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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本が明治から昭和初期までの戦争は、ロシア・ソ連の侵略者から天皇・国・民族を死守する積極的自衛戦争であった。
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近代日本の主敵は、白人キリスト教のロシアとロシア人であった。
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ロシアは、江戸時代後期から日本の敵であり、日本を襲う侵略者であった。
ロシアには、中国・朝鮮同様に親日派も知日派も存在しない。
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反天皇反民族反日的日本人のマルクス主義者は、人民の正義・人民の大義の為に、人道貢献をした昭和天皇より日本を滅ぼし昭和天皇を殺そうとしたリヒャルト・ゾルゲを選ぶ。
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2022年10月20日 MicrosoftNews 映画スクエア「日本で諜報活動 処刑されたソ連スパイを描く 「スパイを愛した女たち リヒャルト・ゾルゲ」劇場公開決定
© 映画スクエア
日本での諜報活動によって逮捕・処刑された、実在したソ連のスパイであるリヒャルト•ゾルゲを描いた全12話の連続ドラマ「スパイを愛した女たち リヒャルト・ゾルゲ」が、 2023年2月より劇場公開されることが決まった。
ナチスドイツの大手新聞社の記者として東京で諜報活動するソビエト連邦のスパイ、リヒャルト•ゾルゲ。ヒトラーによるソ連侵攻を知ったゾルゲはソ連側に情報を伝えるも、信用されなかった。その後もソ連に情報を送りつづけるゾルゲだったが、特別高等警察に諜報団の存在を感知されてしまう。やがて、1941年にナチスドイツがソ連に攻め込み、ソ連はゾルゲへの評価をあらためたものの、ゾルゲ率いる諜報団には危機が迫っていた。そんな中、精神の安定を保つため酒と女にのめり込むゾルゲは、日本人女性の花子と同棲しながら、元恋人の駐日ドイツ大使の妻にも惹かれていく。
近年、ロシアで再評価されるようになったリヒャルト•ゾルゲ。彼の日本での巧みな諜報活動から逮捕・処刑に至るまでの半生と、知られざる多彩な女性関係を描いたドラマとなっている。ウクライナ・オデーサ出身のセルゲイ•ギンズブルグによって、2年以上もの撮影期間と7億円もの巨費を投じて製作され、高視聴率を獲得。主人公ゾルゲを演じるのは、「ソローキンの見た桜」でボイスマン大佐役を務めたアレクサンドル•ドモガロフ。共演に、山本修夢、木下順介、瀬戸元などの日本人が出演。ゾルゲの恋人•花子役を、2022年7月に38歳でこの世を去った中丸シオン演じている。
© 映画スクエア
【作品情報】
スパイを愛した女たち リヒャルト・ゾルゲ
2023年2月、新宿 K’s cinema にて ロードショー
配給:平成プロジェクト
© 平成プロジェクト 2023 年
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32年テーゼ
1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ソ連軍とロシア人共産主義者は、逃げ惑う日本人避難民(主に女性や子供)数十万人を大虐殺し、北方領土4島を強奪して不当占拠した。
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昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストであった。
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靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
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歴史的人道貢献とは。昭和天皇とA級戦犯である東条英機、松岡洋右、松井石根らは、ソ連のポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランド・ユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツ、ゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
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昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
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日本国内には、天皇制度を廃絶しようとしている反天皇反民族反日的日本人達が高学歴の知的エリートや進歩的インテリに数多く存在している。
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現代の日本人、政治家・官僚・学者そしてメディア関係者も誰も重大問題とはせず、沈黙、つまりは黙認している。
現代の学校歴史教育では、昭和天皇が行った数々の歴史的偉大な功績は否定され抹消されている。
つまり、生徒・学生で昭和天皇は嫌いが大多数で、昭和天皇が好きだという子供は異常・おかしいとされている。
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昔の日本人は、戦場で人殺しの戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で人助けの人道貢献や平和貢献を行った。
現代の日本人は、戦争犯罪を行わないが、人道貢献や平和貢献も行わない。
事実、中国共産党がウイグル・内モンゴル・チベットで行っている人道に対する犯罪であるジェノサイドから目を逸らしている。
興味も関心もないと公言する親中国派・媚中派の政治家や官僚が存在する。
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戦前の軍国日本は、同盟国のナチス・ドイツからの外圧を無視し、友好国のアメリカやイギリスが嫌がっても、天皇と日本を頼って逃げて来たポーランド・ユダヤ人難民を助けていた。
現代の平和国家日本は、日本の経済と中国との交易の為に、「友人に嫌がる事はしない」と公言して、中国共産党が行っているウイグル人・チベット人・モンゴル人・少数民族・民主派・法輪功などに対する虐殺から目を逸らし、中国共産党に忖度し顔色をうかがい犠牲者を助けようとはしない。
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近代的軍国日本の戦争とは、数千年前の弥生時代・古墳時代からの天皇を中心とした国體を死守する為の積極的自衛戦争であった。
国體には、数万年前の旧石器時代・縄文時代からの原始的民族神話が深層に流れている。
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レーニンは、世界人民革命戦略から、中国共産党・日本共産党など極東アジアの共産主義者に対して、日本とアメリカを戦争させ世界戦争に拡大し、西洋列強の富と力の源であるアジアの植民地を解放するように示唆した。
つまり、軍国日本が戦った日中戦争や太平洋戦争はレーニンが仕組んだ謀略であった。
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昭和6(1931)年9月18日 満州事変。
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昭和7(1932)年 ソ連・コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を惨殺して大虐殺を伴うロシアのような共産主義暴力革命を起こすべく活動を本格化させた。
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スターリン「日露戦争で屈辱的な敗北を喫したのは、日本に天皇制があったからだ。これを打倒しなければ、日本はいつまでたっても極東においてロシアの脅威になる。権力の中枢である天皇制に何としても打撃を与えなければならない。日本共産党の任務はそこにある」
イギリス、イタリア、ベルギーなど西洋諸国の各国の共産党は、自国の王室を人民の敵とは認めず、それ故に一度も「王室打倒」とは叫ばなかったし、ソ連・国際共産主義勢力も命じなかったし求めなかった。
ロシア人理論家のニコライ・ブハーリンはスターリンの意向を受けて、日本共産党・日本人共産主義者・マルクス主義者らに送られる書簡に「天皇打倒」を書き加え、同時に各国の全ての共産党・共産主義者にも同様の文言「32年テーゼ」を送った。
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昭和8(1933)年頃から、日本人の共産主義者・社会主義者から大量の転向が続出し、日本共産党は治安維持法による弾圧で壊滅状態に追い込まれ、過激分子は地下に潜って反天皇反民族反日運動を続けた。
転向を拒否した日本共産党幹部は、逮捕されて収監されるか、中国に亡命しソ連やアメリカの支援を受けた。
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日本人共産主義者を庇っていたのが、敵日の中国共産党と人民解放軍(現代の中国軍)であった。
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日本人のマルクス主義者や無政府主義者とキリスト教系朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為に付け狙っていた。
日本人共産主義者とは、反天皇反民族反日本であり反宗教無神論である。
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軍事国家日本は、明治から昭和初期まで戦った大陸戦争は領土拡大の帝国主義的侵略戦争ではなく、天皇・国・民族、歴史・文化・伝統・宗教を外敵から守る民族主義的自衛戦争で、国内に引き込んで撃破する消極的専守防衛ではなく外地の敵軍基地を粉砕する積極的先制防衛であった。
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日本の戦争とは、天皇・皇室と日本国と日本民族を、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、マルクス・レーニン主義=共産主義のイデオロギー侵略から守る母国防衛戦争であり、敵に味方する反日・敵日の中国や朝鮮など周辺諸国を攻撃殲滅し各国に親日傀儡政権をつくり攻守同盟を結ぶ積極的自衛戦争であった。
明治新政府が、近代的天皇制度中央集権国家を選択し、軍国主義政策を採用して、富国強兵・殖産興業・近代教育で軍国日本へと暴走したのはこの為であった。
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日本がアメリカに恐怖したのは、アメリカによるハワイ王国侵略とハワイ王家滅亡、そして自由・民主主義の大義とキリスト教の正義によってと民族の宗教・言語・文化・風習・その他がハワイ諸島から根刮ぎ消滅させられた事である。
アメリカの太平洋侵略を最も警戒したのが、1894(明治27)年にハワイ王国滅亡を目の当たりにした東郷平八郎であった。
ハワイ王国は、アメリカからの侵略から母国を守る為に日本の軍事支援を期待して、明治天皇に天皇家との姻戚関係を申し込んだ。
日本は対ロシア戦に備えて軍備強化を急いでおり、そこに新たに対アメリカ戦を加える余裕はなく、苦渋の選択として天皇家とハワイ王家との結婚は断り、1898(明治31)年にハワイ王国の滅亡を涙を流しながら傍観するしかなかった。
日本海軍内のワシントン海軍軍縮会議に猛反対した艦隊派は、ハワイ王国滅亡を教訓としていた。
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徳川幕府は、アイヌ人が住む蝦夷地、北方領土を日本の固有領土として統治し守っていた。
ロシアは、千島列島を南下していたが樺太には進出していなかった。
1785年 老中・田沼意次は、ロシアの侵略を警戒して蝦夷地探索隊を派遣した。
1789(寛政元)年 徳川幕府は、アイヌの蜂起クナシリ・メナシの戦いの背後にロシアが策謀していると疑い警戒した。
1792年 老中・松平定信の寛政日露交渉。水戸学による攘夷運動の始まり。
1806年 文化露寇。
1807年 徳川幕府は、東北諸藩に対して蝦夷地防衛の派兵を命じた。
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日本の近代化の目的は、対外戦争を戦う為の軍国主義化であった。
日本の開国・幕末・明治維新・戊辰戦争・近代化・軍国主義化の発端は、ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略で、その歴史的事実が、中世キリスト教会の日本人奴隷交易、寛政日露交渉(1792年)と攘夷運動、文化露寇事件(1807年)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、攘夷派が激怒した対馬事件(1854年)の弱腰交渉、などであった。
日本をロシアから救ったのは、戦争も辞さずのイギリスの軍事力・海軍力であった。
軍事を否定し信用しない国家・国民・民族には、現実世界で生きる資格はなかった。
熱狂的天皇主義者(現代の右翼・右派・ネットウハ、一部の保守派とは無関係)である尊皇派・勤皇派による攘夷運動は、間違った愛国主義・民族主義ではなく、正しい軍国主義・国粋主義・好戦主義、正義の戦争・聖戦であった。
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神国日本を守る為の攘夷対象は、軍事侵略を企むロシアと宗教侵略を繰り返すキリスト教であった。
徳川幕府の経教分離の原則を受け入れて交易を行っていたオランダは、排除すべき攘夷の対象ではなかった。
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ロシアの日本侵略は、ヨーロッパ戦争と連動していた。
1729年~1796年 ロシア女帝エカテリーナ2世(ドイツ人将軍の娘)。
ロシアの海外戦略は、1,ウクライナ、黒海、バルカン半島への領土拡大、2,。アラスカ・北米大陸の開拓、3,日本との交易であった。
1796年~1815年 ナポレオン戦争。
1812年 ナポレオンのモスクワ遠征。
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1689年 ネルチンスク条約。ロシア帝国と清王朝は、国境線を外興安嶺(スタノヴォイ山脈)とアルグン川(アムール川上流)を結ぶ線に定めます。
1858年アイグン条約。ロシアは、アムール川(中国名は黒竜江)以北のシベリアの地を強引に割譲させロシア領とした。
1860年 北京条約。ロシアは、アロー戦争に介入し英仏連合軍が北京を占領した所で講和を斡旋し、その見返りとしてウスリー川以東の沿海州を獲得し沿海州の南端の地にウラジオストクを建設した。
ロシアは、不当な手段で手に入れた領土は戦争に負けて奪われない限り返還する事はなかった。
ウラジオストクは冬でも凍らない不凍港で、日本海を南下して中国、朝鮮、日本への侵出を手に入れたが、目障りなのはウラジオストクにある樺太が日本の勢力圏にある事であった。
ロシアは、樺太を自国領にする為にロシア人の軍人や囚人を上陸させて、反日的先住民を味方につけ日本人や親日派アイヌ人に対する暴力事件を頻発させた。
明治8(1875)年 樺太・千島交換条約。明治新政府は、ロシアとの戦争を避ける為に樺太問題を解決すべくロシア領千島との交換条約を結んだ。
日本側の戦略的利点は、ロシア海軍をウラジオストクと樺太の日本海内に封じ込め、宗谷海峡・津軽海峡・対馬海峡を抑えてしまえば太平洋への航路を遮断する事ができた。
ロシアの対アジア政策とは、限られた軍団と艦隊による日本海支配であって、大軍団と大艦隊による日本侵略ではなかった。
日本海を手に入れる為に、陸軍は満州から遼東半島・朝鮮半島に軍事要塞都市を建設して防衛軍団を配備し、海軍は対馬と樺太を手に入れ旅順・対馬・ウラジオストクを軍港要塞都市として守備艦隊を配置する、であった。
1891(明治24)年 ロシアはシベリア鉄道敷設工事を始めた。
文久元年の農奴解放以来、ロシアの農村は余剰労働力を抱えていた。農民の不満の高まりは、ロシアにとって命取りになる。そこで、鉄道沿線のシベリアへ、農民の入植を促進するのが最大の目的であった。
日本は、シベリア鉄道は軍事目的と見なして警戒し、ロシアとの戦争に備えて軍国主義政策を採用し、強権を持って国民生活を犠牲にして軍拡を進めた。
イギリスは、上海・香港の中国利権をロシアから守る為に日本に接近した。
日露戦争は不可避となり、開戦のその時が刻々と迫っていた。
日本の戦争は、領土拡大の帝国主義的侵略戦争ではなく祖国防衛の民族主義的自衛戦争であった。
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日本には、大航海時代の中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易(被害者として)と日本軍部・陸軍・A級戦犯によるポーランド・ユダヤ人難民(数万人)をホロコーストから守ったという人道貢献(実行者として)を世界記憶遺産に申請する資格・権利がある。
これは、日本国家ではなく、生きている日本民族日本人としての責務である。
日本人奴隷交易とA級戦犯の人道貢献には、その事実を証明する・裏付ける公文書・古文書・キリスト教会報告書など歴史的証拠が国内外に数多く残っている。
もし、日本の申請が認められないというのならば、ユネスコとイコモスによる世界遺産・世界文化遺産・世界記憶遺産には存在意義はない、無意味・無価値という事である。
日本人奴隷交易の責任の一端は、乱取りで捕らえた日本人を奴隷として外国人に売った日本人にもある。
A級戦犯が有罪となって見せしめ的リンチ縛り首で処刑にされた罪状は、政治家・官僚・軍人として戦争を始めた平和に対する罪であって、拷問・虐待・惨殺・虐殺を行った人道に対する罪ではなかった。
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西洋キリスト教文明国からすれば、日本人はアフリカ人同様に奴隷もしくは人間以下の家畜、自由に殺してかまわない獣であった。
バチカン、ローマ教皇は、改宗した日本人キリシタンを奴隷にする事は禁止したが、改宗を拒む異教徒日本人を奴隷とする事は認めた。
宣教師達は、日本人を救う為に布教活動を行い、多くの日本人をキリシタンに改宗させた。
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