・ ・ ・
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
中国共産党は、血に飢えた残虐な殺人集団であった。
・ ・ ・
2021年6月23日 MicrosoftNews JBpress「狙いは民族抹消、中国が「教育改革」称してモンゴル人に同化政策
© JBpress 提供 内モンゴルの女性と民族衣装
(譚 璐美:作家)
中国の内モンゴル自治区の小中学校で、昨秋から「教育改革」と称して、モンゴル語の授業が大幅に削減されて、標準語(漢語)教育が強制されている。
「内モンゴル」とは、モンゴル高原の「外モンゴル」に対し中国に接した地域を指し、現在は中華人民共和国の行政区分で内モンゴル自治区として自治が認められている。面積は日本の約3倍。人口約2400万人のうち、モンゴル族は約400万人で、8割以上を占める漢族は、中国政府が長期にわたって漢族の入植政策を積極的に進めてきたことによる。
中国政府は、「教育改革」の表向きの理由として、中国の公用語である漢語を普及するためとしているが、もともと内モンゴル自治区では「第一公用語」はモンゴル語と法的に定められてきた。それを2017年以降、チベット、新疆ウイグル両自治区で実施されてきた強制的な民族同化政策と同じように、モンゴル族の同化を目的にモンゴル語教育の削減に踏み切ったのだ。
モンゴル語授業削減に抗議した人々をネットに晒し、懸賞金つけて「密告」呼びかけ
西日本新聞(2020年10月26日付)によると、モンゴル語の授業削減が開始された時、学校の教員や保護者らが抗議の声を上げ、子どもたちは授業をボイコットし、地元放送局の従業員約300人もストライキを起こして抗議した。
これに対して、警察はデモに参加した保護者ら100人以上の顔写真をインターネット上に公開して出頭を呼びかけ、1人1000元(約1万5800円)の懸賞金付きで密告を奨励して摘発に乗り出した。街中に監視カメラが設置され、携帯電話やメールが当局に監視されて、少なくとも170人以上が逮捕され、抗議活動は2週間でほぼ鎮圧されたという。
内モンゴル自治区は、もともと隣接するモンゴル人民共和国と一つの国だったが、17世紀に帝政ロシアと清王朝が条約を締結して「外モンゴル」と「内モンゴル」に分割し、その後、「外モンゴル」はロシアの支援で独立してモンゴル人民共和国となった。「内モンゴル」のほうは、1947年5月、モンゴル人政治家のウラーンフの指導の下で、中国の行政区分の「内モンゴル自治区」となった。
だが、中国政府は、内モンゴル自治区がモンゴル語教育を実施することで、モンゴル人民共和国と強く結びついて、再びひとつの国として独立するのではないかと警戒し、モンゴル人に対して執拗なほど虐待を行ってきた。
内モンゴル出身で静岡大学教授の楊海英氏は、『内モンゴル紛争――危機の民族地政学』(ちくま新書)で、これまで内モンゴル自治区で「34万人が逮捕、3万人が殺害された」と指摘する。
きっかけになったのは、1966年から始まった文化大革命で、当時、モンゴル人に着せられた「罪」はふたつあった。
「第一の罪」は、「対日協力」だ。1930年代、日本が満洲国を樹立したのと同時に、内モンゴルにもモンゴル軍政府を樹立させ、モンゴル人は日本に協力したという理屈だ。
「第二の罪」は、日本が第二次世界大戦で敗北して内モンゴルから撤退した後、モンゴル人は中国に属することを好まず、モンゴル人民共和国との統一を願ったことだ。
この二つの「罪」により、漢族の入植者たちは「民族分裂の歴史」だと断じて34万人を逮捕し、2万7000人以上を大量虐殺した。モンゴル人政治家のウラーンフは失脚し、北京で“人質”になり、内モンゴルに戻れなくなった。
残忍な拷問の実態も情報統制で漏洩封鎖
櫻井よしこ著「“モンゴル人ジェノサイド 実録”」(『週刊新潮』2008年6月19日号)によれば、アルタンデレヘイ著、楊海英編訳の小冊子『中国共産党によるモンゴル人ジェノサイド 実録』(静岡大学人文学部「アジア研究プロジェクト」刊行)は、今日まで続くモンゴル人虐殺の凄惨な事例を詳細に伝え、「50種以上の拷問」が考案されたことを紹介している。
「中国共産党はまず、ウラーンフの例でわかるようにモンゴル人の指導者と知識人たちを狙った。文字を読める人は殆ど生き残れなかったと言われるほどの粛清が行われた。50種類以上の拷問が考案され、実行された。たとえば、真赤に焼いた棍棒で内臓が見えるまで腹部を焼き、穴をあける。牛皮の鞭に鉄線をつけて殴る。傷口に塩を塗り込み、熱湯をかける。太い鉄線を頭部に巻いて、頭部が破裂するまでペンチで締め上げる。真赤に焼いた鉄のショベルを、縛りあげた人の頭部に押しつけ焼き殺す。『実録』には悪夢にうなされそうな具体例が詰まっている。女性や子どもへの拷問、殺戮の事例も限りがない。中国共産党の所業はまさに悪魔の仕業である」
大きな禍根が残った。文化大革命が終息しても、中国政府は大量虐殺に加担した漢族の入植者たちを処罰しなかったことから、1981年、モンゴル人大学生たちは大規模な抗議活動を実施した。だが当局の厳しい弾圧に遭い、学生運動を支援したモンゴル人幹部や文化大革命で辛うじて生き延びた人々は全員粛清され、学生たちも辺鄙な地域へ追放されて、公民権を剥奪された。
内モンゴルの人々に対して中国政府が半世紀以上にわたって行ってきた虐待は驚くべきものがある。だが、こうした状況これまでほとんど外部に漏れ聞こえてこなかったし、世界でも注目されていない。中国政府の徹底した情報統制によるものだろう。
モンゴル人による「元」や満州族の「清」の版図を「中国の領土」と主張
今日、清朝を継承したと主張する中華人民共和国は、モンゴル帝国が支配した世界最大の版図を、そのまま中国の「元」王朝が支配した地域だとみなし、「清」王朝の版図も中国の領土だと主張する。
だが、「元」王朝はモンゴル人の政権であり、「清」は満州族の政権であって、どちらも漢族が統一した国家ではない。しかも、モンゴル帝国の時代、満州族(女真族)の出身地である満州地域(中国東北部)は、モンゴル帝国の最東端の支配範囲だった。「清」王朝になっても、文字を持たない満州族が最初に作った「建国の詔(みことのり)」はモンゴル語で作成されたのだ。しかも満州族皇帝は姫君5人を全員モンゴル人の王族に嫁がせ、親密な関係を保持した。いわば「清」王朝は「元」王朝の継承者も同然だったのである。
21世紀に入り、中国政府は「清」王朝の版図を中国の「本来の姿」だとして、領土を取り戻すことに腐心し、軍事力を強化して世界に対して強硬な「戦狼外交」を展開している。香港返還後の「一国二制度」を反故にし、南シナ海を領海だと主張し、台湾を軍事的脅威に陥れているのも、まったく同じ思考回路なのである。
内モンゴル自治区のモンゴル人が中国政府の弾圧の下にあるのは明らかだ。モンゴル語教育を奪われた未来には、民族滅亡しかない。日本を含めた世界の国々は中国に対して、ウイグル人に対する「ジェノサイド」と同時に、モンゴル人に対する虐待も強く非難すべき時だろう。」
・ ・ ・