✬130」─1─第一次大戦時のアメリカの反ドイツ感情。ドイツ系住民へのリンチ殺人事件。~No.376 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 人は、善い面もあれば悪い面もあり、善事を行えば悪事も働き、正しい事を言えばウソも吐くし騙しもする。
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 2020年8月号 Voice「歴史論争  渡辺惣樹
 第一次大戦と米国の反ドイツ感情
 かつて『三根耕一(みねこういち)』という歌手がいた。ディック・ミネの戦時中の名である。『ショービジネス界における英語使用禁止通達』(内務省:昭和15年3月)を受けての改名だった。9月には鉄道省内務省にならって駅構内表示をすべて日本語表記に変えさせた。カタカナ文字の学校も、文部省の勧告を受け、次々と表記を『修正』した。フェリス女学院は横浜山手女学院となり、東洋英和女学院は『英』を嫌って東洋永和女学院となった。
 こう書くと、日本政府が狂信的に英語を排除したかのように思える。
 しかし、『英語排撃運動の主体はあくまで世論であり、政府が主導して英語を規制したという事例は殆(ほとん)どな』かった。そのことは英語専門誌である『英語青年』や『英語研究』が戦時中であっても、薄くはなったが、継続的に出版されていたことからも知れる。
 ドイツを恐れたウィルソン大統領
 日本の適性語『排斥』は、第一次世界大戦時の米ウッドローウィルソン政権の反ドイツ政策に比べたら、『可愛い』ものだった。
 ウィルソンは1917年4月、対独宣戦布告した。ウィルソンの戦争動機は多々あるが、ここでは触れない。ウィルソンは国家としてドイツだけではなく、国内に多いドイツ系住民も潜在敵と見なした。当時米国の人口(1910年調査)はおよそ9,200万人であったが、その9%がドイツ系であった。彼らの多くが東海岸あるいは中西部に集中していたから、住民の35%がドイツ系という町もあった。その一つがブラック・トム事件だった。第一次世界大戦は1914年8月から始まったが、英仏は、米国から大量の軍需品を買い付けていた。米国は形式的には中立国であったが、現実には協商国(英仏露)の軍需品生産基地と化していた。ブラック・トムは、マンハッタン島対岸(ニュージャージー州)の船積み基地だった。そこで英国向け船積みを待っていたTNT火薬が突然の大爆発を起こした(1916年7月30日)。ドイツの破壊工作が疑われた。
 ドイツ系住民へのリンチ殺人
 ウィルソンのドイツへの猜疑心は対独宣戦布告以後急速に高まった。彼は、スパイ防止法(Espionage Act)、治安防止法(Sedition Act)、敵国貿易禁止法(Trading with Enemy Act)などの新法を次々に導入し、ドイツ系住民を監視させた。違反すれば一万ドルの罰金に加え、最長20年の服役が規定された。ウィルソンのこうした姿勢は、国民の反ドイツ感情を『効果的に』刺激した。ドイツ系新聞は廃刊となり、学校でも教会でもドイツ語は禁じられた。学童には一切の外国語をしようしないことを誓わされた。活動家が、深夜突然にドイツ系住民の家を襲い、家族を引きずり出し、星条旗にキスをさせたり、米国歌を無理やり歌わせる事件も起きた。
 1918年4月には、ロバート・プレイジャー事件が起きた。イリノイ州南西部の町コリンズビルの拘置所に収監(しゅうかん)されていたロバートが、暴徒に牢から引きずり出され、リンチを受け、最後は縄で首を吊られた。ロバートの収監理由は『親独の言葉を吐いた』というものだった。彼の最期は次のように描写されている。『最後にいうことはないかと(暴徒に)聞かれたロバートは、拙(つたな)い英語で、「祈らせてくれ」と答えた。膝まづき、胸に手を当てドイツ語で神に語りかけた。3分間の祈りが終わると彼の首に(木の枝に懸けられた)縄が巻かれた。誰も一言もしゃべらなかった。その縄をおよそ100の手が一気に引いた。彼らの体は10フィート(3メートル)も空に浮いた』(セント・ルイスグローブ・デモクラット紙)
 リベラル系歴史家の中には先の戦争での日本国内の反英米感情の高まりを過激に語るものがいる。しかし、筆者には、日本の敵国への態度は、米国のそれに比べたら『可愛い』ものに思えてしかたがないのである。」
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 ウィキペディア
 ブラック・トム大爆発(英: Black Tom explosion)は1916年7月30日にアメリカ合衆国ニュージャージー州ジャージーシティで発生した爆破事件。軍需物資が第一次世界大戦の連合国側諸国に輸送されるのを阻止するための、ドイツの諜報員によるアメリカ合衆国の弾薬供給に関する破壊活動であった。

 その後の影響
 国立公園局職員の話によれば長期にわたるひとつの影響は自由の女神の旅行者へのトーチの閉鎖である。「もう一つ」と職員は付け加える。それは「FBIの設立」であった。
 蚊を遠ざけるために、いぶし壺に点火した警備員の内2人は、すぐさま逮捕された。しかしすぐにいぶし壺によって火事が起こったわけではなく、そして爆発が事故ではないことが明白となった。それはミヒャエル・クリストフという名のスロバキア系移民が突き止められたことによる。その男はアメリカが第一次世界大戦に宣戦布告する前に米陸軍で兵役についたが、ドイツ人のためにスーツケースを持ち込むことを認められていた。その男によると、守衛の内2人はドイツの諜報員であるとのことだった。それは多分爆破にドイツ大使ヨハン・ハインリヒ・フォン・ベルンシュトフ伯爵が関与しており、ドイツの諜報員達によって開発された独創的な技術の一つとして、鉛筆爆弾を使うことは、おそらくフランツ・フォン・リンテレン大尉による発案であろうことだった。疑惑はその時は単にドイツの諜報員だけに向けられたが、アニー・ラーシェン事件の余波の後の調査により、ガダルの陰謀とブラック・トム大爆発の関連が明るみに出た。フランツ・フォン・パーペンが両方の事件とも関連にしたことが知られている。諜報活動が知られている海軍の理事会による後の調査は共産分子と同様に、あるいはアイルランドの行動、あるいはインドの行動との関連性を見いだした。
 ジョン・J・マクロイの進言により、リーハイ・バレー鉄道はベルリン条約に基づいてドイツとアメリカの混成賠償委員会を通してドイツに対して損害賠償を求めた。委員会は1939年にドイツ帝国に責任があることを認め、損害賠償を出すよう命じた。ドイツは1953年、ついに5,000万ドル(2009年の価値に換算して975,840,978.59ドル)の支払いに同意した。最終的な支払いは1979年に行われた。ウッドロウ・ウィルソン大統領は、再選に立候補して、確かに爆発が破壊活動事件であり、事故ではなかったということを知っていた。そしてウィルソンは戦争反対の政綱上で動いていて、破壊活動が彼の選挙にマイナスの要因を与えたことを認めていた。
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 第一世界大戦で、ドイツ帝国は優位性に戦っていたが、英米のブラック・プロパガンダに敗北した。
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 世界戦争史の事実として、国内に住む敵国人に対する差別・迫害・拷問・暴行・惨殺は普通に起きていた。
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 日本陸軍日本赤十字は、犠牲者を出しながら、フランス・パリとソ連・シベリアで人道貢献を行った。
 日本海軍は、戦死者を出しながら、地中海やインド洋・太平洋で戦争勝利に貢献していた。
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 朝鮮に浸透していたアメリカ・キリスト教会とマルクス主義共産主義は、天皇打倒の敵日であった。
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 第一次世界大戦は、1914年6月にサラエボを訪問した穏健派のオーストラリア皇太子夫妻がセルビア独立派青年に暗殺されたテロ事件が発端で起き、18年11月にドイツ帝国が降伏し、翌年パリ講和会議ベルサイユ条約が締結し、名誉を守ろうとしたオーストリア帝国を解体しハプスブルク皇帝家を消滅させて終結した。
 世界の正義と世界の平和は、皇太子夫妻をテロリストによって暗殺されたオーストリア帝国の悲嘆とハプスブルク皇帝の悲痛という人間の心情を否定し消し去った。
 日本帝国・天皇家(皇室)以外の、多民族国家であったロシア帝国・ロマノフ王家(処刑)、ドイツ帝国・ホーエンツォレルン家(国外追放)、トルコ帝国・オスマン家(国外追放)は滅亡した。
 世界史・大陸史とは、絶対勝者が自分の勝利を正義とし敗者を悪として、支配の正当性を宣言する為に書き記した歴史である。
 歴史を学ぶとは、そういう事である。
 そこには、敗者の言い分、道徳と良心、平和と人道に対する貢献は一切認められず葬り去られる。
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 軍国日本は、英語発音のカタカナ表記を和製漢字に書き換えた。
 その結果、創意工夫による新語・造語の和製漢字が爆発的に増えて日本人好みの文学的感情表現は飛躍的に豊かに多感となった。
 現代日本では、欧米言語の発音カタカナ表記が増えると柔軟性豊かな新語・造語の和製漢字が減少し始めている。
 専門家は、「アメリカ軍は日本国語を教え、日本軍は英語を教えなかった、それが両軍の差であった」と解説している。
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 シベリア出兵は大正7(1918)年から行われ、大正9(1920)年に連合国軍は撤退し、大正11(1922)年に日本軍は世界の非難を受けて撤兵した。
 国際社会は、日本国・日本人による自己防御を認めてはいない。
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 ウィルソン大統領は、1918年に民族自決国際連盟設立・通称障壁撤廃などを含む14ヵ条を提唱した。
 民族自決大義によって、中国や朝鮮で反日運動を激しくなり暴動化し、中国人や朝鮮人の暴徒は在外日本企業や在留日本人を攻撃し被害を出していた。
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 万歳事件(3・1独立暴動事件)は大正8(1919)年3月1日に発生した。
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 関東大震災は大正12(1923)年9月1日に発生し、日本人は裕仁皇太子(後の昭和天皇)を暗殺しようとしたキリスト教朝鮮人テロリスト・日本人共産主義テロリスト・反天皇反日的日本人達への恐怖から朝鮮人を惨殺する事件を起こした。
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 日本民族日本人が朝鮮人に抱いた悪感情や差別の動機は、朝鮮人を劣等者・下等者・二等国民という見下しの軽蔑・蔑視ではなく「何をしでかすか分からない得体の知れない人間」という理解不能な不安を通り越した、底知れぬ恐怖であった。
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 第32代崇峻天皇殺害を命じたのは蘇我馬子でったが、殺したのは半島系渡来人であった。
 半島系渡来人や大陸系渡来人にとって天皇は人間でしかなく、畏怖の念など微塵も持ってはいなかったがゆえに天皇殺害に躊躇いはなかった。
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 日本民族日本人は、国内外の敵から、命を犠牲にしても天皇だけは守ろうとした。
 それが、国體護持である。
 国體護持に、帰化人は協力し、渡来人は協力しなかった。
 渡来人とは、帰化を拒否した人々の事である。
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 日本民族日本人は、神性を持った現人神・天皇を殺す事は恐れおおくてできなかった。
 内親王・皇子・皇族達は、天皇位をめぐって争い時には競争相手を殺していた。
 臣下の有力者は、権力闘争や政争で敵対する皇子や皇族を殺していた。
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 日本人にとって、朝鮮人は味方で共に戦い背後を任せられる信用できる戦友だったのか、寝首を掻きに来る油断も好きもない敵だったのか、わからない。
 日本にとって、中国、ロシア・ソ連アメリカなどが獰猛な前門の虎であったのに対して、朝鮮は狡猾な後門の狼もしく薄気味悪い獅子身中の虫であった、のかもしれない。
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 A級戦犯達は、平和主義者の昭和天皇の意を受けて、人道貢献を幾つも行っていたが、戦争を始めた戦争犯罪者としてリンチ的縛り首で殺された。
 現代日本は、昭和天皇の平和貢献とA級戦犯達、軍部・陸軍の人道貢献を認めない。
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