✞173」─1─バチカンは、改宗者ユダヤ人を助けたが、ユダヤ教徒ユダヤ人は助けなかった。ノルマンディー上陸作戦。1944年~No.516No.517No.518No.519  @   

ワルシャワ蜂起―一九四四年の六三日

ワルシャワ蜂起―一九四四年の六三日

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗   
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・  
 キリスト教は、絶対神の「愛の信仰」を受け入れた契約者・信者を救済したが、「愛の信仰」を受け入れない異教徒を見捨てた。
 それが、異教徒が女や子供でも同様である。
 ただし、自分の意志で信仰の選択が決められない乳幼児は、絶対神の恩寵として保護した。
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 アメリカ軍兵士は、ドイツ軍に捕らえられて捕虜収容所に送られたが、脱走を試みようとしたのは約55であった。
 約95%は、危険を冒してまでして脱出しようというアメリカ軍兵士捕虜はいなかった。
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 ホロコーストを行ったナチス・ドイツは、絶滅収容所で虐殺したユダヤ人等の遺体の処理を如何するか研究し、無駄な労力である埋葬をやめ効率的な火葬を行った。
 数十万数百万もの遺体を穴を掘って埋めるには、広大な場所を、数十万人の労働者を強制的に集めて深く掘る必要があった。
 川に流せば、下流で遺体が流れせき止めて腐敗して疫病が発生した。
 海に流せば、彼方此方の海岸に遺体が打ち上げられ環境を悪化させた。
 数万や十数万人の遺体の処理は簡単であったが、数十万から数百万人の処理は尋常ではなかった。
 燃やした後の遺灰であれば、捨てる場所は狭くて済むし、嫌がる労働者を集める必要もなかった。
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 クロアチア人は、ナチス・ドイツに協力してユダヤ人とセルビア人合計約100万人をヤセノヴァッ強制収容所に送って虐殺した。
 ユーゴスラビアにおける民族と宗教の対立は、15世紀から始まっている。
 ナチス・ドイツホロコーストに協力した人間は、ヨーロッパに数多く存在していた。
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 1944年 ルーズベルトは、大票田を持つ反ユダヤ勢力に配慮して、訪米したデーヴィッド・ベングリオンに合わないようにモーゲンソーらシオニストに要請した。
 アメリカは、意図的にホロコーストを無きものとして行動していた。
 連合軍も、ユダヤ人殲滅計画を知らないが如くアウシュビッツなどの絶滅収容所空爆せず、目の前の戦闘のみに没頭した。
 バチカンとピウス12世は、反宗教無神論共産主義から西欧を守る為に、ホロコーストを中止する様にヒトラーに抗議する事を控えた。
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 ディートリッヒ・ボンヘッファー(4月30日)「僕は、限界においてではなく真唯中において、弱さにおいてではなくて力において、従って死や罪を契機にしてではなく生において、また人間の善において神について語りたいのだ。限界にぶつかった時は沈黙して、解決し難い事は未解決のままにして置く事がずっと良いように思われる」
 (4月30日)「宗教的な人間は、人間の認識がしばしば考える事を怠ける為に行き詰まるが、人間の諸能力が役立たなくなると、神について語る。 ─ しかしそれは、もともといつも、急場を救う『機械仕掛けの神』だ。それを彼らは解決しがたい問題の見せ掛けの解決の為か、もしくは、人間が失敗した時の力として、従って常に人間の弱さを食い物にしながら、つまり人間の限界のところで登場させる」
 (5月)「我々がキリスト者であるという事は、今日では唯二つの事においてのみ成り立つだろう。すなわち、祈る事と、人々の間で正義を行う事だ。キリスト教の事柄における思考・言辞・組織にすべて、この祈る事、正義を行う事から新しく生まれて来なければならない」
 (5月29日)「神が知られる事を望むのは生においてであって、死ぬ時に初めてというのではなく。健康と力においてであって、苦難の時に初めてというのではい。行為においてであって、罪を犯した時に初めてというのではない。そのことの根拠は、イエス・キリストにおける神の啓示にある。彼は生の中心であって、決して我々の未解決の問題に答えるという『事の為に来られた』のではない」
 (7月16日)「我々と共にいる神とは、我々を見捨てる神なのだ(マルコ15・34)。神という作業仮説なしにこの世で生きるようにさせる神こそ、我々が絶えずその前に立っているところの神なのだ。
 神の前、神と共に、我々は神なしに生きる」
 (8月)「イエス・キリストとの出会い。ここですべての人間存在の逆転が、しかもイエスがただ『他者の為に存在する』という事において与えられるという経験。イエスの『他者の為に存在』が超越経験なのだ!御自身からの自由、死に至るまで『他者の為に存在する』と言う事。……信仰とは、このイエスの存在にあずかる事だ」(『ある書物の草案』)
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 ユダヤ人テロリスト集団・シュテルンは、カイロでイギリス人外交官モイネ卿を暗殺した。
 パレスチナユダヤ人の土地にする為に、イルグン・ツヴァイ・ロイミと共に、パレスチナに駐屯しているイギリス軍兵士に対する拷問と虐殺事件を増加させた。
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 3月 イタリアのパルチザンは、ローマに駐屯しているドイツ軍兵士31名をダイナマイトで策害した。
 ドイツ軍は、報復としてローマ市民335名を射殺した。
 ピウス12世は、ドイツ軍の報復殺人にも沈黙を守り、信者に抵抗せず信仰を維持する様に訴えた。
 ハンガリーのホルティ政権は、ナチス・ドイツに隠れて連合国側との単独講和の途を模索した。
 ドイツ軍は、ハンガリーを占領し、傀儡のストーヤイ政権を成立させた。
 ストーヤイ政権は、ナチス・ドイツからのユダヤ人絶滅政策を強要され、76万7,000人を絶滅収容所に送る手配を始めた。 
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 ドイツ軍による虐殺。
 イタリアのチヴィテッラ村で、村人約250人の虐殺。
 イタリアのサンタナ村で、子供100人を含む560人の村人を虐殺。
 ギリシャのディストモ村で、大虐殺。
 戦後。ドイツ政府は、全ての賠償裁判で、謝罪と賠償の義務はないとして拒否した。
 ドイツは、国家の責任から、戦争犯罪に対して、謝罪もしなければ、賠償金も払った事はない。
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 4月 ナチス・ドイツの政府と国防軍の一部の保守層は、ドイツを破滅的戦争から救う為に、ヒトラー総統の意思とは別に和平を望んでいた。
 もし、連合国が望めば、ヒトラーを総統の座から引き摺り降ろす事も視野に入れていた。
 帝国以来の栄光あるドイツ国防軍にとって、ヒトラー総統は優れた政治家であっても優秀な軍人ではなく、身分低い庶民出身であり、正規の軍事教育を受けた事のない精神疾患を持った「いかれた」下級兵士にすぎなかった。
 連合国は、ドイツ国内に停戦を望む声がある事を内通情報で知っていたが、無条件降伏の原則を受け入れないうちは交渉に応ずるつもりはなかった。
 アメリカの国政を左右できる有力団体は、戦争継続を政府や軍当局に求め、ドイツを焦土にし、国際競争力を持った産業国家ではなく主要産業を持たない農業国家に改善させる事を要求していた。彼等は、この最終目的が達成される前に戦争が終結する事を恐れていた。
 アウシュヴィッツ絶滅収容所から2名のユダヤ人が逃亡して、連合国の報道機関にホロコーストの実態を知らせた。
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 5月 アイヒマンは、ハンガリーの矢十字党の利用して、ハンガリー国内のユダヤ人76万7,000人をアウシュヴィッツへの強制移送を開始した。
 5月5日 ハインリヒ・ヒムラーユダヤ人問題は、我々の血の存続が掛かった、生死を分ける戦いに相応しい妥協なき形で解決されねばならない。服従の精神と絶対的確信に基づきつつ、この軍事命令の遂行が、私にとっていかに難しいものか諸君は理解できるだろう。『男に関しては分かるが、なぜ子どもたちまでころすのか』と諸君は問うかもしれない。が、過去の戦争のルールは捨てねばならない。ドイツ人たる我々としては、いかに心が重かろうと、憎悪と復讐心に満ちたユダヤ人世代を成長させるわけにはいかない。我々の心の弱さと臆病のため、我々の子や孫の世代に苦労の種を残す事を意味するからだ」
 5月17日 ブダペストユダヤ人組織は、スイスのアメリカ大使館経由で連合軍に対してポーランドへの鉄道路線とコシチェ・プレソフ分岐点の空爆を要請した。
 イスラエルユダヤ人代表部も、アウシュヴィッツ絶滅収容所と輸送線路の空爆を強く要請した。
 バチカンの駐ハンガリー大使ロッタ大司教は、ピウス12世の許可を受けず、個人の資格で、摂政ホルティに対して絶対神とキリストの御名によって強制移送の即時中止を要請した。
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 6月 ドイツ軍は、ギリシャ中部のディストモ村を攻撃して、住民218人を虐殺した。
 ナチス・ドイツは、3年半にわたってギリシャを占領し、ギリシャ中央銀行の莫大な資金や反ドイツ派の資産を奪い、ギリシャ経済を破壊した。
 最低限の食べ物を与えて残りの食糧を奪った為に、各地で飢餓が発生し、アテネ市内だけで4万人以上が餓死した。
 ドイツ政府は、東西両ドイツが1990年に米英仏ソなどの旧連合国とドイツ最終規定条約を結び、賠償問題は解決済みという立場を取っている。
 「賠償問題は解決済み」の原則に従い、ギリシャのディストモ村虐殺賠償など旧占領地からの国家及び民間の賠償請求を全て拒否した。
 ドイツは、逃れようもないユダヤ人虐殺のホロコーストに関しては謝罪したが、それ以外の事で謝罪もしなければ賠償もしていない。
 もし、謝罪したとしてもそれはリップサービスのようなものであり、賠償をしたとしても請求額全額ではなかった。
 6月4日 連合国は、ローマを解放した。
 ピウス12世は、撤退するドイツ軍に対し、ローマは中立都市であると訴えて
 ドイツ軍は、バチカンが協力であった事を考慮して、都市破壊をせずにローマを明け渡した。
 ローマ教皇バチカンは、ドイツ軍の蛮行に抗議をせず、抵抗せず、ホロコーストから目をそらし、ユダヤ教徒ユダヤ人を救う為に手を貸さず、無言で絶対神に祈るだけで永遠の聖都ローマを守った。
 数万人のローマ市民は、サン・ピエトロ大聖堂前の大広場に詰めかけて、ドイツ軍からの解放を喜び、絶対神に感謝を捧げた。
 ピウス12世とバチカン関係者は、宮殿のバルコニーに出て集まった群衆に祝福を与えた。
 イタリア国内のカトリック系救済組織は、飢えと困窮に苦しんだローマ市民を救うべく食糧などの必要物資をローマに送り届けた。
 アメリカのバチカン臨時代理大使ティットマンは、ピウス12世に、ハンガリー政府に大量虐殺に協力しない様にとの要請しべきであると訴えた。
 パレスチナユダヤ人からも、バチカンに、ハンガリーユダヤ人を救ってくれる様に嘆願した。
 ピウス12世もバチカンも、敬虔なる信仰はあっても、軍事力が無かった為に、ホロコーストを阻止する事が出来ず、ユダヤ人絶滅計画を知りながら目をそらして沈黙するしかなかった。
 ドメニコ・タルディーニ「ピウス12世は職務の遂行においても、また決断においても、大いなる孤独な人であった」
 6月6日 ノルマンディー上陸作戦。
 シャルル・ド・ゴールは、アルジェリア兵・モロッコ兵・セネガルの狙撃兵を主兵力とする自由フランス軍部隊をソード海岸に上陸させた。
 6月7日 二世部隊である第442連隊戦闘団は、イタリアのアンツィオに上陸し、ドイツ軍との戦闘に参加した。
 他の連合国兵士は、人種差別から日系アメリカ人兵士を軽蔑していた。
 連合国軍首脳部は、二世部隊を信用して戦場に投入すべきか苦慮し、むしろ黒人兵と同じく後方支援賭として汚い雑用を行わせるべきとの意見も出ていた。
 戦闘が激化するにつれて、最も戦死者が出そうな部署に第422連隊と第100大隊を送り込んで弾よけに使用した。
 二世部隊は、好んで犠牲者が多く出る激戦地に赴いて戦った。
 あまりにも戦死者が多かった為に、別名「自殺部隊」と言われて嫌われていた。
 日系アメリカ人兵士が勇敢に戦って勲章を得ても、人種差別は変わらず、多くの商店やレストランから入店を拒否されていた。
 6月10日 フランス中部のオラドゥール村。ナチス親衛隊は、女子供に関係なく村人642人を虐殺し、村を焼き払った。
 6月25日 ピウス12世は、国際赤十字ハンガリーのホルティ摂政に、「ある民族・人種であるが故に耐え難い苦しみにあえいでいる無数の人々を救う為に、あらゆる手段を講じるよう」にとの要請電報を送った。
 6月26日 ルーズベルトも、ハンガリー政府に対して、ユダヤ人をポーランドに強制移送しないようにとの勧告い、従わなければ戦後に軍事裁判でその罪を裁くと恫喝した。
 だが。アメリカ軍に対して、ユダヤ人の救出を命ずる事はなかった。
 アメリカ世論は、依然として、ユダヤ人難民の受け入れには反対していた。
 イギリスは、パレスチナへのユダヤ人難民の上陸を厳しく規制していた。
 連合国は、戦争の勝利をユダヤ人を救う事よりも優先した。
 国際赤十字も、ナチス・ドイツの許可がないとして、強制収容所に送られるユダヤ人を見過ごし、救いの手を差し出す事を控えた。
 ヨーロッパは、うすうすとは絶滅政策の実態を知っていたが、世の嫌われ者のユダヤ人を救うのが嫌で、まさか隣人愛を信仰するキリスト教徒が「そんな恐ろしい残虐行為を行うはずがない」と自分を誤魔化した。
 6月下旬 アメリカ軍は、アウシュヴィッツ絶滅収容所と輸送線路とうへの空爆を検討した結果、空爆の対象は敵の軍事施設に限るとする原則で要請を却下した。占領下にある全ての人民を解放するのは、陸軍の任務であるとの結論を出した。
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 7月1日 ハンガリー政府は、早期講和を求めていた為に、強制移送を直ちに中止するよう努力するとの返電をバチカンに送った。
 7月7日までに、ハンガリーユダヤ人43万7,000人がアウシュヴィッツ絶滅収容所に強制移送された。
 7月10日 ホワイト・ハウス戦争内閣会議。レーヒー「私の意見は、すでに統合参謀本部でも強く主張した通り、戦争に勝つ為の大規模な(日本)本土決戦などいっさい不要である」
 マーシャルは、日本本土侵攻の必要性を力説し、その際の兵員を200万人以上と試算した。
 7月20日 ヒトラー暗殺未遂事件。ゲシュタポは、容疑者約7,000人を逮捕して拷問にかけ、約5,000人を処刑した。
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 8月 オランダ・アムステルダムの隠れ家にいたアンネ・フランクの家族4名と知人4名は、何者かの密告で、ナチス親衛隊とゲシュタポに所属するオランダ人によって逮捕され、強制収容所に送られた。
 終戦まで生き残ったのは、父親のオットー・フランク一人だけであった。
 アンネの日記「私達がこういった諸々の苦難に耐え抜き、やがて戦争が終わった時にも、もしまだユダヤ人が生き残っていたならば、その時こそユダヤ人は、破滅を運命付けられた民族としてではなく、世のお手本として称揚されるでしょう。ことによると、世界中の人々、世界中の民族が、私達の信仰から良きものを学びとる事さえあるあるかもしれません。そしてその為に、ただその為にこそ、いま私達は苦しまなくてはならない、そうも考えられます」
 「私達は常にユダヤ人なのです。私達は常にユダヤ人であるしかなく、またそれを望んでもいるのです」
 「神様は決して私達ユダヤ人を見捨てられた事はないのです。多くの時代を超えて、ユダヤ人は生き延びてきました。その間ずっと苦しんでこなくてはなりませんでしたが、同時にそれによって強くなる事も覚えました。弱い者は狙われます。けれども強い者は生き残り、決して負ける事はないのです」
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 8月1日 ワルシャワ蜂起。
 8月19日 ルズベルトは、イギリスが無条件降伏の原則を無視して戦争終結する為の妥協案作成にある事を知るや、チャーチルに抗議の電話を入れて阻止した。
 今大戦の責任は、ヒトラーを総統にする事を認めたドイツ国民全体にあるとして、少数のナチ党指導部に限定して言い逃れ様とする事に反対した。
 戦争責任を、ヒトラーナチスではなく、ドイツ国家とドイツ国民に負わせようとした。
 日本に対しても同様に、無条件降伏の原則を盾にして、昭和天皇と宮中勢力を逃す如何なる譲歩も認めなかった。対日戦の最終目標は、侵略的軍国主義体制の打倒と天皇制度の廃止による国體の解体であった。
 連合国首脳部は、天皇と皇室を死んでも守ろうとする日本人の信条を軽蔑して、人民が皇帝や国王を処刑するという世界常識で行動していた。
 8月20日 アメリカ軍爆撃隊は、アウシュヴィッツ絶滅収容所から8キロ離れた工場地帯を爆撃した。
 連合軍は、アウシュヴィッツ絶滅収容所と輸送線路の詳しい航空写真を撮影していた。
 8月25日 パリ解放。
 一部のフランス人女性は、ドイツ軍占領下で、食糧を手に入れる為にドイツ人兵士と交際して約8万人の私生児を産んだ。
 解放後。ドイツ人兵士と肉体関係を持った女性は、売国奴としてリンチにかけられ、衆人環視の中で、上半身を裸にされ、頭を剃られ、引きずり回され、罵倒され、唾を吐きかけられた。その後どうなったかは定かでないが、真面な市民生活が送れなかった事は確かである。
 国際社会に於いて、祖国を裏切り、敵に利する行為を行った者は、理由の如何に拘わらず制裁を受ける。
 時には、村八分的に追放されるか、さもなくばリンチ的手法で殺害された。
 自分一人が助かる為に、仲間や集団を裏切り敵に売る者は、人権をも取った人間とは見なされず動物のように扱われ、そして殺された。
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 9月 ロンドンの連合国戦争犯罪委員会は、「侵略戦争」は先に攻撃したという戦争の開始状態を意味するだけの事であり、戦時国際法において犯罪ではないと定義した。
 侵略戦争戦争犯罪とされたのは、ナチス・ドイツが崩壊してユダヤ人のホロコーストが明らかになってからである。
 が、ホロコーストを知りながら、ホロコーストを止めなかった連合軍の不作為は不問とされた。
 9月9日 ブルガリアで、パルチザンと祖国戦線(共産党・農民同盟左派らにより結成)が権力を掌握し、新政権を樹立した。
 ブルガリア共産党は、ソ連の命令に従い、1944年以前にファシスト政権に加担した者と反ソ連共産主義者の数千人を人民裁判にかけて処刑した。
 ブルガリア共産党内部の権力闘争として、主導権を取った派閥は反対派を反革命分子として弾圧した。
 9月13日 アメリカ軍爆撃隊は、アウシュヴィッツ工業地帯を再度爆撃し、誤って絶滅収容所に爆弾を投下して鉄道線路に軽度の被害を負わせた。
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 11月4日 各国の連合軍占領地では、無差別爆撃で数百万人の一般市民が住む家なくき瓦礫の中で生活していた。
 政府機能が崩壊していた国では、臨時行政府と連合国軍によって戦災者への食料や水が支給されていたがその量はごくわずかで、まともの医療も受けられず、多くの命が失われていた。
 ユダヤ人の財務長官モーゲンソーは、ドイツ憎しから、国務省から陸軍省への指示書の内容に、ドイツ軍兵士捕虜収容所に配付される赤十字からの支援物資を制限するように要請した。さらに、ドイツを分割解体し農業国として再建する為に全ての工業を破壊するという計画書、モーゲンソー・プランを提出した。
 アメリカとイギリスの国際資本は、ドイツを二度と国際貿易の独占に脅威をもたらす存在にしない為に、軍隊再建ができないできない様に打撃を与える事に賛同した。
 パットン将軍は、生活物資を厳しい寒さに耐えているドイツ人に廻す為に、武装解除して抗戦意思のないドイツ軍兵士捕虜は解放して帰国させた。
 連合軍最高司令官アイゼンハワー大将は、限られた食料及び医薬品を有効に配分する為に、捕虜収容所内のドイツ軍兵士捕虜約数百万人への支給を制限する計画を立てるように命じた。
 イギリス将校の一部は、食料支給が減らされては数十万人のドイツ軍兵士捕虜が餓死する恐れがあるし、明らかなるジュネーブ協定違反であるとして命令を拒否した。
 赤十字国際委員会も、支給の確保を要請し、衰弱し命の危険にあるドイツ軍兵士捕虜をアメリカ軍管轄収容所から別の収容所に移送した。同委員会のプラデルヴァンは、そも情況をフランスのド・ゴール将軍に打ち明けたと言われている。
 連合国軍の管理した捕虜収容所から、100万人以上のドイツ人が帰国せず家にも帰る事なく姿を消したといわれている。
 ジェームズ・バクー『消えた百万人─ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道』
 アーネスト・E・フィッシャー「ドイツにかにかわるすべてのものに対する凄まじいまでの過度の憎悪」
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 12月16日 バルジ会戦。



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伊勢の神宮―祈りの心・祭りの日々 日本人の原点回帰を求めて

伊勢の神宮―祈りの心・祭りの日々 日本人の原点回帰を求めて