💟4¦─3─日系アメリカ人は檻に閉じ込められ、幾人かは自殺した。カナダの日本人強制収容所。1942年4月~No.12No.13  * 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。   
   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・  
 アメリカ人は、特別列車で強制収容所に送られる日系アメリカ人達に罵声を浴びせ、石を投げた。
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 アーサー・コンプトンは、原爆が世界を破壊し人類を滅亡させる恐れがある以上、その様な危険を冒してまで原爆開発を行う価値はないと、報告した。
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 白人将校のみの連合軍に蔓延る人種差別。
 黒人兵は、人間扱いされていなかった。
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 2017年4月3日 産経ニュース「日系人強制収容所を史跡に カナダ西部「歴史の暗部」
 カナダ西部ブリティッシュコロンビア州政府は2日までに、第二次大戦時や戦後に日系カナダ人が強制収容された施設跡地を含む州内の56カ所を日系人に関連する史跡に指定すると発表した。カナダ連邦政府日系人の強制収容を開始してから1日で75年となるという。
 州政府のテレサ・ワット多文化主義政策担当相は「史跡は州の歴史の暗部。こうした出来事が人々に与えた影響を記憶にとどめ、思いをはせることが大切だ」とコメントした。
 史跡に選ばれたのは州内に点在した複数の強制収容所跡地のほか、日系人の歴史と関連がある語学学校や集会場など。州政府によると、1942〜49年に沿岸部に住んでいた日系カナダ人2万2千人以上が内陸部にある施設に強制的に収容された。(共同)」
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 2018年9月30日 産経ニュース「日系人収容、後世に伝える カナダ西部で表示板除幕
 除幕された日系カナダ人の強制収容の歴史を紹介する表示板。前列右から4人目はストーニー・ナカノさん=9月28日、カナダ・レベルストーク近郊(ハワード・シモクラ氏提供・共同)
 カナダ西部ブリティッシュコロンビア州レベルストーク近郊で28日、第2次大戦時や戦後に強制収容された日系カナダ人の歴史を紹介する表示板の除幕式が開かれ、日系人や地元住民が参加した。地元メディアが29日までに報じた。
 カナダ政府が1988年に日系人強制収容を謝罪し、生存者に補償して9月で30年。同州政府は収容開始から75年となる昨年に、収容に関連する州内56カ所を史跡に指定すると発表するなど「負の歴史」を後世に伝える動きが続いている。
 式典は日系人が強制的に建設工事をさせられた道路近くで行われた。労働に従事させられた日系人ストーニー・ナカノさん(97)は「今日は特別な日。とても誇りに思っている」と語った。式典に出席した地元の女子高生は「私たちが過去に犯した過ちを繰り返したくない」と話した。
 州政府によると、42〜49年に沿岸部に住んでいた日系カナダ人2万2千人以上が内陸部にある施設に強制的に収容された。(共同)」
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 4月 デヴィッド・バローズ(カリフォルニア大学学長)は、カリフォルニア・マンスリー誌4月号に、日本人への人種偏見は「同じ言葉を話し、同じ習慣を持ち、同じ宗教を共有する者が、特定の地区で共同体を作る事である」と警告した。
 日本人への偏見をなくすには、仲間内だけで集まろうとする日本人特有の氏族共同体を解体し、日本語と日本文化から切り離し、日本人同士で連絡が取れない様に全土に分散するべきであると。
 4月7日 戦時移民計画局は、西部諸州と、日本人強制収容について協議した。
 西部諸州知事は、全ての日本人を強制収容所に完全隔離し、如何なる理由があっても収容所の外に出すことに猛反対し、強制収容所は市民から遠く離れた土地に建設する事を要望した。
 戦時移民計画局は、強制収容所建設に当たって陸軍省(戦時は戦争省と呼ばれた)と協議し、候補地選定に連邦開発局と原住インディアン対策局の協力を得て進めた。
 4月18日 ドーリットル陸軍中佐指揮の爆撃機部隊が、東京や名古屋や神戸を爆撃した。
 日本軍は、中国大陸で捕虜としたアメリカ軍パイロットを民間人殺害の罪で軍法会議に掛けて、有罪判決を下して処刑した。
 東京裁判では、民間人殺害は上官の命令に従って忠実に実行した行為で無罪とし、むしろ捕虜虐殺はジュネーブ条約違反で戦争犯罪に当たるとして、処刑に携わった日本軍将兵を有罪とした。
 戦時国際法は、軍国日本の行為全てを戦争犯罪で有罪とし、連合国軍の行為全ては自衛の為の正当防衛で無罪としている。
 かって。神戸は、多くのユダヤ人難民を助けた国際港であった。
 ユダヤ人難民を温かく迎えた神戸市民は、女も、子供も、例外なく生きたまま焼き殺された。
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 5月 毛沢東は、文化人が行う言論活動についての理想を「文芸講話」として行った。 党方針を批判する王実味ら高潔派文化人を弾圧し、言論の自由を奪った。
 王実味は、1947年に粛清された。
 延安の中国共産党政権内部では、共産主義特有の権力闘争が行われ、毛沢東派は反対派を粛清していた。
 中国共産党は、党費や軍費はもちろん党幹部としての贅沢な生活をする資金を稼ぐ為に、豊かな農地を持つ地元農民に農産物よりもアヘン栽培を奨励し、アヘン栽培農家には高給を払い特権を与えて優遇した。荒れた農地しか持たない貧困農家には、下級党員や地元民の為の食糧を生産させた。
 日本共産党は、虐殺を止める事もせず、目の前でリンチ的に惨殺されても見て見ぬ振りをしていた。 
 日本人共産主義者は、捕虜となった日本人兵士を反天皇の革命戦士にする為の洗脳教育に没頭していた。
 5月15日 戦時移民計画局とオレゴン州知事スプラーグは、労働力不足に悩んでいる農園に日系アメリカ人を派遣する事で合意した。
 5月22日 チィース・クラーク(アイダホ州知事)「ジャュプはネズミ野郎だ。ネズミの様に繁殖し、その行動もネズミと同じだ。奴らをアイダホ州には絶対に入れない。大学に受け入れるなどもってのほかだ」
 西海岸諸州・南部諸州・中西部諸州の一部も、日本人受け入れを拒否する声明を出した。
 アルフレッド・アトキンソンアリゾナ大学学長)「我々は日本と戦争状態にある、受け入れ要請されている日本人は敵性人種なのである」

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 6月5日 ラジオ放送「日本人の血が流れている者すべてを隔離せよ」
 町の到る所に、全ての日本人を隔離する事を求めるポスターが貼られていた。
 デヴィット中将は、アメリカ軍に対して、第一重要地域から日本人の血を引く者を完全排除する様に命じ、一滴でも日本人の血を持つ混血児(ユーラシアン)も排除対象とした。
 アメリカ軍による日本人排除作業が完了したのは、8月7日であった。
 戦時移民計画局は、10ヵ所の強制収容所建設予定地を決定した。
 6月8日 西海岸3州とアリゾナ州の一部に住む約9万9,700人の日系アメリカ人は、混乱らしい混乱もなく、財産を全て処分して指定された臨時収容施設に出頭した。
 日系アメリカ人の隔離作業は、アメリカ軍の監視下で、混乱も逃亡もなくスムーズに完了した。
 各収容施設でも。施設は最悪で、環境も劣悪であったが、日本人は従順な羊の群れの様に不平不満を言い立てて騒ぐ事はなかった。
 日系アメリカ人は、市民権を持つ国民の義務として、帰化できる者である事を証明すべく国家に忠誠心を誓い、内心は不平不満で憤っていても顔には出さず命令に従った。
 日本人の特性は、没個性として、御上には盲目的に従順に従い、「長いものには巻かれろ」式に自分の感情を殺す事にあった。
 ごく一般的アメリカ人は、感情を顔に表し態度で自己主張しない日本人を、何を考えているか分からない異性物と嫌悪した。
 だが。中には、抗議を表明して自殺した名誉市民証を授与された退役軍人もいた。
 アメリカ住民は、日系アメリカ人が残した資産を競売に掛け安値で手に入れ、中には不正行為も公然と行われていた。
 隔離作業が行われるまで日系企業と取引していた知日派アメリカ人企業家も、狂奔して日本企業が所有していた資産を手にして、日本批判を声高に繰り返した。
 ロサンゼルス市内の日系アメリカ人の資産は、50万ドル以上。
 ロサンゼルス・タイムズ紙(43年12月5日)「ロサンゼルスでは日本人が所有する土地は一片もなくなるであろう」
 ハロルド・ライアン(ロサンゼルス郡農務局長)「白人生産者が、日本人がやった様に、狭い土地で高い生産性を上げろと要求されなければ、日本人が居なくなった事による悪影響はないであろう」
 退去命令から除外されたのは、精神病で入院している病人や保護者がなくキリスト教系孤児院で保護されている乳幼児のみであった。
 モーリス・オプラー「ナチスは人種やその祖先の血をベースに差別した。しかし彼らは、ユダヤ人はいわゆる人種分類ではない事を知っていたし、一般のドイツ人もその事はわかっていた」
 スチムソン「我々が決定した日本人隔離政策が上手くいったのは、ひとえに彼らの協力的な態度があったからだ」
 サンフランシスコの人種差別主義者は、カリフォルニア州を白人だけのパラダイスにするべく、帰化不能な日本人全員を排除しようとしたが、労働不足におちいった企業は15万人以上の黒人を南部諸州から3万人のメキシコ人をメキシコから移動させた。
 日本人労働者の多くが、教育度が高く、勤勉で几帳面で正確性に拘る熟練工が多かった。
 黒人や中国人の労働者は、日本人労働者ほどの能力がなかった為に、幾ら多くの人数を集めても、生産能力は低下し、生産品の品質も劣化した。
 黒人は、自己主張が強く日本人ほど従順ではなかった為に、白人への反感からトラブルを頻発化させた。
 貧困層である黒人は、白人が勝手に決めた法律に反発して犯罪事件を頻発させ、法秩序は崩壊して治安は悪化し、ダウンタウンは不法地帯となった。
 中国人も、秘密結社を組織して犯罪を行っていた。
 サンフランシスコ市は、手に負えない黒人が増加する事によって、流血事件を伴う新たなより深刻な人種問題が発生した。
 日本人排斥運動を行った市民は、犯罪を起こす黒人や不衛生でがさつな中国人が増加して社会が混乱し始めるや、追い出した日系アメリカ人の法秩序を守る礼儀正しさを褒めた。
 夏。 オッペンハイマーは、原子力爆弾を開発する為にエドワード・テラーら著名な科学者を集めて協議した。話題は、原爆から水素爆弾まで話題とした。
 ロッシ・ロマニツ「我々の多くは『こんな兵器がもたらされたら一体どうなってしまうんだ。世界全体がぶっ飛びかねない』と思っていた。オッペンハイマーにこの懸念を伝えに行った者も何人かいたが、彼の答えは基本的に『よく考えろ。ナチスが最初に開発したらどうなるんだ』というものだった」
 8月 一部の農園地主は、反抗心の強い黒人やメキシコ人に辟易して、高度な知識と技術を持ち向上心のある日系アメリカ人の派遣数を増やす事、戦時移住計画局に要望した。
 9月 デザート・ニュース紙「日本人がいなかったらユタ州アイダホ州の収穫は廃棄されるところであった」
 10月 戦時移民計画局は、日本人農業人口の消失によりカリフォルニア州などの食糧確保が厳しくなる事を認め、農繁期に限って強制収容した日系アメリカ人市民を農園で働かせると発表した。
 一部の報道機関は、市民権を持った日系アメリカ人市民を生産現場で活用する事に賛成する報道を行った。
 戦時移民計画局は、さらに多くの市民権を持つ日系アメリカ人を、完全同化させ日本人である事を消す為に全州に広く移住させようとした。
 日本人である事を嫌う日系アメリカ人は、日本人である事を隠し、今後は日本人と連絡をとらず会わない事を誓って強制収容所を出た。
 一部の有識者は、敵性人種日系アメリカ人が逃亡するとの懸念を表明した。
 カイル・マックウィリアムス「42年の秋には早くも二世世代は外に出て働く許可書が発行され出所を始めていた。本来なら所内でリーダー格になれる活力のある二世の若者は早々にいなくなってしまっていた。……新聞記事には反日本人を煽る記事が溢れていた。記事のなかで、政府高官は日本人をみな日本に送り返すと騒いでいた。……収容者には何もかもが不安であった。将来が見えなかった。どこをみても彼らはアメリカの敵だと見做されているようがった。あたかも彼ら自身がこの戦争を起こした張本人のようにみられているようだった。彼らは強制収容されることの理屈が飲み込めなかった。理不尽であった。そして築き上げた資産も貯金も失った。収入の道も閉ざされた」(『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省 1944』P.247。249)
 日本は、タイとの間で日泰文化協定に調印した。
 10月12日 司法長官は、敵性国民規定からイタリア人を除外した。
 11月 戦時移民計画局は、臨時収容所に集められていた約9万5,000人の日本人を、完成した強制収容所へと強制移送を開始した。
 強制移送がほぼ完了したのは、翌43年7月頃であった。
 強制収容所は、劣悪な環境の不毛な大地に建設され、居住施設は戦時下を理由に経費が節減されて最悪な建物であった。
 アメリカ当局は、白人では住めない様な最悪なものであったが、人種差別的に「適切な居住空間を提供している」と言い捨てた。
 強制隔離された日本人は、不平不満から暴動を起こす事なく、「御上の命令には文句を言わず服従します」的に羊の様に従順に生活を始めた。
 戦時移民計画局は、約10万人の日本人を収容するには経費がかかる過ぎるとして、忠誠を誓う市民権を持った日系アメリカ人を収容所の外で働かそうとするが、地元住民から猛反対された。
 だが。アメリカ人男性と結婚している日本人女性とその子供(ユーラシアン)は、日本人である事を隠して帰宅させた。
 有力なアメリカ人の身元保証が得られる日系アメリカ人も、日本人である事を隠し、日本人に無関心な地方に移住させた。
 極秘で出所した日系アメリカ人は、日本人である事を捨て、今後は日本人と接触しない事を誓った。
 有刺鉄線に囲まれた強制収容所に押し込められた日本人達の意識は、アメリカに忠誠を誓おうとするグループと忠誠を拒否するグループと無気力なグループに分裂し、激しく対立して、殺気張った喧嘩が絶えなかった。
 多感な子供中には、白人の子供と差別なく遊んでいた記憶から、有色人種日本人である事を憎み、非白人の大人に敵意を見せ、日本人である事を否定し、日本人である事を捨てたいと願った。
 ジョン・エンブリー「ひどい居住環境が風紀の紊乱を生み出した。家族が子供の悪い行動を正す事も出来なくなっていた」
 強制収容所内で病気になっても、まともな治療はされなかった。
 有刺鉄線が張り巡らされ、銃を持った兵士が昼夜24時間監視していた。
 夜は、サーチライトが収容所の中を照らしていた。
 もし。アメリカ当局は、強制収容所に強制隔離された日本人達が劣悪な環境に不満を抱いて暴動を起こせば、容赦なく発砲して武力鎮圧する姿勢を見せていた。
 白人医師は、日本人の診察も治療もする気はなく、死ぬにまかせ、治ればそのまま収容所の中に追い返した。
 某収容所では、単なる高熱にもかかわらず助からないと勝手に判断した所長が、看守に射殺を命じた。
 公式報告書には、病死とされた。
 看守の暴行・虐待は日常茶飯事であり、怪我がもとで死亡しても事故死として処理された。
 絶望して自殺した場合も、事故死と報告された。
 有刺鉄線が張り巡らされている強制収容所から逃亡を図る者がいれば、発砲して阻止する様にとの命令が出ていた。
 運悪く弾に当たって死亡しても、事故扱いとされ罪には問われないとされていた。
 もし射殺されても、不可抗力の事故であるとして、意図的に闇から闇に葬られた。
 キリスト教会も、人権擁護団体も、国際赤十字も、誰も、アメリカ国籍日本人の身の上の悲惨に気をとめる者はなく、彼等の権利を守ろうとはしなかった。
 当然の事ながら、名誉毀損同盟の母といわれるブナイ・ブリスも日系アメリカ人の保護を放棄した。
 ハリマン財閥と関係の深いアメリ赤十字社も、優生学的見地から非白人の日本人を人とは認めずに見捨てた。
 カナダ政府は、1万9,867人の日本人移民を内陸部の収容所と各種建設現場に強制収容した。
 市民権を持っている二世も、アメリカ同様に、強制収容の対象とされた。
 日系カナダ人は、最初の入植者から約50年、苦労に苦労を重ねて築き上げたきた個人資産の全てを失った。
 何れの白人社会も、宗教的人種差別から白人至上主義が支配する社会として、非白人は優秀人種白人の利益を産み出す単なる労働者と見なされて諸権利が制限されていた。
 その義務を果たす非白人は優遇され、逆らう非白人には制裁が加えられた。
 キリスト教会は、非白人に対して白人への義務を果たす事が絶対神の御心に叶う事であると説き、人間としての権利を主張して武器を持って逆らってはならないと説教していた。
 11月14日 ボストン収容所ストライキ事件。強制収容に不満を抱く日本人が、密告して同胞を裏切った見做された男を暴行した。
 収容所は、協力者を暴行した日本人2名を逮捕した。
 敵に寝返って仲間を裏切る者を嫌うサムライ日本人は、抗議の為にストライキを行ったが暴動までは行わなかった。
 12月6日 マンザナール収容所ストライキ事件。
 マスコミは、反日感情を煽る為に、マンザナールとボストン両収容所ストライキ事件を脚色して報道した。
 収容所のある州選出議員や人権擁護団体は、忠誠心ある日系アメリカ人市民の保護を訴えた。
 戦時移住計画局は、強制収容した日本人を「忠誠心有る無し」で分離して収容する事を決定した。
 12月12日 西部方面防衛軍司令官デヴィット中将は、西海岸地域に住むドイツ人に課せられていた敵性国民規定を解除し、日系アメリカ人の軍事警戒第二号エリアへの立ち入りを認めた。
 戦時移民計画局は、忠誠心を誓う日系アメリカ人を収容所の外して働かせる計画を推進していた。
 人種差別主義者は、敵性国民の日本人を収容所の外に出さない為に、ワシントンで強力なロビー活動を展開していた。
 ホワイト・ハウスは、戦争の激化に伴い軍事費増加で財政が圧迫されている事に困惑し、無駄食いで役立たずの日本人の収容経費を削減する方策を模索していた。
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 アメリカ軍は、欧州戦線での激戦で多くの若者が負傷して兵員が不足した。
 陸軍省(戦争省)は、クジ引きによる選抜徴兵制を再開して、強制収容所の日系アメリカ人に召集令状を出した。
 だが、多くの日系人は市民権を剥奪されたとして徴兵を拒否した。
 徴兵拒否者は、国家への裏切り行為として逮捕され、裁判で有罪となり、刑務所に収監された。
 刑務所では、日系アメリカ人は白人受刑者の暴行を受けた。
 強制収容所を出るには、強要させている忠誠条項に署名し、アメリカ軍に入隊するしかなかった。
 マイク・マサオカ(JACL指導者)「我々が、仲間達とともに戦場のどこかで血の洗礼を受ける事で、自分達が精通し忠誠を誓う唯一つの国の為に死ぬ準備が出来ていて、死をも厭わない事を、それを疑問視する全ての人々に証明しようではありませんか」
 二世の日本人は、待遇を改善させる為に召集に応じ、令状が来なかった者は忠誠を証明する為に志願して入隊した。
 彼等には、銃ともって戦うしか選択肢がなかった。
 多くの日系兵士が、家族を強制収容所から解放し、市民権を確実にする為に戦って戦死した。
 銃を持って戦わない者は、国家反逆罪として逮捕され、人種差別のひどい刑務所に送られた。
 アメリカ軍も他の軍隊同様に、人種差別が酷く、二世の日本人兵士は絶えず嫌がらせを受けた。
 白人の軍隊では、非白人の将校はいなかったし、パイロットも船長もいなかった。
 軍服を着て外出しても、白人社会からが蛇蝎の様に嫌悪させ、大半の白人経営の店から暴力的に追い出されていた。
 戦場では、白人兵の弾除けとして最も危険な部署に回された。
 有色人種の下級兵士は、人権無き奴隷の如く使役され、人格無き消耗品として激戦地に放り込まれていた。
 アメリカ軍は、言葉のアヤ的な賛辞を送り、意味もないブリキの勲章を与えて、二世の日本人兵士を宥めた。
 思慮分別のない者だけだ勲章をありたがるが、二世の日本人兵士はそれを支えにするしか戦う張り合いがなかった。
 それ故に、白人上層部は嘲笑う様に数多くの勲章を授けた。
 アメリカ軍は、戦意高揚の為に戦場に赴く全兵士にバッチを配付した。対独戦用には、ヒトラーの写真と「指名手配の殺人犯」の文字が印刷されていた。
 ジョン・デヴィッド将軍「ジャップについては、地図上から抹殺させるまで悩み続けるだろう!」
 トマス・プレーミー将軍「日本人を、根絶しなければならない!」
 参考文献
 ・ジョン・W・ダワー ‥ 『人種偏見』
 ・リンドバーグ日記
 民主主義国家アメリカの全ての行為は、相手の人権を重んじ、人道的であり、如何なる国際法にも違反しないとされた。

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