🛲10」─4─ベトナム独立運動家・潘佩珠は、軍国日本と日本天皇に独立支援を依頼した。~No.89No.90No.91No.92 * ⑧ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アジアの独立派にとっての解放と独立と自由の希望の光は、ソ連共産主義中国共産党ではなく、日本天皇と軍国日本と日本軍であった。
   ・   ・   ・    
 2017年5月号 正論「折節の記  高山正之
 天皇陛下ベトナム訪問の旅で旧都フエを訪ねられた。『ベトナム独立運動家の潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)記念館にも足を運ばれた』と新聞にあった。
 新聞記事によると彼は『1905年、日本にやってきて日露戦争に勝った日本に学ぶ東遊運動を始め、多くのベトナム人留学生を呼び寄せた』
 しかしベトナム宗主国『フランスの意向で日本から退去させられた』という。
 その後は静岡の篤志家、浅羽佐喜太郎の支援を受けて、みたいな話になっている。
 これは少々、話が歪みすぎている。潘佩珠が日本に来た目的は日本から冊封を受けたいというものだった。なぜなら『朝貢していた清が清仏戦争に負けてベトナムを勝手にフランスに割譲した』からで、今後は日本に朝貢するからフランスを叩き出してくれという願いだった。
 戊戌(ぼじゅつ)の政変で逃げてきていた梁啓超の紹介で大隈重信犬養毅らが彼に会っている。梁も含め3人とも『自分の国を救うのは他国ではない。自分たちが立ち上がることだ』と諭した。
 犬養は『そのためなら協力は惜しまない』と言った。それでベトナムの若者の日本留学が決まった。安南王朝の皇子クオンデも含めて300人が日本に密航して、学び、そして『仏賊を駆逐し越南を回復して共和国たる越南民国を成立させる』(潘佩珠)反仏抵抗運動組織、越南光復会が生まれた。
 『フランスの意向で追放』のくだりも誤解を招く。
 日本は日露戦争に勝った。白人が世界を支配する20世紀の入り口で、その白人国家の一つロシアが黄色人種の国に負けた。このままでは白人の面子は潰されると考えたセオドア・ルーズベルトが講和の仲介に立って敗北の証となる『賠償金』が一切ないポーツマス条約を日本に押し付けた。
 日本は膨大な戦時債を発行していた。勝って賠償金で返済するはずだったのに予定が狂った。金を貸してくれたのはフランスだけ。それもベトナム留学生の引き渡し要求付きだった。
 日本国を倒産させるわけにはいかない。でも留学生引き渡しもしなかった。日本から出る船は仏官憲がみなチェックしたが、だれも捕まらなかった。
 なせか。クオンデは上海で船を下りた。仏官憲の手が届かない港の保税区域で松岡洋右領事の車に乗って走り去った。日本は留学生のすべてをそっと逃がしていた。
 佩佩珠はこれより前にタイに脱出し、のちに広東に移って日本で学んだ留学生を軸に反仏抗争を始めた。
 この組織は以降、仏総督2人を含む要人の暗殺やサイゴンの植民地政府庁舎爆破など反仏テロを息長く続けていく。
 1925年、潘は上海で仏官憲に捕まる。プリンストン大アジア研究のマカリスター教授はホーチミンの密告だったと言う。ホーは潘にかかった15万ピアストルの懸賞金を手にした。党の活動資金にしたというが、共産党員の言うことはみないい加減だ。
 植民地政府は彼に死刑判決を宣告したが、民衆の反応を恐れて結局フエに軟禁した。潘は寓居に若者を集めて世界を教えた。今回、陛下が訪れた記念館が建てられた所だ。
 教え子の中にボー・グエン・ザップがいた。ホーの右腕としてディエンビエンフーの戦いからベトナム戦争中越紛争まで戦い抜いた老将軍だ。
 もう四半世紀前、サイゴンで80歳になった将軍に会った。
 『潘佩珠は日本のことをよく話された。外敵を追い出すのは国民以外にないことも語られた。聞いていてじっとしていられなくなったのを覚えている』
 潘は1940年、日本軍がドンダン要塞を落として仏印進駐したのを聞いて微笑みながら崩じた。
 犬養毅は自分の国は自分で守れと潘に言った。日本人を見ろ。大国ロシアだって怖じず戦い、倒したのだと。
 尖閣でなんかあったら米国が助けてくれる、防衛費より子供手当てが大事だと蓮舫が言った。外人には日本人は分からない。
 ……」
   ・   ・   ・   
 真っ当な民族・国民であれば、自国の自主独立・安全は、自力か、他国と同盟を組んで守るものであって、自主努力を放棄して属国・保護国となって依存はしない。
 東南アジア地域の民族主義者や独立運動家らは、日本の明治維新による近代化(殖産興業・富国強兵・近代教育)を手本とし、日本のような国家を建設しようとした。
 東南アジアにとって、昭和戦前期までの日本は憧れであり、希望をもたらす「アジアの光」であった。
 自主独立運動を戦った東南アジア諸民族にとって、日本天皇はアジアを未来に導く唯一の偉大な指導者であった。
 が、白人植民地支配に協力して利益を得ていた中国系住民(華僑・華人。多くがキリスト教徒)は猛反対した。
 民族主義者・独立派は、親日派として軍国日本・日本天皇に味方し、進攻してきた日本軍を解放軍として歓迎して、敵軍の情報を教え、快進撃を助ける為に軍需物資の輸送を手伝った。
 中国系住民は、反日派として白人植民地軍に義勇軍を提供して侵略してきた日本軍と共に戦った。
 ソ連・コミュニティの指導を受けた各地の共産党員は、共産国家を建設する為に、両者に味方をする振りを見せながら忍び込み、内から両者の勢力を弱体化させる為に対立を煽り、有力者の殺し合いをさせた。
 いつの時代でも、何処ででも、共産主義者はおぞましい程に陰険である。
 共産主義者の本質は、人の命を大事にする平和主義者でも人権主義者でも道徳家でもなく、人の命を道具のように磨り潰して廃棄する共産主義大義を達成を目指す暴力的革命家である。
 世界中で白人キリスト教列国の植民地化にあった諸地域、欧米諸国の都市で奴隷のような悲惨な境遇で生活していた非白人にとって、日本天皇と軍国日本は解放をもたらしてくれる「希望の光」であった。

   ・   ・   ・