポリネシア人の主食のひとつであるサツマイモは南米原産であり、西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広くサツマイモが栽培されていたため、古代ポリネシア人は南米までの航海を行っていたのではないかと推測されている。
形質・遺伝子
オーストロネシア系諸族の祖先は元々モンゴロイドであったが、移住先の東南アジアにおいて先住民のオーストラロイドを多分に混血している[6]。特にメラネシアにおいては、オーストラロイド系メラネシア先住民が、後からやってきたオーストロネシア語族に言語交替を引き起こしたというほうが正確である。またマダガスカル人はアフリカ人(ネグロイド)と混血している。
ポリネシア人は、例外的なまでに大型の体格と、彫りの深い顔立ちが特徴である。体脂肪率が高く、世界保健機関の調査で住民の肥満率において、世界上位10カ国のうちの4カ国をポリネシア系諸国が占めるほどである。このことは長い航海における厳しい環境下で、大型の体格、高い体脂肪率という形質特徴が選択されていった結果と考えられる。
オーストロネシア系諸族に高頻度に見られる遺伝子として、Y染色体ハプログループO1aがあげられる。O1a系統は台湾先住民に66.3%[7]-89.6%[8]、ニアス島で100%[9]など、東南アジアの半島、島嶼部、オセアニアにも高頻度であり、オーストロネシア語族との関連が想定される[10]。またO2a2*系統(xO2a2b-M7, O2a2c1-M134) もオーストロネシア語族と関連しており、スマトラ島のトバ人に55.3%, トンガに41.7%, フィリピンに25.0%観察される[11]。ポリネシア人などにはパプア・メラネシア先住民由来のC1b2、MS、K*なども観察される。
mtDNAハプログループはハプログループB4a1a(台湾からポリネシアまで広域)、ハプログループE(島嶼部東南アジアが中心)が関連している。
生活・文化
オーストロネシア系諸族は概ね農耕生活を営んでおり、太平洋諸島ではタロイモ、ヤムイモなどの焼畑農業が行われる。漁労も行い、家畜はブタが中心でありニワトリも飼う。東南アジアのオーストロネシア系諸族は稲作もおこなうが、これは基層住民として分布していたオーストロアジア系諸族の生活体系を引き継いだものである。
ミクロネシア人は母系制社会、ポリネシア人は父系性社会である。メラネシアは比較的平等な社会である。
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台湾原住民は、中国大陸からの移民が盛んになる17世紀以前から居住していた、台湾の先住民族の呼称。台湾政府(中華民国)の定める中華民国憲法により、「原住民族(拼音: yuánzhù mínzú, 英語: Indigenous Taiwanese / Taiwanese aborigine)」の存在が謳われている。
中国語で「先住民」と表記すると、「すでに滅んでしまった民族」という意味が生じるため、この表記は台湾では用いられていない。日本では「原住民(族)」を使う場合、「現地の呼称や少数民族の意見を尊重するため」と注釈を付ける例もある。
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ポリネシア人(Polynesian)は、太平洋のポリネシアに住む人々の総称。オーストロネシア語族に属しており、メラネシア人やミクロネシア人と密接な親縁関係を持つ。身体的特徴、言語的特徴に関してメラネシア人のような多様な地域差は無く、同質的である。その一方で、文化的・社会的には、かなりの多様性を持つ。
言語
詳細は「ポリネシア諸語」を参照
ポリネシア人の話すハワイ語、タヒチ語、ラパヌイ語、マオリ語、サモア語、トンガ語などは互いによく似ており、オーストロネシア語族の中の枝先にあたる一分派を構成している。地理的にやや離れた域外ポリネシアの諸言語(ヌクオロ語、レンネル語など)もここに含まれる。
言語の伝播変遷や相互関係についてはよくわかっていないが、台湾やマレーシアを起点として海上交易などの交流を経る過程で南東に拡散していったと考えられている。音韻組織の平易さに特徴を有し、一般に動詞、名詞、形容詞に形態上の差異が無く、音節は全て開音節である。
ルーツと移民の流れ
ポリネシア人の拡散
ポリネシア人のカヌー
トール・ヘイエルダールが唱えた南米からの植民説、ベン・フィニーらが唱えたアジアからの植民説があるが、1975年にハワイで建造された双胴の航海カヌー、ホクレアによる数々の実験航海や、言語学的・人類学的な各種の検証により、現在では東南アジア説が定説となっている。
ポリネシア人の祖先はオーストロネシア語を話すモンゴロイド系の民族で、元々は華南や台湾にいたのだが、その一部は紀元前2500年頃に南下を開始し、フィリピンを経て紀元前2000年頃にインドネシアのスラウェシ島に到達する。ここからニューギニア島沿岸、メラネシアへと東進する間にパプア先住民やメラネシア先住民と混血し、ポリネシア人の始祖となる。この先住民は5万年前に出アフリカ後にインドを経てやってきたオーストラロイドに属す人々で、アボリジニと同祖である。従ってポリネシア人はモンゴロイドにオーストラロイドが混ざった人種である。
原ポリネシア人(ラピタ人)は進路を東に進め、紀元前1100年頃にはフィジー諸島に到達する。現在、ポリネシアと呼ばれる地域への移住は紀元前950年頃からで、サモアやトンガからもラピタ人の土器が出土している。サモアに到達した時点 でラピタ人の東への移住の動きは一旦止まるのだが、その間に現在のポリネシアの文化が成立していったと考えられている。
再び東への移住を開始するのは紀元1世紀頃からで、ポリネシア人たちはエリス諸島やマルキーズ諸島、ソシエテ諸島にまず移住した。その後、ソシエテ諸島を中心に300年頃にイースター島、400年頃にハワイ諸島、1000年頃にクック諸島やニュージーランドに到達した。ポリネシア人の移住の動きはこれ以降は確認されていないのだが、ポリネシア人の主食のひとつであるサツマイモは南米原産であり、西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広くサツマイモが栽培されていたため、古代ポリネシア人は南米までの航海を行っていたのではないかと推測されていた(ポリネシア#歴史を参照)。この説については長らく論争があり、サツマイモの到達が人類以前であるといった反証もあるが、言語学的類似などの謎も残っている。
mtDNAの研究からは、より早く東南アジアに到達した先住民であるオーストラロイドの血も引いていることがわかっている。Y染色体の研究では、ポリネシア人はメラネシア人と東アジア人の混血であることが判明している。しかし常染色体の研究ではメラネシア人起源は21%、79%は東アジア人起源である。別の研究では、ポリネシア人はメラネシア人よりもミクロネシア人、台湾先住民、東アジア人に近縁であるとの結果が出ている。これはポリネシア人がメラネシアに長くとどまらなかったために、混血があまり進んでいないと結論される[10]。ポリネシア人の拡散と関連するミトコンドリアDNAハプログループB4a1aは東アジア由来である。
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