💒88」─10─1899年12月のハワイ黒死病事件と南アフリカのアパルトヘイト。~No.299No.300 ⑪

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 1894年に香港でペストが大流行した。
 世界的パンデミックは、世界に流出した中国人労働者が原因であった。
 発生源は、各国のチャイナ・タウンであった。
 非人道的な人種差別や隔離政策は、パンデミックが原因であった。
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 飯島渉著『感染症の中国史 公衆衛生と東アジア』 中央公論新社
 「1 ペストのグローバル化──雲南・香港から世界へ
 感染爆発
 19世紀末、ちょうど日清戦争が勃発した1894年、香港でペストが大流行しました。感染症の世界では、このした大流行のことを『感染爆発』や『パンデミック』(pandemic)と呼んでいます。このとき香港で流行したペストは、腺(せん)ペスト(bubonic plague)と呼ばれる種類のペストでリンパ腺が腫れるのが特徴です。
 ペストは、ペスト菌によって引き起こされる感染症で、ネズミなどの動物に付着したノミがヒトを吸血し、ヒトの体内にペスト菌が取り込まれ発症します。ヨーロッパ中世を席捲(せっけん)した黒死病は、このペストであったと考えられています。
 1894年の香港での大流行をきっかけとして、ペストは、台湾、さらに上海、天津などの中国沿岸地域を北上し、97年には日本の神戸でも患者が発見されています。のちにペストは、東南アジアからインド、アフリカへと西進し、また、ハワイから北米、太平洋諸島、南米へもその感染が広がりました。ペストのグローバル化です。
 ……
 香港での感染爆発
 広州での流行ののち、1894年5月、ついに香港でもペストが発生しました。香港政庁によると、6月初旬までに、ペストによる死者は約1,500人を数え、6月中旬には1日に60~70人の患者が発生するという最悪の事態を迎えました。この年の香港でのペストの流行は、患者2,679人、死者2,552人を数える大流行となります。ただし、この数はあくまでも確認された患者数です。実際にはこれより多くの患者や死者が出たと推定できます。
 ……
 ハワイ黒死病事件
 香港での感染爆発を経て、ペストがグローバル化すると、感染症対策をめぐって各地でさまざまな問題が発生しています。ここでは、中国との関係の深いハワイの事例を紹介しておきましょう。ホノルルでペスト患者が発見されたのは1899年12月でした。第一患者は、チャイナタウンの中国人商店の店員(中国人)で、香港からの感染だと考えられています。
 ハワイには多くの中国人移民が生活していました。けれども、ハワイに移民したのは決して中国人だけではありません。日本からの移民の多くは沖縄出身でしたが、中国人移民や日本人移民が、ハワイでのサトウキビ生産のためのプランティーションなどで過酷な労働に従事していました。
 ハワイに中国人や日本人の移民が導入されることになったのはなぜでしょうか。これも感染症の歴史と深い関係があります。ハワイがヨーロッパ人によって『発見』されると、ヨーロッパ人はさまざまな感染症も持ち込みましたこの点について本書で詳しく取り上げることはできませんが、ハワイの原住民は、ヨーロッパ人が持ち込んだ感染症(麻疹、結核コレラ、性病など)によって18世紀末には30万人ほどであった人口が100年ほどのあいだに6万人程度に激減します。その結果、アメリカ人がハワイのプランティーションなどを経営する際に、労働力としてたくさんの中国人や日本人を受け入れざるをえなくなったのです。
 感染症による人口の減少が顕著だったのは南アメリカでした。スペイン人やポルトガル人が持ち込んだ天然痘が原住民社会の人口を激減させ、結果として、植民地化が進んだのです。アルフレッド・クロスビーは、こうした感染症の大陸間の伝播を、コロンビアン・イクスチェンジ(Columbian Exchange コロンブスの交換)と呼んでいます(Crosby,AW.,The Colunbian Exchange;Biological and Cultural Consequences of 1492)。コロンブス以来の感染症の交換というわけです。ハワイでも状況は同じでした。
 香港からのペストの伝播に対してホノルル当局は、交通遮断を実施し、患者の家屋の焼却(1900年1月)とチャイナタウンの中国人と日本人(当時は、日本人も雑居)および原住民の立退き、ペレタニア街カナカ寺院への隔離を進め、住民の水浴・消毒を実施します。
 こうした対策の背景には、間違いなく人種的な偏見がありました。ペストが香港からの感染であることもそれを増幅させました。また、経済的社会的な理由も指摘されています。農業労働者としてハワイに渡った中国人や日本人のなかには、お金を貯め、商店を経営したり、さまざまな事業でしだいに成功をおさめる者が出ていました。ホノルルの中国人や日本人は、当局が進めるチャイナタウンへの対策の後ろで彼らの成功を妬(ねた)んだ白人実業家が糸を引いていると考えていました。
 1900年1月20日、チャイナタウンで大火災が発生しました。ペスト対策の一環として、家屋などの大規模な焼却を実施した際、大火災となったのです。これは『ハワイ黒死病事件』と呼ばれています。この大火災は、失火説、放火説など諸説あるのですが、いずれにしてもペストのグローバル化のなかで引き起こされた事件でした。
 その後、ホノルルでのペストの流行は収束に向かい、4月1日にようやく隔離措置が解除されました。結局、1900年ハワイのペストによる死者は、約60人にのぼっています。
 ハワイ黒死病事件は賠償交渉が難航し、法廷に持ち込まれます。このとき法廷の構成が不公平であるとして、1900年4月6日、日清両国連合委員会が設置され、公正な補償を要求する日清両国人連合大演説会が開かれ、法廷はいったん閉鎖されます。8月になって法廷は再開されますが、補償金額や支払い方法をめぐる対立が続きます。ハワイ在住の日本人は日本の外務省にアメリカ当局と交渉種するよう要望し、中国人も清朝政府の外務部(総理衙門に代わり対外関係を担当することになった機関、外務省に相当)にこの問題を訴えることになりました。こうして、ペストの流行によって引き起こされた事件は、日本や中国とアメリカの間で外交案件のひとつとなったのです。
 ペストのグローバル化は、19世紀後半からの汽船交通ルートの整備によるヒトの移動の活性化(スピードの向上や移動のサイズの拡大)を背景としていました。1899年にはアフリカ東海岸モーリシャス諸島のポートルイスでもペストが発生しています。このとき、ポートルイスの華僑社会では、広東省出身者のリーダーであった鄧雲が香港の東華医院をモデルとして開発良鼠疫医院を設置し、対策を進めました。
 1901年、ペストは南アフリカへも感染しました。これを契機にケープタウンではアフリカ人の隔離が行われ、これがのちの人種差別政策のきっかけとなったのです。
 1894年香港での大流行ののち、ペストは上海や天津、営口などの中国沿岸都市に広がり、台湾や日本、そしてハワイや北米にも広がりました。また、東南アジアやインド、アフリカへも広がり、まさにグローバル化しました」
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 ホンシェルジュ
 アパルトヘイトとは?簡単に説明
 アフリカーンス語で「分離」という意味をもつアパルトヘイト。白人以外の人種の政治的・社会的権利を奪い、居住区まで指定した差別的政策です。
 南アフリカでは長期にわたって施行され、その対象となったのは黒人のほか、インド人やパキスタン人などの有色人種。国家の予算を減らすため、安くて大量の労働力を確保しようと限定的な居住区に押し込み、白人の絶対的優位を示しました。
 そもそも南アフリカで政権を握っていた白人は、かねてからそこに住んでいたわけではありません。植民地としてオランダからイギリスに譲渡されたことをきっかけに、白人の人口が徐々に増えていき、実権を握りはじめたのです。
 アパルトヘイトはなぜ起きた?その背景とは。
 アパルトヘイトの背景には、南アフリカの発展に大きく影響を与えた鉱山の開発があります。1860年代に世界最大の金脈が発見され本格的な開発がスタートしましたが、鉱石が地中深くに存在していたため、採掘と運搬のために大量の人手と時間を必要としていました。労働者の確保が最大の課題となっていたのです。
 これを解消するために制定されたのが、「グレン・グレイ法」というもの。黒人の共同利用の禁止、黒人を一定地域に集める、1年間のうち3ヶ月以上雇用されていない黒人には課税する、などを取り決め、労働力を得ようとします。
 この法律はグレン・グレイ地方でのみ通用するものでしたが、アパルトヘイトの原点ともいわれ、1910年に南アフリカ連邦が成立して以降も、同様の意図をもった法律がさまざまな場所え制定されました。
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 外国人移民を受け入れる事は、疫病・伝染病の蔓延と死亡者の増加の原因となる。
 帝国主義による植民地化とは、植民地における先住民人口を減らす事であって増やす事ではなかった。
 つまり、植民地の先住民人口を増やす事は植民地支配の失敗である。
 世界史の常識からすれば、日本の朝鮮植民地支配は失敗でった。
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 人類史においてコロンブスの交換は必然的に起き、旧人類は絶滅し、新人類は生き残った。
 遅れてアフリカを出た現生人類であるホモ・サピエンスは、先に出たネアンデルタール人やデニソワ人等と乱婚する事で遺伝子レベルで免疫を受け継いで生き残った。
 人類の進化とは、そうした乱婚を繰り返し混血化を深め雑種化する事でった。
 それが、種の多様性である。 
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 昔の日本は、現代の日本とは違って国益と名誉にかけて在外日本人の権利と自由を守る為に外交交渉を行っていた。
 外圧に弱いのは、現代日本だけであって昔の日本にはなかった。
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 歴史的事実として、外国人移民が増える事によって、差別による犯罪事件の増加による治安の悪化以上に、海外発生の疫病・感染症が移住地に蔓延して免疫力のない先住民の大量死が発生した。
 住民は入れ替わり、外来の新しい住民が多数派となり在来の古い住民は少数派となる。
 外国人移民によって、乗っ取られたのはハワイ王国であり、少数派に追いやられて権利を奪われ支配されたのはハワイ人である。
 ハワイ人人口激減とハワイ王国滅亡をもたらした原因は、中国人移民や中国人労働者(苦力)がつくったチャイナ・タウン(中国人居住区)であった。
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 戦前日本に移住してきた中国人は、不衛生な大陸系漢族ではなく清潔な台湾系台湾人であった。
 日本に於ける大陸由来の疫病・伝染病は、台湾系台湾人のチャイナ・タウンではなく大陸系漢族のチャイナ・タウンから蔓延していた。
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